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孤高の相棒

作者: ジョー

 出会いは、小学校の入学式だった。あの当時、日本中の学校における出席番号は、男子の五十音順、その後に女子の五十音順で並べられていた。1985年の男女雇用機会均等法施工から10年以上が経過していたが、まだ子供の世界は「男子優位」だった。

 ただ、僕の通っていた小学校では入学式と卒業式の時だけ、男女ごちゃ混ぜの五十音順で体育館に並べられた。7歳の子供には、男子と女子の区別なんてほとんどできないから、まだいい。でも、2週間後には中学生になる小学6年生の卒業式ではそうはいかない。

とにかく、まだ幼かった僕はワクワクしながら小学校の門をくぐった。胸には希望が満ち溢れていた。「相原優くん」「はい!」先生に名前を呼ばれて返事をして立ち上がる。その練習を、前日に両親と何度も繰り返した。

「ユウくん、手は挙げんでもエエんよ」

お母さんに何度も注意された、返事の際に右手を高々と挙げてしまう癖は、最後の最後でようやく直った。

「あい」で始まる苗字だから、五十音順で並ぶときはたいてい先頭になる。幼稚園の入園式も卒園式も、名前を呼ばれるのはいつも最初だった。無邪気な僕は、たったそれだけのことが嬉しくて、誇らしくもあった。早く式が始まらないかと、気が急いて仕方なかった。

ところが、いざ体育館に入って自分の座席に向かうと、驚いて口をポカンと開けたまま身動きがとれなくなった。誰かにチョンとおでこをつつかれるだけで尻もちをついて、後ろに倒れ込んでしまいそうだった。

縦に5列、横に6列並べられたパイプ椅子の右端の最前列。出席番号1番の席。幼稚園の卒園式でも、そこが僕の席だった。だから今日も、そこが自分の席だと思っていた。でも、パイプ椅子の背に張られた紙には「合田美幸」とあった。その隣、つまり右から2番目が僕の席だった。

この子、誰?-幼稚園にはいなかった名前だ。

「ごうだ」やのに、なんで一番なん?-合格、という言葉を見聞きしたことがあったので、「合」の字を「ゴウ」とは読めても、「アウ」や「アイ」とはまだ読めなかった。

下の名前、なんて読むん?-ひらがな表記にしてほしい。

子供ながらに、最初の驚きは悔しさに変わっていった。いや、まだ子供だったからこその悔しさなのかもしれない。泣きそうになるのを必死に堪えていると、悔しさはだんだん薄れ、次第に「合田美幸」への好奇心が芽生えてきた。

僕が入学する神成小学校は、同じ敷地内に建つ神成幼稚園を卒園した子がそのまま通うことになる。エスカレーター式の私立学園というわけではない。四国の田舎にある、小さな町の、狭い地区だ。子供の数も多くないので、幼稚園から中学校まで顔ぶれは変わらないのだ。ちなみに当時の神成小学校は、1クラス30人構成で各学年2クラスずつ。少子化が進む現在では単学級になっているという噂を聞いたことがある。卒業生としては、廃校にならないことを願うばかりだ。

僕は自分の席に着き、合田美幸なる女の子が来るのを待った。一体どんな子だろう。顔は可愛いかな。性格はどうだろう。優しい子だったらいいな。

なんて考えていると、視界の左隅に人影が見えた。赤いリボンでポニーテールにした後ろ髪を揺らしながら、こちらに向かって歩いてくる。見たことのない顔だ。身長も、幼稚園が同じだった女の子たちと比べても小さい。もしかして、この子が合田美幸だろうか。

気になって仕方ない僕は、まじまじと、ジロジロと目の前を歩く少女を見つめてしまった。その視線に気付いたのか、合田美幸らしき少女は、僕の前で足を止め、顔だけこちらに向けた。キッと睨み付けるようなその目は、お母さんが怒った時の目よりもずっと怖かった。そして、「何か用?」と、甲高い声で訊いてきた。

耳の奥に直接キンっと響くような声だった。声の抑揚にも、違和感を覚えた。思いがけない展開に僕が言葉を失っていると続けて、

「人のことジロジロ見るの、やめてくれる?」

と、今度は叱りつけるように声を荒げた。先ほどの違和感の正体が分かった。テレビの中の人たちの喋り方と同じだ。ただ、両親にもこんな言い方をされたことのない僕は、完全に怖気づいてしまい、俯き加減に「ゴメン」と言うのがやっとだった。

 ふんっと鼻を鳴らして隣の席に着いた合田美幸は、着座の瞬間こそドカッと乱暴な仕草だったものの、背筋をピンッと伸ばし両膝をぴったりと揃えて座る姿勢は、とても同じ年齢には見えなかった。ドラマに登場するお金持ちのお嬢様、といった感じだ。

 着席前とは違う種類のドキドキを感じていると、正面を向いたまま合田美幸がボソッと声を掛けてきた。

「あなた、お名前はなんていうの?」

名前に「お」を付けた使い方なんてしたことないし、実際に生で聞いたのも初めてだった。やっぱりこの子、タダ者じゃないのかも。

「あいはら・・・ゆう・・・」

下を向いたまま答えると、自分から聞いてきたのに全く興味のない様子で、

「ふーん。まぁいいわ。私がお友達になってあげる。良かったわね」

と言った。僕の小学校生活は、こうして幕を開けた。

 僕は彼女を「ミユキちゃん」と呼び、彼女は僕を「ユウ」と呼ぶ。入学式が始まるのを待っている間に勇気を出して、「下の名前、なんて読むん?」と訊いてみたが、答えてくれなかった。式が始まり、担任の先生が一人ずつの名前を読み上げた時に初めて「ミユキ」と読むことを知った。どうせすぐに先生に呼ばれるんだから私が言わなくてもいいでしょ、というつもりだったのか、ただ単に口を利きたくなかったのか。答えを知るのが怖いから、考えないようにした。

他の子はみんな、苗字でも下の名前でも「くん」を付けて呼んでくれるのに、ミユキちゃんだけは呼び捨てだった。こっちは「ちゃん」を付けているのに。お友達になったはずなのに。

 教室の座席も、入学してしばらくは出席番号順だった。しかも、男女混合。つまり、廊下側の列の1番前がミユキちゃんで、その後ろが僕。特に何かされたり言われたりすることはなかったが、目の前にいるだけでオーラというか存在感というか、そういうものに圧倒されてしまうのだ。そして、毎日付けているポニーテールを作るための赤いリボンが目に焼き付いて仕方ない。

 日直当番も、ずっとミユキちゃんとペアだった。週替わりで二人が当番を務めるのだが、クラスの人数は30人、偶数なのでペアを組む相手がズレることはない。他のクラスメートは日直の仕事を通じて新しい友達をつくったり、元々仲が良かった子たちはさらに仲を深めたりしていた。でも、僕とミユキちゃんの距離は全然縮まらない。僕は緊張してまともに喋りかけることができないし、ミユキちゃんは日直の仕事を黙々と、淡々とこなすだけだ。お友達になったはずなのに。

 時々、体育や図工の授業の準備で重い物を運ばなければいけないことがあった。男らしいところを見せてやろうと意気込んで、

「僕が持つけん、ミユキちゃんはプリント取って来てくれたらエエよ」

と声を掛けると、間髪入れずに、

「これぐらい、ひとりで持てるから!バカにしないでくれる?」

と、にべもなく断られてしまった。子供の僕が言うのもなんだけど、本当に可愛げがない。こんなこと、本人には口が裂けても言えないけれど。

 いっそのこと、全部仕事を僕に押し付けてきて、こき使ってくれた方が気分はスッキリするのかもしれない。そんなことをふと思った後、自分が情けなくなるのだった。

 ただ不思議なことに、ミユキちゃんが話をするのはクラスで僕だけだった。最初の頃は女の子を中心に、ミユキちゃんに話し掛ける子は何人もいた。

「どこの幼稚園に行っきょったん?」

「幼稚園ではなんて呼ばれよったん?」

「家はどの辺なん?」

確かに、皆と同じ神成幼稚園出身じゃないミユキちゃんのパーソナルな情報を、クラスの誰も持っていない。さすがに、クラス担任の吉田先生は何か知っているだろうが、ミユキちゃんに対する好奇心はあっても、先生に訊きに行く度胸はなかった。それでも、知りたくなるのも無理はない。僕だって知りたかった。お友達になったのだから。

 でも、ミユキちゃんはクラスの誰にも自分のことを話さなかった。「忘れちゃった」「覚えてない」を何度も繰り返し、しまいにはそっぽを向いて質問にすら答えてくれなくなった。そして、入学してから半月ほど経った頃には、「私に話し掛けないで」という雰囲気を全身に纏い、周囲をシャットダウンするようになった。

 それ以降、クラスの誰もミユキちゃんに話し掛けようとはせず、近付こうともしなくなった。神成幼稚園の頃から底意地の悪かったアケミちゃんは、わざとミユキちゃんの席にぶつかって「()ったー」と大声を張り上げるのを、毎日繰り返した。

 傍で見ていて、だんだんミユキちゃんが可哀想に思えてきた。僕自身も冷たい言い方をされたり素っ気ない態度を取られてばかりだったが、さすがにクラスのほとんど全員から無視されて意地悪をされていれば、同情もしてしまう。知らない顔ばかりのクラスで友達もいないのだから、寂しくて心細いはずだ。元々の原因はミユキちゃんにあるので自業自得なのだが、小学1年生の僕にそんな言葉は理解できるはずがない。正義のヒーローのように、ミユキちゃんのために何かしてあげたかった。僕はミユキちゃんのお友達になったのだから。

 ところが、僕の救いの手など全く必要なかった。むしろ、余計なお世話なのかもしれない。ミユキちゃん本人が、ケロッとしているのだ。クラスメートがミユキちゃんを無視しているのか、ミユキちゃんがクラスメートを無視しているのか、分からなくなるほどに。

 そのうえ、ミユキちゃんは成績も優秀でスポーツも万能だった。テストはいつも満点だったし、授業中に先生に当てられた問題もスラスラと解く。跳び箱はロイター板なしでも6段は難なくクリアし、クラスで唯一、逆上がり連続10回の記録を叩き出した。50メートル走のタイムも8秒50と、当然女子の中ではぶっちぎりの1位で、男子の1位と変わらないタイムだった。その男子の1位というのが、僕だった。

 ある日の体育の授業で吉田先生が、

「相原くんと合田さんは50メートル走のタイムが一緒やなぁ。どっちが速いか、競争してみんで?」

と言い出した。何でもランキングを出したり、順位を付けたりして生徒を盛り上げる。そういう先生だった。普段はそのことに対して特に何も思わなかったが、いざ自分がクラスの注目の的になってしまうと、嬉しさよりも恥ずかしさや照れ臭さが勝ってしまう。そしてそれは、極度の緊張へと繋がってしまうのだ。

 スタートラインに立ち、先生の合図を待っていると、「がんばれー」と応援してくれる子の声に混じって、「夫婦みたいやなー」「ヒューヒュー」とからかう声も聞こえた。その冷やかしが僕の緊張をさらに高めてしまい、頬がまた赤くなる。視線は自然と足元に落ちてしまう。

そのせいかどうかは分からないが、「よーい、ドン!」に一瞬遅れて反応してしまった。駆け出した時、すでにミユキちゃんは数歩分先を走っていた。スタートのミスを挽回しようと必死に走ったが、ミユキちゃんの背中は追い付くどころか少しずつ遠ざかっていく。小さな背中がますます小さくなっていったが、その背中からは頼もしさや力強さのようなものが滲み出ていた。「この子には勝てないな」と幼いながらにも悟った。かけっこだけの話ではなく。結局、ミユキちゃんは8秒30という新記録を更新してしまった。

 次の日から、ミユキちゃんはクラスの人気者になった。女子だけでなく男子からも、

「昨日凄かったなぁ」

「カッコよかったよ」

「今度速く走るコツ教えて」

などと話し掛けられるようになった。反対に僕は、仲の良かったワタル君やヒカル君に「ダッセー」「女子に負けてやんの」とからかわれてしまった。自分たちだって、タイムではミユキちゃんに負けてるクセに。心の中で呟くだけで、正面切って言い返せないのが、僕という人間なのだ。

 2学期。僕は1学期に続いて男子の学級委員長に選ばれた。神成小学校では、クラスの学級委員長は自薦・他薦問わず、再任が認められていた。令和の今なら「なるべく多くの生徒に学級委員長になる機会を」ということで再任は「ナシ」だろう。そういう時代だったのだ。

 女子の委員長に選ばれたのはミユキちゃんだった。1学期の委員長だったアケミちゃんは1票しか獲得できなかった。おそらく自分で自分の名前を書いたのだろう。気持ちは分かる。それでも、アケミちゃん以外は納得の人選だった。黒板に書かれた「合田美幸」の名前の下には、「正」の字が綺麗に5つも並んでいたのだから。僕の名前の下に並ぶ、1つの「正」と二画目まで書かれたまるでアルファベットの「T」のような字が、急にみすぼらしく見えてしまった。

 そんなミユキちゃんだが、時々学校を休むことがあった。それも通常の授業がある平日ではなく、参観日や運動会といった学校行事の日に休むのだ。親に授業中の様子を見られるのが恥ずかしかったり、走るのが遅いから運動会に参加したくないという子の言い分は、確かに分かる。

 でも、ミユキちゃんに限ってそんな心配は一切必要ない。勉強も運動もクラスで、いや、おそらく学年でもトップなのだ。しかも、休んだ次の日には何喰わぬ顔で登校するものだから、まるでこっちが間違って他のイベントに参加したような気分になってしまう。日曜日や祝日は家から出られないのだろうか。それとも、ただ単に行事が嫌いなだけなのだろうか。

 いくつも疑問は浮かんでくるが、結局ミユキちゃん本人には何も訊くことはできなかった。そして10月最後の日曜日。小学校に入学して初めての親子遠足の日も、ミユキちゃんは学校に姿を見せなかった。

 遠足と言っても、小学1年生なのでそんなに仰々しいものではない。学校の近所の公園に歩いて出掛け、広場でお弁当を食べるという、平たく言えばピクニックだ。それでも、遠足という言葉に胸はウキウキと弾むように踊り、皆でブルーシートを敷いてお弁当を食べるのを想像するだけで涎が垂れてくる。なんでも「初めて」というのは良いものだ。

 当日の空は朝から晴れ渡っていて、刷毛でサッと掃いたような白い雲が、逆に空の青さを際立たせていた。

 僕はワタル君とヒカル君と一緒にお弁当を食べた。幼稚園の頃からお互いの家に遊びに出掛けていたので、お母さん同士も仲良くなっていた。

 朝早くからお母さんが手作りしてくれたおかげで、僕のお弁当は見た目も豪華に仕上がっていた。そこらのお弁当屋さんの幕の内弁当にも負けていない。ワタル君は、

「ユウの弁当、うまそー!」

と大声を張り上げて驚き、ヒカル君は、

「うちの母ちゃんと全然ちゃうわ!」

と言って、お母さんに頭をはたかれてしまった。子供の無邪気さというものは、時にひどく残酷にもなる。

 褒めてもらったのはお母さんの料理なのに、まるで自分が偉くなったような気分になった。必死にそれを隠そうとしても、「ヘヘヘッ」と鼻の下をこすりながら笑みがこぼれてしまう。

 ヒカル君の提案で、それぞれのおかずを一品ずつ交換することになった。僕はワタル君とは卵焼きを交換し、ヒカル君とは鶏の唐揚げを交換した。どちらも、僕のお母さんの作ったおかずの方が美味しかった。特に卵焼きは、少し甘じょっぱい味付けが相原家の伝統らしく、ひと切れで茶碗1杯のご飯を食べられるほどで、でも舌にしっとりと沁みていく甘さもあって、そのバランスが絶妙なのだ。親バカならぬ子バカ、なのだろうか。

 お弁当タイムが終わって、広場のアスレチックで遊び始めた頃、不意にミユキちゃんのことを思った。ミユキちゃんは今、何をしているのだろう。お昼ご飯は何を食べたのだろう。誰が作って、誰と食べたのだろう。

 そういえば、ミユキちゃんのお父さんやお母さんを見たことがない。家族の話を聞いたこともない。仕事で忙しいから行事の日は休んでいるのだろうか。それとも、他に何か理由があるのだろうか。

 僕も家でミユキちゃんの話をしたことは今までなかった。入学直後にクラスの名簿を見て、初めて「合田美幸」の名前を目にした時にお父さんが、

「新しい友達になれるとエエな」

と言い、お母さんは、

「女の子には優しぃにせんとアカンよ」

と言った、それきりだった。

 遠足の日の夜、晩ご飯を食べながら僕は両親にミユキちゃんの話をした。クラスではあんまり友達と仲良くしていないこと、行事をいつも休んでいること、そして、悔しかったけど勉強も運動も僕より上だということも。

 お父さんは呑気に、

「へー、ユウより頭エエ子がおるんやなぁ。負けんように頑張れよ」

と言うだけだったが、お母さんは少し心配そうな顔になって

「そうなんじゃ・・・」

と低い相槌を打った。困ったような顔にも見えた。そしてその顔のまま、

「ユウくんは美幸ちゃんと仲良しなん?」

と訊いてきた。その質問の深さに気付かない僕は、

「仲悪くはないけど、あんまり喋らん子なんよ。でも日直当番はいつも一緒やし、僕もミユキちゃんも学級委員長やけん、吉田先生にプリントもらいに一緒に職員室行ったりするよ」

