特別編 頼みごと2
翌朝の早朝、身支度をしてレシスの侍従から届けられた封書を持ち、一階の食堂へ向かう。
アリアと共に食事をして兵舎を出て、竜舎に向かいながら、昨夜レシスと話したことを伝えた。
『未来の従姉妹』と言われたことを思い出してしまい、気恥ずかしくなったが、なんとかごまかした。
ディドに鞍をつけ、アリアに見送られて出立する。
目的地に向かって安定した飛行を続けていたディドが、ふいに停まった。
風をどう使っているのかはよくわからないが、翼を動かさないまま空中にとどまる。
「……ディド? どうしたんだ?」
問いかけても返事はなく、もう一度問いかけようとした時、ふいにディドが動いた。
くるりと回転して、王都のほうへと猛スピードで飛ぶ。
「なっ、ディ……!?」
驚きながらも問いかけようとした声が、全身がきしむ感覚にとぎれる。
ディドが風の膜で包んでくれているから風は身体に当たらないが、突風に向かって進んでいる時のような、圧力のようなものを全身に感じた。
ディドは飛ぶのが速いほうだが、今の速度は今までに経験したことのない速さだ。
こんなに速く飛べるとは知らなかったが、我々に負担がかからない速度にしてくれていたのだと、今の状態から理解できた。
景色は筋になって流れ、視界が定まらず、めまいがする。
呼吸をするのも苦しくて、鞍の取っ手を強く握りしめると、ふいに『伏せてろ』と伝わってきた。
意味がわからず問い返そうとするより早く、風に背中を強く押されて、鞍に伏せる姿勢にされた。
「ディ、ド……っ」
かすれた声をしぼりだして呼んでも、ディドは答えず、かわりにさらに速度が増した。
いつも飄々とした態度のディドが、ひどくあせっているように感じた。
理由を考えたくても、そんな余裕はまったくなかった。
全身にかかる圧力が増して、目を開けることもできず、鞍にしがみつくように身体を丸めて必死に呼吸するのがせいいっぱいだった。
意識もとぎれとぎれになり、どれぐらいそうしていたかもわからなかったが、ふいに身体にかかる圧力が消え、がくんと急降下した。
同時にディドが鋭い声で吼える。
急激な動きに身体がついていかず、また意識が飛びそうになったが、固い場所におろされたことで、わずかに正気を取り戻した。
目を開けて周囲をうかがうと、レシスの執務室のようだった。
かすむ視界の中に、アリアとレシスがいるのが見えた。
アリアがディドとしばらく会話をした後、話しだした内容に、ようやくディドの行動を理解した。
どうやってかアリアの危険を察知して、大急ぎで戻ったのだろう。
大臣が凶行に及ぶ前に間にあったことにはほっとしたが、その後の話の流れはまずい方向だった。
昨夜レシスと話した時、ディドがアリアを特別扱いしていることは、あえて伝えなかった。
理由を聞かれたら、アリアの前世がドラゴンだということを隠しきれないかもしれないと思ったからだ。
だがそれが、レシスがアリアを軽視し、ディドを怒らせることにつながってしまった。
責任はすべて私にある。
なんとかディドを止めようとしたが、ディドから伝わってきた意思は今まで感じたことがないほどに強く、怒りに満ちていた。
『アリアを危険にした』
『アリアを疑った』
『俺を怒らせた』
『償え』
『償え!』
『償え!!』
『償え!!!』
『償え!!!!』
何度も何度も、『償え』という言葉が頭の内側で轟く。
それは耳をふさいでもとぎれることはなく、怒りに満ちた力は飛行中の風の圧力よりもさらに強かった。
抗うことすらできない強大な力に、思考どころか自我さえ押しつぶされていく。
もうだめだと思った時、レシスの絶叫がかすかに聞こえ、ディドからの圧力が消えた。
身体を支えきれず、ソファにぐったりともたれかかる。
アリアがディドやレシスと話す声をぼんやりと聞きながら、意識がとだえた。
目が覚めると城内の医務室にいて、夜になっていた。
医師に診察を受け、極度の肉体的精神的疲労のせいだと言われた。
消化の良い軽い食事を出されて、ゆっくりと食べた。
途中でレシスの侍従がやってきて、おちついたら私室に来てほしいという伝言を聞く。
