第8話
また長い廊下を歩いて王城から出るのは面倒だし、ディドさんと離れたくなかったし、ディドさんにもそう言われたから、ディドさんと一緒に窓から帰ることにした。
バルコニーに出ると、ディドさんが風の膜でしっかりと包んでくれて、ふわりと浮かびあがらせて背中につけたままだった鞍にそっと横向きに座らせてくれた。
ディドさんは三階のバルコニーから翼を使わずに風をまとってゆっくりと下降して、竜舎の前庭に降りたつ。
ふわりと身体が浮いて、地面に降ろされた。
「ありがと。
この鞍、はずすの手伝わせて」
【おう、頼む】
実際にやったことはないけど、竜騎士が鞍をつけたりはずしたりしているところを何度も見たから、手順はわかっている。
手早くはずして、竜舎前に置いた。
後でウィルさんか誰かが回収にくるだろう。
ディドさんに続いて竜舎に入ると、ネィオさんが仕切りから首を出した。
【アリア、無事だったかい】
「うん、ディドさんが来てくれたから。
ネィオさんが連絡してくれたおかげだよ、ありがとう」
【ネィオ、ありがとよ、おかげでなんとか間にあった】
私とディドさんが続けて礼を言うと、ネィオさんはおっとりと笑う。
【ほっほっ、まあ無事にすんでよかったのう。
なら、わしはちょいと昼寝するでのう】
「うん、おやすみなさい」
ネィオさんに軽く手をふって、ディドさんの後をついてディドさんの仕切りに入る。
まんなかあたりで寝そべって丸くなったディドさんに視線で促されて、尻尾に座っておなかにもたれる。
この数日間の間で、定位置と呼べるぐらいなじんだ場所に、やっぱり安心した。
首を伸ばして私の足元に頭をおろしたディドさんが、静かに言う。
【アリア、もう一度詳しく話してくれ。
俺が飛んでいったとこから、全部だ】
「うん」
詳しく話し終えると、ディドさんはまた喉の奥でうなり声をあげた。
【バカ大臣がそこまでバカだったとはな……あん時につぶしとくべきだったか】
あの時とは、私がここに来た初日のことだろう。
「そうだね、でも……」
言葉を切って、ちょっと身体を起こしてディドさんを見つめる。
【なんだ?】
「ディドさん、さっき王太子の前ですごく怒ってたのは、わざとだよね?」
私がディドさんのお気に入りだと、王太子にはっきりわからせるために。
私の意見を、無条件に受けいれさせるために。
ドラゴンはなんでも即決即断だから、あんなふうに暗に示したり、取引めいた言い方をしたりしない。
あんな人間風の会話ができたのは、百年間人間と暮らしてきたディドさんだからだろう。
じっと見つめると、ディドさんはにやりと笑う。
【怒ってたのは本当だが、たまには駆け引きってのをやってみるのもいいだろ。
そういやおまえは、なんであいつらを許してやったんだ?
情けない王族どもに同情したのか?】
「別に、そういうわけじゃないけど。
他の国にあんまり期待できそうにないって思ったから」
もう一度ディドさんにもたれて、小さく息をつく。
「東隣の国のイシュリアは、現国王があの大臣と血がつながってるってだけで、期待できないっていうか、行きたくないし」
【そうだな】
「北は海だから、残るは西隣と南隣。
どんな国なのか名前も知らないけど、この国と仲良いならドラゴンが来ても困るだろうし、仲悪いならこの国に攻めこもうとしそうだし。
戦えって言われたらもちろん断るけど、そんなこと言うような国なら、行くだけむだだよね」
適当な国に行って交渉して、合わないようなら次の国に行ってをくりかえせば、そのうち暮らしやすい国が見つかるだろうって、初日にディドさんと相談した時は思った。
だけど、イシュリアみたいに交渉するのがむだな国もありそうだ。
「それなら、とりあえず現状維持にして、暮らしやすそうな国を調べてから出ていくほうがいいかなって、思ったの」
【……そうか】
ディドさんが、じっと私を見つめる。
深い知性をたたえた砂色の瞳を見返して、からかうように言う。
「それに私、一回でいいから生のドラーチェを食べてみたいんだ。
だから、せめて次の秋まではこの国にいようかなって思って」
ドラーチェは、建国王がディドさんのお父さんの勧誘に使った果物だ。
この国の王都周辺の限られた地域でしか育たず、一本の木から収穫できる量が少ない貴重品らしい。
元は違う名前だったけど、ドラゴンへの献上品として王家の厳重な管理のもとで育てられているうちに、いつしかドラゴンにちなんだ名前で呼ばれるようになったらしい。
一般には出回ってなくて、人間で食べれるのは王族ぐらいらしい。
私はもちろん食べたことなかったけど、昨日の朝食として届けられた果物の中にあったのを、ディドさんがいくつか分けてくれた。
干物のそれは甘くておいしかったけど、生はもっと甘くておいしいらしい。
だけど、生で食べられるのは、秋のはじめの収穫期だけらしい。
【確かに、せめて一回ぐらいは、おまえや幼生に生のドラーチェを食わせてやりてえな】
ディドさんも、からかうような口調で答える。
「でしょ。
だから、今日のことは、確かにいろいろ不愉快だったけど、我慢できないほどじゃなかったし、王太子に納得させるいい機会だったって思うことにしたの。
あれだけディドさんに怒られたら、王太子ももうバカなこと考えないだろうし。
でも、ディドさんが王太子やウィルさんにあんなに怒ったのは、ちょっと意外だった」
幼生やフィアに手出ししようとしたバカ大臣に怒るのはわかるけど、私よりずっとつきあいが長いウィルさんや王太子にあんなに怒ってたのは、わざとだとしても意外だった。
【おまえが傷つけられそうになったんだ、当然だろ。
もしおまえがかすり傷一つでもつけられてたなら、俺はあいつらを王都ごと叩きつぶしてたぞ】
物騒なことをさらりと言ったディドさんは、首を持ちあげて私の目をのぞきこむように顔を近づけてくる。
【気をつけろって言っといただろうが。
これからは、相手が王太子だろうが国王だろうが、俺がいない時の呼びだしには応じるんじゃねえぞ。
無理やり連れてかれそうになったら、ここに逃げこむか、ネィオかキィロを呼べ。
ドラゴンの力の名残りがあったとしても、今のおまえはひ弱な人間の、さらに弱い女なんだ。
もうちょい警戒心を持てよ】
諭すような優しい声と心配そうなまなざしが嬉しくて、くすりと笑った。
「心配かけてごめんね。
これからはもっと気をつけるね」
【おう】




