第2話
【ねえアリアー、ディドさんって偉そうだと思わない?】
竜舎に戻ったとたん、仕切りから顔を出したキィロが話しかけてくる。
「うん、ちょっと待っててね」
【うん】
自分の『部屋』から大きなクッションを取って、キィロの仕切りへいく。
「お待たせ」
壁際にクッションを置いて壁にもたれて座ると、中央で寝そべっていたキィロが首を伸ばして、私の足下に頭をおろす。
【ディドさんってさー、ボクには最初っから偉そうでさー】
キィロは、自分が子供なのは理解しつつも、あからさまに子供扱いされるのは不満らしい。
今まで愚痴を言う相手はフィアだったらしいけど、今は眠っているから、かわりに私が聞いている。
最初は愚痴で始まっても、だんだんディドさんの風の使い方の上手さを賞賛する方向になっていくから、ディドさんのことは慕っているようだ。
キィロの話を二十分ほど聞いた頃、出入口から声がした。
「アリアさん、いらっしゃいますか」
「あ、キィロ、ちょっとごめんね、誰か呼んでるから」
【うん】
立ちあがってスカートについた砂を払い、出入口にいくと、風の膜の向こうに副団長と鞍を持った竜騎士がいた。
副団長は、ウィルさんより一つ年下で、優しい印象の人だ。
明るい茶色の髪がゆるくカールしてるから、よけいやわらかい印象がある。
三男とはいえ侯爵家出身なのに、平民の私にいつも丁寧に接してくる。
『ドラゴン様に気に入られた方に礼を尽くすのは当然のことです』と初日に言われたから、副団長もドラゴン好きらしい。
「すみません、今日の巡視当番はキィロ様ですので、お手数ですがキィロ様を呼んでいただけますか?」
「わかりました。
キィロ、巡視の時間だって」
【わかったー】
ふりむいて呼ぶと、すぐにキィロが歩いてきた。
横によけてキィロを通してから、後をついて外に出る。
外に出たキィロに、副団長の背後にいた騎士が手早く鞍をつけて騎乗する。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
【うん、いってきまーす!】
私にさんざん愚痴ってすっきりしたのか、キィロは元気よく言って飛んでいった。
その姿を見送っていると、隣にいた副団長が小さく咳払いする。
「あの、アリアさん」
「なんですか?」
副団長は私より頭ひとつ分背が高いから、すぐ横で話すと首が少し痛い。
見上げると、副団長はやけに緊張した表情だった。
「申し訳ありませんが、私と一緒に来ていただけませんか」
「いいですけど、どこにですか?」
副団長は深呼吸してから、ゆっくりと言う。
「王城の、……王太子殿下の執務室です」
「え」
驚いて見上げると、副団長は気まずそうに視線をそらす。
「団長が出立したら、アリアさんをお連れするようにと、命令を受けていました。
……急なことで申し訳ありませんが、お願いします」
「…………わかりました。
この服で大丈夫ですか?」
ちらりと自分の服を見下ろす。
初日にサラさんから渡された服のうちの一枚で、シンプルなデザインの長袖のワンピースだ。
母か知りあいのおさがりしか着たことなかった私には、新品だというだけで立派に見えるけど、王太子殿下に会いにいける服とは思えない。
副団長も困ったような表情で私の服を見る。
「……他に、その、もう少し……正式な服は、ありませんか?」
言葉を選びながら言われて、ふと思い出す。
「侍女の制服がありますが、あれでもいいですか?」
私の肩書きは『竜騎士団長付き侍女』だから、サラさんたち王城の女性使用人のほとんどが着ている制服も数枚渡された。
白い長袖ブラウスに、濃い茶色の長袖の上着と、同色の膝丈のスカートの組みあわせだ。
シンプルなデザインだけど、形式的すぎてあまり気に入らなかったから、初日からチェストにしまいこんだままだった。
「そうですね、制服でしたら、問題ないと思います」
副団長がほっとした表情でうなずく。
「わかりました、では着替えてきますので、しばらくお待ちください」
「はい」
早足で竜舎に戻り、チェストから出した侍女服に着替えながら考える。
さっきのウィルさんの話では、王太子殿下は私たちの要求を一応は受け入れたようだったけど、相談したいことがあるとも言っていた。
