第5話
「お断りします」
きっぱりと言うと、王太子は目を見開いた。
国王は、この国で一番偉い人だ。
逆らうことは許されない。
だけど、この国にこだわらない私には、たいして意味がない。
無理強いしてくるなら、以前ディドさんと話しあったとおりに国を出ればいいだけだ。
今丁寧に接しているのも、ディドさんたちのためにもめごとをさけたいだけで、王太子という肩書きに敬意をはらってるわけじゃない。
「君は」
何か言いかけた王太子は、言葉を切って紅茶を飲んだ。
深呼吸してから、改めて私を見る。
「……私の言い方が悪かったかな。
本当の意味で妾妃になってほしかったが、それがいやなら、肩書きだけでもいいんだ。
名誉職のようなものだと思ってくれればいい。
妾妃は、女性の地位としては王妃に次いで高いから、貴族たちも敬意をはらって接するだろう。
竜騎士団長付き侍女だと使用人でしかないが、妾妃は王族に準じた扱いとなる。
いろいろと便利だと思うよ」
穏やかさを装って言う王太子を、まっすぐに見返す。
「侍女になったのは、ディドさんに薦められたからです。
肩書きなんてなくても、ディドさんたちのお世話はできます。
それに、ドラゴンに敬意をはらわない実例がそこにいるんですから、妾妃になっても同じだと思います」
私をにらみつけている大臣に、ちらっと視線を流す。
王太子が何か言うより早く、大臣が立ちあがってどなった。
「小娘がっ!
なんたる無礼っ、今度こそ許さんぞ!」
「あなたのほうが無礼です。
ドラゴンに敬意をはらえないなら、軍務大臣なんてふさわしくありません」
にらみ返しながら言うと、大臣は怒りに赤くした顔をさらに赤くする。
「高貴なる血筋のわしが、なぜケダモノごときに敬意を持たねばならん!
あのケダモノどもさえいなければ、わしがこの国の王だったのだ!!」
ケダモノという言い方にむっとしたけど、その続きの意味不明な叫びに首をかしげて、不機嫌そうな王太子を見る。
「この人も、王族なんですか?」
「……いや、彼は」
「卑怯者の国の王族でなどあるものか!
わしは誉れ高きイシュリア国の始祖の血を引いておるのだ!」
王太子の言葉を遮るように叫んだ大臣は、いばるように胸を張る。
やはり意味不明な言葉に、ますます首をかしげた。
「イシュリアって、どこですか?」
「なっ」
「我が国の東の端と国境を接する国だ。
大臣の母親はイシュリア国の前国王の娘で、今の国王は従兄弟にあたる」
絶句した大臣にかわって、王太子が言う。
数日前まで生まれた村から出たことがなかった私は、近隣のいくつかの村の名前ぐらいしか知らない。
しかも広大な国の北端に住んでいたから、東隣の国の名前なんて、聞いたこともなかった。
「現国王の従兄弟だとしても、どうしてこの国の王ってことになるんですか?」
「この国は、イシュリアの従属国になるはずだったからだ!」
王太子が何か言うより早く、大臣がまた叫ぶ。
憎々しげな視線は、今は王太子に向いていた。
「四十六年前、この国は突然ドラゴンを使ってイシュリアに攻めこんできたのだ。
イシュリアは果敢に応戦し、国土の三分の一とひきかえに停戦を結んだ。
だが、卑怯者のリーツァ国王は、国土だけでは飽きたらず、王女だった我が母上をも要求してきたのだ!
婚約者と結婚間近だった母上は、国を守るために苦渋の決断をくだして婚約を破棄し、この国にやってきた。
なのにリーツァ国王は突然気を変えて、母上を侯爵にさげ渡したのだ。
高貴なる血筋でありながら、国王でも公爵でもなく、成り上がりの侯爵と無理やり結婚させられた母上は、いつも哀しそうであられた。
幼いわしに、イシュリアの高貴なる血を引く誇りを持てと、常々おっしゃっておられた。
わしはその教えを胸に秘めて成長し、才能を発揮して出世し、大臣までのぼりつめた。
じゃが、本来なら母上は正妃となり、わしは王太子として生まれて、この国の王になるはずだったのだ!」
自分の世界にひたるような表情で語る大臣を、内心呆れて見つめる。
「この人が言ってることは、本当なんですか?」
一応王太子に確認すると、王太子も呆れたような表情で小さく首を横にふる。
「歴史学の教師から聞いた程度だが、今大臣が言ったことは、ほとんどが嘘だ。
五十年ほど前にイシュリアと争いがあったのは事実だが、一方的に攻めこんできたのはイシュリアからだ。
ドラゴンに撃退されると、とたんに下手に出て、国土の三分の一とひきかえに停戦してほしいと言ってきた。
当時の国王だったおじいさまが停戦交渉に応じると、イシュリア国王は友好の証だと言って自分の娘を一方的に送りつけてきた。
おじいさまは既に結婚していて、跡継ぎたる父上も生まれていたから、娘をイシュリアに送り返そうとしたが、『一度国から出したのだから、この国にはもう娘の居場所はない、いらぬなら殺せ』と拒否されて、しかたなく婚約者を事故で喪ったばかりだった侯爵と結婚させたそうだ」
「それこそ嘘だ!