と答えた。お母さんは今度も、「そう・・・」と呟くだけだった。

 お母さんの態度が変わった原因が分かったのは、それから1週間後のことだった。パートタイムに出ている近所のスーパーマーケットで、他の従業員やお客さんからミユキちゃんに関する噂を耳にしていた。1ヶ月ほど前からは、近所の井戸端会議で合田家の話題が頻繁に出るようになった。話す人によって噂の中身は様々だったが、どれも聞いていて楽しい話ではなかった。

 噂その1。ミユキちゃんのお父さんは海外に単身赴任していて、お母さんはそれをいいことに別の男の人を日替わりで何人も家に呼び込んでいる、らしい。

 噂その2。ミユキちゃんのお父さんは暴力団の組長で愛人が何人もおり、その中のひとりがミユキちゃんのお母さん、らしい。

 噂その3。ミユキちゃんのお父さんはギャンブルでたくさんの借金を作ってどこかに逃げてしまい、残されたお母さんもミユキちゃんを自分の両親に預けたまま、ミユキちゃんの前から姿を消した。それがこの神成町だった、らしい。

 それを聞いたお父さんはお母さんに、

「あんまりエエ加減なこと言うなよ」

と、強い口調で言った。いつも優しいお父さんにしては、珍しく怒っている。でもお母さんも、

「私が言よるんとちゃうんじょ。先本さんとか月原さんの話を聞いただけやけん」

と言う。するとお父さんは先ほどよりも語気を強めて、

「ユウの前でほんな話せんでエエだろって言よんじゃわ」

と言い返した。なんだか、僕が怒られているような気がしてくる。一人っ子は、こういう時に困るのだ。両親が大人同士の話を始めると、話し相手がいなくなる。自分の家の中なのに、居場所がなくなってしまう。

ミユキちゃんはどうだろう。兄弟や姉妹はいるのか。もし僕と同じように一人っ子で、両親が二人で話し始めたら、居場所がなくなって困ってしまうだろうか。それとも、それを受け容れて何とも思わないのだろうか。どちらが幸せなのか、僕にはよく分からない。

 とにかく、どれもにわかには信じられない話だったが、だからこそ素性の知れない合田家には全てが当てはまる可能性のある話でもあった。だが、市役所に勤めるお父さんが住民課の同僚に、「取扱いに注意せぇよ」と釘を刺されながら持ち帰った個人情報によると、それらの噂話はほとんどデタラメだった。でも、本当のことも少しだけ混じっていた。

 ミユキちゃんのお父さんは、去年の年末に亡くなった。病気なのか事故なのか、原因は分からない。とにかく今はミユキちゃんとお母さんの二人暮らしで、幼稚園を卒園したタイミングでお母さんの故郷である神成町にやってきた。でも、お母さんの両親、つまりミユキちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんはミユキちゃんが産まれる前に亡くなっていたので、故郷と言っても周囲に頼れる人は誰もいなかった。家族のこととミユキちゃんがクラスメートと仲良くなろうとしないことは、何か関係があるのだろうか。

 お母さんは家計を支えるために、日中は神成町の隣の南島町にあるサービス付き高齢者向け住宅で介護の仕事をし、夜は県庁のある町のスナックまで働きに出ているらしい。だから、ミユキちゃんは家にいてもお母さんと顔を合わせる時間はほとんど無いということになる。

 「ずーっと留守番しとったら、ひとりでおっても寂しくなくなるんかもな」

お母さんが言う。

「友達おらんかっても、平気ってこと?」

僕が訊くと、

「友達がおらんのじゃなくて、まだ()()うてないだけよ。まだこの町に来たばっかりなんやし。ほれに、ユウくんがもう友達になったんやろ?」

と、いたずらっぽく笑いながら答えた。

 その話を聞いて、僕は幼いながらに悲しくなった。親戚を含め、まだ身内の誰もが元気に生きている僕は、誰かの死に直面したことがなかった。高齢になったおじいちゃんやおばあちゃんならまだしも、お父さんを亡くしてしまうことなど、たとえ「もしも」の話であっても頭には浮かんでこない。もしかしたら、「死」という概念を理解していなかったかもしれない。小学1年生の僕は単純で無遠慮で無神経で、同情しかできなかった。

 僕のお母さんはパートタイムには出ていたものの、午前9時から午後3時までなので、下校の時間には家に帰っている。僕が「ただいま」と言うと、笑顔で「おかえり」と言ってくれる。お父さんも市役所に勤める公務員なので残業などほとんど無く、午後6時にはたいがい帰宅して、夕飯は家族揃って食べることができた。

 あの頃の僕は、それが当たり前だと思っていた。それが恵まれた環境だったということに気付いたのは、もっと大人になってからだった。ましてや、家でひとりきりで過ごすミユキちゃんの寂しさや心細さなんて、想像すらできなかった。ただ、参観日や運動会を休みたくなる理由は、なんとなく理解できた。

 ミユキちゃんは学校から帰った時、「ただいま」を言っているのだろうか。もし言っていたとしたら、「おかえり」は返ってくるのだろうか。朝、「行ってらっしゃい」と送り出してもらえているのだろうか。

いつもクラスで見せている素っ気ない仕草や冷たい物言いが、急に恋しくなった。可愛げのない、クールで強い女の子。その姿は実は精一杯の強がりで、本当は毎日泣きたい気持ちをグッとこらえて登校しているのかもしれない。いや、もし夜の布団の中や朝に家を出る直前に涙を流しているのだとしたら・・・

何も分からない、お友達なのに。小学1年生だから仕方ない?お友達なのに?お友達にしかできないこと、きっとある。お友達だからこそできること、絶対にある。ミユキちゃんとお友達になったことを、初めて心の底から嬉しいと思えた。

代休明けの火曜日。相変わらずシレッとした様子でミユキちゃんは登校してきた。いつも通り赤いリボンでポニーテールを作り、いつも通りひとりで俯き加減に正門をくぐり、いつも通りクラスメートの挨拶に軽い会釈だけを返す。見慣れた光景だ。ミユキちゃんにとってはルーティーンのようなものだろう。

でも、今日はここからが違う。ミユキちゃんを、いつも通りには過ごさせない。教室に入ってきたミユキちゃんに駆け寄って、

「ミユキちゃん、おはよー!」

と、明るく、笑顔で、元気よく声を掛けた。これぞ挨拶のお手本だと言わんばかりの爽やかさだった、と思う。。

 教室内にいた子たちが、一斉に僕とミユキちゃんの方を振り向く。皆、何が起こったのか分からない様子だった。目を大きく見開いて驚いた顔の子もいれば、ポカンと口を開けたまま茫然と立ち尽くすだけの子もいた。それもそのはずだ。普段の僕は無口で、自分から誰かに話し掛けることはほとんどない。ワタル君やヒカル君と喋ったりじゃれたりする時も、たいてい二人の方から寄って来る。

 そんな僕が、朝からいきなり大声で「おはよー」なのだから、クラスメートの反応も当たり前だ。何を隠そう、僕が一番驚いている。「ホンマに引っ込み思案な子やなぁ」といつも言ってくるお母さんに見せてやりたかった。

本当は恥ずかしかったし、直前までは「どうしよう、やっぱりやめようかな」と一人で葛藤していた。それでも、言って良かった。窓から入ってくる秋の風が、とても気持ち良く感じた。僕だって、「いつも通り」からはみ出してみたかった。

でもミユキちゃん本人は一瞬、虚を突かれてビックリした顔になっただけですぐに真顔に戻り、無言で自分の席に向かってしまった。いつもより不機嫌で、表情にも怒りが見え隠れしていたような気がした。そういう「いつも通り」からの変化は望んでないんだけどな。

休み時間になるたびに、僕はミユキちゃんの席に向かい、話し掛けた。

「日曜日の遠足でな、弁当食べよる時にヒカル君がお母さんに頭叩かれたんよ」

「昨日せっかく学校休みやったのに、雨だったけんどこにも遊びに行けんかった」

「その代わりに1日中ゲームしよったら、お母さんにゲーム没収されてしもうた」

とりとめのない、いや、どうでもいい話を次から次にミユキちゃんに投げ掛ける。でもそれらはどれも一方通行で、ミユキちゃんの反応は「へぇ」「ふーん」を繰り返すだけだった。最後には相槌すらも打ってくれなくなった。

 次の日も、その次の日も、僕はミユキちゃんに話し掛けた。家に帰ってお母さんに学校であった出来事を細かく話すように、前日の夕方から今朝にかけて自宅で起きたことを話していった。最初は、誰かにやらされている感じが胸の奥深くで渦巻いていた。全然話に乗ってくれないミユキちゃんに、何度も心が折れそうになった。

 それでも、日が経つにつれて僕の中にあった恥ずかしさや照れ臭さは薄まっていった。ワタル君とヒカル君の「アツアツー」「新婚さん、いらっしゃーい」などの冷やかしも気にならなくなった。僕のお喋りも、少しずつ上手になっていった・・・ような気がする。

 11月の最後の週には、下校時もミユキちゃんにくっついてお喋りを続けた。帰りの会が終わるとテキパキと帰り支度を済ませて、誰よりも早く教室を出て行くミユキちゃんを追うように、僕も走って教室を後にした。

 僕の家は小学校から歩いて5分のところにあり、家にいてもチャイムが聞こえる程の距離だったので、話が盛り上がる前に着いてしまう。ミユキちゃんの家がどこにあるのかも分からないままだった。

 それでもかまわなかった。迷惑だったんだろうなと、今では思う。ストーカー扱いされても、文句は言えない。でも、ミユキちゃんは「ついて来ないで」とは言わなかった。休み時間に僕が近寄って話し掛けても、愛想の無さは相変わらずだったものの、席を立ってどこかに行くこともなく、「話し掛けないで」とも言われなかった。

 12月になった。毎月、月初には席替えが行われる。アミダクジを順番に回して、好きなところに自分の名前を書く。1時間目の始めに記入して、回収した吉田先生が数字と座席を照らし合わせて、帰りの会に新しい座席表を持って来て発表するのだ。

その日は席替えのことで頭がいっぱいで、授業なんかまともに頭に入ってこない。それはきっと僕だけではないはずだ。その証拠に、教室内は妙にしーんと静まり返り、でもどこかザワザワと落ち着きの無さが漂っているのだ。

いつもは窓際の1番後ろの席を熱望している僕だが、今月は違う。いや、来月からもずっと。お目当ての席は、ただひとつ。ミユキちゃんの隣である。それが、たとえクラス全員がハズレだと敬遠する教卓の真ん前の席だったとしても。何度も祈りながら、鉛筆の芯が折れるぐらい強く自分の名前をアミダクジに書いた。

そして帰りの会。黒板に貼られた新しい座席表を見て、僕はため息と共にガクンと肩を落とす。ミユキちゃんは廊下側の1番前の席。そして僕は、皮肉にもこれまで狙っていて一度も当たらなかった窓際の1番後ろの席-つまり、ミユキちゃんから1番遠い席になってしまったわけだ。

入学式直後の、男女混合の五十音順で並んだ座席が懐かしい。あの時は、早く席替えをしてワタル君やヒカル君の近くの席に移りたかった。たった半年で、こんなに考えが変わるなんて。少しは成長したということなのか。大人に近付いたということなのか。

のび太君なら、こんな時こう言うだろう。「ドラえもーん、なんか道具ない?」やっぱり、僕はまだまだ子供みたいだ。

2学期最後の日。冬休みでしばらくミユキちゃんに会えないので、少し思い切った話を切り出してみた。

「明日、家でクリスマスパーティーするんやけど、ミユキちゃんも来る?」

本音ではかなり真剣な誘いだったが、できるだけ軽い口調で訊いた。返事が無いことは覚悟の上、いや、諦めていたからだ。

 ところが、ミユキちゃんの表情がピクッと揺れた。歩く足を止め、両手を腰に回したり身体の前で組んだり、何度もポニーテールを触ったり、急に落ち着きがなくなった。こんなミユキちゃんを見るのは初めてだった。不思議に思った僕は、

「どしたん?」

と、顔を覗き込むようにして訊いてみた。すると、ミユキちゃんは視線を足元に落とし、道端の小石を蹴りながら、

「・・・行ってもイイの?」

と、逆に訊いてきた。

 ビックリした。自分で誘っておいて言うのもアレだけど、予想外の答えだった。今度は僕がソワソワするハメになってしまった。その時のミユキちゃんの顔が・・・とても可愛く見えたから。

 開いた口が塞がらないままミユキちゃんの横顔を見つめていると、

「何よ!行ってもイイの?ダメなの?どっちなの?」

と、先ほどまでのしおらしさが嘘のようなキツイ物言いで詰め寄ってきた。僕は慌てて首を何度も横に振りながら、

「良い!良い!絶対来てほしい!」

と、素直に答えた。お父さんとお母さんにはまだ言ってなかったけど、きっと二人ともミユキちゃんを歓迎してくれるはずだ。

 僕の答えを聞いてもミユキちゃんのツンケンした態度は変わらず、プイッとそっぽを向いて「お母さんに聞いてみるから」とだけ言った。そっぽを向く直前の顔に、一瞬だけ安堵の表情が浮かんだように見えたが、それは僕の気のせいだったかもしれない。

それでも、今までまともに会話のキャッチボールができなかったのに、家に遊びに来てくれるかもしれないなんて。根気強く話し掛けた甲斐があった。1歩前進である。

ミユキちゃんは続けて、

「行けるかどうか分かったら教えるから、電話番号教えてよ」

と早口に言った。ミユキちゃんが僕の家に電話を掛けてくれる?さらに1歩前進だ。

 僕は急いで背中からランドセルを降ろして、その場で自由帳に自宅の電話番号を大きな字で書いた。慌てながらも、丁寧に。そしてそれをビリビリと破いて、ミユキちゃんに渡した。

「ありがとう」

数字の連なりを見つめながら、ミユキちゃんは続けて、

「私の家、新川地区の市営団地だから」

と言って、足早に歩き始めた。

 新川の市営団地。そこに住んでいる友達が今までいなかったので実際に行ったことはなかったが、聞いたことはある。お母さんに聞けば、正確な場所も教えてもらえるだろう。

それにしても、まさかミユキちゃんの住所までゲットできるとは思わなかった。さらにさらに1歩前進で、一気に合計3歩進んだ。算数は苦手だけど、あっという間に計算できた。

「うっしゃ!」と、一人で小さくガッツポーズを作り、先を行くミユキちゃんに「待ってよー」と声を掛けながら駆け寄った。ミユキちゃんのポニーテールが、木枯らしに吹かれて小さく揺れていた。

ミユキちゃんから電話が掛かってきたのは、晩ご飯を食べ終えてリビングでテレビを観ている時だった。食事中も、いまかいまかと電話を待ちわびていたせいで、大好きなロールキャベツだったのに全然味がしなかった。

「はいはいはい、こんな時間に誰かいな?」

と、ダイニングの椅子から腰を浮かせかけたお母さんを振り向いて、

「僕が出る!」

と、急いで電話機を取りに行った。お母さんは僕の慌てように驚いていたし、一緒にソファでテレビを観ていたお父さんの視線も背中に感じた。まだコードレスの時代ではなかったので、残念ながら子機を取って自分の部屋に籠るということができなかった。仕方なく、両親がいる前で受話器を持ち上げた。

「はい、もしもし、相原ですけど、どちら様ですか?」

両親が見ている手前、いつも通り二人に教わったセリフを口にした。

「・・・合田ですけど・・・ユウ?」

受話器越しに、ミユキちゃんの声が耳に流れ込む。電話だからなのか、いつもの冷たくて素っ気ない口調ではなかった。語尾の持ち上げ方に、歳相応の幼さが溶けていた。僕の両親が出るかもしれないと思って、少し遠慮していたのだろうか。でも、それにしても声に元気がないように感じた。悲しんでいるようにも聞こえたし、申し訳なさそうな声にも聞こえた。

 「あっ、ミユキちゃん?うん、僕、ユウやけど。どしたん?」

電話の用件は分かっていたのに、弾む心を必死に抑えてお芝居をした。背後で、お母さんが息を潜めて笑う声が微かに聞こえた。僕のお芝居がヘタクソで可愛かったから、と後で教えてくれた。

 ミユキちゃんはなかなか話を切り出さない。幼い僕はその沈黙が我慢できずに、

「ミユキちゃん?どしたん?いけるで?」

と重ねて問いかけた。すると、ようやくミユキちゃんは口を開いてくれたが、その声は震えていた。

「あのね・・・ホントにごめんなんだけど・・・明日・・・行けなくなった・・・」

「えっ・・・」

一瞬、目の前が真っ暗になった。でも頭の中は真っ白だった。ミユキちゃんの声が耳の奥で粉々に砕けた。再び数秒の沈黙が訪れたが、なんとか声を絞り出して、

「なんで?」

と訊いてみた。でもミユキちゃんはその問いには答えずに、

「ホントにごめんね、せっかく誘ってくれたのに。私もホントに楽しみにしてたんだけど、お母さんがね、行っちゃダメだって。理由は教えてくれないけど、とにかくダメだって。お母さんも、ホントにごめんなさいねって言ってた。だから・・・ホントにごめんね」

と、一息にまくしたてた。

 自分から理由を聞いたのに、答える内容は全く頭に入ってこなかった。ただ、「ホントに」ってメッチャ言うなぁと、どうでもいいことをぼんやりと考えるだけだった。お母さんが「行っちゃダメ」と言った理由とその時の気持ちは、大人になった今なら分かる。