だけど、ディドさんは私に関する相談には自分を立ちあわせることをウィルさんに認めさせていた。
なのに、あえてディドさんたちがでかけた後で言ってくるということは、ディドさんやウィルさんに聞かれたくない、つまりは拒まれそうな内容の話なのだろう。
ならば、ディドさんの急な任務は、仕組まれた可能性が高そうだ。
【アリアや、一人で大丈夫かい】
ふいに聞こえてきたネィオさんの声に、考えを中断する。
ドラゴンの耳は人間よりはるかに優れているから、竜舎の中からでも外の私たちの話が聞こえたのだろう。
「大丈夫、ちょっと話をするだけだから」
竜騎士団長付き侍女になったとはいえ、元は辺境の小さな村出身の平民の私が王太子殿下の呼び出しを断ることは、本来は不可能だろう。
だけど、私は『ディドさんのお気に入り』で、竜舎にはディドさんの風の膜が張ってある。
ディドさんが帰るまで会わないと言って、ここから出なければ、無理やり連れだされる心配はない。
なのに応じたのは、王太子殿下がどういうつもりなのか、何を要求してくるのか、興味があったからだ。
いやなことはもちろん断るけど、王太子殿下がどういうつもりなのか、知っておきたい。
返事は後でディドさんと相談してからすると言えば、無理強いはされないだろう。
【そうかい。
無理はせんようにのう】
「うん、ありがとネィオさん」
最後に上着を着て全身を見回し、髪を結んでいた紐をほどいて、ブラシで軽く髪を梳く。
長いほうが結びやすいから、今は背中の半ばあたりまで伸ばしている。
普段は後ろで紐で一つに結んでいるけど、正式な場ではどうするものなのだろう。
貴族の女性は成人したら髪を結いあげるらしいけど、未婚とか既婚とか身分とかで結い方が違うらしい。
サラさんたちは、いつも私と同じように後ろで一つに結んで丸くまとめていたけど、それは確か既婚の平民女性の結い方だったはずだ。
平民で未婚で竜騎士団長付き侍女の私は、どうするのがいいんだろう。
しばらく悩んだけど、考えてもわからないものはしかたないから、また後ろで一つに結んだ。
最後に鏡を見て、問題がないことを確認する。
「じゃあ、いってくるね」
【いっといで。気をつけてな】
ネィオさんの仕切りにいって挨拶してから、竜舎を出た。
「お待たせしました」
出入口の前で待っていた副団長は、ほっとしたような表情になる。
私が出てこないかもしれないと思っていたのだろう。
「いえ、では案内しますので、ついてきてください」
「はい」
歩きだした副団長の後を、数歩遅れてついていく。
王都に来てまだ数日だし、そのほとんど竜舎ですごしていたから、私は竜舎と竜騎士団の兵舎近辺しか知らない。
黙って歩きながら、まわりを観察する。
やがて王城の中に入った。
初めて入る城の内部は、見た目のイメージと同様に荘厳で、ハデさはあまりなかった。
時折見かける人は、ほとんどが制服を着ているから、使用人だろう。
まだ早い時間だから、貴族たちは来ていないようだ。
長い廊下を歩き、階段をいくつかのぼり、再び長い廊下を歩く。
十分ほど歩き続けて、ようやく副団長が足を止めたのは、大きな一枚板の扉の前だった。
かなりの厚みのある板に細かな彫りこみがされて、一目で重要人物の部屋だとわかる。
扉の左右には武装した近衛騎士が立っていて、鋭い視線を向けてきた。
副団長が話しかけると、事前に話をしてあったらしく、左側にいたほうの騎士がうなずいて扉をたたく。
「竜騎士団団長付き侍女、アリア嬢がまいられました」
「通してくれ」
騎士の呼びかけに、中から答える声がして、騎士が扉を半分ほど開けた。
副団長が目線で促してくる。
どうやら私を連れてくるよう命じられただけで、同席はしないようだ。
深呼吸してから、足を進める。
室内に一歩踏みこむと、ふわりと足が沈んだ。
廊下にもカーペットが敷かれていたけど、室内のものはさらに厚く、やわらかい。
ちらっと見回した室内は広く、家具も置物もむだに高そうなものばかりだった。
数歩進むと、背後で扉が閉じる。
正面の位置の豪奢な三人掛けのソファから立ちあがった青年が、私を見て穏やかに笑った。
「ようこそ、突然呼びつけてすまない。
私がリーツァ王国王太子、レシスティアス・ラウド・フォル・リーツァだ」




