第4話
「私は、君やウィルを責めているわけではないんだ」
私を見つめたまま、王太子はゆっくりと言う。
「君やウィルは、ドラゴンの頼みを断ることはできないだろう。
ドラゴンが口止めしたのは、仲間を守るため、なのだろう。
私は近衛騎士団の総帥として、そして王太子として、国を守るためにドラゴンを働かせる立場だから、警戒されるのは当然だ。
だが私は、国を守るためにはドラゴンの力が不可欠だということも、充分理解している。
そして、ドラゴンに無理強いできないということも、ドラゴンが我が国に集まっている理由も、理解している」
その言い方は、つい昨日ウィルさんに聞いた雰囲気ではなかった。
「『理由』を、ご存知だったのですか」
問いかけると、王太子は苦笑めいた表情になる。
「ああ。
成人した時に父上、現国王陛下から直接教えていただいた。
我らの始祖、建国王が代々跡継ぎにのみ伝えるようにと言っていたそうだ。
『ドラゴンに命令はできないが、機嫌をそこねない間は頼みを聞いてくれるから、決して怒らせてはいけない』とね」
一呼吸置いて、王太子は真剣な表情になる。
「だから、できうる限りドラゴンの要求をかなえるようにしてきたし、昨夜ウィルから伝えられた要求も受け入れた。
だが、それだけではたりない。
ウィルが口止めされていることが、いずれドラゴンを怒らせる火種にならないように、内容を知っておきたい。
知っていれば、それに関して何かあった時に適切な対応ができる。
知らなければ、判断を間違ってしまうかもしれない。
だから、教えてほしいんだ。
今後もドラゴンと良好な関係を続けていくために」
あくまでも真摯な口調と、表情だった。
王太子の言っていることは、ある意味正しい。
幼生に手出しすればドラゴンが怒るとわかっていれば、手出ししないように他の者に注意することもできる。
だけど、わかっていてもしようとするのが、人間だ。
幼生を人間の手で育てれば、人間に絶対服従するドラゴンを手に入れられる、などと考える者が現れるだろう。
この大臣なら、間違いなくそう考えそうだ。
ちらりと視線を流すと、王太子との約束通り黙っている大臣は、険悪な表情でにらみつけてきた。
視線を王太子に戻して、ゆっくりと言う。
「確かに、ディドさんは、ウィルさんにいくつかのことを口止めしました。
ですがそれは、王太子にというより、人間たちに知られたくないと、ディドさんが判断したからでしょう。
ですから私も、話す気はありません」
じっと私を見つめていた王太子は、かすかに苦笑する。
「君はドラゴンに気に入られて連れてこられたと聞いたが、君もドラゴンを気に入ってるようだね」
「はい。
私は、人間よりドラゴンの味方です」
きっぱりと言うと、王太子のまなざしが鋭くなった。
何かを探るように、あるいは確かめるように、私を見つめる。
「……君がドラゴンと出会ったのは、つい最近だとウィルに聞いたが、どうしてそこまでドラゴンに尽くせるのかな」
問いかける王太子の声は穏やかだったけど、まなざしの鋭さは変わらない。
同族だから、と言いたいけど、それは秘密だ。
「彼らが私を必要としてくれるから、彼らの役にたちたいんです」
少しぼかして言うと、王太子は目を伏せてしばらく考えこむ。
「……君は、ルーステッド領の北端の小さな村で生まれ育ち、六年前の流行り病で家族をすべて失い、他の孤児と一緒に村長の家で暮らしていたと、ウィルに聞いた。
だから、自分を必要としてくれるドラゴンの役にたちたいのかい?」
「そうかもしれません」
だけど、もし家族が生きていたとしても、ディドさんに誘われたら、家族よりディドさんを選んだだろう。
ディドさんと出会って、ドラゴンだった頃の記憶が鮮明によみがえって以来、考え方もドラゴン寄りになってきている。
以前から人間の考え方になじめずにいたけど、異端扱いされ排斥されないようにごまかしてきた。
ごまかす必要のない今は、もう完全に自分はドラゴン側だと思っている。
私が人間に生まれかわったのは、きっと今ここでディドさんたちを助けるためだったのだ。
「…………だったら、私が君を必要としたら、君はこたえてくれるのかな」
しばらくうつむいて考えこんでいた王太子は、ひとりごとめいた響きで言う。
「どういう意味ですか?」
王太子は顔を上げて、まっすぐに私を見つめる。
そのまなざしにはさっきまでの鋭さはなく、かわりに熱があった。
村の青年たちが私に話しかけてきた時と、同じ熱が。
「ドラゴンの助力を得て国を守ることは、近衛騎士団総帥としても、次期国王としても、私に課せられた義務だ。
ドラゴンに気に入られている君が手伝ってくれたら、私はその義務をより良い形ではたすことができる。
私には、君の助けが必要なんだ」
声も熱を帯びてきて、王太子は私のほうに軽く身を乗り出すようにする。
「君が私を手伝ってくれるなら、私も君にこたえよう。
女性に爵位を授けることはできないが、高位貴族の養女という形なら可能だ。
王城の離宮を与えてもいい」
「なっ!?