 それでも、こんなに落ち込んだミユキちゃんの声は今まで聞いたことがなかったし、こんなに謝るミユキちゃんも初めてだった。

 「ううん、お母さんが言うんだったら、しょーがないよ。また今度遊びに来てな」

落胆がミユキちゃんに伝わらないよう、頑張って精一杯明るく返した。

「ありがとう」

ミユキちゃんもホッとしたのか、声が少し元気になったみたいだった。でも、「今度遊びに来てな」という僕の誘いに対して、「うん」とは言ってくれなかった。

 話はそこで終わり、お互いに「じゃあね」「おやすみ」を言い合って電話を切った。胸の底に押しやっていたショックや寂しさが一気に込み上げてきて、「ハァ」と大きなため息が漏れた。電話が終わるのを待ち構えていたお母さんが、

「電話、美幸ちゃんからだったん?」

とニヤニヤしながら訊いてきた。オバさんのくせに、いや、オバサンだからこそ、小学生の幼い色恋にも首を突っ込まずにはいられないのだ。それでも、僕は正直に話した。

「明日のクリスマスパーティーに誘っとったんやけど、来れんようになったんよ」

するとお母さんは、緩めていた頬を引き締めて、

「そっかぁ・・・」

と呟いた。なんだかお母さんまで落ち込んでしまったみたいだった。でもその直後、先程のニヤニヤした笑い顔ではなく、優しい笑顔になって、

「また来年のクリスマスパーティーに来てもろたらエエでぇな。ほれに、別にクリスマスでなかっても、いつでも遊びに来てもろたらエエわ。ウチはいつでもOKやけん、また誘ってあげなよ」

と言ってくれた。僕も同じことを考えていた。やっぱり親子なんだなぁと、無性に嬉しくなった。

電話の様子や、僕とお母さんの会話を聞いていたはずのお父さんだが、一切口を挟まなかった。僕がソファに戻ると、何も言わずに頭を撫でてくれた。僕が控えめで無口なのは、お父さん譲りなのかもしれない。そう思うと、また嬉しくなった。

ミユキちゃんがクリスマスパーティーに来れなくなったことで、3歩分進んだミユキちゃんとの距離が、一気にゼロになってしまった。すごろくで言うところの「ふりだしに戻る」ってヤツだ。でも、今日だけでミユキちゃんの「初めて」をいっぱい見て、聞いて、知れたのだから、やっぱり最後に1歩前進だろう。

ふと、幼稚園の運動会を思い出した。入場行進で水前寺清子さんの『365歩のマーチ』がBGMに使われていた。3歩進んで、2歩下がる。で、合計1歩前進。僕の場合は、3歩進んで、3歩下がって、1歩進む。合計1歩前進。本当に、算数が得意になったのかもしれない。

冬休みが終わって、3学期。まだお正月気分が抜けないまま校門をくぐり、校舎に入って上靴に履き替えると、不意にクリスマスパーティー前日のミユキちゃんとの電話が頭に浮かんだ。当然、冬休みの間に遊んだり電話で喋ったりということはなかった。近所の駄菓子屋やショッピングセンターで偶然出くわすこともなかった。

ミユキちゃんはどんな冬休みを過ごしたのだろう。そして僕は、これからどんな顔でミユキちゃんと接したらいいのだろう。急に難しい宿題を課されたような気分になってしまったが、お母さんの前向きな言葉を思い出すと、自然と心も晴れていき、胸を張って廊下を歩くことができた。

教室に入ると、ミユキちゃんはすでに登校して、自分の席に着いていた。入り口の、すぐそばの席だ。一瞬ドキッとしたが、2学期と同じように「おはよー」と声を掛けた。するとミユキちゃんは「おはよ」と、ボソッと呟くような声で言った。目は合わせてくれなかったが、確かに僕の挨拶に応えてくれた。たったそれだけのことで、僕の心は十分に満たされたのだった。

それ以降、ミユキちゃんの僕に対する態度は少し変わった。僕の他愛もない話に時々乗っかってくれるようになったのだ。「それからどうしたの?」と話の先を促したり、「バカじゃないの?」とツッコんだり。もちろん、ほとんどが素っ気なく冷たい、感情のこもっていない相槌だったのだけれど。

でも時々、本当に時々見せる笑顔が、無口な僕を饒舌にしてくれた。普段ムスッとしている分、笑うと表情がパアッと晴れやかになり、悔しいけど、やっぱり可愛いのだ。

そんな僕たちは、3学期も学級委員長に任命された。ミユキちゃんの票には尊敬の思いがたくさん込められていそうだけど、僕の票にはウケ狙いと冷やかしがたっぷり溶けているように感じた。でも、また美幸ちゃんと一緒というだけで、全部笑って受け止めることができた。

ただ、1月も2月も3月も、結局席替えでミユキちゃんの隣を射止めることはできなかった。そして、「今度家に遊びに来る」という約束も果たされないまま、月日は流れていった。

2年生になっても、変わらない。3年生でも、同じ。4年生も、5年生も。それでも、5年間ずっと同じクラスだったことは素直に嬉しかった。2クラスしかないので、確率的には32分の1、決して起こり得ない数字ではないのだが。

そして、良い意味で「変わらない」ことがひとつ。ここまで僕もミユキちゃんもずっと学級委員長に選ばれてきた。ミユキちゃんは1年の2学期から。僕は入学してからずっと。

県知事や会社の社長なら交代の声が上がるところだが、僕たちは違った。ミユキちゃんの性格は変わらなかったが、クラスメートも少しずつ大人になっていったからか、ミユキちゃんのクールで、サバサバしていて、ミステリアスな部分に惹かれて、憧れる子が何人もいた。何より、相変わらず勉強も運動もピカイチの出来で、担任になった先生は皆、褒めてばかりだった。

一方で僕の方も、ミユキちゃんほどまでとはいかなくても、男子の中では成績も運動能力も1番だったので、再任に文句を言う子はいなかった。クラスのムードメーカーでお調子者のワタル君やヒカル君と仲が良かったことも、票の獲得に一役買っていたかもしれないが。

そんな「変わらない」学校生活の中で、皮肉にも1番変わっていないのが、僕とミユキちゃんとの距離だった。もっと変わった方が良いのか、それとも、変わらないことでベストな関係を築けているのか。勉強は得意なのに、これだけは1年生の頃からさっぱり分からない。学校の先生は誰もそんなこと教えてくれないのだから。

1年生の頃は、好きか嫌いかを聞かれたら迷わず「好き」と答えられた。もちろん、愛だの恋だのを知る年齢ではないので、同じクラスの子として、である。でも学年が上がるにつれて、その気持ちは薄らいでいった。むしろ、反対に「嫌い」の方が強くなってきている気がする。

ワタル君やヒカル君にミユキちゃんとの仲をからかわれても、1年生の僕は「うっさいなー」と文句を言いながらも悪い気はせず、まんざらでもない気分だった。心のどこかでは誇りにすら思っていた。でも、今は違う。いちいちリアクションするのが面倒くさい。たまに、本気で腹が立つこともある。お父さんとお母さんが付けてくれた名前の通り、優しい性格が長所だと思っていたのに、意外と短気なのかもしれない。

にも関わらず、学校からの帰り道。今日も僕の隣には、ミユキちゃんがいる。

6年生になった。「まさか」という諦めと「もしかして」という期待を半分ずつ胸に抱いて登校した。下駄箱の脇に設置された掲示板に人だかりができている。新学年のクラス分けが掲示されているのだ。僕も人垣の外から、背伸びをして掲示板を覗き込む。

「うわー、またお前と一緒のクラスかよー」「やかましわ!こっちのセリフじゃ!」

ホンマに男子ってガキっぽいよなぁ、とため息が漏れる。

 「あっ、見て見て!1組の担任、藤田先生じゃよ!」「うそー?ラッキー!算数の教え方上手いらしいけん、成績上がるかもなぁ」

ホンマに女子ってしっかりしとるなぁ、と先ほどとは別の種類のため息が漏れる。

 5年生あたりから、クラスの中で何をするにしても男子と女子がはっきりと分かれるようになった。男子と女子が仲良く話をすることなんて、ほとんどなくなった。

男子は相変わらずギャーギャーと騒いでいるのだが、チラチラと女子の視線を確認する。女子は女子で、そんな男子の視線に気付いていないのか、あるいは気付いていてもハナから相手にするつもりがないのか、急に大人びた態度をとるようになった。何事に対しても合理的に考えるようになった。僕から見れば、冷めている、とも言えなくはない。まるで、学年の女子が全員、ミユキちゃんになったみたいだった。

「一緒にしないでくれる!?」

どこからかミユキちゃんの声が聞こえた。慌ててキョロキョロと周りを見渡してみたが、どこにもミユキちゃんはいなかった。一瞬ホッとして、ちょっとだけ寂しくなった。女子の視線を気にする男子を見るたびに、「カッコ悪い奴だなぁ」と思っていたのだが、もしかしたら僕が一番カッコ悪いのかもしれない。

 人垣が崩れてきて、僕にも掲示板が見えるようになった。2組の生徒一覧の一番上に「合田美幸」の名前があり、その下に「相原優」の名前が見えた。これで6年連続、確率で言うと64分の1になった。さっきの寂しさが、一気に嬉しさに変わった。

 6年生になると、すぐに修学旅行がある。ゴールデンウイーク明けに、1泊2日の予定で組まれている。あと1ヶ月ほどだ。

始業式の1週間後には「修学旅行のしおり」が配られた。初日は大阪城の見学、通天閣および新世界の散策。2日目は、東大寺と大仏の見学、奈良公園で鹿とのふれ合い、京都に移って金閣寺・銀閣寺の見学、太秦映画村の散策、という旅程だった。

しおりには、歴史を勉強するための観光名所を回る班の構成も記載されていた。僕は1班で、同じ班の中にミユキちゃんもいた。思わず「えっ」と声が漏れそうになった。慌てて顔を上げ、出席番号順に並んだ座席の目の前、ミユキちゃんの背中を見つめた。

「なぁなぁ、修学旅行参加するん?」

言葉は喉元までせり上がってきているのに、そこから先へは進んでくれない。肩をトントンと叩こうと伸ばした右手も、途中で止まってしまった。

 ミユキちゃんは微動だにせず、俯いてしおりを読み続けている。いや、本当はしおりではなく、ただ机の木目を見ていただけかもしれない。ミユキちゃんは本当に、近くて遠い存在なのだ。

 その日の放課後、担任の村山先生に呼び出された。6年生でも選ばれた学級委員長の仕事だろうか。でもそれだと、今期も同じく任命されたミユキちゃんも呼ばれるはずだ。でも、今は僕だけ。

一体何事だろうと怪訝に思いながら、村山先生の後に付いて行った。階段を上りながら、不意に村山先生が、

「相原くんは生徒会長に立候補せんかったんやなぁ」

と声を掛けてきた。村山先生は、生徒のことを「くん」や「さん」を付けて呼んでくれる優しい先生だったが、まだあまり話をしたことがなかったので、「はぁ、まぁ・・・」と曖昧に応えることしかできなかった。

 同じことは、5年生の時にも散々言われた。担任だった上田先生だけでなく、生徒指導の先生や教頭先生、そして校長先生まで出てきたのだった。そんなに大ごとにされてしまうと、気の弱い僕は「じゃあ、まぁ、はい、やってみます」と首を縦に振りそうになったが、なんとか拒み続けて先生たちを諦めさせた。初志貫徹ってやつだ。

 村山先生はこの春に神成小学校に赴任してきたので、僕のことは何も知らないはずなのに、

「もったいないなぁ」

と呟いた。何を基準に「もったいない」のかは分からなかったが、去年からいる他の先生から、僕の成績や学校での様子は聞いていたのかもしれない。それでも、去年の先生たちみたいに「なんで?」とは聞いてこなかった。それだけで、村山先生のことをちょっと好きになった。

 「なんで?」と訊かれると、僕は責められているような気がしてしまう。何も悪いことをしていないのに、罪悪感や申し訳なさが胸に溜まっていく。ましてや、プロレスラーのような体型の生徒指導の先生や気の強そうな教頭先生に問い詰められれば、なおさらだ。

なんとか、「野球の練習が忙しいから」という理由で乗り切った。4年生に進級した時に少年野球チームに入っていたので、それを言い訳にした。

 確かに、6年生になってサードのレギュラーに抜擢されたので、練習時間もプレッシャーも増え、肉体的にも精神的にもキツくなるだろう。でも、どうしてもできないわけではない。頑張れば、なんとか生徒会の活動もできるはずだ。本当の理由は別にある。副会長を打診されていたミユキちゃんが、あっさりと断ったから。

「合田さんが副会長じゃないので、会長にはなりたくありません」

そんな事、先生たちに言えるわけがない。本音と建前を使い分けるぐらいには、僕も大人になったのだ。

でも逆に言えば、ミユキちゃんがOKしていたら僕も会長になっていたということになる。そんないい加減な大人はきっといないので、まだまだ子供の部分もたっぷり残っている。そう考えると、ミユキちゃんが副会長じゃないとモチベーションが上がらない、しかも、他人の意見でコロコロ考えを変えるような男は、やっぱり生徒会長なんか務めるべきではないのかもしれない。

てっきり職員室で話すのかと思っていたが、村山先生は職員室の手前にある生徒指導室に入った。他の先生たちには聞かれたくない話、ということなのだろうか。

入室して、村山先生に促されるままに先生の向かいの席に着いた。普通の教室にあるのと同じサイズの机と椅子のセットが2つ向かい合って並び、小さな本棚とシルバーのラックがあるだけの、小さな部屋だった。めったに使わない部屋でもあるのだろう、天井に吊るされた照明の電球は切れかかり、机の上にはうっすらと埃がかぶっていた。村山先生も「だいぶ汚いなぁ」と呆れながら言った。思いを代弁してくれているみたいで嬉しくなり、僕も素直に笑いながら「そうですね」と応えることができた。

「修学旅行のことなんやけど・・・」

村山先生は前置きなく話を切り出した。僕も背中をピンと伸ばして「はい」と答えた。

「合田さんが修学旅行を欠席するって言よるんよ」

やっぱりそうなのか。しおりを見た時から高まっていた期待は、儚く揺れて消えてしまった。ショックを必死にポーカーフェイスで隠して、

「しおりには、名前、ありましたけど・・・」

と僕が言うと、

「あぁ、あれな。班のメンバーに自分の名前があったら、行く気になってくれるかなぁと思ったんやけど、アカンかったわ」

と自嘲めいた笑みを浮かべて、村山先生は答えた。

 なるほど、悪くないアイディアだ。情の厚い子なら、村山先生の作戦は成功していたかもしれない。でも相手はミユキちゃんだ。冷たくて、素っ気なくて、無愛想なミユキちゃんなのだ。喜怒哀楽の「怒」しかないんじゃないかと思わせるミユキちゃんのことを、村山先生はまだよく知らなかったのかもしれない。

「なんで休むって言ってるんですか?」

なんとなく答えは分かっていたけど、話の流れで一応訊いてみた。村山先生は、

「『家庭の用事があるから』としか言うてくれんのよ。まぁ、プライバシーのこともあるけん、それ以上は深く聞けんのやけどなぁ」

と、残念そうに教えてくれた。予想通りの答えだったが、改めて知ると僕も残念で、「そうですか」と応えるのがやっとだった。

 すると、村山先生は身を乗り出して、

「ほんでな、相原くんにお願いしたい事があるんよ・・・」

と言った。何か、嫌な予感がする。表情を強張らせたまま、

「・・・なんですか?」

と訊ねると、村山先生は少し間をおいて、呟くようなか細い声で、

「合田さんが修学旅行に参加してくれるよう、相原くんから誘ってみてくれんか?」

と言った。

 予感は的中した。駄菓子屋で引くクジはハズレばかりなのに、こういう時のカンは当たってしまう。でも、首を横に振ろうとしても動かせなかった。「無理です、無理です」と声を出そうとしても、言葉にはならなかった。

村山先生が、じっと僕を見つめる。最初は申し訳なさそうな表情に見えたが、だんだん温かく見守るような顔になっていた。まるで、「相原くんのために、この役を与えてあげてるんだぞ」と言っているような気がした。

そんなわけない。村山先生は、自分でミユキちゃんを修学旅行に参加させる自信が無いから、嫌な言い方だけど、僕に押し付けているだけだ。だから、申し訳なさそうな顔をしてたんじゃないか。なのに・・・

そんな優しい眼差しを向けられると、「嫌です」なんて言えなくなってしまう。そして、僕の胸の内を見抜いたかのようなタイミングで、

「ホンマは先生が言わなアカン事なんやけどなぁ」

と、こめかみをポリポリと掻きながら言った。そんなことを自分でサラッと言うものだから、ますます僕の心が揺れてしまう。

 しかも、村山先生は「説得」ではなく「誘って」と言った。その言葉のチョイスも、僕の心に響いた。「説得」だと、無理矢理感が出てしまう。本人は行きたくないのに、参加させてしまう。それでは僕も後味が悪いし、何よりミユキちゃんが一番嫌な思いをするだろう。

 でも、「誘う」なら自然だ。日常的でもあるし、実際僕は毎日、一緒に帰ろう、と「誘って」いるのだ。そういうところを、村山先生は見ていたのかもしれない。

「相原くんが誘ってくれたら、参加してくれそうな気がするんよなぁ。合田さんと一番仲良さそうなんも、相原くんやと思うし」

とも言われた。

 おだてているわけではないだろう。もちろん、()(へつら)っているわけでも。その証拠に、村山先生の目は優しい温かみを帯びてはいても、視線は僕から一切ブレず、表情も真剣そのものだった。

 僕は大人のように腕を組んで少し考えた後、

「・・・分かりました。話してみます・・・」

と応えた。村山先生も、ようやく背もたれに体重を預け直して肩の力を抜き、

「ありがとう。ほなけど、ダメ元でエエけんな。いつもみたいな感じで誘ってみてくれ」

と言った。嬉しそうだった。先ほどまでの優しい微笑みとは違って、純粋に喜ぶ、無邪気な、まるで子供のような笑顔だった。その顔を見ると、自然と「はい!」と力強く頷くことができた。

