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ガルデニア王国は大陸の東端に位置し、南洋の国々とは海洋貿易を行っている。国土こそ広くはないが、穏やかな海に面した国土は豊かな土壌と豊富な水資源を持ち、さらに急峻な山岳によって周囲に天然の要害を持つことで、民に安寧を与えていた。
現在の大陸情勢は平穏を保っており、散発的な国境の小競り合いや経済的な摩擦が時折起こる程度のものである。各国はこの安寧の時期に国を富ませ、力を蓄えこもうとそれぞれに内政に腐心していた。
とはいえ、北方の小国家群は常にきな臭く、小競り合い目当てで傭兵が多く流入している。大きな戦争もなくなった事で山賊が街道に現れるようにもなり、それを取り締まるために国軍や地方領軍が警邏を行うといったように、武力の要求も高い。
ガルデニアには大きく分けて二つの騎士団が存在する。
一つは黒竜騎士団。一つは白竜騎士団。
黒竜騎士団は傍流貴族や力のない地方貴族などの子弟が入っており、平民にも広く門を開いている。一般的に『騎士団』と呼べばこの黒竜騎士団を指す。貴族の義務として兵役を課され、国土の治安を維持しているのである。無論、ことが起これば通常戦力として戦争に向かう事も想定されている。
対する白竜騎士団は近衛騎士団である。鎧の基調色が白である事や騎士制服が白である事から、黒竜騎士団と対になるようにそう呼ばれたのが始まりであるとされる。
こちらは有力貴族の子弟が多く在籍する。王を守護する名誉職である事が理由であった。
だが、貴族のぼんくら子弟がこれに入団する事はできない。どれほど高い身分であろうと、どれほどの金を積もうと、近衛に入団できるのは一定水準以上の力量と責務を理解できる人間だけだった。
王家の最後の盾であり剣であるという事は、それだけの重みがあるのだ。
そんな白竜騎士団を率いる団長のエルロイ=ロックスは年齢こそ三十路に入ったばかりだが、十代の頃に黒竜騎士団へ入団して以後は叩き上げの歴戦の兵だった。
その責任感と実力によって先代の白竜騎士団長に引き抜かれ、先代の引退にあわせて団長へと就任した。
強面に生やした髭のせいで四十路にも間違われる事が多く、本人はそれを気にしている。だが団長という責任ある役職にあるため、若さで侮られるよりはと髭を生やしたままにしているのである。
そんなエルロイは困惑を浮かべて目の前に立つ宰相補佐を見下ろした。
「――入団者、ですか」
「ええ。リリシア・フェンブルックと申します」
宰相補佐の内心を読み取らせない笑みを前に、エルロイは苦虫を噛みつぶした表情を浮かべた。
エルロイの視線の先。宰相補佐の背後に、細身の影が立っていた。
真新しい白い騎士服。肩口で揺れる黒髪。小さな顔に、目鼻がバランスよく配置されている。
女性としては普通だろうが、大柄な騎士達を見慣れた目には小柄に見え、どこか肉感的な身体のラインを禁欲的な騎士服に包んでいる。それがむしろ彼女の容姿に艶を持たせていた。先ほどから訓練場にいる騎士達がチラチラとこちらを盗み見ているのは、そのせいだろう。
「陛下のご許可は頂いています。あとはロックス卿にお認めいただければ入団を認めるとの事でした」
「……しかしですな」
腰に佩いた剣は使い込まれているように見える。装飾らしい装飾もない、実用一点張りの品のようだ。
「まずは手合わせをして頂ければ、ご理解もいただけましょう」
リヒャルトの言葉に眉を寄せたエルロイは、彼の背後に立つリリシアと呼ばれた女性へ視線を向ける。こちらの視線に気付いているのだろう。軽い会釈を返してくる彼女に眉を寄せ、そして訓練場にいる騎士に声をかけた。
「アンバース!」
呼ばれた男が自分を指さし、剣を手にえっちらおっちらとやってくる。
「お呼びで? 団長」
「アンバース。近衛の入団試験を行う。お前が試験官をしろ」
「は? そりゃ構いませんが、相手は」
「そちらのお嬢さんだ。クルーデンス宰相補佐殿の推薦がある」
顎をしゃくって見せれば、リリシアと名乗った女性は無表情でアンバースと自分を見比べている。「お嬢さん」などと侮った呼ばれ方をされたにも関わらず、感情の波は見て取れない。
アンバースはエルロイより少し遅れて入団した男で、同じ戦場を歩いた信頼する仲間だった。少々がさつな物言いのせいで上の覚えが悪いが、黒竜騎士団時代も現在の白竜騎士団に移籍してからも、仲間からの信頼は厚い。
その剣碗は信頼に値し、ギリギリの一線を見定める力量はエルロイ以上だろう。だからこそ、試験官には最適な人物といえた。
呼ばれたアンバースはと言えば、リリシアを一瞥し、さらにリヒャルトを視界に収める。
そしてわざとらしく欠伸をしてみせた。
「冗談でしょう。うちは貴族のお姫さまの遊び場じゃあありませんぜ」
