7 仁美さん
「だめ!」
仁美さんが激しい声と共に、わたしの手首を強くつかみました。もう一方の手でわたしの肩を押さえます。
仁美さんが厳しい目でわたしを見ています。
「今、自分を傷つけようとしたでしょ?」
わたしはびっくりしました。
なぜ、仁美さんはわたしがやろうとしたことがわかったのでしょう?
この人は、他の仕事をしていたはずなのに‥‥。
「だめよ。死のうなんて考えちゃ。」
「どうして‥‥わかったんですか?」
まだハサミに触れてさえいなかったのに。
「ちょっと、お仕事休憩して話そうか。」
仁美さんはそう言って、わたしを引っ張って隅の椅子に座らせました。
仁美さんも隣の椅子に座ります。
わたしが仁美さんに何を話していいのか戸惑って黙ったままでいると、仁美さんの方から話しかけてくれました。
「どうして、死にたくなったの?」
わたしはどきりとしました。
どうして仁美さんにはそれがわかったのでしょうか?
「どうして‥‥。」
どう話せばいいのか困ったのですが、今の正直な気持ちを言ってみることにしました。
「わたしは、今が‥‥少し、幸せだから‥‥。」
仁美さんはちょっと驚いた表情をしました。
そうですよね。
この答えが普通の人には変なのだ——というのは、最近は少しわかります。
「あなたは河原でも遺骨の入った瓶を割ってたわね?」
でも、仁美さんは変だとは言わずに、わたしに聞いてきました。
「なぜ、大事なものを壊してしまうの?」
わたしが黙っていると、仁美さんはまた質問を重ねました。
「幸せだと、どうして死にたくなっちゃうの?」
「そこで、終わりにできるから‥‥」
わたしはつい、そう口走ってしまいました。
あ‥‥理解できませんよね?
そう思って顔を上げると、仁美さんは優しい目をしています。
「幸せなまま生きていきたいとは思わない?」
仁美さんの方を見ると、仁美さんはじっとわたしの答えを待っていました。
わたしは、生きていたいのでしょうか?
あのサチコを逃がそうと決めたときに、わたしは死ぬつもりだったのに‥‥。
リュウジに出会って‥‥、リュウジに甘えられて‥‥。わたしは生きる目的を見つけたような気がしたのですけれど‥‥。
でもリュウジは死んでしまいました。わたしを守ろうとして‥‥。
その骨の入った瓶は、わたしにとってのリュウジの残骸で‥‥。
そのままずるずるとここまで来てしまいました。
ここはとても気持ちいいです。仁美さんも優しくて、スタッフの人も親切で‥‥。サトシさんも。無口ですけど優しい人で‥‥。
「終わるなら、今なんです。」
仁美さんは眉根を寄せ、それからまた眉を開いてわたしの目をのぞき込みました。
「まだもっと、いいことがあるかもしれないよ?」
もう一つ理由がありました。
「わたしは、生きててはいけないんです。栞ちゃんを、殺してしまったから‥‥。愛してたわけでもないのに‥‥。」
わたしには生きる資格がないのです。
仁美さんはまた眉根を寄せました。
「栞ちゃんを殺したことはいけないことだと思うのね?」
わたしはこくりとうなずきます。
そのことに気がついたのは最近ですけれど。
「あなたは愛ちゃんを愛してたって言ってたよね?」
「‥‥はい。」
「愛してたら殺してもいいの? おかしくない?」
これは裁判でも理解してもらえなかった話でした。
でも、なぜか仁美さんから言われたら響き方が違います。わたしの中の何かが、音叉が共鳴するように鳴り出してしまいました。
わたしの足元がなくなってゆきます。
わたしは思わず、椅子の端をぎゅっとつかみました。
「だったら、わたしも殺されちゃうの?」
「そん‥‥そんな、こと‥‥」
できるわけありません!
仁美さんは優しくて、親切で‥‥。わたしは仁美さんが大好きで‥‥!
‥‥‥‥‥‥‥‥
あれ? 大好きと愛してるは、どう違うんでしょうか?
愛してるって‥‥どういうことなんでしょうか?
浮遊するわたしの中から何かが出てこようとしていて‥‥わたしは、怖いです。何が怖いのかわかりませんが怖いのです。
「いち‥‥いちばん幸せなときに、終わりに‥‥」
してあげたはず‥‥
怖いです。
何が怖いんでしょう?
「どうして今がいちばんだと思うの? もっと幸せなことがあるかもしれないのに。」
穏やかな仁美さんの声が、わたしをまた椅子の上に、地面のあるところに戻してくれました。
両手がじっとり汗ばんでいます。
「続くはずがないから‥‥。神様は怒ってると思うから‥‥。」
だって、栞ちゃんとお父さんを壊してしまったのです。
あのサチコのための、神様との約束を果たしていないんです。
これは仁美さんが訊いていることの答えではないのかもしれませんけれど‥‥。
愛は、ちゃんと‥‥
わたしの中でまた何かが動き始めます。
怖いです。とても怖いのです。