 でも、本当は村山先生には内緒の話がある。実は、村山先生から依頼を受けなくても勝手にミユキちゃんを修学旅行に誘ってみるつもりだった。ただ、「余計なお世話だよなぁ」「おせっかいってカッコ悪いよなぁ」「怒られたらイヤやなぁ」と臆病になっていたのだ。行動に出る直前で、足が止まっていた。

 ちょうどその時に、村山先生からの話があった。ミユキちゃんを誘う大義名分を得た、というか、背中を押してもらって迷いや躊躇(ためら)いを振り払うことができた。いつか僕が大人になって、村山先生とお酒を呑む機会があったら、そのことを話してみよう。村山先生はさっきみたいな優しい顔で笑ってくれるだろうか。

 久しぶりにひとりで歩いたその日の帰り道は、寂しさと嬉しさが入り混じった、複雑な気持ちになった。「いつも通り」ではない、初めて抱く感情だった。

 翌日の放課後、いつものように僕はミユキちゃんと下校した。一緒に帰ることを、「いつものこと」と思えるのが素直に嬉しい。

早速、修学旅行の話をするつもりだった。それも、村山先生に頼まれたという雰囲気を出さないように。と、思っていたら、珍しくミユキちゃんが先に口を開いた。

「昨日の放課後、村山先生に呼ばれてたよね?何の話だったの?」

不意打ちを喰らった。僕が話の主導権を握って、僕のタイミングで話を切り出したかった。それが、ミユキちゃんに真顔で訊かれるとなぜか動揺してしまい、すっかりペースを狂わされてしまう。

少し呼吸を整えてから喋り出したせいか、僕の反応にはぎこちない間が空いてしまった。

「えっ、あぁ、あのー・・・生徒会のこと。会長にならんかったん、もったいないなぁって」

「今さら?」

「う、うん。村山先生、今年からウチの学校に来たけん、理由とか知りたかったんかもしれん」

「そうなんだ。修学旅行のことは何か言ってなかった?」

僕とは対照的に、ミユキちゃんの言葉はスラスラと口から出てくる。淀みなく続く、川の流れのように。

 口調はいつもと変わらないのに、その滑らかさが目に見えない圧になって、僕は無意識のうちに俯いてしまう。嘘や誤魔化しは効かないだろうなと悟り、正直に打ち明けた。

「言よったよ。ミユキちゃん、修学旅行、行かんのやって?」

1年生から変わらず、僕は「ミユキちゃん」と呼んでいる。ほとんどの女子は今もそう呼んでいるが、男子では僕だけだ。4年生までは、男子でも「ミユキちゃん」と呼ぶ子が半分くらいはいたけど、去年からその子たちも「合田さん」と呼ぶようになった。理由は分からない。ただ、鬼ごっこでタッチされると鬼が増える「増え鬼」のように、ひとり、またひとりと、ミユキちゃんを苗字で呼ぶ子が増えていった。

ミユキちゃんは今度も間を置かずに、「そうだけど?」と答えた。語尾を持ち上げた言い方が、「何か文句でもあるの?」と、実際には言っていないのに僕の耳の奥まで届いた。

 「なんで?」と訊きたい。でもそれを口にするのはルール違反のような気がした。一瞬で二人の関係が壊れてしまう気もした。何より僕自身、「なんで?」と問われるのが嫌いなのだから。

 必死に代わりの言葉を探してみたが、何も思い浮かばずストレートに、

「せっかくやけん、行こうだ」

と誘ってみた。続けて、

「運動会とか遠足は毎年あるけど、修学旅行は6年間で1回しかないんやし」

と、修学旅行が特別なイベントであることを暗に示すようにも言ってみた。でも、ミユキちゃんは、

「歴史の勉強しに行くんでしょ?だったら私、一人で教科書見てる方が覚えやすいから」

と、あっさり切り捨てる。屁理屈のはずなのに、そう思わせないのがミユキちゃんが色んな意味で強いということなのかもしれない。

「先生には家の用事って言うたんだろ?嘘ついたん?」

少し意地悪な聞き方をしてみたが、ミユキちゃんは焦る素振りすら見せずに、

「理由なんか何でもいいでしょ。私が行きたくないから行かない、それだけ!」

と返す。ドラマや映画に登場するワガママな王女様みたいだ。

 「でも・・・」と僕が言いかけると、ミユキちゃんは右手を僕の顔の前に突き出して、

「あー、分かった分かった。じゃあ、行く。行くつもりでいるから。でも、当日体調崩して休んじゃいそうだなぁ。連休明けって疲れが出やすいんだよね。でも、体調不良だったら仕方ないよね。他の子にうつしても悪いしね」

と、全然悪く思ってなさそうに言う。そして、

「行くって期待させといてドタキャンされる方が嫌じゃない?だから最初から『行かない』って言ってあげてるの。私、結構親切じゃない?」

最後は僕を揶揄(からか)うような笑いを浮かべた言い方だった。確かに、と、つい納得してしまう自分が情けなくなる。立場が逆転して、僕が言いくるめられてるみたいだった。頭の回転の速さなのか、性格がひねくれているのか、とにかく議論ではミユキちゃんに勝てないな、と感じた。正確には、議論「では」でなく、議論「でも」だ。

足元に落ちていた視線をチラリとミユキちゃんの方に向けると、笑みの混じったドヤ顔をしていた。その顔は、先ほどの僕を揶揄(からか)うような冷たい笑いではなく、泣き止まない子供にお母さんが見せる笑い方に似ていた。

でも、いや、だからこそ無性に腹が立って、

「もうエエよ。勝手にしたら!?」

と、一人で歩きだしながら言った。すると、その言葉を待っていたみたいにミユキちゃんは、

「はーい、分かりましたー。勝手にさせてもらいまーす」

と、走って僕を追い抜いて行った。僕は足を止めてミユキちゃんの背中を見つめる。今日もポニーテールが軽やかに揺れている。「元気を出して」と僕を慰めてくれているように見えた。

 ミユキちゃんは少し先の四つ角を曲がった。姿が見えなくなると「そんなわけないよな」と軽く笑って、僕は空を見上げる。曇っていた空が、少し明るくなったような気がした。さっき腹を立てたのはミユキちゃんに対してではなく、自分自身にだったんだと気付いた。

 翌日、1時間目の授業が始まる前に、職員室の村山先生を訪れた。ミユキちゃんを修学旅行に誘えなかったことを謝ると、

「そんなん謝らんでもエエよ。こっちこそ、嫌な役やらせてしもうてゴメンじゃ」

と言ってくれた。落ち込んでいた気分が少し楽になった。ただ、「合田さんと仲悪うなっとらんか?」と訊かれた時は、ドキッとした。胸がキュッと締め付けられるように痛んだ。「大丈夫です」と応える声は、上ずってしまった。

その日も、ひとりで帰った。僕もミユキちゃんも、先生に呼び出されたり用事があったりしたわけではなかったが、「一緒に帰ろう」と言えなかった。ミユキちゃんの方から声を掛けてくれることを祈りながら、放課後しばらく教室の自分の席で待ってみた。教科書をパラパラめくったり、机の中を無駄に整理したりして時間を潰してみたが、ミユキちゃんは当たり前のようにひとりでそそくさと帰ってしまった。分かりきっていたことなのに、皆が教室から出て行った後も、腰を上げられなかった。

後ろめたさなのか、気まずさなのか、それとも意地を張っているだけなのか。だとしたら、それは一体誰に対してだろうか。何に対してだろうか。何も分からなくなる。

結局、ミユキちゃんとの間にできた溝が埋まらないまま、修学旅行を迎えた。バスの中や旅館で食べるオヤツは500円まで買って良いというルールだったが、半分にも満たない200円分しか買わなかった。本音では、オヤツなんて持って行かなくてもいいぐらいだった。

小学校生活最大の思い出になるはずのビッグイベントなのに、全然楽しみじゃない。ワクワクしない。これまで遠足や運動会の前日は胸が高鳴り、眼が冴えて眠れなかったのに、今回はグッスリ眠れた。僕も明日休もうかなぁ、なんて考えていたら、いつの間にか寝落ちしていた。

「旅行は体力使うんやけん、しっかりご飯食べときなよ!」

いつも朝から元気なお母さんの声が、やけに耳障りだった。いつもの明るさが、うっとおしかった。でも心の中で思うだけで、そんなこと間違っても口には出せない。お父さんやお母さんを悲しませることはしたくない。「修学旅行、行きたくない」なんて、なおさら言えない。言ってしまえば、二人はもっと悲しむと思うから。

 バスに乗ってからも、テンションは上がらなかった。最後列の端に座って、ボーっと窓の外を流れる景色を見るともなく見ていた。

「全員で古今東西ゲームしよーぜ」

「アホか!こんなけ人数おったら、全然続かんくておもんないわ!」

「ほれはお前の頭がアホやけんじゃわ!」

「お前の方がアホでないか!ほれより、せっかくカラオケあるんやけん歌おうぜ!」

「おっ!ほれもエエなぁ」

僕と同じく最後列に陣取るワタル君とヒカル君の掛け合いにも、割り込む気力がない。相槌すら打てない。僕の様子がおかしいのに気付いたのか、二人ともチラチラと僕を見てくる。大声で「ノリ悪いなぁ」と言われるのも嫌だが、変に気を遣われるのも嫌だ。

 どうしたものかと、再び窓にオデコを軽くぶつけてため息をつくと、村山先生が、

「はーい、静かにしてー!今からガイドさんが色々説明したり案内してくれるけん、ちゃーんと聞くように!」

と、車内全体に響く大きな声で言った。その紹介に応えるように、ピョコッと通路に姿を見せたガイドさんは、マイクを口元に当てて丁寧な口調で話し始めた。身長が高くて、スラッとした細身の女性で、制服のスカートがよく似合う綺麗な人だった。ワタル君とヒカル君は、

「いよッ!待ってましたー!」

「こっちの席に来てくださーい!」

と、一瞬でガイドさんに興味を持っていかれた。ほとんど酔っ払いのオヤジだ。でもおかげで、それ以降二人の視線が僕に向くことはなくなった。二人の単純さを、初めてありがたく感じた。

 大阪城を直に見るのも、通天閣に登るのも初めてだったのに、1日の旅程を終えて旅館に到着した頃には、何も思い出せなかった。確かに感動したし、お母さんが用意してくれた「写ルンです」でたくさん写真も撮った。でもそれは、周りのクラスメートがカメラを構えていたから僕も同じように、というだけの理由だったのかもしれない。

 夜には、恒例の枕投げ大会が行われた。普段の休み時間にやっているドッジボールで使っているボールが枕に変わっただけなのに、皆いつもよりはしゃいでいる。ワタル君が場所を僕の部屋にしたので、逃げ出すわけにもいかず僕も参加した。

 でも、思い切り振りかぶって枕を投げたり、必死に身体をよじって躱したりしていると、嫌なことを考えたり悩んだりしなくて済んだ。そのせいか、いつものドッジボールよりも調子が良く、身体の動きも軽かった。溜まっていたストレスを、枕投げで発散させていたのだろうか。ただ、本当に枕をぶつけたい相手は僕自身なんだと、枕投げが始まる前からずっと気付いていた。

 小一時間ほど続いた枕投げ大会が終わると解散になり、皆それぞれの部屋に帰って行った。僕の部屋のメンバーは、セイちゃんとノブくんとショウタくんだった。上から見ると「田」の字になるように布団を敷き、全員の頭が中心にくるような向きで布団に入った。

真面目で大人しい子ばかりだったので、すぐに寝られるだろうと安心しきっていたが、不意にセイちゃんが声を潜めて言った。

「皆、起きとる?」

すると、その一言を待っていたかのようにノブくんが、

「起きとるよ。まだ寝れんわ」

と答えた。続けてショウタくんも、

「俺もじゃ。誰か、何かおもろい話してくれ」

と言う。順番的に次は僕が口を開く番だったが、何を話していいか分からず、考えるのも億劫になって黙ったままでいた。しばらくは僕の反応を待っていた三人だったが、僕の返事を諦めたのかセイちゃんが、

「なぁなぁ、皆、好きな子おるん?」

と話のネタを振ってきた。今思い付いたというよりも、ずっと誰かとこの話をしたかったんだ、という風な口調だった。そして、

「せっかくやけん、皆で腹割って言い合おうぜ。他の奴らには内緒にするけん」

とさらに誘ってくる。ノブくんとショウタくんは、

「えー、好きな子なぁ・・・」

「言い出しっぺなんやけん、セイちゃんが先に言うてくれよ」

と渋っていたが、言葉ほどには嫌がっていないのが伝わってきた。照明をすべて落とした真っ暗な部屋では誰の顔も見えなかったが、三人とも楽しそうに笑っているのは何となく分かった。

 他の部屋の男子も、こんな話をしているのだろうか。いや、男子だけでなく、女子も。こういう話題は女子の方が好きそうだ。帰りの会の後、「今日は〇〇ちゃんの家でお喋り会しよー」「さんせー!恋バナしよう」などという会話をよく耳にしていた。

 修学旅行の夜は特別だから、男子もこういう話をしたくなるのだろうか。セイちゃんも、「せっかくやけん」と言っていた。でも、僕はちっともそんな気分になれなかった。いつも家で寝る時と同じ。むしろ、誰かの寝言やイビキに眠りを妨げられたくないのでひとりにしてほしいくらいだった。僕は変なヤツ、なんだろうか。

 ふと、ミユキちゃんを修学旅行に誘った時のことを思い出した。僕もあの時、「せっかくやけん」と言って、ミユキちゃんを誘ったのだった。あの時は、なぜミユキちゃんが「行く」と言ってくれないのか分からなかったが、今、その時のミユキちゃんの気持ちが少し分かった。

 「ユウくんは合田さんの事が好きやもんなぁ?」

ミユキちゃんの名前が聞こえ、我に返って思わず「えっ?」と反応してしまった。寝たふりを貫くつもりだったのに。

「合田さんのどこが好きなん?」

「修学旅行来とらんけん、寂しいなぁ」

寂しいのは、確かに寂しい。でも、どこが好きなのかは自分でも分からない。照れや誤魔化しではなく、本当に分からない。そもそも「好き」なのかどうかも・・・

「そんなんちゃうけん!」

ぶっきらぼうに、そう答えるのが精一杯だった。その口調は、自分で意識したわけでもないのに、ミユキちゃんの言い方にそっくりだった。

 2日目も、気分が盛り上がらないまま観光地を巡った。東大寺の大仏様は、予想以上に大きくて迫力もあったし、金閣寺もキンピカ具合が綺麗で、手前の池に写る「逆さ金閣」は何とも言えない趣があった。

 奈良公園で鹿と触れ合った後、お土産を買う時間が設けられた。東大寺の大仏殿を出て南へ数分歩いたところに、土産物の露店が立ち並んでいた。お土産を買うのは両親の分だけだったので、夕飯の後に家族で食べられるものがいいなと思い、お菓子を探した。

お店の中でも一番大きな露店の店先に置かれていたチョコレート菓子が目についた。ポップには、「人気№1!奈良公園名物・鹿の糞チョコ」と書かれている。ワゴンに山積みにされて売られているのは、人気商品だから大々的にPRしているのか、それとも、実は在庫処分のつもりなのだろうか。

自分の捻くれた考えは無視して、お店イチ押しの「鹿の糞チョコ」を一箱買った。お酒が好きなお父さんは意外と甘い物も好きだし、冗談ばかり言うお母さんは商品名も気に入ってくれそうな気がした。きっと今夜の晩ご飯はお母さんがご馳走を作ってくれているはずなので、ご飯の後に早速開けて食べよう。そんなことを考えると、修学旅行の最後の最後でちょっとだけ楽しい気分になった。

我が家の食卓を思い浮かべた後、入れ替わるようにミユキちゃんの家のことが浮かんだ。今夜もひとりでご飯を食べるのだろうか。お母さんが「レンジでチンして食べなさい」とおかずを用意してくれているのだろうか。コンビニの弁当だったら嫌だな。そもそもちゃんとご飯を食べているんだろうか。

いつの間にか、子供が一人暮らしをしているお父さんみたいになってしまった。「勝手な事言わないでよ!」と冷たく言い放つミユキちゃんの姿が、容易に想像できた。「余計な事しないでくれる?」と聞こえるはずのないミユキちゃんの怒声を振り切って、「鹿の糞チョコ」をもう一箱買った。

小学校に到着したのは、夜の7時近かった。学校の駐車場で解散する時に村山先生が、

「家に帰るまでが旅行やけんなー。気ぃ付けて帰るんぞー」

とベタなセリフを口にしたが、ほとんどの子は親が車で迎えに来ていたので、親のほうが真剣な表情でその言葉を受け止めていた。

自宅が近い僕は、歩いて帰った。たった1日空いただけなのに、通学路がひどく懐かしく感じられる。やっと終わったという安堵の思いと、心残りがあるようなモヤモヤした気分が入り混じって、帰り道では深いため息を連発した。

 自宅に着いて玄関を開けると、予想通り美味しそうな匂いが漂ってきた。どうやら今夜は「すき焼き」のようだ。その匂いを追いかけるように、台所の方からお母さんの「おかえりー」という声が聞こえた。通学路と同じように、お母さんの声も懐かしく感じた。歩きながらたくさんため息をついたおかげか、モヤモヤした気分は少し晴れて元気良く「ただいまー!」と応えることができた。

 制服のまま僕がリビングに入ると、それを待ちかねていたかのようにお母さんが、

「修学旅行どうだったで?」

と訊いてきた。正直に答えるなら、「あんまり楽しめんかった」という返事になる。ズルい言い方にすると、「あっという間に終わって、よぉ分からんかった」という、曖昧で、ポジティブにもネガティブにもとれる表現になる。

