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英雄として迎えられたのも束の間、夏山は軍の特務として境界の街へ。潜入捜査の末に古城で発見したのは、敵が「人類以外の何か」である証拠だった。国家規模の陰謀が、夏山を世界の裏側へと引きずり込む。
夜明けの霞が、夏山颯が率いる部隊の拠点を静かに包み込んでいた。死闘を終え、生還した彼らは英雄として迎えられた。歓声と拍手が轟き、兵士たちの顔には達成感と安堵が輝く。しかし、その中にあっても夏山颯の瞳はどこか冷たく、遠くを見据えていた。
「よく戻ってきてくれた…夏山、君の活躍は我が軍の希望だ」
上官である北条司令官は、屈強な体躯を震わせながら声を張った。だがその言葉は、夏山の胸に重くのしかかった違和感を払拭できなかった。歓喜に満ちた空気とは裏腹に、彼の内奥には戦場そのものへの不協和音が響いていたのだ。
「……戦いは終わったはずなのに、なぜか胸の奥に冷たい影が残るんだ」
無意識のうちに呟いた声は、誰にも届かず、ただ自分だけの闇に呑まれていく。
搭乗した歩兵用の装甲車が砂埃を巻き上げて基地へと入ってくる。復員兵たちは待ちわびた我が身の安息地に戻り、互いを抱き合い、頬をぬぐった。だが、本当の休息はまだ訪れていなかった。
基地の簡素な集会所。そこには既に一人の女性将校が控えていた。蒼い軍服に身を包んだ彼女は、凛とした眼差しを夏山に向けている。彼女の名は小峰律子。陸軍情報部、諜報課の若きエリートだった。
「夏山中尉、あなたの戦闘記録を拝見しました。まさに英雄の振る舞いです」
小峰は微かに微笑むも、その声には冷徹な緊張感がこもっていた。
「しかし、それだけでは済まされない事態が進行しています。あなたに見て頂きたい物があります」
律子が手渡したのは、暗号化された通信ログの一部。そこに浮かび上がる文字列からは、敵国の亡命者からもたらされたという断片的な情報が読み取れた。
「“影の連邦”、“黒凛の使徒”…これらは我々の知る敵勢力の枠を超えた、より恐るべき存在の存在を示唆しています」彼女は静かに告げるが、言葉の重みは基地の空気を変えた。
夏山は眉をひそめた。敵とは単なる戦場の相手ではなく、国家の深層に潜む陰謀、その尖端に立つ“未知の敵”そのものだった。
「亡命者とは、誰です?」
颯の問いに律子は少し躊躇しながら答える。
「名はミハイル・イヴァノフ。旧敵国の特殊部隊出身で、今は我々に重要な情報を提供している。彼は近くこちらに迎え入れる手筈でいます」
まさかと思いながらも、夏山は戦友の安寧と裏腹に自分の知らぬ世界の扉が開く音を聞いていた。
間もなく北条司令官との面談室へと案内される。重厚な木製の机を挟み、上層部の幹部たちが整然と座していた。指揮官は厳しい表情で、全国の掌握と今後の作戦展開について語り始める。
「前線の戦いは確かに重要だ。しかし我々が直面する敵は兵站や砲火だけではない。」
彼の声に含まれる冷徹な現実感は、夏山の胸をさらに締めつけた。
「政治的な駆け引き、情報戦、そして裏切り。君たちの勝利は氷山の一角に過ぎぬ。これからは“国家”と呼ぶに相応しい場で戦わねばならぬ」
それは前線の泥塗れの地獄とはまったく異なる、巨大な権力の闇を思わせた。
夏山は視線を律子に向けた。彼女の鋭い目つきが、何かを待っているようだった。
顔を上げると、新たな決意が胸を貫いた。これからの戦いは「敵軍」との単純な交錯ではなく、国家を揺るがす陰謀の核心に迫るものとなる。だが、どんなに血を流そうとも己が守るべきものは何か、見失ってはならない。
その時――携帯端末が鋭い電子音を響かせた。将校が一斉に画面を見渡す。
「急報です。敵国側より、新たな動きが確認されました。前線部隊に極めて重大な脅威が接近中――」
言葉はそこまでで途切れた。
基地の空気が一変する。安息の日々は儚くも破られ、再び戦火の渦へと召喚される予感が覆い尽くした。
夏山は拳を強く握り締めた。
「ここからが、真の戦いだ――」
凱旋の歓声。その裏に蠢く不吉な影。英雄の帰還は、やがて国家の運命を揺るがす激流の只中へ彼らを引きずり込んでいくのだった。
――深夜零時、夏山颯は執務室の薄暗い廊下を静かに歩いていた。足音は壁に吸い込まれ、ただかすかな息遣いだけが、冷え切った空気の中に響いている。
「遅くまで、まだ起きていたのかね」と、闇の中から厳かな声が響いた。
夏山は足を止めた。声の主は、執務室奥に佇む老練な将軍――川端重雄だった。彼の鋭い眼差しが、紙の地図を前に並べられた資料の文字を照らす明かりの中で光った。
「将軍。急なお呼び立て、何かございましたらお申し付けください」颯は声を潜めながら、几帳面に敬礼をした。
川端将軍はゆっくりと夏山の前に歩み寄り、机に置かれた資料の一枚を指差した。
「これだ。君に任せる。正規の軍の動きとは完全に切り離された特務だ。言わば密命。国家にとって、そして我々にとっても極めて重要な任務だ。」
颯は息を飲んだ。資料には、敵性の勢力を示す地図が幾重にも折り重ねられている。その地図の奥に、見たこともない文字列や、観察された異常な現象を記した報告が付されていた。古い文献から抜き出された一節には、科学的な解析では説明のつかない“不定形の影”や、“時間の歪み”とされる現象の記録が並んでいる。
「この敵の正体は……」颯は重い言葉を飲み込む。彼の胸中に、かつて聞いたことがないような不吉な予感がじわりと広がった。
史実ではありえない、まるでこの世の常識を超えた存在が、影に潜んでいることを示唆していた。
川端将軍は意を決したように言葉を続けた。
「通常の戦況とは全く異なるものだ。科学の常識では説明のつかない敵だ。だからこそ、この密命は内密になっている。君には絶対の信頼を置く。失敗は許されぬ。」
颯は資料の端を力強く握りしめ、静かに頷いた。「承知しました、将軍。必ずや任務を全ういたします。」
その時、背後から確かな足音がした。振り返ると、荒井真司が現れた。激戦をともに生き延びた盟友であり、紛れもない信頼できる仲間だ。
「颯、俺も行く。お前一人に任せるなんて、できるわけがない」荒井の瞳は揺るぎなかった。
颯の胸に温かなものが込み上げた。幾多の死線を越え、共に歩んできた絆が今、この瞬間に力強く蘇る。
「感謝する、荒井。これ以上の心強い味方はいない。ともに行こう。」
ふたりは資料を再確認し、装備の準備を始めた。小さなランタンの灯りがちらちらと揺れ、冷たい夜の空気をほんの少しだけ温める。
「出発は間もなくだ。何があっても、お互いを信じ抜こう。」颯の声に決意の色が満ちる。
やがて、拠点の灯りが次第に遠のき、ふたりは静かに闇の中へ足を踏み入れた。背後で燈火が減っていく影――それは、彼らが知らぬ世界へと分け入る予兆でもあった。
冷たい闇がゆっくりと包み込み、密やかな任務はここから始まる――。




