第2話
この国の宗教では、人は死ぬとまたこの世に生まれかわると言われている。
どういう環境に生まれるかは、生前の行いによって神様が決めるから、来世も幸せになれるように真面目に信心深く生きよう、という教えだ。
たまに前世の記憶を持ったまま生まれかわる人がいるらしい。
私も、そのうちの一人になる。
ただし、私の前世は人間じゃなく、ドラゴンだ。
ドラゴンは、世界で最大最強の生き物で、人よりもはるかに高い知性と長い寿命を持つ。
体型はトカゲに似ていると言われるが、もっとたくましく、背には大きな二枚の皮翼、額には数本の角がある。
他の生き物と違って、食べ物を必要としない。
そのほとんどが、人には行けない海の向こうの北大陸に住んでいる。
ドラゴンは強いけど好戦的な性格じゃないから、人や動物を襲うことはないし、そもそも人が住む南大陸にはめったに現れない。
とある国の宗教では、南大陸は人の楽園、北大陸は神の楽園で、北大陸に住むドラゴンは神の使いだとされている。
だから、ドラゴンを見たら幸運が訪れると言われている。
ここまでは、人間が知っている話だ。
ドラゴンだった私は、もっといろんなことを知っている。
ドラゴンの平均寿命は、人間の約十倍、五百年あまりと長い。
人間の平均寿命が五十年だから、ドラゴンの百歳が人間の十歳のようなものだ。
額から後頭部にかけて一本ずつ順に生える角は、だいたい百年で一本育つから、年齢を 一角、二角、と数える。
ドラゴンは、世界に満ちるエネルギーを吸収して自分の力としているから、食べ物は必要ないけど、香りのいい草や、甘い果実や、澄んだ水は好きだった。
人間が甘いお菓子を好きなようなものだ。
敵はいないし食べるための狩りもしないから、十年単位で眠ることもあった。
皮膚も身体も頑丈だから、高山でも砂漠でも生きていける。
立派な角や牙や爪があるが、ドラゴンは争いを好まない。
同族どうしで争うことも、他者を襲うこともない。
ただし、ドラゴンは同族をすごく大事にするから、同族に何かあった時は容赦なく敵を攻撃し排除する。
ドラゴンは、風を操ることができる。
その力で、空を飛んだり、物を動かしたり、盾にしたり、敵を追いはらったりする。
風を操る力が、ドラゴンの神秘性を高め、神の使いだと言われる理由のひとつらしい。
人間にも他の動物にもない力をなぜドラゴンだけが使えるのか、そしてなぜ火でも水でもなく風を操る力なのかは、ドラゴンだった私にもわからない。
人に知られてるドラゴンは、体色が砂色のドラゴンのみだけど、他にもいくつかの種族があり、種族ごとに里を作って暮らしている。
砂漠に住む、砂の一族。体色は砂色。
森に住む、木の一族。体色は若葉色。
海や湖に住む、水の一族。体色は藍色。
高山に住む、風の一族。体色は空色。
私は、風の一族だった。
先祖が北大陸で一番高い山の雲よりはるか上に作った洞窟で、二十体ほどの同族と共に暮らしていた。
でも、ずっと里にいる者は少なかった。
風の一族は、空を飛ぶのと同じぐらい、噂話が好きだ。
だから、のんびり飛んで世界一周しながら、各地の里に寄っては自分が聞いてきた噂を教え、新たな噂を聞きこんで回っていて、里にはなかなか帰ってこない者が多かった。
他の種族は里からあまり離れないから、動かなくても情報が入ってありがたいと言われた。
私は寝てるのが好きなタイプだったけど、たまには空の散歩もした。
伴侶を得て、息子を産み、子育てをしている時も、空の散歩には時々行ったけれど、南大陸には行かなかった。
人間がいるからだ。
私は、人間が嫌いだった。
他の生き物との調和を考えずに自然を壊し、どんどん数を増やし、居住地域を広げていく。
短い命を必死に生きようとしているのはわかるし、邪魔をする気はなかったけど、それでも、人間が嫌いだった。
だから人間のいる南大陸には行かないようにして、北大陸で生きていた。
息子を育て、伴侶が世界に還るのを見送り、私も眠ったまま世界に還って。
なぜか、人間に生まれかわった。