 でも、お母さんはそんな答えが返ってくるなど夢にも思っていないだろうし、僕の本当の感想を聞くと悲しむはずだ。陽気で明るい、その明るさがたまにうっとおしく感じられることもあるのだが、やはりお母さんにはいつも笑っていてもらいたい。

「メチャクチャ面白かったよ!今度は家族で行きたい!」

息子として、100点満点の答えを返せたと思う。案の定、お母さんは僕が帰宅した時よりもさらに嬉しそうな笑顔になって、

「良かったなぁ。ほな、次の家族旅行は京都にして、ユウくんにガイドさんしてもらおうかな」

と頷きながら言った。その顔を見ると、僕も嬉しくなる。なのに、背中に固い棒が入ったみたいに直立したまま身動きがとれない。それでいて、心はソワソワとして落ち着かなくなる。

よく考えてみると、物心ついてから初めて両親に嘘をついたかもしれない。とてつもなく悪いことをしてしまった気がしたが、「お母さんは喜んでくれたから大丈夫」と、自分に言い聞かせた。誰かを騙すための嘘じゃない。保身のための嘘でもない。誰かを笑顔にするための嘘だって、きっとあるはずだ。

少し肩の荷が下りてホッと一息つくと、お風呂から出たお父さんがリビングに入ってきた。バスタオルで髪をゴシゴシと拭きながらパンツ一丁のまま、

「おう、ユウ帰ったんか。おかえり」

と声を掛けてきた。お父さんにも修学旅行の感想聞かれるだろうな、と思った。さっきお母さんに答えたのと同じ言葉を、同じ言い方で返そう。そう決意を固める僕がいる一方で、自信をもてない僕もいる。でもお父さんは続けて、

「お土産、何買()うてくれたんな?」

と、呑気なことを訊いてきた。ホッとして、というよりもそれを通り越して拍子抜けして、自然と頬が緩んだ。

「チョコレートにしたよ。ご飯の後、皆で食べよう」

と、紙袋に入った「鹿の糞チョコ」を差し出しながら言った。すき焼きの後でチョコレートって・・・少し胃もたれするかな。

 そんな心配をよそにお父さんは、

「おー、美味(うま)そうやなぁ。ネーミングセンスも、さすが関西!って感じやな」

と、両手で賞状を貰う時のように大袈裟に紙袋を受け取った。手渡している僕が恥ずかしくなって照れ笑いを浮かべると、お父さんはソファの横に置いたもう1つの紙袋に気付いた。

「お土産、他にも誰かに()うたんか?」

と、キョトンとした顔で訊いてきた。照れ笑いの顔が恥ずかしさで紅潮し、俯いて何も答えられなかった。すると、ダイニングにすき焼きの鍋を運んできたお母さんが、

「そんなん、一人しかおらんでぇ」

とニヤニヤしながら口を挟んできた。そのにやけ具合で、お母さんが誰のことを言っているのか分かった。そして、それが図星だったので僕は俯いたまま、

「先に風呂入ってくるけん」

と呟くように吐き捨て、そそくさとリビングを出ていった。こういう時に冗談で返せたらなぁと、お母さんを羨ましく思うのだった。

 翌日の土曜日は、ほとんど自分の部屋から出ずに過ごした。本当は、市営団地のミユキちゃんを訪ねて、修学旅行のお土産を渡そうと思っていた。前日の夜、すき焼きを食べて家族で「鹿の糞チョコ」を食べている時に決めたのに、いざ当日になると「よし、行こう」と「やっぱりやめよう」の思いが、まるでヤジロベーのように交互に揺れ動く。そしてその動きは時間が経つにつれ、「やっぱりやめよう」に傾いたままになってしまった。

 今日こそは、と意気込んだ日曜日も、足は新川の市営団地に向かなかった。まだ行ったことはないし、ミユキちゃん以外に住んでいる友達や知り合いもいない。

でも、1年生の頃と違って市営団地に住んでいる人たちにまつわる色々な話を耳にしてきた。息子夫婦に同居を拒否されてひとりで暮らしているおじいさん。両親に育児を放棄された幼い子供とそのおばあちゃん。高校を卒業してすぐに駆け落ち同然に家を出た若いカップル。借金取りに追われて身を隠すようにひっそりと暮らす無職の中年男性。

実際に自分の目でその人たちを見たわけではないので、全てを鵜呑みにすることはできない。ただ、どの世帯も「ワケあり」の人たちが住んでいることは確かだった。「暮らす」や「住む」よりも、「生きている」という言葉の方がしっくりきそうだ。そして、新川の市営団地について語るときは皆、口を揃えて「あそこに住んでる人たちはフツーじゃない」と言うのだった。

フツーって何だろう?ミユキちゃんは新川の市営団地に住んでるから、フツーじゃないのだろうか。ミユキちゃんとお友達になった僕も、フツーじゃないのだろうか。そう思うと、普段何気なく使っていた「フツー」という言葉が、急に嫌な響きに聞こえてきた。朝起きて「おはよう」と言い、夜寝る前に「おやすみ」と言うのがフツー。でも、夜中に働いている人にとっては、朝日が昇る頃に仕事を終えて、夜空に月や星が輝きだす頃に仕事を始める。つまり、朝「おやすみ」を言い、夜「おはよう」を言うのだ。

低学年だった頃の道徳の授業で、「みんなちがって、みんないい」という言葉を何度も教わった。高学年になると、国語の授業で「十人十色」「三者三様」「千差万別」という四字熟語を習った。黒板に先生が書くのをぼんやりと見つめて、やたらと漢数字が多いんだなぁ、と思うだけだったが、今、それらの言葉が持つ深い意味をようやく理解したような気がする。

土曜日の夜から降り出した雨が、午後になっても続いていたので、それを言い訳にしてダラダラと過ごした。雨粒が窓ガラスを叩く音が、早く行け早く行け、と急かしているように聞こえたが、聞こえないふりをした。

 学校で渡す方が恥ずかしいのは分かっているし、教室で渡せば必ず誰かの目に留まってしまう。それがワタル君やヒカル君だったなら・・・と考えるだけで恐ろしい。いっそ「クラスの皆から」ということにしてしまおうか、とも思ってしまう。でも、今さらクラスメート全員と口裏を合わせることなど不可能だし、僕のお小遣いで買ったのに「全員から」と言って渡すのは、やっぱり悔しい。それに、予告も無く家に行ってもミユキちゃんが怒るのは目に見えているし、常識的に考えても失礼だろう。

「明日の帰りに渡そう」

覚悟を決めて、渡す時のセリフをあれこれ考えていると、「これってどんどん先延ばしにして結局渡せんようになるオチちゃう?」という悪い予感がしてきた。そんな予感を胸からこそぎ落とし、ネガティブな考えを頭の中から振り払うために、実際にミユキちゃんに手渡す場面を想像しながら何パターンもセリフを考えた。捕らぬ狸の皮算用にならなければいいのだが。

 翌日、明け方に雨は上がったものの、空は厚い雲に覆われたままだった。降水確率は30%だと、朝の情報番組で言っていた。微妙な数字で、中途半端な数字でもある。降るのか降らないのかはっきりしてくれ、とテレビに映るキャスターに言いたかった。

自宅と学校の距離は300メートルにも満たないが、だからこそ傘を持って行くか行かないかで迷ってしまう。お父さんは「持って行きな」と言うし、お母さんは「いらんのちゃうで」と言う。結局は自分で決めなければいけないのだが、僕の名前は「優しい」の「ユウ」であると同時に、「優柔不断」の「ユウ」でもあるのだ。

でも、今日は全く悩まずに持って行くほうを選べた。ランドセルの中には、教科書よりも大事なモノが入っている。濡らすわけにはいかない。紙袋のまま手に持って行けば、クラスメートにバレてしまう。特に、ワタル君とヒカル君は「何持って来たん?」と興味津々に袋の中身を覗き込んでくるだろう。なんとしても、それだけは避けなければならない。

さらに、昨日お母さんに現像してきてもらった修学旅行先で撮った写真も入れてある。もしも、天地がひっくり返ってミユキちゃんが写真を気に入って「欲しい」と言ったら、どの写真も僕の分しか現像していなかったが、全部あげるつもりだ。

玄関脇の傘立てから傘を取り出すと、見送りに来たお母さんに、

「雨降らんかっても、置き忘れてこんようにしなよ!」

と注意された。雨が降っている時には言われないが、曇りの日に傘を持って行く時には、毎回同じセリフを言われる。これまで傘を無くしたり、どこかに置き忘れたことは1回もないのに、と頬を膨らませたくなるのだが、もしかすると、出発前のお母さんのひと言のおかげで、傘を無くさずに済んでいるのかもしれない。だから、何度同じことを言われても、「うん、分かった。気を付ける」と素直に応えることができるのだった。

入学時にランドセルと一緒に買ってもらった黄色い傘は、3年生か4年生の頃にサイズが合わなくなり、小ぶりの大人用を買ってもらった。大人用だからか、それとも少し値段が高い物を買ったのか、つくりは頑丈で、どれだけ強い風が吹いても今までに親骨は1本も折れていない。小間に藤の花がプリントされた、少し年寄りくさいデザインだったが、ランドセルまですっぽり覆ってくれるぐらい大きくて、ハンドルも持ちやすいので重宝している。

 学校までの道中、雨は降らなかった。傘が荷物になってしまったが、それでも雨が降るよりはマシだ。学校に着いてからも、お土産はランドセルに入れたままだったので、誰にも何も言われずに済んだ。

午前の授業中も、昼休みも、雨は降らなかった。もうこのまま降らずに1日が終わるかと安心しきっていたら、午後の体育の授業中に降り出した。しかも、かなりのドシャ降りだ。雨が降ることを想定していたので、授業は体育館でのバスケットボールだった。おかげで体育が中止になったり、びしょ濡れになったりすることはなかったが、体育館の屋根を打つ雨音は、騒がしくバスケットボールをしていても聞こえるくらい大きく響いていた。

帰りの会が終わっても、雨は降り続いていた。雨脚は多少弱まったものの、窓の外の景色はまだぼんやりと霞んで見える。傘差しながら帰るんだったらお土産ジャマになるなぁ、と思いながらも、とりあえずミユキちゃんの席に向かった。

そういえば、一緒に帰るのはすごく久しぶりだった。修学旅行に誘うのに失敗して、気まずくなったままだ。でも、それは僕が勝手に落ち込んで、悩んで、凹んで、クヨクヨして、あれこれ考え込んでいるだけで、ミユキちゃんの方はなんとも思っていないかもしれない。

「ミユキちゃん、一緒に帰ろう」

予想通り、声は震えて上ずってしまった。それもそうだ。話をするのも久しぶりなのだ。帰り支度をしていたミユキちゃんは振り向いて、声を掛けたのが僕だと分かると、「んー」と語尾を下げ気味に言って、机に向き直った。言ったというか、喉を鳴らすような音だった。でも、それでいつものミユキちゃんだと分かった。気まずさなど感じていない。僕が修学旅行に誘ったことを、もう忘れているのかもしれない。

ミユキちゃんが立ち上がるのを斜め後ろで待っている時、ふと気付いた。今日は帰るのが遅い。いつもは、真っ先に教室を出て行くミユキちゃんを僕が追いかける展開だが、今は僕の方が待っている。こんなことは初めてだ。

ランドセルに教科書をしまう仕草も、ゆったりしている。わざと時間をかけているようにも見える。珍しいなと思い、

「いける?どっか調子悪いん?」

と訊いてみた。でもミユキちゃんは僕の質問には応えず、振り向いてもくれなかった。せっかく心配してあげたのに。でも代わりに、

「雨、まだ降ってるの?」

と、逆に訊いてきた。自分で確かめればいいのに、と思ったが、

「うん。ちょっと弱まったけど、でもまだ降っとる」

と教えてあげた。するとミユキちゃんは、「そっかぁ」と沈むようなため息をついた。これも珍しいことだった。

 普段、特に明るいわけでもポジティブ思考なわけでもないミユキちゃんだが、ため息をついているのはこれまで一度も見たことがない。サバサバしている。アクシデントが起きても、「まっ、いっか」と開き直る。それがもどかしくて、時に迷惑で、でも本音ではちょっぴり羨ましかったりするのだ。

 そんなミユキちゃんが、元気なくため息をついている。何かを心配している様子でもあった。その正体は、並んで歩きだし、玄関で靴を履き替えている時に判明した。

「傘、余ってないかな・・」

ミユキちゃんがポツリと呟いた。僕はしていないけど、たしか急に雨が降った時の緊急時用に「置き傘」をしている子が何人かいたはずだ。

「予備で置いとる子もおると思うけど」

なんで急にこんなことを訊くんだろう、と怪訝に思いながら答えると、ミユキちゃんは、

「1本借りて帰ったらダメかな」

と、消え入りそうな声で言った。

それで、分かった。ミユキちゃんは今日、傘を持って来ていないのだ。降水確率30%を、雨は降らない、と捉えたのだ。いや、天気予報ではなく、自らの目で見上げた雲の様子から、傘は要らないと判断したのかもしれない。なんとなく、そっちの方がミユキちゃんっぽい。

「別に1本ぐらいエエんちゃうん」と思う一方で、「黙って借りるのはアカンよ」とも思う。僕の中で、天使と悪魔が闘っている。

でも、ミユキちゃんは僕の答えを待たずに、

「やっぱりダメだよね、勝手に他人の物持って行っちゃ。ドロボーと同じだもんね」

と、少し笑いながら言う。いつものように開き直ったのか、こんなつまらない発想をしてしまった自分に呆れているのか。答えが分かるから、僕も黙ったまま俯いてしまう。

 こういう時、お母さんが専業主婦だったり、仕事をしていないおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住んでいれば、家に電話を掛けて車で迎えに来てもらえる。でも、ミユキちゃんはお母さんと二人暮らしで、そのお母さんは昼も夜も働いている。学校の行事にも一度も参加できないのに、なんでもない平日にお迎えなど来られるわけがない。

 その時、ふと閃いた。僕がお母さんに迎えに来てもらって、そのままミユキちゃんも家まで送ってあげればいい。お母さんはパートタイムの仕事に出ているが、午後3時には仕事が終わるので、放課後のこの時間にはもう家に帰っている。晴れていれば夕食の買い物に出掛けていたかもしれないが、雨の日にわざわざ行くようなことはない。お母さんは、そういう人だ。

 ヨシッと心の中でガッツポーズをとり、その気分のままミユキちゃんに「ちょっと待っといて」と声を掛けて、電話を借りるために職員室へと駆け出した。

 正直に言うと、お母さんにミユキちゃんを会わせるのは恥ずかしい。ミユキちゃんの愛想の無さにお母さんが腹を立ててしまうかもしれないし、逆に、おしゃべりなお母さんが余計なことを言ってミユキちゃんを不機嫌にさせてしまうかもしれない。ガールフレンドを親に紹介する時はこんな感じなのかなぁと想像すると、背中がこそばゆくなる。

そんな背中のむずがゆさを振り払うために、階段を1段飛ばしで駆け上がり、踊り場でクルッと身体の向きを変えて方向転換すると、不意に別のアイディアが浮かんだ。足を止める。弾む息を深呼吸で整えると、こんがらがった頭の中も気持ちも整理された。

お母さんの車で帰れば、雨に濡れることはない。お母さんをダシに使えば、ミユキちゃんも断りづらくなるだろう。それでも、僕は自分ひとりの力でミユキちゃんの役に立ちたくなった。(きびす)を返し、階段を降りる足取りは、2段飛ばしになった。

玄関に戻るとミユキちゃんに、

「どこ行ってたの?」

と訊かれた。待たされたことにイライラしたのか、少し怒ったような声になっていたので、怯んで決意が揺らぎそうになったが、廊下を走ってきた勢いのまま、

「僕の傘、貸してあげる」

と言った。結構恥ずかしいセリフだったけど、自分でも不思議なほど滑らかに口から出た。ミユキちゃんは、一瞬ビックリしたような顔になり「えっ」と口の形だけで訊き返してきたが、すぐさま、

「はぁ?じゃあ、ユウはどうやって帰るの?濡れちゃうじゃん!バカじゃないの?」

とまくし立てる。

怒っているのに、心配してくれている。心配してくれているのに、怒っている。でも、やっぱり心配してくれていることが嬉しくなり、ついつい頬も緩んでしまう。笑うと、心に余裕も生まれた。

「僕、置き傘しとるん忘れとった。ほなけん、僕はいけるんよ。ミユキちゃん、新川の団地やったら遠いでぇ。傘はまた今度返してくれたらエエけん」

と言い、傘立てから藤の花模様の傘を取り出した。そして、「ちょっとダサいけど」と笑いながらミユキちゃんに差し出した。

 ミユキちゃんは急にソワソワし始めた。落ち着きなく視線もあちこちに飛ぶ。身体を何度もくねらせ、ポニーテールを触りながら、

「ホントに・・・イイの?」

と訊いてきた。僕は大きく頷きながら「でも」と言い、ランドセルを下ろして中から紙袋を取り出した。

「はい、修学旅行のお土産。これ貰ってくれたら、傘も貸してあげる」

 強引なやり方だし、汚い取引だとも思った。ドラマやマンガなら嫌われ者の悪役がやりそうだ。それでも、お母さんのマネをしていたずらっぽく言うと、ミユキちゃんも力が抜けたように「何それ」と笑い、続けて、