この国の王家が体裁を繕ってごまかしているのだ!」
大臣が憤慨したようにどなる。
対する王太子は冷ややかな表情で言う。
「嘘ではない。
そもそも、我が国は建国以来、他国に攻めこんだことは一度もない。
それがドラゴンとの盟約のひとつだからだ」
それは、ディドさんから聞いた話にも出てきた。
他国から攻めこまれたら撃退するけどこちらから攻めてはいかないというのが、初代ドラゴンと建国王の時代から続く約束だそうだ。
寝場所は守るけど、でかけていくのは面倒、ということらしい。
だから、大臣より王太子の話のほうが正しいのだろう。
「それに、当時おじいさまは既に結婚していたのだから、そなたの母を正妃にできるはずがない。
たとえ妾妃にしていて、そなたが生まれたとしても、正妃を母に持つ父上が既に生まれていたのだから、そなたが国王になれるはずもない。
だが、おじいさまが結婚前だったとしても、突然攻めこんできた国の王女を、しかも同じ年頃の正妃の娘がいたにもかかわらず一番身分が低い妾妃の娘を一方的に送りつけられて、正妃に迎えるはずがない」
王太子が声にも表情にも不機嫌さをにじませて言うと、大臣がまたどなる。
「母上を侮辱するな!
母上は、イシュリア国国王の血を引く高貴なる王女、その息子のわしも、高貴なる血筋だ!
あの野蛮なケダモノどもさえいなければ、きさまらなどイシュリアの足元にひれふすしかないくせに!
小娘、おまえもだ!
ケダモノどもに気に入られたかなんだかしらんが、しょせんは平民の小娘、高貴なる血を引くわしと謁見できる身分ですらない、図にのるな!」
指先をつきつけてどなりつけてくる大臣をにらみ返しながら、声に力を込めて言う。
「ドラゴンはケダモノじゃないわ」
大臣は私を見下ろして、あざ笑うように言う。
「はっ、珍妙な力は強いが、それだけだろう。
話もできぬ下等なケダモノだ」
「ドラゴンは、ドラゴンの言葉だけじゃなく、人間の言葉も、動物の言葉もわかるわ。
人間の言葉しかわからない人間のほうが、よっぽど下等よ。
特にあなたは、下等で下劣で愚鈍な生き物よ」
「なんだと!」
大臣はどなりつけながら、私に向かって一歩踏みだす。
だけど、贅沢にゆるんだ身体にも耳障りなどなり声にも、恐怖はまったく感じなかった。
むしろ怒りが心の底からわきあがってくる。
「ドラゴンが念じて伝える声は、ほとんどの生き物が受けとれる。
受けとれないのは、ドラゴンの力を受けとめられないような、よっぽど下等な生き物だけ。
ドラゴンの声が聞こえないと言っていたあなたは、下等な生き物だってことよ」
「な、な、な……」
言葉に詰まった大臣は、元の顔がわからないほど怒りに顔をゆがめて、さらに一歩踏みだす。
「小娘が……なんたる無礼!
思い知れ!!」
ふりあげられた手を、ソファに座ったまま軽く体をひねってかわす。
ドラゴンの力の名残りで、飛びまわっている蜂の羽の動きすら鮮明に見えるほど目が良い私には、この程度の動きをかわすのは簡単なことだ。
だけど大臣は、かわされると思ってなかったのか、勢いをつけすぎて前のめりになり、テーブルに膝をぶつけてさらに姿勢をくずし、ぶつけたのとは反対側の膝を絨毯についた。
「ぐ、このわしに、膝をつかせるとは……っ、どこまでも無礼な小娘め……!!」
わけのわからない文句を言われて呆れる私の向かいで、あせった表情の王太子が立ちあがる。
「やめろ大臣、彼女はドラゴンのお気に入りだ。
傷つければドラゴンを怒らせる。
それでドラゴンたちがこの国を出ていったらどうする。
立場をわきまえろ」
王太子の強い声の命令を、大臣は鼻で笑いとばした。
「はっ、無礼な小娘を処分して、やつらがいなくなるなら、好都合ではないか!
やつらさえいなくなれば、この国など恐るるにたらぬ!
我が祖国のために、死ねい!」
立ちあがった大臣が、懐から短剣を抜く。
「やめろ!
近衛! 大臣を取りおさえろ!!」
王太子が叫ぶ。
扉が開いて、近衛騎士二人が入ってくる。
大臣が短剣をふりかぶる。
窓からさしこむ光に、ふりあげられた刃がきらりと光る。
一呼吸の間に起きたそれらのことを、冷静に判断する。
大臣の狂気に血走ったまなざしをにらみ返しながら、テーブルの端を握りしめた。




