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蒼穹の涼風――人類の正義を撃ち抜け  作者: ジェミラン
第1章:硝煙の産声

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戦闘開始の轟音はなおも戦場に響き渡っているが、その喧騒の隙間から、不意に――戦いの様相は一変し、敵味方の境界線など意味を失った大混戦へと膨れ上がっていった。


「何だこの状況は……!」


木下義信は、喉を締め付けるような蒸し暑さと、鉄と泥の入り混じった異臭に包まれた戦場で叫んだ。銃声も砲声も断続的に鳴り止まず、混乱の只中で冷たい泥を膝に感じながら、彼は必死に前方を見据え続ける。


地面は既に血と泥が絡み合い、足下にぐしょぐしょと重みを感じさせる。兵士たちの叫び声と銃声の連射、砲弾の炸裂から立ち上る土煙、そして、絡み合う金属が擦れ合う不気味な軋み音が耳を突き刺す。義信の鼻腔を貫くのは、硝煙と血の混じった鉄の臭気だ。不穏なまでに腐敗した金属の匂いは肺を痛めつける。


何より異様なのは――混沌の中で敵味方の識別が極めて困難になっていることだった。赤と青の旗は翻り、軍服の色彩も混じり合い、身動きの取れない兵士たちが互いに押し寄せ、揉み合い、時に背中を突き合っている。義信は目を凝らした。異常だ。敵の陣形は明確に崩れており、規則的な攻撃軌道を描くことはなく、突如として方向転換を繰り返している。特に中腹付近に位置する一団の動きが不自然だった。


「……なんだ、この奇妙な動きは?」


心臓の鼓動が鼓膜の奥でどくどく響くのを感じながら、義信は呟いた。敵兵が突如として直線的な突撃を止め、小刻みに動きを変えて彷徨っている。体の動きは散漫でありながらも、内部には確かな狡猾さが潜んでいる。しかし彼らの眼は――通常の殺意とは異なり、むしろ狂気的なほど冷たく無表情だった。


「……おかしい。誰かがこの戦場を操っている。見えぬ手の影が…。」

義信は血液が締め付けられるのを感じつつ、冷静さを必死に保った。焦燥と不安の中で喉は乾ききっていた。


しかし、進まねばならなかった。傍らの味方兵が銃剣を敵兵の腹部に突き立てる音が響く。間髪入れずに銃声が切り裂き、兵士の苦悶の叫びが断続的にこだました。義信は刹那の判断を強いられた。


敵の密集点に突入し、手斧の柄が何度も折れるほどの肉弾戦が繰り広げられている。息を吸うのも苦しく、泥が顔面を覆い、目に入り激痛を走らせる。義信は一瞬足を取られたが、周囲を警戒しながら敵の懐に飛び込んだ。遠方で爆発音が轟き、土塊が宙を舞う。破片と鉄筋が雨のように降り注ぎ、軍靴が泥を蹴り上げる。冷たい泥の感触が現実へと引き戻した。


「しっかりしろ、木下!」背後から味方の怒号が飛ぶ。仲間の一人が絶命し、辺り一面に鮮血が撒き散らされた。義信は顔を上げ、必死に前を見据えた。敵の混乱の中にも、微かな規律の蠢きが感じられた。その一点、小集団こそが戦況の鍵と直感した。


「奴らはただの兵士じゃない……」浅く乱れた呼吸の中で汗と泥が混じり合った義信の顔に、一筋の滲みが走った。


突如、近くの敵兵の挙動が不自然に止まる。次の瞬間、その兵士は無表情のまま方向転換し、反射的に銃口を自軍に向け発砲した。敗走する味方兵の頭部をえぐる銃撃音に、義信の精神は凍りついた。敵兵が自軍を撃つとは何事か?