「仕方ないから貰ってあげる。ホントはお土産なんて要らないんだからね」

とそっぽを向いて言う。そうそう、これこれ。これがミユキちゃんだ。やっぱりミユキちゃんはこうでなくっちゃ。

 紙袋を手渡し、ランドセルを背負い直した僕は、「じゃあね」とだけミユキちゃんに声を掛け、ダッシュで玄関を飛び出した。

「ちょっと、ユウ!」

ミユキちゃんの声が聞こえたような気がしたけど、振り向かずにスピードを上げた。「置き傘してるんじゃないの?」と怒りながら、それでもやはり心配そうなミユキちゃんの顔が浮かんだので、走りながら振り払った。

 それにしても、最近よく嘘をついている。先日のお母さんに続いて、ミユキちゃんにも初めて嘘をついた。でも、いつかテレビで教育評論家の先生は、「嘘をつくことができるようになることは大人になっている証拠です」と言っていた。だからきっと、お母さんについた嘘と同じように、さっきの嘘も悪い嘘ではないだろうなと思えた。

作戦が上手くいったことを喜んで、ほくそ笑みながら走っていると、先ほどの傘を差し出すシーンを思い出した。我ながらカッコよかったなぁ、と自画自賛の思いに耽った。でも、その直後に気付いた。「今度返してくれたらエエけん」より「返さんでエエけん」の方が良かったかも・・・。お気に入りの傘だが仕方ない。いや、お気に入りだからこそ、「返さなくていい」というセリフの価値が上がるのだ。

「あぁ、やってもうたぁ」と、つい声が漏れてしまう。このあたりの詰めの甘さが、僕らしいと言えば僕らしい。でも、蹴り上げる水しぶきがふくらはぎにピチャピチャとかかる感触が、なんともいえず心地良かった。

翌日は、前日の雨が嘘のように空は綺麗に晴れ渡った。ベッドから出て窓を開けると、神成小学校がいつもより輪郭をくっきりさせて見えた。街に漂っていた埃を、雨が洗い流してくれたようだ。

まだ午前7時過ぎだというのに、太陽が燦燦(さんさん)と照りつける。あちこちに水溜りのできたアスファルトの照り返しもきつい。真夏を思わせるような日差しだ。目をしょぼつかせながら大きく伸びをした。深呼吸をして、胸の中の空気を入れ替えた。

昨日、びしょ濡れになって家に帰ると、お母さんにきつく叱られた。

「傘どないしたん?」

と訊かれたので、

「朝、四つ角んところで友達とふざけて遊んびょったら、そのまま置きっぱなしにしてしもうた」

と答えると、お母さんの怒りはさらにエスカレートしてしまった。火に油を注いでしまう形になったが、それでも、本当のことは言いたくなかった。ミユキちゃんのためではなく、僕自身のために。

 ただ、お母さんは「探してきなさい」とは言わなかった。「風邪引いたらどないするん」と咎める声は、叱るというよりも心配の方が強い口調になっていた。

目を瞑ると、瞼の裏にミユキちゃんの顔が浮かぶ。お母さんとミユキちゃんは似ているような気がした。性別が一緒だとか、顔のパーツがどうのこうのという話ではなく、もっと深いところで二人は同じなんじゃないか、と思った。

学校に着くと、校門の脇にひとりで俯き加減に(たたず)むミユキちゃんが目についた。薄紫色の少し古くさい傘を、両手に大事そうに抱きかかえて。すぐに返してくれようとしていることよりも、その持ち方が嬉しかった。

その嬉しさが消えてしまわないうちに小走りでミユキちゃんの傍に駆け寄り、「ワッ!」とおどけた声を上げた。ミユキちゃんをビックリさせる前に、こんな陽気なイタズラができるなんて、と僕自身が一番驚いた。

俯いていたミユキちゃんは、肩をビクッと跳ね上げて、目を真ん丸に見開いた顔を僕に向けてきた。いつもクールで無表情のミユキちゃんが、こんなに焦って驚いているのは珍しい。初めてかもしれない。また嬉しくなる半面、こういうイタズラを仕掛けてくる友達がいないんだなと、寂しさも込み上げてくる。

でも、その寂しさをグッと呑み込んで、

「おはよー。ビックリした?」

と、顔を覗き込むようにして声を掛けた。当然のように、

「急におっきな声出さないでよ!」

と言いながら、鋭い視線を向けてくる。でも、ほんの一瞬、頬を紅潮させ、恥ずかしがっているような照れているような表情になった。「朝からホントうるさいんだから!」と文句を言う顔も、そんなに怒っているようには見えない。

 さっさと(きびす)を返し、玄関に向かって歩き出すミユキちゃんを小走りで追いかける。

「なぁ、待ってよ。おどかしてゴメン」

返事は、ない。足も、止めない。

「なぁなぁ、チョコ食べた?美味しかった?」

返事は、やっぱりない。足は、少し早歩きになった・・・?

「写真見た?結構エエ感じに撮れとらんかったで?」

これも返事はなかったが、玄関のドアを開く直前、足を止めたミユキちゃんが僕を振り向いた。そして無言のまま、持っていた傘を僕に突き出してきた。ここは拗ねながら「ありがとう」って言うてほしいなぁ、と思いながら受け取ると、ハンドルの部分に黄色いポストイットが張られていることに気付いた。なんだろう、と剥がして見てみると、「有難う」と書かれていた。頭の中に、クエスチョンマークが浮かぶ。

「あり・・・むずう?」

「どういう意味?何かの呪文?」

 ちょっとコレ・・・と顔を上げてミユキちゃんに尋ねようとしたら、すでにミユキちゃんはいなかった。下駄箱の前にもいない。

そんなに急がんでもエエやん、と呆れて薄ら笑いを浮かべていると、後ろから「相原くん、おはよう」と声を掛けられた。低く渋い、大人の男の人の声だった。振り向くと、村山先生だった。

「おはようございます」

と返すと、先生は笑いながら、

「どしたんな、こんな所で突っ立って。()よ行かな、遅れるぞ」

と言って、僕を追い越そうとした。村山先生がドアに手を伸ばした時、僕は咄嗟に「先生!」と声を掛け、呼び止めた。村山先生は「ん?」と顔だけこちらに向けて止まってくれた。

 良いタイミングで来てくれた。どうしようかと悩んでいたところでもあった。村山先生にだったら、素直に訊ける。僕は小さく折りたたんだ黄色いポストイットを広げ直し、それを村山先生に見せながら、

「これ、なんて読むんですか?」

と質問した。村山先生は、

「おー、難しい字を知っとんやなぁ」

と、メガネをクイッと持ち上げながら感心し、続けて、

「これで『ありがとう』って読むんよ。あんまり漢字で書くことはないんやけどな。『当たり前』の反対の言葉が『ありがとう』なんよ。『有ることが難しい』っていう意味で『有難う』やな」

 聞きたかった以上のことを教えてくれて、僕はつい「へー、そうなんじゃー」と相槌を打ち、村山先生とポストイットを交互に見つめる。

村山先生は、授業中によく冗談やおやじギャグを言って僕たちを笑わせる。先生というよりも、酔っ払った親戚のオジサンみたいな人だ。

 でも、今、村山先生の本気を見せつけられたというか、教師としての本当の姿を見た気がした。純粋に尊敬の念が湧き起こってきたし、改めて村山先生が担任で良かったなと思えた。

「ありがとうございました」

お辞儀をして顔を上げると、村山先生は、

「これは合田さんの字やな」

とボソッと呟いて、そのまま校舎の中に入って行った。何十人もの生徒の字を見てきているのに、ミユキちゃんの字が分かるのだろうか。それとも、何か別の方法で推察したのだろうか。どちらにしても、廊下を歩いて遠ざかって行く村山先生の後ろ姿が、何とも言えずカッコ良く見えた。

 村山先生に教えてもらった2つのことを思い出しながら、もう一度ポストイットに目を落とす。こういう感謝のされ方も悪くないなぁ、と思った。

 結局、僕の手元に修学旅行の写真は残らなかった。戻ってこなかった。でも、ちっとも後悔なんてしていない。お母さんには、「早くアルバムに貼っておきなさいよ」と言われて、「分かった、そのうち貼っとく」と応えた。写真が無いことがバレたら、またひどく怒られるだろう。

 でも、最近はお母さんに怒られるのも嫌じゃなくなってきた。幼稚園や小学校低学年の頃、お母さんに優しくされるたびに、僕を守ってくれているんだと思っていた。ただ、今になって考えると、それは守られていたのではなく、甘やかされていただけなんじゃないかと、思う。

 そんなお母さんが、僕を叱る。怒る。それは、僕を一人前の人間だと認めてくれている証なのかもしれない。身長や体重や覚えた漢字の個数ではなく、こういう形で「大人になった」と感じることが「大人になった」ということなのだろう。普段は気にも留めない玄関脇に植えられた紫陽花(あじさい)が、前日の雨粒をキラリと光らせてとても綺麗に見えた。

 藤の花がプリントされたお気に入りの傘が大活躍した梅雨も明け、1学期も残すところあと1日となった。田植えの頃には、あちこちの田んぼからカエルの鳴き声が聞こえてきたが、今は鳴き声の主役が蝉に代わった。

体育館で行われた終業式の最中も、蝉は鳴き続ける。僕たちのように、悲しくて泣くのではなく、「俺はここにいるんだぞ!今、生きてるんだぞ!」と主張しているように鳴く。地上に出て、わずか1週間しか生きられない儚い命を、精一杯使っているのかもしれない。そう考えると、去年までは耳障りで仕方なかった蝉の声が無性に愛おしく感じられた。気付いたら、校長先生のありがたいお話よりも、外で鳴く蝉たちの大合唱に耳を傾けていた。

 終業式が終わって教室に戻ると、簡単な学級会が行われた。学級会と言っても、村山先生が夏休みの過ごし方と宿題について説明し、皆がお待ちかねの通知表を配って終わりという簡単なものだ。村山先生の話の間は、退屈そうな空気が教室に漂いシーンとしていたが、「ほな、今から通知表配るけんなー。出席番号1番の子から取りにおいでー」と言われると、一気に賑やかになった。何十匹いるか分からない蝉の鳴き声にも負けていない。

 出席番号1番のミユキちゃんが席を立ち、教卓に向かう。2番が僕なので、少し早めに席を立ち、「どうだった?」とミユキちゃんの通知表を覗いてみたい。「まぁまぁかな。ユウは?」なんて聞き返してくれたら最高なのだが、そんなことはまず有り得ないだろう。

 そんな妄想を頭の中で繰り広げていると、村山先生に「相原くーん」と、声を掛けられた。教室がドッと沸く。ボーっとしていたせいで、通知表を受け取る瞬間のミユキちゃんの反応も見逃してしまった。

 慌てて席を立ち、小走りで教卓に向かうと、村山先生はニコニコと笑いながら、

「学級委員長ご苦労様でした。勉強も、よぉ頑張っとるけん、2学期もこの調子で頑張ろうな」

と言いながら渡してくれた。カッコつけて、見栄を張って、ポーカーフェイスで、ミユキちゃんみたいにクールに受け取りたかったが、村山先生の優しい言葉に思わず頬が緩んで、にやけ顔になってしまった。もっともそれは、「ユウ!なにニヤニヤしよんなー」というワタル君の冷やかしの声で、初めて自分が笑っているんだと気付いたのだった。

 ハッとして、口を固く結び、表情を引き締めた。その顔のまま、チラリとミユキちゃんの方に目をやると、両手に顎を乗せて窓の外を眺めていた。通知表は、もう机の上にはなかった。

 夏休みは、少年野球の練習と遠征と試合に大半の時間を費やした。真夏の炎天下での野球は本当にキツかったが、それ以上に仲間と一緒に汗と泥にまみれるのは楽しかった。そして、身体を動かしていると、ミユキちゃんのことを考えなくて済む。8月最後の日曜日に開かれる神成町のお祭りに一緒に行きたい、なんていう甘い夢想話も振り払うことができた。

その夢は叶わなかったが、その代わり、毎日必死に練習したおかげで、神成小学校史上最高の成績となる県大会ベスト4という成績を残すことができた。約1ヶ月の間で、ボールの白さが眩しく際立つほどに僕の肌は真っ黒に日焼けしていた。ミユキちゃんは僕の顔見てビックリしてくれるだろうか。やっぱり、ミユキちゃんのことばかり考えてしまうのだった。

2学期になると、すぐに運動会の練習が始まった。9月の中旬を過ぎると、体育の授業だけでなく、他の科目の授業も運動会の練習に充てられるようになった。練習と言っても、8割以上はダンスの振り付けの反復だ。種目は他に、徒競走、玉入れ、綱引き、リレーなので、入退場の流れと整列の形だけ理解していれば、特に練習など必要ないのだ。

そして、6年生のダンスで披露するのは、県の伝統芸能である『阿波おどり』。6年生が運動会で阿波おどりを踊るのが、神成小学校に代々受け継がれる伝統でもある。

毎年、お盆の時期に市の中心地で行われる阿波おどりの観覧には家族で出掛けている。そのため、詳しいルールや細かい動きは分からないが、なんとなく、ぼんやりと、それっぽい踊りはできるつもりでいた。でも、実際にやってみると意外と難しかった。

さらに、ギラギラと照りつける太陽とグラウンドからの照り返しで暑さが倍増する屋外練習でも、蒸し風呂のような体育館で行う室内練習でも、体力の消耗が激しかった。体育は得意だったし、夏休みの野球の練習で暑さには慣れているつもりだったけど、根拠の甘い自信は呆気なくポキポキと折られてしまった。

 クラスの中には、「連」と呼ばれる阿波おどりのチームに所属して、本格的に踊りを指導してもらっている子もいる。僕のように踊りが苦手な子は、そういう上手な子にアドバイスをもらったり、手取り足取り教えてもらったりするのだ。

 勉強も運動も得意な僕は、いつも「教える側」にいた。「ユウくん、教えて!」と頼まれると嬉しくなり、「ユウくん、ありがとう」とお礼を言われるともっと嬉しくなる。

 だが、今は立場が逆転してしまった。誰にでも、得意と不得意がある。だから、お互いに助け合うことが大事なんだということも、理屈では分かっている。でも、悔しい。胸の奥でその理屈を拒否する僕がいる。ただ、これから大人になるにつれて、こういう思いをすることはいっぱいあるんだろうな、ということは、不思議なほどストンと腑に落ちた。

 放課後も一人だけ特訓を受けたおかげで、だんだん僕の阿波おどりもサマになってきて、クラス全体の踊りの中に溶け込んできた。

でも、本当はもうひとり、特訓を受けないといけない子がいる。実際には、その子は運動会の練習には一切参加していないので、この目で踊りの様子を見たわけではないのだが、下手なのは間違いない。ミユキちゃんは県外からやって来て、阿波おどりの経験がないのはもちろん、見たことすらないだろうから。

ある日の帰り道、ミユキちゃんに訊いてみた。

「今年も運動会、出ぇへんの?」

考える間も、迷う素振りもなく「うん」と答える。あなた何言ってるの、と僕の方がおかしなことを言ってしまった空気になる。「小学校の運動会、最後じゃよ?」と確認する声は弱々しくなってしまった。逆にミユキちゃんは明るく、

「知っとるよ。前にもユウに似たようなこと言われたね」

と答える。修学旅行のことだろう。苦い記憶が蘇ってくる。

「なんで運動会出ぇへんの?」

と重ねて訊くと、ミユキちゃんは、

「だって、暑いじゃん」

と、あっさり答える。一問一答、いや、一問即答。

でも、僕も負けない。

「運動会、10月やけんもうそんなに暑ぅないよ」

と返したが、ミユキちゃんは、

「暑くても暑くなくても、晴れでも曇りでも雨でも、ずーっと外にいると、体調悪くなるの。そういう体質なの」

と、本当ならシャレにならない理由を告げた。いや、まさか冗談だろう。無表情で話すミユキちゃんだから、見極めが難しい。将来、女優さんになれば大成するかもしれない。

 短いため息をつくと、ミユキちゃんは話を続けた。

「ま、それは冗談だけど、ホントに最近疲れやすくなったんだよね。()っちゃい段差に躓いたり、手が震えて物落としちゃったりとかもするし、目もぼやけて見えるときもあって。老化かもね」

肩をすくめながら、イタズラがバレた子供のような話し方をするものだから、今度も冗談だろうなと思った。「それにさ」とミユキちゃんは話を進めた。

「もし私が出たら、ユウ、徒競走で1位獲れなくなるじゃん」

「男子は男子だけの組で走るけん、関係ないよ」

「あっ、そうなんだ」

珍しくミユキちゃんが自分の勘違いを認めた。それ以上に、こんなに喋るミユキちゃんも珍しい。

 それぞれの行き先が分かれる十字路に差し掛かると、そのタイミングを待っていたかのように、ミユキちゃんが声を張り上げた。

「よしっ、やっぱり私、運動会出てあげる!」

顔を上げた僕と目が合う直前に「じゃあね」と言って、僕の家の方と反対方向に駆け出して行った。

その後ろ姿を見つめていると、入学式で初めて会った時のことを思い出した。「お友達になってあげる」と言われた。そして今、「運動会に出てあげる」と言われた。相変わらず上から目線やなぁ、全然変わっとらんでぇ、と思う。でも、だからこそ、これは冗談ではないんだろうなと思えた。

その言葉を信じ、翌日からミユキちゃんが運動会の練習に参加するのをドキドキしながら期待して、ワクワクしながら楽しみにしていた。

ところが、ミユキちゃんはこれまでと同じで練習には参加せず、日陰で見学したり、図書室で自習したりして過ごした。やっぱり冗談だったのか。僕が騙されただけか。

怒りなんて湧いてこない。「嘘ついたな」などと本人に文句を言うつもりなんて、これっぽっちも考えていない。何事もなかったかのように、僕はまた、放課後の阿波おどり居残り特訓に黙々と取り組むのだった。

