6 しおり
仁美さんが驚いた顔でわたしに尋ねました。
「どうして? あんなに大事にしていたのに‥‥。どうして割っちゃうの?」
サトシさんも驚いています。
「え?」
わたしには不思議でした。
どうしてそんなにびっくりするんでしょう?
「わたしの大事なものだから‥‥。」
わたしがそう答えると、2人とももっと不思議そうな顔をしました。
何がわからないのでしょう?
仁美さんも、サトシさんも‥‥。
リュウジはすでに死んでしまっているのです。
わたしはリュウジを愛していました。
そのリュウジはわたしを守るために戦って死にました。
わたしたちはもしかしたら、お互いに愛し合っていたのかもしれません。
この瓶に入っていたのは、そんなリュウジの燃やされてしまった身体の残骸です。それも一部です。西田さんが拾ってくれました。
それがわたしの胸の前にあることで、まだリュウジが甘えてくれているような気分になれていたのです。
リュウジはもう生きてはいないのです。
この瓶もいつかは壊れてしまうのです。
わたしの不安はたぶんそれで、わたしの愛のかけらが壊れてしまうことを恐れていたからなんです。だから怖いのです。たぶんそうです。
壊れる時を自分で選べるなら、痛みは一瞬です。
それがなぜ不思議なのでしょう?
このときはそう思っただけでした。
しかし、仁美さんの家に帰って檻に戻ったとき、わたしは自分の内面のある恐ろしいことに気がついてしまったのです。
檻の中にはいつものようにマットとくちゃくちゃになったケットと、そしていつまでも進まない読みかけの本がありました。
その本の間に挟んである紐。
たしか名前は‥‥
そこで初めてわたしは自分がなぜ本を読み進められずに眠くなってしまうのか、思い当たりました。
頭が拒否しているのです。その言葉を‥‥。その名前を‥‥。
たぶん、そうです。
し・お・り・紐
しおりちゃん!
そうです。
その名前を連想させるから‥‥、わたしは、きっとわたしの脳は、それを拒否していたのです。
わたしは、栞ちゃんを愛していたわけではありませんでした。
そうです。
愛してもいないのに、殺してしまったんです。
わたしはそれに気づきたくなかったのです。たぶん‥‥。
リュウジを愛していたから、そのかけらである遺骨の瓶を壊したのに‥‥。
愛を愛していたから、一番幸せなときに殺してあげたのに‥‥。
サチコを守るために、健次さんを殺したのに‥‥。
わたしは栞ちゃんを愛していたわけではありません。
わたしが愛していたのは娘の愛の方で、栞ちゃんは愛のための友達でしかなかったのです!
わたしの中では、栞ちゃんは娘の愛の添え物でしかなかったのです。
なのに、殺してしまった‥‥。
愛のお供えみたいにして‥‥。
いわんや、栞ちゃんのお父さんに至っては‥‥。
栞ちゃんたちにとって、何の意味もなく人生を奪ってしまった‥‥。
わたしは間違っていました。
今ならわかります。
フードバンクの人たち——スタッフや、やってくるお母さんたちや、サトシさんの知り合いのホームレスの人たちを見ている今なら‥‥。
愛してもいないのに、奪っていい人生なんてないはずです。
栞ちゃんもお父さんも、わたしとは何の関係もなかったんです。あの子たちの命は、わたしが手を出していいものではなかったのです!
きっともっと違う何かが、栞ちゃんには用意されてたはずなのです——。
でも、栞ちゃんはもういません。
栞ちゃんが出会ったかもしれない何かを、わたしが奪ってしまったのです。
どうして‥‥、今まで気がつかなかったのでしょうか。
フードバンクに行っても、ずっと栞ちゃんのことが頭から離れませんでした。
荷物を開けて中身を取り出していても、自分が何をしているかふとわからなくなってしまいます。
でも、栞ちゃんはもう死んでしまっているのです。
わたしが、殺してしまったのです‥‥。わたしはなんてことをしてしまったんでしょう。なんという罪を犯してしまったのでしょう。
栞ちゃんを愛していたわけではないのに‥‥。
過去に‥‥、もし、今からでも過去に手が届くなら!
こんなひどい罪を犯したわたしは、なぜこんなところでのうのうと生きているのでしょうか?
なぜ、裸で放り出されたときに、自分の死を拒絶したのでしょうか?
生きている資格などないのに‥‥。
こんな愚かなわたしなのに‥‥。
わたしが愛するものはもうどこにもいないのに‥‥。
わたしがまだ生きていては、神様はあのサチコに幸せをくれないかもしれません。
わたしは‥‥。
わたしは‥‥。
わたしは愛するものの最後をきちんと選んできたと思っていました。
なのに‥‥‥
愛した者たちがみんないなくなってしまったら‥‥、わたしは何か違う場所に来てしまったような気がするのはなぜなんでしょう?
ここはとても気持ちよく、仁美さんも優しいです。
だからもう‥‥‥
もうそろそろ、このサチコも終わりにしてやっていいんじゃないでしょうか。
ふと脇を見ると、荷造り用の紐を切るハサミがありました。
わたしはこのサチコを愛しているでしょうか。
わたしはそのハサミに手を伸ばしました。




