第3話
誰かに似ている。
それが、王太子の第一印象だった。
「そこに座ってくれ」
王太子は穏やかな口調で言って、間に細長いテーブルを挟んで自分の向かいにある三人掛けソファを手の平で示す。
「……はい」
ソファに向かって歩きだそうとして、視界の左端、テーブルの短い辺に合わせるように置かれた一人掛けのソファに座っている人物に気づいた。
立派な髭と服、にらみつけるまなざし。
ここに来た初日に会った、バカ大臣だ。
「ああ、大臣とは面識があるんだったな。
ドラゴンに関する話なら軍務大臣として聞く義務があると主張するので、私たちの話に口を挟まないことを条件に同席を許可したが、気にしないでいい」
王太子は穏やかな口調を崩さずに言い、大臣の私をにらむまなざしが強くなる。
「……はい」
初日の午後はばたばたしていたから、大臣たちのことはすっかり忘れていた。
翌日になってから思い出してディドさんに聞いたら、前日の夕方、私が兵舎にいる間にやってきたウィルさんに懇願されて、解放してやったそうだ。
半日近く風に押さえつけられていたせいでぐったりしていた大臣は、配下の人に背負われて運ばれていったらしい。
それきり誰の話にも出なかったし、私も気にしてなかったけど、どうやらあの時のことを恨んでいるようだ。
だけど、王太子の前でどなりつけてきたりはしない、というかできないだろうから、王太子の言う通り無視していいだろう。
「失礼します」
作法なんてわからないから、軽く一礼してから、ソファに座る。
「楽にしていてくれ。今紅茶を淹れる」
向かいに座った王太子は、テーブルに置かれていたティーセットを慣れた手つきで扱い、二人分の紅茶を淹れる。
貴族はなんでも使用人にやらせるんだと思っていたけど、自分でやる人もいるようだ。
じっとその姿を観察する。
淡い金色の髪と明るい茶色の瞳で、二十代前半ぐらいだろうか。
身体つきは、日々鍛えている騎士たちと比べると細いけれど、貧弱というほどでもない。
着ている服も身につけている物も、高そうだけど、ハデではなかった。
顔立ちはハンサムなほうだろうけど、と考えたところで、ようやく気づいた。
王太子は、ウィルさんに似ているのだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
丁寧に置かれた紅茶のカップを取り、口元に近づける。
初日にウィルさんが持ってきたものよりも、さらに香りが深かった。
王太子が飲むものなら、最高級品だろう。
しばらく香りを楽しんでから、一口飲む。
少し渋みがあったけど、それでもおいしかった。
「……おいしい」
小さな声でつぶやくと、王太子はふわりと笑う。
「気に入ってもらえたようでよかった。
ウィルから、君は紅茶が好きなようだと聞いたから、一番いい茶葉を用意させたんだ」
ウィル、と呼ぶ響きには、どこか親しさがあった。
カップを置いて、改めて王太子を観察する。
やはり、ウィルさんに似ていた。
瞳の色は違うけど、顔立ちや印象が似ている。
「ウィルと似てる、と思っているかい?」
王太子にどこかからかうような表情で問いかけられて、一瞬迷ったけど、隠すほどのことでもないし、小さくうなずいた。
「はい」
「私たちは従兄弟だからね。
私のほうが四つ下だが、子供の頃はもっとよく似ていて、兄弟のようだと言われていたよ」
さらりと言われた内容に、目を見開く。
「……従兄弟?」
王太子はにっこりと笑ってうなずく。
「ああ。
誰かから聞いてなかったかい?」
「……はい」
思い返してみれば、ウィルさんは王太子のことに詳しかった。
初日に相談した時、ディドさんは『王太子には言うな』と何度も言っていた。
あれは、王太子が近衛騎士団の総帥だからだけじゃなく、ウィルさんと従兄弟だからだったのか。
「そうか。
私の父上の妹が、ウィルの母上だ。
父上には他に兄弟がいないから、ウィルとその兄だけが、私の従兄弟だ。
不思議なことに、ウィルの兄とウィルはあまり似ていないのに、ウィルと私はよく似ているんだよ」
自分のカップを取って一口飲んで、王太子は私を見た。
「ウィルがクローツァ公爵家の次男だということは、知っているかな」
「はい」
「叔母上は成人してすぐ公爵家に嫁がれ、子供に恵まれるのも早かったが、私の父上が結婚したのはウィルが生まれた年だった。