そして、10月最初の日曜日、運動会本番当日。体操服のまま登校した僕が教室のドアを開けると、いるはずのないミユキちゃんの姿が目に飛び込んできた。教室はザワついていた。でもそれは、喜びの溶けたザワつきだった。

ミユキちゃんの席の周りに、女子が何人か集まっている。

「ミユキちゃん、初めての運動会やなぁ」

「ミユキちゃんが出たら、リレーも綱引きも1組に勝てるわぁ」

「ほなけどナツミちゃん、徒競走ミユキちゃんと一緒の組やけん、順位ひとつ下がるんじょ」

「うわー、ホンマじゃー。ミユキちゃん、手加減して走ってよ」

「ほんなんできるわけないでぇ」

「アハハハハハ」

 皆、やっぱり嬉しいのだ。せっかくクラスメートになったのに、ミユキちゃんが学校行事をことごとく欠席することが寂しかったのだ。一足早く少し大人っぽくなった女子だからこそ、今日、ミユキちゃんが運動会に参加する意味を理解し、感動しているのだろう。「女子が一人増えたって、綱引きの結果は変わらんだろ」

「急に来て、阿波おどり踊れるんか」

ブツブツ言うガキ男子連中とは違って。

 村山先生も突然のミユキちゃんの参加に驚き、徒競走の組分けの変更や、リレーの順番の修正でバタバタと慌ただしそうにしていた。加えて、競技のルールや整列の説明もミユキちゃんにしなければならない。でもミユキちゃんは、

「練習をずっと見てたから、分かります」

「徒競走は、最後の組で大丈夫です」

「阿波おどりも家で練習したから踊れます」

と、焦る村山先生とは対照的に、冷静に言った。

 最初は困惑気味だった村山先生だが、ミユキちゃんとのやり取りを終えると、「ケガせんようにな」と微笑み交じりに優しく声を掛けた。ハイ、と応えたミユキちゃんは「あの」と先生を呼び止めて、

「リレーの順番は、ユウの・・・相原くんの前にしてください」

と付け加えた。一瞬キョトンとした村山先生だったが、「分かった」と大きく頷きながら、右手の親指と人差し指でОKマークを作って応えた。

 運動会に相応しい晴天の下、競技は始まった。ミユキちゃんは徒競走でぶっちぎりの1位を獲った。ミユキちゃんが最後の組に回ったことで順位が下がるのを回避できたナツミちゃんは「ミユキちゃん、さすがー」と喜んでいたが、最後の組で最下位になったチカちゃんは本気で泣きだしそうになっていた。ちなみに、僕もトップでゴール。6年連続だ。

 玉入れも綱引きも、1組に快勝。練習では負けることが多かったので、女子たちの言うとおり、ミユキちゃんの加入が大きかったのかもしれない。

 一番不安だった阿波おどりも、僕はなんとかクラスで浮くことなく、手も足も綺麗に周りと合わせることができた。それはそれで十分に嬉しいのだが、どうにも納得いかないのがミユキちゃんの踊りだった。

 初めて踊るというのが信じられないくらい、ミユキちゃんは華麗な踊りを披露した。本当にミユキちゃんには出来ないことがないのか、と悔しくなる一方で、自分のこと以上に嬉しくもなった。

 そして、運動会の花形であり、プログラムのラストを飾る6年生のリレーが始まった。我が6年2組は、1組と抜きつ抜かれつの白熱した攻防を繰り広げていたが、徐々に1組のリードが大きくなっていった。20メートル、いや、30メートルほど差ができているだろうか。一人の走行距離はグラウンド半周。この差は絶望的だ。  

アンカーを任されていた僕は、クラスメートを応援しながらも心の中では「もう無理だな」と諦めていた。1組のアンカー前走者が走り出したので、僕も立ち上がって足首を回したり、軽くジャンプしたりして走りに備えた。

10秒ほど遅れて2組のアンカー前走者も走り始めた。その様子を遠目に眺めていると、その子はグングンと加速していき、差をみるみるうちに縮めていく。忘れていた。2組のアンカー前走者は、ミユキちゃんだった。ミユキちゃんの必死の形相を見ていると、僕の闘志に再び火がついた。これは・・・勝てるかも。

コーナーを回り切った時には、その差はほんの僅かに縮まり、僕と1組のアンカーがバトンを受け取ったのは、ほぼ同時だった。バトンを受け取る瞬間、ミユキちゃんが「ユウ!」と叫んだ。バトンパスの練習は1回もしていなかったけど、元々アンカー前を走る予定だったヒロキくんよりも、ずっとスムーズに受け取ることができた。やっぱり僕たちはお友達だったんだ。いや、こういうのは「相棒」って言うんだっけ。その時ミユキちゃんが口にした「ユウ」は、今までで最高の響きだったし、バトンを渡す瞬間に見せた笑顔は、最高に眩しかった。

 結局、ミユキちゃんが差を帳消しにしてくれたおかげと、1組のアンカーを少し引き離した僕のささやかな貢献でリレー対決も2組が勝利し、綱引きと玉入れも含めて3戦全勝。まさに完勝と言える結果で、運動会は幕を閉じた。

 徒競走で1位になったことや、リレーで1組に逆転勝ちしたことも嬉しかったが、何よりもミユキちゃんと同じ運動会に参加できたことが嬉しかった。一緒に帰ったり、一緒に職員室にプリントを貰いに行くのとは違う、また別の「一緒に」を味わえた。

ずっと「ひとり」だと思っていたミユキちゃんがクラスの輪に入って、クラスのために頑張ってくれた。必死な顔をして走ってくれた。それだけで、僕の胸はキュッと締め付けられ、目頭が熱くなってしまう。

MVPを決めるなら、満場一致でミユキちゃんだろう。もちろん、小学校の運動会にMVPなんて賞はないし、僕も涙を流すのはグッと堪えたのだけれど。

「車に乗せてあげる」という両親の誘いを断って、ミユキちゃんと一緒に歩いて帰った。ミユキちゃんの顔色が少し悪かったので、心配になって「車で一緒に帰る?」と訊いてみたが、「大丈夫。今日も一緒に歩いて帰ろう」と言われたのだ。初めてミユキちゃんの方から誘ってくれたことに舞い上がってしまい、ミユキちゃんの体調のことはもう頭の中から消え去っていた。

歩きながら先に口を開いたのは、ミユキちゃんだった。

「疲れたけど面白かったね。1組にも全部勝ったし」

「練習では結構負けよったんやけどなぁ」

「私とユウが一緒のチームなら、無敵じゃない?」

一緒、という言葉にドキッとする。でも、そんな胸の高鳴りを抑えつけるようにミユキちゃんはすかさず、

「あっ、ユウはどっちでもいっか。私だけで、最強」

と、悪だくみを思い付いたアニメのキャラみたいにクククっと笑いながら言った。

バカにされているのは分かっている。でも、嬉しい。どんな形であれ、ミユキちゃんが笑ってくれているから。ずっと笑っていればいいのに。もっと正直に言うならば、ずっと笑っていてほしい。でも、それを本人に伝えてしまうと、もう二度とミユキちゃんの笑顔を見られなくなるような気がするので、絶対に言わない。

返す言葉に詰まった僕は、話題を変えたくて、

「運動会、出て良かった?」

と訊いてみた。でも、本音ではこれを1番に知りたかった。そしてその答えを、思いを、ミユキちゃんの言葉で聞きたかった。

 それまでテンポ良く喋っていたミユキちゃんだったが、答えに窮してしまった。いつもなら、「そんなの知らない」か「ユウには関係ないでしょ」のどちらかが即座に返されるところだ。だが、今は違う。真剣に考えてくれている。

 長い沈黙が続く。でも、僕は答えを促したりはしない。ただ黙って待つ。たとえ、いつも分かれる十字路に来ても、市営団地までついて行ってでも、絶対に聞く。そう決めた。

 すると、ミユキちゃんが少し足を速めて前に出た。そして、空を見上げながら、

「うん、良い思い出になった。誘ってくれてありがとね」

と言った。「思い出」という言い方が少し気になったが、素直に嬉しかった。照れて、恥ずかしくもなる。競技中は紅白帽子をかぶっていたのであまり目立たなかったが、ポニーテールを結ぶ真っ赤なリボンが、今は存在感を増している。ミユキちゃんは続けて、今度は少し寂しそうに、

「修学旅行も、行けば良かった」

と呟いた。声が震えた・・・ような気がした。鼻を啜った・・・ような気もした。

僕は慌てて、というより、思わず声を張り上げた。

「まだ間に合うよ!僕、今度家族で京都に遊びに行くんよ!冬休みか、中学校に上がる前の春休みか、分からんけど、行くんよ!ほなけん、その時ミユキちゃんも一緒に行こうだ!」

ミユキちゃんは空を見上げたまま、何も応えない。それでも構わない。「行かない」と言われても、気にしたり落ち込んだりもしない。僕の素直な思いを伝えられたし、考えられるベストな言葉を掛けられたと思うから。

ミユキちゃんは両頬を手で軽く撫でてから、ようやく僕を振り向いた。涙の痕は見えなかったが、その目はうっすら赤くなったままだった。そして、精一杯の明るい声色で「ありがと」と言って、ニコッと笑った。でもそれは、寂しそうな笑顔だった。

これでは足りない、と思った僕は、右手の小指を突き出して、「指切り」と言った。さすがに今度は「何それ」と呆れられ、「カッコ悪いから、嫌」とそっぽを向かれてしまった。

 ミユキちゃんはそのまま話を切り上げて歩き出した。僕はそれを小走りで追いかけて、ミユキちゃんの右手を掴んだ。そして、勝手に、強引に小指を立てさせて指切りをした。ミユキちゃんはビックリして、その後キョトンとして、僕の小指と繋がった自分の小指をじっと見つめた。でも、その指を(ほど)こうとはしなかった。

 指切りなんて、いつぶりだろう。小学生になってからは初めてかもしれない。僕が知っている指切りは、リズムに乗せて「指切りげんまん、嘘付いたら針千本飲ます、指切った」と言うのだが、ミユキちゃんが前にいた街ではどんな言い方をするのだろう。一緒だと嬉しいけど、もし違う言葉だったとしても、ミユキちゃんから新しい「指切り」を教えてもらえるのなら、それも嬉しい。そして、ミユキちゃんは最後にいつ、誰と指切りをしたのだろう。

 手を上下に軽く振りながら、リズムに合わせて指切りの歌を口にするのは恥ずかしかったので、「約束」とだけ言った。ミユキちゃんの目を、まっすぐに見つめて。ミユキちゃんは短いため息をついて、「仕方ないなぁ」という呆れ笑いとともにコクンと頷いた。でも、ため息をついたせいで胸の奥から別の感情が込み上げてきたのか、その笑顔はだんだん歪んでいく。頷く回数も2回、3回と増えて、止まらなくなった。肩を震わせて、嗚咽が漏れる。ミユキちゃんの足元に、水滴がポタポタと落ちる。

 ミユキちゃんは嗚咽を必死に押し殺して、再び「ありがと」と言った。少し間をおいて、ゴメンね、とも付け加えた。

「謝らんでエエよ」

照れ隠しに、今まで口にしたことがないぐらい素っ気なく返した。いつもと立場が逆転してしまったみたいで、思わず「アレ?今僕が喋った?」と僕自身に問い(ただ)したくなった。でも、照れ隠しで素っ気ないからこそ、本気の思いでもあった。本当はその後に、「僕たち、友達なんやけん」と言いたかった。

僕は黙って首を横に振る。目元を左腕でゴシゴシと拭って、ミユキちゃんはもう一度「ありがと」と言い、ようやく小指を離して、僕に背中を向けて駆けて行った。

最後の「ありがと」は声になって僕の耳に届いたわけではなく、口の動きが僕にはそう見えただけだ。でも、ずっと後になって、僕が全てを知ってから、思う。あの時ミユキちゃんが言いたかったのは、「ありがと」ではなく、「サヨナラ」だったんだと。

 その日以降、ミユキちゃんは学校を休み続けた。特別な行事があったわけではない。村山先生の話によると、風邪を引いて寝込んでいるらしい。クラスの女子たちは口々に、

「運動会で疲れてしもたんかもなぁ」

「季節の変わり目やしなぁ」

「ただの風邪だったら、いっぱい食べていっぱい寝たらすぐに良ぉなるわ」

と、心配しながらも少しホッとしたように言っていた。

 でも、皆はミユキちゃんの家庭環境をきっと知らない。ミユキちゃんのお母さんは、ちゃんとお医者さんに連れて行ってくれたのだろうか。仕事を休んで、栄養のあるご飯を作って、傍で看病してくれているのだろうか。結局、運動会が行われた週は1日も学校に来なかった。

翌週の月曜日も欠席だった。いてもたってもいられなくなって、僕は放課後に新川の市営団地を訪ねてみることにした。一度帰宅してから、お母さんに事情を話して市営団地の場所を教えてもらった。「車で送って行ってあげようか」と言われたが、断った。なんとなく、ひとりで行かないと意味がないんだと思えた。

玄関で靴を履いていると、再びお母さんが「ユウ」と声を掛けてきた。振り向くと、500円玉を1枚差し出してきた。硬貨を見つめた後、視線をお母さんに戻すと、

「ジュースとかゼリーとか、買って行ってあげなさい」

と、真面目な顔で言ってきた。ミユキちゃんの話題の時はたいてい茶化してくるのに、今の表情は真剣そのものだった。僕は無言で頷いて、勢いよくドアを開けて、勢いよく駆け出した。

 小さくなったマウンテンバイクを、全力で漕いだ。何度も何度も立ち漕ぎをした。途中でコンビニに寄って、スポーツドリンクと、普段は買わない少し高級なプリンを買った。プリンには砂糖も卵も使われているので、栄養たっぷりなのだ。高級なら高級なだけ、栄養もたくさん入っているんだ、と思い込んだ。信じた。

 20分ほどかけて、右折と左折を繰り返し、踏切を渡って、小さな丘陵地を上って下りて、ようやく市営団地に到着した。5階建ての棟が2つ。棟と棟の間には遊具付きの公園があったが、ほとんど誰も遊ばないのだろう、雑草が地面を覆いつくしていた。

 無事に団地に辿り着いたことにホッと胸を撫で下ろすも、すぐにまた別の問題が立ちはだかる。僕はミユキちゃんが何号室に住んでいるのかを知らなかった。誰かに聞きたかったが、敷地内に人影は見当たらない。管理人がいるような、そんなシステムのしっかりした団地でもなさそうだ。何階?そもそも、どっちの棟?村山先生に訊いておけば良かった。

 でも、今さらクヨクヨしても仕方ない。ジタバタしても遅い。アレコレ考える暇もない。僕は郵便受けを片っ端から見て回り、「合田」の文字を探した。

 A棟には見つからなかった。B棟1階、無い。2階、3階、4階、無い。残るは5階のみ。ワンフロアには7世帯が入居しているのだが、501号室から506号室までは別の人の名前だった。最後の一部屋。胸の前で両手を合わせて、目を瞑って神頼みをした。ひとつ大きな息をついてから、目を開ける。507号室の郵便受けは、空白になっていた。

 もう一度A棟の101号室から確認してみたが、やっぱり「合田」の名前は無かった。セールスや勧誘が来ないように、ネームプレートを外してあるだけだろうかと思い、階段でB棟5階まで上がり、507号室の扉をノックしてみた。返事はない。中に人のいる気配もしない。やけに重厚そうな鉄の扉は、コンコンっと軽くノックしただけでも音が外廊下に響き、振動は僕の手にも余韻を残した。

ミユキちゃんがいなくなったかもしれない、という不安を少しでも、そして一刻も早く取り除きたくて、しばらく部屋の前で待ってみた。廊下の手すりに体重を預けて身を乗り出すと、神成町が一望できた。12年間、この町で生きてきたが、こんな風に町を見るのは初めてだった。

稲刈りの終わった田んぼが見える。スピードが遅いわりに走行音のうるさい1両編成のワンマン列車が今、駅のホームに入ってきた。普段はなんとも思わない風景が、今は無性に寂しく見える。ミユキちゃんは、ここから神成町を見渡したことがあったのだろうか。もしあるのならば、心には一体何が浮かんでいたんだろう。

午後6時を過ぎて夕陽が沈みかけた頃、階段の方から足音が聞こえた。もしかして、と振り向くと、全然知らないオバサンだった。期待した分、落胆も大きい。形だけの会釈で挨拶をすると、頭を下げるのと同時にガクンっと肩も落ちてしまった。オバサンも会釈を返してくれたが、チラチラと何度も僕の様子を伺っていた。完全に不審者扱いされている。家の中に入るとすぐにでもお巡りさんに電話を掛けそうな雰囲気だった。

そんなのはゴメンだ、と僕は咄嗟に「あの」とオバサンに声を掛けた。

「ここに・・・507号室に合田さんっていう人、住んでないですか?」

オバサンの目から、まだ訝しさは消えない。

「僕、小学校で同じクラスなんです。先週からずっと風邪で学校休んでるので、お見舞いに来たんですけど・・・」

ようやくオバサンは警戒心を解いてくれたようだが、今度は憐れむような目で僕を見てきた。そして、その表情のまま、

「合田さんなら、昨日引っ越して出て行ったじょ。どこに行ったかまでは分からんけどな」

と言った。オバサンの言葉は、耳を通り抜けて直接脳に突き刺さった。

 なんで?何も言ってなかったのに。運動会であんなに必死に走って、あんなに楽しそうに笑っとったのに。

言葉に詰まる。息も詰まる。頭は真っ白になって、その場に倒れてしまいそうになった。するとオバサンは続けて、

「ほなけんど、アンタ優しいなぁ。あんな子のお見舞いに来るやなんて」

と言った。「あんな子」という言い方に、我に返った。グッと足に力を入れて、フラつく身体を支えた。僕が応える前にオバサンは、

「挨拶も全然せぇへんし、こっちが話し掛けてあげてもロクに返事もせぇへんし。いっつもムスッとして感じも悪かったなぁ。引っ越してくれて良かったわ」

と、鼻を鳴らして微かに笑いながら言った。感じの良い笑い方ではなかった。

正直、まだ僕の頭はシャンとしてはいなかったが、オバサンの口調と表情から、ミユキちゃんを(けな)していることだけは分かった。怒りが沸々と腹の底から湧いてきて・・・と感じる間もなく僕は、

