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指輪と騎士  作者: K.Taka
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 宰相補佐と名乗ったリヒャルトは、室内に残っていた騎士たちに部屋から出るようにと告げた。当初こそ抗おうとした者もいたが、繰り返された命令に不承不承とばかりに部屋を出て行く。

 そしてリヒャルトは、じっと私を見つめていた。

 その視線は私という人間を推し量ろうとしているように思えて、苦い笑みが浮かんだ。

「なんだい? さっきから、じっと見つめて」

「あなたは……指輪を持っていますね?」

 リヒャルトは静かに切り込んでくる。その言葉に私は小さく頷いて見せた。

「そりゃ見栄えは悪くても女だからね。指輪の一つくらい、持っているさ」

 そう言って懐から取り出した指輪をリヒャルトへ向けて見せる。だが男は渋面でそれを見て、首を横に振った。

「そんな指輪ではない。はっきり言わねば分かりませんか?」

「指輪に貴賤はないと思うがね。こいつだって立派な指輪だ」

 クルクルと指の間で回しながら、それを指にはめてみせる。リヒャルトはじっと、私の手を見つめていた。

「――つがいの指輪を、持っていますね?」

「……それを持っているのは、王妃様だろう?」

 眼前の男を一瞥し、私は苦笑を浮かべた。

「確かに王妃陛下もお持ちだ。だが……君も持っている。違いますか?」

「なぜそう思うんだい? つがいの指輪は、対となる二つきりなんだろう?」

「あなたも噂は知っているはずだ。王妃陛下の指輪は新たに造られた品だ、と」

 リヒャルトは両手を組み合わせ、足を組み直す。その視線が私の表情を見逃さぬとばかりに、じっと向けられる。

「噂の通り、陛下はつがいの指輪の片割れを失っていました。陛下のご生誕のみぎりに造られた指輪の片割れではない、新造された対の指輪が王妃陛下の指にはめられているのです」

「へえ?」

「パレードの最中、陛下が私に言われたのです。……陛下の指輪が引かれた、と。その先は沿道。その先にマントを着た旅人がいた、と」

 知らずに息を呑んでいた。つまりあの時、王が振り返ったように見えたのは指輪が引かれたからなのか。だがそれは結局のところ。

「王には、身に覚えがない、のだろう?」

「ええ。まったく見ず知らずの、薄汚れた男に向けて指輪が引かれた事を驚かれていました」

「薄汚れた男……」

 そう言われれば確かにそういう格好だが、真正面から言われるとショックである。

「その、申し訳ない。だがその格好では」

 リヒャルトの申し訳なさそうな様子に、仕方ないかと思い直す。確かに、そう見えるように旅装は整えていたのだ。大きな街道を通っての旅とはいえ、女一人の旅は危険が過ぎる。

「……私がそれを持っている事を前提で話しているな」

 苦い笑いが頬をゆがめる。だがリヒャルトはそんな事に興味は無いのだろう。じっと、私を見つめる。

「言い値を支払いましょう。だから指輪を渡してもらいたいのです。――それは、王妃陛下のための指輪です」

 私の指輪だ、これは。

 そう言いたい。だが言う事はできない。言ったところで、目の前の宰相補佐と名乗った男には何もできないし、きっと何も思わないのだから。

「指輪ね。確かに持っているよ。だが、こいつを渡す事はできない」

「――なぜ? 金ならば払うと言っています。あまり欲をかいては身を滅ぼしますよ?」

 その言葉には頷く。確かにその通りだ。だが、私にはそれができない理由があった。

「残念ながら、こいつは旦那が私にくれた品だ。――私の一存で渡すことはできない」

「旦那? あなたは……結婚しているのですか?」

「ああ。これでも人妻さ」

 驚きに声を高めたリヒャルトに向けて、砂と汗と泥で汚れ、男装までした格好だが、せいぜい格好つけて応えてみせる。

 値踏みするように私を見たリヒャルトは、ため息を吐いた。

「私はできれば穏便に事を運びたいのです。御夫君への義理を大切にする事は良いですが、あなたが国王陛下の指輪を持ち続ける理由にはなりません」

「穏便に済ませたいのは私も山々だがね。そもそも、あの指輪にかかっている魔法は、あんたの方がよくご存知だろう?」

 私は手袋から左手を抜き取り、リヒャルトへと向けて掲げてみせる。


「――つがいの指輪は、そのつがいの相手にしか外せない」


 私の左手の薬指にはめられた古ぼけた指輪は、灯りを反射して鈍く輝いた。



    ◇



「私にもこいつは外せないのさ。これを外せるのは世界で唯一人、私の旦那だけ。――まあ、指を切り落とせば指輪も外せるかも知れないがね」

 やってみるかい?と尋ねてみれば、リヒャルトは顔をしかめていた。王妃の指にあるべき指輪を、平民の血で汚すなど考えられないのだろう。

 そう思い苦笑が浮かぶ。

「では、あなたの御夫君はどちらに。その方に外してもらえば」

「さあね。一年ほど前にふらりと居なくなって以来、行方知れずさ」

 一年前。

 その単語に、男の身体がびくりと震えた。

 目を剥いて自分を見つめる男に、いっそ気の毒になりながら手袋をはめ直す。

「しばらくは待っていたんだがね。いつまで待っても帰ってきやしないから、探しにきてみたのさ」

 二年ほど一緒に暮らした夫のことを思い出す。ある朝、隣町に開かれる市場に行ってくると言って家を出た後、まるで糸の切れた凧のように帰ってこなかった。山賊にでも襲われたのかと、埃を被っていた剣を持って街道を探し回ったものだ。その結果は、街道沿いの山に拠点を持っていた山賊一党を警備隊に引き渡しただけだった。