もう少し休んでいくようにと医師に言われたが、礼を言って医務室を出た。
全身がだるく重く感じたが、動けないほどではなかった。
いったん兵舎に戻って、レシスへ訪問の先触れを出してから飛行用の制服を普段の制服に着替え、身なりを整えてレシスの私室に向かう。
ソファに座っていたレシスは、入ってきた私を見て力なく笑った。
「やあ、呼びつけてすまないね。
もう出歩いて大丈夫なのかい?」
「ああ。君のほうこそ、大丈夫なのか?」
「まあ、なんとかね。
寝こんでいる余裕はないし」
レシスの顔色は青ざめ、声にも力がなかった。
ぐったりとソファの背もたれによりかかったまま軽く手をふって、二人分の紅茶を淹れていた侍従を出ていかせる。
幼い頃から王太子という肩書きにふさわしいふるまいを自分に課してきたレシスは、他人に弱みを見せたがらない。
私の前では感情を見せるほうだが、それでもこれほどに弱っている姿を見たことはなかった。
よほど心身ともに疲れているのだろう。
それが自分のせいだと思うと、新たな罪悪感がこみあげてくる。
二人きりになって向かいに座ると、姿勢を正して深く頭を下げた。
「すまなかった」
「……何がだい?」
「ディドが、アリアを気に入って、私よりも特別扱いしていることを、昨夜きちんと君に説明できなかった。
それともうひとつ、ディドたちドラゴンが我々に協力してくれるのは、報酬の果物めあての、取引のようなものらしいんだ。
この国にこだわりはたいしてないから、自分たちの要求が通らなかったり、気に入らないことがあれば出ていくと、はっきり言われた。
そのことも、昨夜話しておけばよかった。
そうすれば、君が大臣を利用したり、アリアの言葉を疑うような発言をして、ディドをよけい怒らせることもなかっただろう。
本当に、すまなかった」
頭を下げたまま言うと、小さなため息が聞こえた。
「とりあえず、頭を上げてくれ。話しにくい」
「……ああ」
ゆっくりと頭を上げると、レシスはけだるげな表情で私を見る。
「アリア嬢については、確かに聞いていたらもう少し違う判断ができただろうと思う。
だが、ドラゴン殿たちが果物めあてで我々を手伝ってくれていることは、知っていたよ」
「え……」
驚きに目を見開くと、レシスは少しだけ生気が戻った表情で苦笑した。
「私が成人した時に、父上が直々に話してくださった。
『ドラゴンに命令はできないが、機嫌をそこねない間は頼みを聞いてくれるから、決して怒らせてはいけない』とね。
我らの始祖、建国王が代々跡継ぎにのみ伝えるようにと厳命した秘密だから、王族とはいえ君にも黙っていてすまなかった」
「あ、いや……それは、しかたないと思う。
だが……知っていたのか……」
混乱しながらも言うと、レシスはさらに苦笑する。
「ああ。
そのことを重々理解したうえで対応しているつもりだったが、怒ったドラゴン殿があれほど恐いとは思わなかったよ。
決して怒らせるなと、武勇と豪胆さを謳われた建国王が言い残すのも当然だな。
圧倒されて動揺して、判断ミスを重ねてしまった。
アリア嬢の性格も読み違えてしまったし、私もまだまだだな」
最後はどこか自嘲するように言って、レシスは大きくため息をついてうつむく。
しばらくして顔を上げた時には、まだ顔色は悪いがまなざしに力が戻っていた。
「だが、これ以上ミスを重ねるわけにはいかない。
ドラゴン殿たちを失っては、この国は成りたたなくなる」
「……ああ」
「ドラゴン殿たちの機嫌をそこねそうな問題は、できうる限り排除しなくてはならない」
強い言葉は、決意以外の何かを感じさせた。
「……何か、動きがあったのか」
レシスは脇に置いてあった紙の束を取りあげ、ぱらぱらとめくる。
「軍務大臣の執務室や屋敷を調べさせたら、イシュリア国王からの密書が大量に出てきた。
ほとんどが『ドラゴンさえいなくなれば、リーツァ王家は滅び、おまえが次の王だ』というような内容だった。
彼が任期途中で病を得て引退した軍務大臣の後任になったのも、イシュリア国王のドラゴン排除計画の一端だったようだ。