「うっさいわ、クソババア!お前にミユキちゃんの何が分かるんな!このボケが!」

と叫び、オバサンの脇をダッシュで駆け抜けた。ほとんど無意識だったが、ミユキちゃんを悪く言われて悔しくなったことだけ、はっきりと覚えている。

知らない大人に、あんな言葉遣いをしたのは初めてだった。もしかしたら、友達にも言ったことはないかもしれない。考えて口にしたのではなく、言葉が勝手に口をついて出てきた。酷い言葉だし、失礼な言い方だった。それは認める。でも、僕は絶対にあのオバサンには謝らない。

翌日、教室に入る前に職員室に向かった。村山先生に、昨日のオバサンから聞いた話を伝え、その真偽を確かめた。一晩経って少しは冷静になれたつもりだったが、村山先生のたじろぐ様子からすると、問い詰めるような言い方をしてしまったのかもしれない。村山先生は、こんなことを教えてくれた。

 ミユキちゃんは、幼い頃から重い病を患っていた。今まで特に目立った症状は出ていなかったのだが、2学期が始まった頃から疲れやすくなったり目が見えにくくなったりしていた。

ジュウショウキンムリョクショウ‐重症筋無力症。

日本の指定難病のひとつで、神経筋接合部と呼ばれる神経と筋肉のつなぎ目が破壊されることで生じる。約3万人の患者がいて、割合的には女性に多い。喋りづらくなる、物が飲み込みにくくなる、などの嚥下に関する症状が現れることもあり、重症化すると呼吸困難に陥る。基本的には薬を飲めば症状が治まるのだが、重症化すると手術を受ける場合がある。

ミユキちゃんは運動会の翌日、受診した大学病院で手術が必要と診断された。比較的予後は良く、すぐに命を奪われてしまうような病気ではない。ただ不幸にも、その手術の実績のあるお医者さんが、僕の住む県にはいないらしい。だから、有名なお医者さんに手術をしてもらうために、ミユキちゃんは遠い遠い街へ引っ越して行ったのだった。

 難しい病気の話は分からない。ミユキちゃんがいなくなってしまった、という事実だけが僕を押しつぶすように背中にのしかかっていた。僕は茫然としながらも村山先生に、

「また・・・帰って来るんですか?」

と訊いた。村山先生は、「えっ?」と驚いたような顔になった。予想外の質問だったのだろう。僕はもう一度、

「ミユキちゃんは・・・また・・・神成町に・・・・帰って来てくれるんですか?」

と繰り返した。絞り出すように声を出す。たったこれだけの言葉で、ハァハァと息が上がる。

 村山先生は、「そうか、そうじゃよな」と納得したように頬を緩め、首を左右に振りながら、

「残念やけど、たぶんもう合田さんは神成町には戻って来んと思う。お母さんが、市役所に転出届も出したって言よったし、手術の後も、その先生に診てもらうために定期的に通院せなアカンらしい。急な話で先生もビックリしたし、ちゃんとお別れできんかったけん寂しいんやけどな」

 村山先生も、日曜日にミユキちゃんのお母さんから電話で告げられたらしい。それまでは、何も聞かされていなかったという。

神成町に引っ越してきて以来、ミユキちゃんの身体のことは小学校の先生にも言っていなかった。ミユキちゃんは、お父さんが亡くなった時に声を張り上げて号泣した。次の日も、そのまた次の日も。目から流れる涙は止まっても、泣き声を上げ続けた。泣くことを止めてしまうと、お父さんに申し訳ないと幼いながらに、いや、本能的に感じていたのかもしれない。長い時間をかけて、ようやく心に落ち着きを取り戻した。そして、その時に誓った。

‐もう、泣かない。

‐天国でお父さんが心配しないように、強い子になる。

だから、いつもクールに淡々と過ごした。同情されるのが嫌だったから、病気のことや家族のことは誰にも言わなかった。

 運動会に参加するよう水を向けた日のことを思い出す。ミユキちゃんは確かに、「最近身体の調子が悪い」と言っていた。学校には休まず来ていたし、学校生活でもそんな素振りは全く見せていなかった。だから、冗談だと思った。

 でも本当はそうではなかったのだ。誰にも言えなかったことを、僕にだけ伝えようとしてくれていた。ミユキちゃんが勇気を振り絞って届けようとしてくれた、心の叫びだったのだ。それを僕は・・・。

 悲しくて、自分自身が腹立たしくて、寂しくて、悔しい。それらをひっくるめて、「後悔」と呼ぶのだろうか。ミユキちゃんがいなくなって、初めて気付いた。いや、実は出会った瞬間から分かっていたのかもしれない。ミユキちゃんは「仲の良いクラスメート」ではなく、「大切な異性」なんだということに。

 それからの日々は、あっという間に流れていった。抜け殻になった僕の横を音も色もなく、ただすり抜けていくだけだった。

ミユキちゃんが目の前からいなくなった。それが寂しくて、悲しい事だというのは分かっている。悲しいと、泣く。当たり前の事だ。なのに今、涙は全然流れてこない。自分の胸にぽっかりと空いた穴と、教室にポツンとひとつだけある空席、ついこの前までミユキちゃんが座っていた座席が、僕の心の喪失感を表しているようだった。

 3学期。小学校生活最後の学期。僕は学級委員長を辞退した。選挙での獲得票数はトップだったが、引き受ける気にはならなかった。入学時から続いていた記録が途切れたが、もうそんなことはどうでもよかった。女子の委員長がミユキちゃんじゃないから・・・かどうかは僕にも分からない。

 卒業を間近に控えた、3月末のある日。僕はひとりで新川の市営団地を訪れた。B棟507号室の郵便受けには、もう新しい住人のネームプレートが貼られていた。僕が罵声をぶつけたオバサンに会うのを恐れながらも、階段で5階まで上がった。初めて来た時と同じように507号室の部屋の前に立つと、扉の錆が増えているような気がした。

くるりと身体の向きを変え、神成町を見渡してみた。上がってくるまでは気付かなかったが、風が強い。もう、春がすぐそこまで来ているのだろう。吹きつける風に思わず目を瞑ると、懐かしい人の顔が浮かび上がった。ミユキちゃんがこの町で過ごした日々は、幸せだったのだろうか。

 お父さんにお願いすれば、職場の同僚からミユキちゃんがどこに引っ越したのかを聞き出せるかもしれない。近くなら会いに行くし、それが叶わないほど遠くなら手紙を出したい。でも、僕は何も頼むつもりはない。ミユキちゃんが何も言わずに去って行ったのなら、それがきっと答えなのだろう。

言いたいことはいっぱいあるし、聞きたいことはもっといっぱいある。僕のことをもっと知ってほしかったし、ミユキちゃんのことをもっともっと知りたかった。でも、思いは胸に溜まっていく一方で、どこにも吐き出せない。大声で叫びたい衝動に駆られる半面、この気持ちを伝えようとすればするほど、本当に言いたいことからどんどん遠ざかってしまう気もする。

僕にできることは、ただ一つだけだ。ミユキちゃんが幸せに過ごせるように願う。これまでも、今も、そしてこれからも。ずっと、ずーっと。ミユキちゃんと離ればなれになって、その想いはより強く、より深くなった。

ミユキちゃんが引っ越して、僕は初めての涙を流した。風に煽られて舞う桜の花びらが、僕の頬にピタッと張り付く。本当に、もうすぐ春になる。そして僕は中学生になり、一歩、大人に近付く。

 卒業式。6年2組の出席者は29名で、僕は最前列の1番右、出席番号1番の席に座ることになった。でも、予行演習で実際にその席に着くと「なんか違うなぁ」と思った。理屈ではうまくまとめられないが、感覚的に、そこには絶対座ってはいけないような気がした。

 村山先生にお願いして、パイプ椅子を1つ追加してもらった。そして、僕は左にひと席ずれて、入学式と同じ席に着いた。皮肉なもので、小学1年生の頃は、右端の席にあれほど座りたかったのに、今は自らその席を空けようとしている。でも、これでいいんだよな。

 さすがに卒業証書は用意してもらえなかったが、卒業生の呼名の際にミユキちゃんの名前を呼んでもらうことは認めてもらえた。たぶん、村山先生は何度も校長先生に頭を下げてお願いしてくれたんだと思う。僕が目指すべき大人の姿が、ここにある。

 僕が読み上げる卒業生代表の答辞の中にも、ミユキちゃんの名前を入れさせてもらった。本来ならこの答辞は、ミユキちゃんこそが読むに相応しいものだ。彼女の存在を式参加者に伝えるのは当然だろう。ミユキちゃんが知ったら怒るだろうか。それとも、素っ気なく「どうでも良いよ」と言うだろうか。久しぶりに怒られたいとも思うし、冷たく突き放すように言われたい気もする。

 卒業式の後、お父さんとお母さんと一緒に校門脇に立てられた看板の前で写真を撮った。僕が修学旅行に持って行ったインスタントカメラではなく、最新のデジカメだった。お父さんとのツーショット、お母さんとのツーショット、三人のショット、そして、僕のソロ。お母さんは僕よりも嬉しそうな笑顔で、お父さんは何故か感極まって泣いてしまった。主役は僕なんやけどなぁ、と思っていたが、周りにいた先生や友達のお父さんは「分かりますよ」という表情で頷きながら僕のお父さんを見つめていた。

 お父さんとお母さんも自宅から徒歩で来ていたので、帰りは三人で歩いて帰った。いつも歩いていた通学路だが、今日で最後になるのかと思うと切なくなる。僕を真ん中にして並んで歩いていると、お父さんが涙の名残りのある声で、

「ユウも大きぃなったなぁ」

と言った。僕は最初、身長の話かと思った。確かに、もう少しでお父さんと目線を合わせられるようになるし、お母さんの背は夏休みの終わり頃に追い抜いていた。

「今、165.3センチ」

僕が応えると、お父さんは笑いながら、

「ハハハ。0.3っていうところがエエなぁ、細かくて」

と言う。恥ずかしくなった僕は、少しムキになって、

「ほなって、毎日身長変わるんやもん。チョットでも大きい方がエエし」

と返した。するとお父さんは「分かる分かる」と頷いてくれた。そして続けて、

「でも今の話は身長だけのこととちゃうんよ。身体も大きぃなったけど、心とか考え方とか、ぜーんぶ大人になったよ、ユウは」

と言ってくれた。いつもなら冗談を挟んでくるお母さんも、隣で黙って頷くだけだった。鼻を啜る音が何度か聞こえたので、もしかしたら泣いているのかもしれない。

 僕は気付かないフリをしてお母さんに、

「デジカメの写真、僕が一人で写っとるヤツは2枚プリントアウトしてな」

とお願いした。お母さんは目元を手で軽く拭いながら、

「何枚印刷しても、男前にはならんよ」

と、ようやく、いつもの本領を発揮してきた。

 それを聞いていたお父さんは、

「何言よんな、ユウはお父さんに似てイケメンでないか。今日の卒業式でも、一番目立っとったぞ。チョベリグだったぞ」

と言い返す。チョベリグ。超ベリーグッド。普段は口数の少ないお父さんが、無理をして若者言葉を使い、親バカ発言を繰り返す。お父さんも、僕の卒業を喜んで舞い上がっているのかもしれない。

 話を写真に戻したお母さんに、「誰かにあげるん?」と訊かれた。僕は、うん、とだけ答えた。お母さんは僕の肩を揺すりながら、

「誰にあげるんよー。白状しなさい」

とおどける。お父さんも、

「おー、もう彼女ができたんか。3枚でも4枚でも印刷したるぞ」

と便乗してくる。僕は呆れて、でも少し嬉しくなって、

「内緒」

と言った。するとお父さんとお母さんはほとんど同時に、

「ユウもいっちょ前になったもんやなぁ」

「生意気!」

と声を上げた。

思わず、フフフ、と照れ笑いが浮かんだ。目のやりばに困って空を見上げた。運動会の日と同じように、卒業式に相応しい、雲一つない快晴だった。

ミユキちゃん。僕は今日、小学校を卒業したよ。手術は無事に終わったんかな。引っ越した街の小学校はどんな感じ?卒業式には参加できた?

ミユキちゃん、僕は今、幸せです。

ミユキちゃん、君は今、幸せですか?

 あれから24年が過ぎた。僕は高校卒業を機に上京し、東京の大学に通った。そのまま東京で就職し、結婚して二人の女の子のパパにもなった。今、36歳。ゴールデンウイークを利用して久しぶりに故郷に帰って来た。

先週、4月最後の日曜日に長女の幼稚園の運動会が行われた。最近は、春に運動会を実施する学校が増えているらしい。確かに、9月の残暑が厳しい中での練習を回避できるし、新学期なので運動会の練習を通じて新しい友達もできるかもしれない。理には適っている。時代は変わっていく。僕を取り巻く世界も、変わっていく。

親子競技の大玉転がしに参加したのだが、全力疾走したわけでもないのに最後の最後で派手に転倒してしまった。その時にできた擦り傷はズキズキと痛むし、全身の筋肉痛は未だに残っている。長女の美奈は「パパ、超ダサい」と辛辣な言葉を浴びせてくる。身体の痛みより、むしろその言葉に胸が痛む。逆に次女の幸奈は「パパ、大丈夫?」と心配してくれる。その優しさが、胸の痛みを癒してくれる。

「小学生の頃、パパはクラスの男子で1番走るのが速かったんだぞ」と教えてやると、美奈は信じてくれるだろうか。でも、もっと速い女の子がいたことを話すと、これも信じてもらえないだろうか。あるいは、「すごーい」と言ってその女の子を尊敬してくれるだろうか。

美奈の「ミ」と幸奈の「ユキ」。命名の由来は、妻の彩香には話していない。きっと、これからも話すことはないだろう。

 故郷に新しくできたデパートに4人で出掛けた。周りに大きな建物がない分、東京にもある同じデパートが、東京で見るよりも大きくて豪華に見えた。館内を歩く人の数も、東京に比べると桁が一つ二つ少ないので快適に買い物ができた。

 買い物を終えて出口に向かって歩いていると、前方から僕たちと同じような家族連れが歩いてきた。両親と、子供が二人。お母さんらしき女性は、車椅子に乗っている。子供の年齢は美奈と幸奈と変わらなそうだったが、うちと違って子供は二人とも男の子だった。弟の方は、お母さんの膝の上で抱かれていたが、お兄ちゃんはお父さんと一緒に車椅子を押していた。甘えん坊さんとしっかり者の兄弟なのだろう。

 すれ違いざま、奥さんの方が会釈をしてきた。知り合いだろうかと思い、同じように会釈を返した後チラリと顔を盗み見た。目は合わなかったが、口元が僅かに微笑んでいた。どこかで見覚えのある顔だった。それも、大人になった今の顔ではなく、もっと幼かった頃の面影を残しているような・・・。

 まさか、と思い、僕は慌てて振り向いた。ちょうどお父さんとお兄ちゃんが雑貨屋へ入って行くところだった。押し手のいなくなった車椅子の背面に、綺麗なポニーテールが目に入る。その結び目には真っ赤なリボンが、咲き誇るバラのように飾り付けられている。

戻って声を掛けようか。一瞬考えた。でも、一歩足を踏み出したところで、やっぱりやめておこう、と思い直した。すれ違ったのはミユキちゃんかもしれないし、ミユキちゃんではないかもしれない。それで良い。それが良い。ミユキちゃんが今、神成町で暮らしているかもしれない、それだけで「明日から頑張ろう」と思えた。ミユキちゃんは、今、幸せなんだと決めつけた。

彩香に「どうしたの?」と声を掛けられた。僕は再び(きびす)を返して歩き出しながら、

「ううん。知り合いかと思ったけど、人違いだった」

と答えた。彩香は冗談めかして、

「ちょっと、何よー。もしかして初恋の人だったりして?」

と言ってきた。女の勘は鋭い。幸奈が僕の腕を引っ張りながら、

「ねぇねぇ、『はつこい』ってなーに?」

と訊いてくる。初恋っていうのはね、と子供にも分かるように教えようとしたら、美奈が先に答えた。

「『はつこい』っていうのはね、初めて好きになった人のことなんだよ。そうだよね、パパ?」

どこでそんな言葉を覚えたんだよ、と呆れる一方で、娘の成長を嬉しくも思う。僕は、

「そうだよ。美奈は物知りだなぁ」

と褒めてやった。幸奈も、

「おねえちゃん、すごーい」

と、拍手までしながら感心したが、美奈はそっぽを向いて、

「別に。こんなのフツーだよ。知ってて当たり前」

と素っ気なく応える。成長は嬉しいが、少しこまっしゃくれている気がしないでもない。でも、その口調や仕草に懐かしさを感じた。

二人の掛け合いを微笑み交じりに見つめた後、軽く目を閉じる。暗闇に、ポニーテールと真っ赤なリボンが浮かび上がる。やがてその風景は、揺れて、滲んで、歪んで、はじけた。

僕は心の中で、そっと呟く。

「おかえり、相棒」


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