 少なくとも数ヶ月の間は男を攫った事はないと、涙と尿を垂れ流しながら言っていた頭領の姿を思い浮かべる。

 結果、私は行方知れずの夫が帰ってくるのを、半年ほどは待った事になる。半年待って我慢できなくなり、探すための旅に出たのだ。

 夫の行方は杳として知れなかった。まあ、男が一人で旅をしていたって別に珍しくもなんとも無い世の中である。村や町で見知らぬ男が住み着けば目立つだろうが、旅人であれば気にも留められないものだ。

 巡り巡って王都までやってきたのは、一つの噂を耳にしたからだった。


 曰く。

「――王は、一年前に帰還した」

 リヒャルトが怯えた顔で続ける。


「王は二年間の記憶を失っている」

 真っ青になった顔は、まるで死人だ。


「王は……つがいの指輪の片割れを失っている」

 ぎょろりと動いたリヒャルトの目が、手袋に隠れた私の左手を食い入るように見つめる。


「……まさ、か」

 その呟きは、死人の最後の吐息のように掠れ、弱々しい。私は気の毒になりながら、苦い笑みを浮かべた。

「そのまさか、だったんだな」

 目の前の男がこの世の終わりのような顔をしているのを見て、私の気も滅入ってくる。元々、落ち込んでいたのだ。私は。

 それが騎士の連中に囲まれてこんな屋敷に連れ込まれ、必死に気を張っていた。

 そろそろ落ち込んでも良いだろうか。良いんじゃないか?

「パレードを見て、まさかと思ったよ。さすがに呆然としたさ。うちの旦那が馬車の上で笑いながら手を振ってるんだ。信じられなかったし、信じたくなかった」

 しかも、その隣には嫁まで座ってるときた。

 クククと喉を鳴らして笑う。もう笑うしかない、というのが本音だ。

「あなたは……その……」

「もう三年も前になるかな。私が街道沿いの川で旦那を拾ったのは。やっこさん、頭に怪我を負っていてね。どうやら山賊か何かにやられたらしい。川に落ちて流されたおかげで、助かったんだろう」

 はあ、と息を吐く。

「見捨てるのも忍びなくてね。やっこさん、自分がどこの誰かすら覚えていなかったもんだからさ。まあ、日常的な知識は残ってたから《自分が誰なのか》って問題以外はなかったんだよ」

 リヒャルトの顔色が真っ青になっているのを見て、本気で気の毒に思いつつ、もう止める事はできなかった。ずっと誰かに言いたかったのだ。

「ま、時々、私らとはかけ離れた常識を持っていたからね。どこぞの良家の坊ちゃんか何かと思っていたんだが」

 笑ってしまう。まさか貴族どころか王族。それも王太子だったのだから。

「それからひと月ほど面倒を見て、怪我の具合もよくなった辺りで……まあ、なんだ。お互いに情が移ったんだろうね。そういう関係になったよ」

 思ったよりも筋肉質だった腕を思い出しながら、笑う。

「そんで、ふた月ほどして指輪を渡された。それがどんな指輪かなんて、私も、旦那も知らなかったがね」

 旦那がずっとはめていた指輪が、二つに分かれる事を知ったのもその時だった。彼はそれを私の指にはめ、妻となってくれるかと問うたのだ。私は頷いた。それはそうだ。嫌いな男と三ヶ月も一緒に暮らせるものか。

 蜜月はそれから半年と少し。

 そして男は、私の前から姿を消した。まるで煙のように。

「……王子さま、だったんだねえ。まあ良い所の人間だろうとは思っちゃいたんだが」

 今にも首でもくくりそうな宰相補佐殿を前に、私も頭を抱えていた。

 今、この瞬間に確定したのだ。

 私の夫は、この国の王だ。しかも新婚ほやほやの。

 後先で言えば私のほうが先だが、身分やらなにやらを考えれば、私のほうが後回しにされるのは間違い無い。大体、私はあれをただの村人として扱っていたのだから。

 はあ、と息を吐く。

 何はともあれ。そう。何はともあれだ。一年間、ずっと心配していた。どこぞで野垂れ死にでもしてるんじゃないか、と。真夜中に悪夢を見て飛び起きる程度には、心配していたのだ。

 その心配だけはなくなった。私の知っている、私の旦那はもういないのかも知れない。それでも。

「……生きていてくれた。それだけでも、御の字なのかね」

 ぐったりしながら呟く私。目の前の宰相補佐もまた同じように、ぐったりとソファに身を預けていた。




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