第6話
【やめろ!!】
鋭い咆哮が響くと同時に、バルコニーに面した大きな窓が乱暴な音をたてて開いた。
突風が吹きこんできて、とっさに顔をかばうように腕を上げる。
だけど、風を感じたのは一瞬で、すぐにやわらかな空気に包みこまれた。
「ぎゃあっ!」
風に守られた私とは逆に、大臣は突風にからめとられて天井近くまで飛ばされた後、廊下側の壁にたたきつけられ、そのまま押さえつけられる。
【アリア、無事か】
バルコニーから上半身を室内に入れたディドさんが、心配そうに言う。
風の膜に包まれたままの私の身体はふんわりと浮きあがり、ふわふわと空中を漂うようにして運ばれた。
「……うん」
ディドさんの前までいくと風の膜が消えたから、自分の足で立つ。
心配そうなディドさんを見上げて、にこりと笑った。
「大丈夫、なんともないよ」
恐怖は、感じなかった。
大臣の動きは見えていたし、短剣がふりおろされる前にテーブルを投げつけてやるつもりだった。
それでも、ディドさんを見て、なぜか安心した。
【遅くなって悪かった。
できるだけ急いだんだが……くそ、やっぱり途中でウィルを捨てりゃよかった】
後悔といらだちが混じったような声とともに、わずかに風が動くのを感じた。
あたりを見回すと、ディドさんの背中から、風の膜に包まれたウィルさんが少し離れた床におろされるのが見えた。
ぐったりとしたウィルさんは、うめきながら起きあがろうとしたけど、力が入らないのか近くにあったソファの背面にもたれるように座りこんだ。
顔色は蒼白で、気分が悪そうだ。
「……ウィルさん、どうしたの?」
【いつもより飛ばしたから、こたえたんだろ。
一応風の膜を厚めにしといたけどな】
「そっか。
あれでも、ディドさん、どうして戻ってきたの?」
ディドさんたちが出発してから、まだ一時間も経っていない。
普段の速度で片道二時間かかる距離なら、全速力を出したとしても一時間で往復は無理だろう。
途中でひきかえしてきたんだろうけど、理由がわからない。
【ネィオが、風で声を伝えてきたんだよ。
『アリアが王太子に呼び出されて連れてかれた』ってな】
「え……」
驚いたけど、遠くの声を風で集めて聞くことができるなら、声を遠くに届けることもできるのかもしれない。
ネィオさんは、ここにいた年数はディドさんより短いけど、ディドさんより長生きしてるから、そういう風の使い方もできたのだろう。
【うるせえのが来やがったな】
ディドさんのいらだたしげな言葉に重なるように、遠くから走ってくるような複数の足音と、金属がふれあうような音がかすかに聞こえた。
ふりむくと、開いたままの扉の向こうにまっすぐ伸びた廊下の奥から、十人ほどの武装した近衛騎士が走ってくるのが見えた。
ディドさんのまわりから、風が吹きあがる。
王太子をかばうようにその前に立っていた騎士二人を、風がからめとって、扉の外に放り出した。
さらに吹いた風が、大きな音をたてて扉を閉じる。
扉をたたいたり叫んだりしてる音がしたけど、ディドさんが扉を覆うように風の膜を張ると、聞こえなくなった。
「……ディド殿、私は」
王太子が何か言いかけたけど、ディドさんににらまれると、言葉をとぎらせた。
ディドさんから王太子へ、力が流れていくのを感じた。
王太子は顔をしかめ、手を頭にあてて、頭痛をこらえるようなしぐさをする。
「……わか、った」
王太子がかすれた声をしぼりだすように言うと、力の流れが止まる。
「……王太子に、なんて伝えたの?」
なんとなく気になって問いかけると、私を見たディドさんはにやりと笑う。
【俺とアリアが話してる間、黙って待ってろって伝えただけだ】
ドラゴンが他の生き物に意思を念じて伝える時、力を込めすぎると、相手は受けとめきれなくて、痛みを感じるらしい。
だから、相手が平気なぐらいに力を抑えて伝えてあげるようにしているそうだ。
だけど、そうすると、伝えられる内容が限られてしまう。
人間に伝えられるのが単語一つ二つ程度なのは、そのせいだ。
人間は弱いから、ごくごく弱くしなければ、痛みに耐えきれず気絶してしまうそうだ。
さっきのディドさんは、わざと力を抑えずに王太子に意思を伝えたのだろう。
【これで邪魔は入らねえ。
アリア、何があったのか話せ】
「あ、うん」
王太子に妾妃になってほしいとくどかれたこと、大臣が意味不明の怒りから私を殺そうとしたことを、簡潔にまとめて話す。
ディドさんは黙って聞いてたけど、だんだんそのまなざしが険しくなっていく。
話し終わると、ディドさんは喉の奥でうなるような低い声をあげた。
ドラゴンが機嫌が悪い時に出す声だ。
ディドさんがそんな声を出すのを、初めて聞いた。
よほど怒っているようだ。
しばらくうなってたディドさんは、ちらりと私を見た。
【……アリア。
王太子に通訳してくれ】
「いいよ、あ、でもちょっと待ってね」
ディドさんに断ってからふりむき、壁際に立つ王太子を見る。
「今から、ディドさんの言葉を通訳します。
私じゃなく、ディドさんの言葉だと理解したうえで、会話してくださいね」
ウィルさんから聞いてるならわかってるだろうけど、念のために言うと、王太子はこわばった表情でうなずく。
「……わかった」
「じゃ、ディドさんどうぞ」
【おう】