「裏切りか、狂気か……?何が起きている!」叫びたくとも声は喉に塞がれていた。彼の目の前で、“奇妙な動き”が断続的に繰り返されているのだ。


風は冷たく湿気を孕み、怒号は轟音の渦に飲み込まれる。ここは生と死の狭間、その狭間で光と闇が瞬時に覆い隠し合う世界。

義信は両手を泥に突き刺しつつ、冷静に敵中を掻き分けた。


その瞬間、視界の端に異質な「影」が走った。兵士の動きとは異なり、不定形で体の一部が機械的に動く音が混じる──重く硬質な響きを帯びた影。彼の脳裏を一つの結論が駆け抜けた。


「これはもう、単なる戦争ではない……」


鼓動は激しく高鳴り、皮膚は破れんばかりに張り詰める。変貌した敵、異質な影、裏切りとも狂気ともつかぬ銃撃の嵐。周囲の兵士たちが次々に倒れ、肉の裂ける異様な音が響く。戦場は単なる戦闘の領域を超え、別の何かに支配されていた。


「前進!後退!指示を!指示をくれ!」義信は拳で泥を握り締め、大混戦の只中で声を張り上げた。しかし、その声は戦の地獄の咆哮に呑まれ、孤立無援の叫びとなった。


己の感覚すら疑い始めながら、義信は前方を凝視する。目に映るのは舞い散る破片、飛び交う肉塊、幾度も翻る旗の波。凄まじい轟音と煙に包まれた戦場。歪んだ金属のうめき声。


──そこで初めて彼は気づいた。戦局は“変転”したのではない。既に“別種の何か”がこの世界に介入していたのだと。


その重く不可解な違和感は彼の深い瞳に深く焼き付き、消え失せることはなかった。


――砂塵は薄暮の空に舞い上がり、痛烈な西日が焼け付く戦場を赤黒く染めていた。風が巻き起こす砂埃が、焼け焦げた大地を渦巻き、その中に混じる硝煙の匂いが、肺の奥底をざわつかせる。主砲の爆風が地割れを起こし、残存兵士たちの影をぐにゃりと歪めては消していった。




草薙大尉は、岩肌に寄り添うように身を伏せていた。手のひらには、もうほとんど残っていない小銃の弾倉が握られている。彼の指先は震え、指先の感覚は次第に麻痺していたが、それ以上に鼓動の速まりが厳然たる現実を告げていた。心臓が胸腔を引き破らんばかりに打ち続け、血管の中を熱い血液が渦巻く。


「弾薬が……あと数発しか残っていない……」


声が喉の奥でかすれ、擦り切れそうだった。側にいる中隊長の松田は、既に握り拳を作ることすらままならず、血で染まった制服の胸元に手を押し当てていた。致命傷だ。彼の瞳は虚ろだが、その薄く開いた唇がゆっくりと形を成す。


「草薙……指揮は……おまえに託す……」


松田中隊長の戦死である。砲撃の狭間に埋もれ、小さな土煙がその身体を覆った。もはや彼を呼び戻すことはできない。


草薙は揺れる視界の中で、背後から忍び寄る足音に気づいた。振り返れば、味方と思いきや、一人、味方兵の軍服に不穏な輝きがあった。暗闇の中で光る銃口。その銃声は、仲間を貫いた。


「裏切り者……!?」


彼の心をざくりと抉る刹那、部隊は混乱に陥った。瓦礫の隙間から、必死に身を晒す味方たちの顔はみな青ざめ、汗と血と泥にまみれている。その顔に浮かぶ表情は、恐怖と絶望だけだった。


「俺たちは、ここで終わりだ……か?」


草薙は自身に言い聞かせるように呟き、汗まみれの額を手でぬぐう。彼の心は張り裂けんばかりに苦しく、刻一刻と迫る敵の襲撃が全身を硬直させる。周囲には戦火の熱気が満ちて、炎が跳ね、黒煙がゆらめいている。火薬の匂い、焦げた肉の臭いが鼻を突き、息苦しさが増していく。