二年ほど前、イシュリア国王が突然親善外交と称してやってきて、自分の親族が要職についてないのはおかしいと暗に圧力をかけてきたから、父上がしかたなく任命したんだが、内通者から前大臣の病気の情報を仕入れたうえでの行動だったのだろう。
しばらく前に大臣が提案して強引に採用した、定められた巡視以外でドラゴンに騎乗する際には私か軍務大臣の承認が必要という法律も、ドラゴンを尊重する建前の裏で、動向を探り牽制するためだったらしい」
話しながら渡された書状には、『リーツァ王国が滅んだら、国土の東半分はイシュリアの物、残り半分をそなたが王となって治めよ』というようなことが書かれてあり、最後にイシュリア国王の署名があった。
「大臣は、ドラゴンがいなくなれば自分が国王になれると思いこんで、今日の騒ぎに至ったようだ。
たとえドラゴンが我が国を出ていったとしても、その瞬間にリーツァ王家が滅びるわけではないし、ドラゴン及び王家への不敬罪で処罰されるのに、そんなこともわからなくなるぐらい欲に目がくらんでいたたようだね。
だがまあこれだけ証拠を残してくれたおかげで、イシュリアとの『交渉』はやりやすくなったよ」
レシスの呆れ混じりの言葉に、ふと疑問を感じる。
「そういえば、大臣はどうやって君とアリアが面談することを知ったんだろう。
君が連絡したわけではないよな?」
「もちろん違う。
どうやら竜騎士団の副団長の使い走りをしていた見習いが、大臣の派閥の者だったようだ。
副団長に、君がでかけたらアリア嬢を連れてくるよう命じたのを聞いたのだろう」
「……そうか」
副団長は、私と同じくドラゴンに心酔しているタイプで、心から信頼している。
だが、どこかのんきなところがあるから、見習いの行動に気づかなかったのだろう。
ふと制服のポケットに入れた物のことを思い出す。
ポケットから出して、テーブルの上に置いた。
「……昨夜頼まれたこの書類は、私とディドをアリアからひきはなすための嘘だったのか?」
じっと見つめると、レシスはイタズラがばれた子供のような表情になる。
「書類は本物だが、大至急というのは嘘だよ。
すまなかった。
アリア嬢と二人きりで、ゆっくり話したかったんだ。
私がアリア嬢を呼びだしたと知ったら、君は絶対ついてくるだろうからね。
なのに大臣がわりこんできたから、どうせなら利用しようと思ったんだが……それがそもそもの間違いだったな」
もうひとつ思いだして、ためらいながらゆっくりと言った。
「アリアを……妾妃にしたいというのは、本気だったのか?」
レシスは驚いたような表情で私を見て、くすりと笑う。
「いや、最初は君との仲を応援するつもりだったんだ。
だがアリア嬢はあまりにも君に興味がないようだったから、つい、ね。
アリア嬢に王家に味方してもらうには、妾妃になってもらうのが一番効率がよさそうだったから」
アリアが私に興味を持っていないことはわかってはいたが、他人に改めて言われると、やはりせつない。
「……効率とか、そういう考え方で女性をくどくのは、よくないぞ」
拗ねた子供のようだと自覚しながらも言うと、レシスはくすくすと笑う。
「そうだな、すまない」
詫びながらなおも笑っていたレシスは、ふいに真剣な表情になる。
「アリア嬢は、我々にとって諸刃の剣だ。
うまくいけばドラゴン殿たちとの理解を深め絆を強くすることができるだろうが、失敗すればすべてを失うことになるだろう。
貴族たちや他国の干渉は私が抑えるから、君はアリア嬢のそばにいて、彼女の望みをかなえ、守ってくれ。
彼女を守ることが、この国を守ることになる」
「……わかった」
重い責任を感じながらゆっくりとうなずくと、レシスはからかうような笑みを浮かべた。
「ついでに、がんばってアリア嬢をくどいてくれ。
打算で結婚しろという意味じゃないが、結果的に彼女が我が国に味方してくれることになればありがたい。
私はきっぱりふられてしまったから、君ががんばってくれ」
冗談のような口調で、だが本気のまなざしで言われて、答えられずにいると、レシスはにこりと笑った。
「よろしく頼むよ」
会話の最後のにっこり腹黒笑顔は、王太子の標準装備ですw