人間の私は、南大陸の北にあるリーツァ王国の、さらに北の端の山脈の麓にある小さな村に生まれた。
山脈を越えるとすぐ海だから、南大陸で最北端の村だ。
住民は数十人ほどで、ほとんどが親戚だ。
わずかな畑を耕し家畜を飼って暮らす、辺境ではありふれた村だ。
両親と四つ上の兄と私が暮らす家は小さく古く、生活は楽じゃなかったけど、どこの家も同じような状況で、みんなで助けあって暮らしていた。
ドラゴンの記憶を持ったまま生まれた私は、人間としては早熟だった。
物心つく頃には、くりかえし見る空飛ぶ夢が前世の記憶だとわかっていた。
それをまわりの人に言っても理解されないだろうことも、わかっていた。
だから誰にも言わずにいた。
私の髪の色は青みがかった銀色で、瞳は空色だ。
母の髪が紺色で、私の顔立ちは母とよく似ていたから、血のつながりを不審がられることはなかった。
けれどこれは、ドラゴンだった頃の私の色だ。
風を操ることはできないけど、目や耳は大人よりもはるかに良く、身体は丈夫で疲れにくく、病気も怪我もしたことがなかった。
前世から受け継いだのは、記憶や体色だけではないらしい。
だけど突出した能力は異端として排除される危険性があるから、なるべく目立たないように気をつけながら暮らしていた。
六年前、私が十一歳になったばかりの冬、国中を流行り病が襲った。
辺境のこの村にも病はやってきて、私や私の家族を含め村人の半数以上が倒れた。
誰よりも健康だった私でさえ寝込む羽目になるほどに、感染力が強く数日で死に至る恐ろしい病だった。
病人の数に対して、薬の数はあまりにも少なかった。
薬師も病に倒れたうえに、薬の作成に必要な薬草が夏にしか採れないものだったからだ。
王都から各村に配られた薬も、一家に一つが限度だった。
村長は、飲み方はそれぞれの家に任せると言った。
一番症状が重い者に飲ませてもいいし、家長だけが飲んでもいいし、家族全員で少しずつ分けあって飲んでもいいと。
私の家族は全員が病にかかっていたけど、私が一番症状が軽かった。
両親は症状が重かった兄だけに薬を飲ませようとしたけど、兄は自分より妹に飲ませてくれと言った。
けれど両親がそれを許さず、結局兄がすべて薬を飲んだけれど、間に合わずに死に、薬を飲まなかった両親も死んで、私だけが生き残った。
同じように孤児になった子供たちが数人いたけど、村人の三分の一ほどの大人が死んだから、他の家の子供の面倒を見る余裕はなかった。
生き残った大人たちが何度も相談した末に、村長夫妻が自分たちの家に孤児たちを住まわせてまとめて面倒を見ることになった。
もともとほとんどが親戚で村ごと大きな家族のようなものだったし、同じ境遇の子がたくさんいたからか、独りぼっちの哀しみは少なかった。
生きていくのにせいいっぱいで、哀しんでるヒマなんてなかったというのもある。
だけど、どうやら私は、あまり感情的にならない性格らしい。
人間嫌いだったドラゴンの記憶が残っているせいか、家族に対してもあまり好意を感じなかった。
むしろ、両親が私より兄を優先しようとしたことや、村長が村の備蓄の薬を真っ先に自分の家族全員でこっそり飲んでいたことや、村長夫婦が私たちの面倒を見るかわりに国から補助金を受けとっていることを知ってからは、よけい人間が嫌いになったかもしれない。
それでも、人間としての生活を重ねていくうちに、ドラゴンの記憶は薄れてきた。
小さい頃は毎日のように見ていた空飛ぶ夢も、十七歳になった今では一月に一度見るぐらいだ。
人間嫌いだったのに、なぜ人間に生まれたのだと、嘆いたこともあった。
食べ物に困った時は、何も食べなくても生きられたドラゴンだった頃が懐かしくなったこともあった。
だけど、どんなに嘆いても、懐かしんでも、ドラゴンには戻れない。
今の私は、人間だ。
だから、人間として生きていくしかない。
明るくなった空を見つめ、深呼吸して、きもちを切りかえる。
袖をまくって、朝一番の仕事である水汲みを始めた。