平民の小娘を妾妃にするなど、正気ですか!?」
私をにらみつけながらもずっと黙っていた大臣が、いきなり叫ぶ。
『離宮を与える』というのは、妾妃にするという意味のようだ。
「同席したいなら黙っていろと言ったはずだ。
それに、私は正気だし、本気だ」
王太子がきっぱりと言うと、大臣はさらに険悪な表情で立ちあがって私をにらむ。
「黙っていられるわけがありません!
この小娘は、ドラゴンをたぶらかして、私に無礼を働いたのですぞ!
それとも、殿下までたぶらかされたのですか!?」
「口を慎め。
今の言葉は、彼女にもドラゴンにも私にも失礼だ。
黙っていられないのならば、今すぐ出ていくがいい」
王太子ににらまれると、大臣はぐっと言葉を飲みこんだ。
憎々しげに私をにらみながら、ソファに座りなおす。
「すまない、大臣のことは気にしないでくれ」
「……はい。
さっきおっしゃられた『離宮を与える』というのは、妾妃にするという意味なんですか?」
大臣の勘違いかもしれないから確認すると、王太子はうなずく。
「そうだ。
国王は血を残すのも大事な義務だから、正妃の他に、三人まで妾妃を持っていいという慣習がある。
正妃は王城の奥宮に国王と共に住むが、妾妃には離宮を与えるんだ」
「……王太子殿下には、正妃がいらっしゃいますよね?」
三年前の王太子と正妃の結婚は国中で祝い、王都から遠く離れた私たちの村でもささやかな祝宴をした。
その後正妃が亡くなったとは、聞いていない。
「ああ。
正妃のことは共に重責を負う妻として愛しているし、跡継ぎとなる男子も生まれているから、妾妃を持つつもりはなかった。
だが君の手助けは、王妃という役割以上の恩恵を私や国にもたらしてくれるだろうから、妾妃の位がふさわしいだろう。
私が独身だったなら、婚約を破棄して君を正妃にしただろうが、我が国の宗教では離婚は認められていないからね」
確かに、この国の宗教では離婚は認められていない。
けれど、結婚相手以外と関わりを持つことも、認められていない。
国王は血の存続という義務のために、特例で認められているようだ。
伴侶だけを愛し続けるドラゴンには、絶対に受け入れられない特例だ。
そういうずるさも、私が人間を嫌いな理由のひとつだ。
内心呆れていると、王太子は再び熱を帯びたまなざしで私を見つめる。
「最初は、ウィルとの仲をとりもつつもりだった。
君のことを話す時の態度からして、ウィルが君に好意を持っているのは間違いない。
今までドラゴンにしか興味を示さなかったウィルが、初めて好きになった人間の女性だから、応援するつもりだった。
身分の差は、さっき言ったように高位貴族の養女になれば解消できるし、ドラゴンに気に入られている君と竜騎士団長のウィルなら、似合いの夫婦だろう。
だが、私がウィルの話をしてもほとんど反応していなかったところを見ると、君のきもちはウィルには向いていないようだ。
ならば、私の妾妃になってほしい」
ウィルさんに関する長話は、私の反応を見るためだったのか。
ウィルさんが私に好意を持っていることは、気づいていたけど、どうでもよかった。
だからといって、妾妃になってほしいと言われる意味がわからない。
ウィルさんを貴重な存在だとか友人だとか応援したいとか言いながら、私を妾妃に望むのは、矛盾している。
国益を優先させるのは次期国王としては正しいのかもしれないけど、結局は私を利用したいだけだろう。
「私は、結婚したいと思ったことはありません。
妾妃になりたいとも思いません」
きっぱりと言うと、王太子はわずかに眉をひそめたけど、すぐそれを隠すように穏やかに笑う。
「それは、ウィルがかわいそうだな。
私も残念だが、私が用意できる中で一番良いものが、妾妃の位なんだ。
してもらいたいことは今と同じドラゴンとの仲介だから、竜騎士団団長付き侍女という肩書きが妾妃にかわって、兵舎の中に用意する部屋が離宮になったと思ってくれればいい。
竜舎の脇に、君のための離宮を建てよう。
妾妃という身分があれば君を軽んじる者はいないだろうし、ドラゴンの望みをかなえることもたやすくなるだろう」
命令口調ではないけれど、次期国王の『お願い』は、命令と同じだろう。
国王とは、この国で一番偉い人間のことなのだから。
貴族ですら逆らえない相手なのだ、平民の私に拒否権などない。
「君に敬意をはらい、できうる限り君の願いをかなえると約束する。
だから、私の妾妃になってほしい」