我が国では王女には王位継承権はないが、その息子には認められる。
だから、私が生まれるまではウィルの兄が王位継承権第一位、そしてウィルが二位だった」
穏やかに語られた内容に驚いたけど、もし何らかの事情でドラゴンが大好きなウィルさんが国王になっていたなら、ドラゴンには暮らしやすい国になったかもしれない。
「私には三つ下に弟がいるし、三年前に結婚して、一年前に息子が生まれた。
だから今の王位継承順位は、私、私の息子、私の弟、ウィルの兄、そしてウィルとなっている。
下がったとはいえ、王位継承権第五位、しかも現国王の甥だ。
そのうえ父親は建国以来続く七大公爵家のクローツァ公爵家当主だから、ウィルは貴族の中の貴族、と言ってもいいだろう。
……身分だけならば」
苦笑めいた笑みを浮かべて、王太子は語る。
その真意を考えながら、黙って聞く。
「ウィルの父であるクローツァ公爵は、公爵家の長子として生まれながら、なぜか近衛騎士団に入った。
通常爵位を継ぐ者は、そちらの責務が大きいから騎士団には入らないんだが、彼は変わり者で、さらにドラゴンが好きだと公言して竜騎士をめざし、団長にまでのぼりつめた。
ウィルの母である私の叔母上は、性格は穏やかだが好きな物にこだわる性質で、六歳の時に初めて食べた料理を気に入ってそれ以降毎食欠かさず一ヶ月食べ続け、他の物も食べてほしいと料理長に涙ながらに懇願されたり、兄である私の父が十歳の誕生日に贈った髪飾りを十七歳で嫁ぐまで毎日使ったりしていたそうだ。
そんな叔母上が、十五歳の時にクローツァ公爵と偶然出会い、一目惚れをした」
言葉を切った王太子は紅茶を一口飲み、また続ける。
「好きな物にこだわる性質だった叔母上は、当然好きな人にもこだわり、幼い頃に決められた婚約を破棄してクローツァ公爵と結婚したいと言い出した。
クローツァ公爵にも親が決めた侯爵令嬢の婚約者がいたが、ドラゴンと同じ砂色の瞳の叔母上を気に入ったと言って、こちらも婚約を破棄したいと言い出した。
二人とも婚約者に対して愛情はなく、貴族の義務として結婚するつもりだったが、本当に愛しい人ができたから愛しい人と結婚したい、ダメだと言うならかけおちして国を出ていく、とまで言ったそうだ。
大騒ぎになったが、結局は私の祖父、当時の国王陛下が二人の結婚を許し、晴れて二人は夫婦となり、そしてウィルたちが生まれた」
また紅茶を一口飲んで、王太子はかすかに笑う。
「そんな両親の血を引くせいか、ウィルも、素直だが自分の好きな物にこだわる性質だった。
五歳の時に初めてドラゴンを見て以来、頻繁に竜舎に通っていた。
本来竜舎は竜騎士団関係者以外出入禁止だから、団長の息子であり、公爵家の次男であっても、そう簡単に出入りはできないんだが、ウィルは王位継承権を持つ王族だから、止められる者はいなかった。
そして近衛騎士団に入り、竜騎士になり、最年少の二十四歳で団長にまでのぼりつめた。
ドラゴンに夢中で婚約を破棄されても気にせず、二十七歳になっても結婚せず、社交界にも出ないウィルは、貴族の中では異端と言っていいほどの変わり者だが、身分は高いから表だって批難する者はなく、両親もそろって変わり者だからしかたないだろうと、貴族たちには思われているようだ」
初日の夜に、ディドさんが『ウィルは特別だからな』と言っていたのを思い出す。
高位貴族でありながら貴族らしくない両親の血を引いているから、ウィルさんも貴族らしくない、ということなのだろう。
王族らしくない、と言ったほうが正しいのかもしれない。
でも、ディドさんの父親を果物で勧誘した国王の血筋なのだから、ドラゴン好きなのは王族らしい、のかもしれない。
「ウィルはドラゴンに会いに王城に来るたびに、私にも会いにきた。
ドラゴンに執着していることを除けば、素直で優しい性格で、本音で私に接してくれた。
私の立場に媚びる者に囲まれて育ったから、私自身を見てくれるウィルは貴重な存在だった。
従兄弟であり、友人でもある。
だから、ウィルの嘘はすぐわかるんだ」
あくまでも静かに言って、王太子はまっすぐに私を見つめる。
「昨夜ウィルが君とドラゴンのことを私に話した時、明らかに嘘をついていた。
ウィルの嘘は、保身のためではなく、誰かを守るためのものだ。
だから、あえてウィルではなく君に言おう。
ウィルに口止めしたことを、君自身の口から私に話してくれないか」