その時、彼は決断した。


「俺が……おまえたちを連れて脱出する。犠牲を最小限にするためには、ここでの抵抗は諦めるしかない。」


言葉には冷徹な響きがあったが、その瞳は揺るぎなかった。部隊の生存をかけ、彼は今ここで、己の理想と兵としての現実の狭間で、胸を裂く覚悟を抱いたのだ。


「まずだ……負傷者は連れていける者だけ連れて退く。伏撃陣形を組んで、敵を攪乱しつつ撤退する。」


その言葉ひとつひとつが、部隊の士気をすくい上げるための灯火のように響いた。草薙の指示は冷静でありながら、内に燃える人間としての強烈な責務感を帯びていた。


左手で残った銃を握り締め、彼は立ち上がる。地面に転がる松田の死体に一瞬視線を落とし、彼の叫びと怒りと悲しみを呑み込んだ。


「行くぞ……!皆、息を潜めろ!」


砂埃と煙の混じった世界で、血と土の匂いが絡み合い、息を呑む沈黙と絶望の波の中、草薙大尉は仲間を守るための最も重い決断を胸に刻んだ。


――彼らの生き残りを賭けた、絶望の闘いが、今、幕を開けるのだった


夕暮れの戦場は、まるで深い闇と赤黒い炎の狭間に揺れる一枚の絵画のようだった。砦の壁が崩れ落ち、草原に散乱する鎧の断片が、冷たい土に染み込む血を映し出している。長きに渡ったこの激闘のクライマックスが、ついに訪れたのだ。


「これが最後の戦いだ、カイリ。」彼の隣で重厚な剣を握る男が呟いた。かすかに震える声の中に、熱い決意が宿っている。カイリは深くうなずき、引き絞られた弓の弦を見つめた。彼の瞳には、疲労と絶望だけでなく、明日の光を信じる炎も確かに燃えていた。


敵将の姿が、ぼんやりと煙の中に浮かび上がる。その身に纏う黒い鎧は、幾度も生死をかけた戦場で見る影もなくボロボロだったが、それでも彼はなお屈せず、無数の兵を率いて前進を続けていた。彼の笑みは狂気と計算が入り混じり、周囲の恐怖を煽っていた。


「俺たちは負けはしない。」カイリの声は静かだが、それが独りよがりな自信でないことは誰もが知っていた。彼の言葉は、戦乱に乱れた味方の士気を幾度も支え、立て直してきたのだ。


砦の中心、残された最後の防御線で、すべては決まる。カイリは深く呼吸を整えると、弓矢を奥へ引き、狙いを定めた。まさにその刹那、敵将の黒鎧が閃光と共に迫り、その隙を突く剣がカイリの横腹を捉えた。鋭い痛みが血となってあふれだす。しかし、彼は崩れ落ちなかった。


「まだ、終わらせはしない……」血を零しながらも、カイリは矢を放った。矢は敵将の胸を貫き、その巨躯が初めて崩れ落ちる。



静寂の中、兵たちは息を呑んだ。



しかし、勝利の歓声は誰の耳にも届かなかった。地響きのような轟音が、戦場の空気を震わせたのだ。地下深くから、錆びた鎖とともに黒い霧が沸き起こる。軍神と呼ばれた敵将の死体が揺らぎ、まるで何者かに操られるかのようにゆらりと立ち上がった。


「こいつは……一体、何なんだ!」味方の将校が叫び、兵たちの恐怖も頂点に達した。戦いの中で知らずに押し隠されてきた禁忌の力――『冥鎖』の存在が、今まさに顕現しつつあったのだ。


「カイリ、退け!」声なき声に励まされ、彼は最後の力を振り絞り、倒れ伏す寸前に仲間の腕を掴んだ。「次の戦いは、これからだ……」


黒く渦巻く霧の中から、目も見えぬ獣の咆哮が沸き起こる。そんな中、夜空には一際異質な赤い星が瞬き、まるでこの世界の軌跡を変えるかのように輝いていた。


戦の終わりと、新たな序章の幕開けである。カイリの旅は、まだ始まったばかりだった。未知の力と敵を前に、彼が選ぶ未来とは――果たして光か、それとも闇か。


遠く、霧の彼方から聞こえる謎の囁きと、謎めいた因果の糸が交錯する。誰も知らぬその秘密は、静かに今後の戦記に深い影響を及ぼすのだった。

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