「貴族ではありませんから、お気遣いなく。アンバースさんでしたか。近衛の騎士は、女子供だからと手加減が許されるような、そんな甘い方々ばかりなので?」
アンバースの言葉を遮ったのは、リリシアの淡々とした声だった。
わずかに滲む小馬鹿にした響きに、アンバースの片眉が上がる。
「なんだって?」
「入団試験をやれ、と団長殿はおっしゃった。つまり今ここは戦場に等しい状況。それに対し、相手が女だからと抗弁して剣を構える事すらしないのが近衛の騎士か?と伺いました」
たとえば、とリリシアが呟き。
「――これで、あなたは死にましたね」
アンバースの喉元に剣が突きつけられていた。鞘走りの音すらない。リリシアが剣を抜いた瞬間を見てとる事もできなかった。
分かるのは、あの一瞬でリリシアの剣が、アンバースを殺すことができたという事実。
ゴクリと唾を飲み込み、自分の喉へ突きつけられた鋼を信じられないように見つめるアンバースに、リリシアはいっそ艶然と微笑む。
「女であろうが、子供であろうが、その気になれば大人の男を殺す事なんて簡単です。そのための技術は、王宮でこそ発達したのではありませんか?」
リリシアが突きつけた剣は微動だにせず、アンバースもまた彼女の言葉に動く事もできない。
「誰もが微笑みの裏側に殺意と策謀を隠し、ドレスの下にナイフを。懐に毒を隠し持つ。そんな場所なればこそ」
リリシアは笑う。それまでの無表情から一転し、いっそ獰猛な笑みで。
「――繰り返して問おう。貴様らは、近衛は、そんな甘さが許される存在か?」
それはエルロイですら想像しなかった、歴戦の戦士だけが持つ殺気だった。
◇
「……否、だな。状況を甘く考えた我々の手落ちだ。なれば、今より本気を出す。それで構わないか?」
アンバースの表情が変わる。それまでの侮りと自失から立ち直ったのだろう。鋭く尖った視線は歴戦の戦士のそれだ。だがリリシアは、そんな彼にすら鼻で笑い返した。
「それを問う時点で、遅いとは思わないか?」
「違いない――ッ!」
アンバースが手にしていた剣を斬り上げる。リリシアはそれを避けて後退し、互いに訓練場の中央へと躍り出た。
当初こそ面白がって眺めていた団員達も、アンバースが本気で相手をしている事に気付き始めると、途端にシンと静まりかえる。円形の修練場の中央で、団長に次ぐ実力の持ち主であるアンバースが本気で打ち込んでいることに、皆が気付いたのだ。
剣がぶつかりあう音を響かせ、互いに鋭い剣閃を向けあう。互いの剣は互いを捉える事はできず、アンバースの表情には最早余裕の色は無い。
とはいえ、アンバースとリリシアでは体格に差がありすぎた。すでにリリシアは肩で息をしている。それを見て、アンバースは剣を振り上げた。
「良い腕だ。だが――体力がないのは致命的だ!」
怒鳴りながら、渾身の速度で剣を振るう――その刹那。リリシアはにやりと笑っていた。
速度で勝るリリシアの剣だが、重みではアンバースには遠く及ばない。鎧をまとった騎士同士で真正面からやり合うのならば、リリシアの剣はアンバースには届かないだろう。だが今の二人は簡素な騎士服姿である。
そして傭兵暮らしをしていたリリシアは、そもそもこの程度でスタミナ切れを起こすほどヤワではなかった。
アンバースの剣風を寸毫の差でかいくぐり、彼の喉へと再び刃を突きつける。
呆然としたまま剣を振り切り体勢を崩したアンバースへ笑みを向け、リリシアはエルロイへと顔を向けた。
「これでよろしいですか? ロックス卿」
エルロイは眉間に刻んだ皺をより深くし、引き結んだ口は「へ」の字を描いている。
それでも、眼前の様相は確実にリリシアの実力を知らしめる。
「ロックス卿?」
それまで黙っていたリヒャルトが促すように声をかけてくる。
それに首を振り、エルロイは手を上げた。
「勝者、フェンブルック。……リリシア=フェンブルック。貴公の入団を許可しよう」
「ありがとうございます」
剣を鞘に収めて一礼するリリシアから、その隣でばつの悪そうな顔をしている副官へと視線を向ける。
「アンバース。あとで話がある」
「い、いや! マジでこいつが強かったんだって!」
慌てて手を振るアンバースに嘆息を一つ返し、エルロイは口を開いた。
「分かっている。隊の人員についての相談だ。あとで私の執務室へ」
「……了解した」
ほっと胸をなで下ろし頷いてみせたアンバースから、先ほどと同じ無表情に戻ったリリシアへと視線を下ろした。
「フェンブルックは執務室へ。貴公の入団について手続きを行う」
「了解しました。では皆さん、また後で」
周囲を囲む騎士達に一礼し、リリシアがエルロイの後をついて歩み去る。
凛とした後ろ姿を眺めながら、騎士達は口々に先ほどの試合について――そしてリリシアという新入りについて話し始めるのだった。