春の終わりに
あの事件から数年。三人は別々の進路に行き、それぞれの道を歩んでいました。
その後私は会社員となり、27歳になったある日、中学校の同窓会に呼ばれます。
そこには懐かしい面々が揃っており、あの藤井も参加していました。
そこで私は藤井から中三の春休みの話を聞き、
忘れてはならない大事な出来事を、全て思い出しました。
あの夜の話にはまだ続きがあったのです。
私たちが寺から必死に逃げ出した次の日、藤井の体に異変が起きます。
朝から体が怠く、熱を測るとなんと40度の高熱。
すぐさま病院に連れて行かれたそうですが、インフルでもなく、
また、色々と調べるのですが全くの原因不明。地元の病院ではダメだということで
少し離れた大学病院にも連れて行かれたそうなのですが、
そこでも原因を特定できず、八方塞がりになってしまいます。
病院側から処方された解熱剤を服用しても一向に熱は下がらず、
日が経つに連れて熱だけではなく足や手の指が段々と赤みを帯びて
腫れあがってきたそうです。そこで藤井はしかたなく両親にあの夜の出来事を
話したそうなんですが、この時の藤井は男前で、寺事件の直後に田岡と話し合い
「寺に入ったのは俺たち二人だけだ、だから宗徳がいたことは内緒にしよう」と
約束していたらしく、両親に話すときも私がいたことを黙ってくれていたそうです。
話を聞いた両親は翌朝、藁にも縋る思いで近くの神社へと藤井を連れて行き、
そこでお祓いを受けさせようとします。
しかし、神社へ向かう道中、その神社に近づけば近づくほど
息が苦しくなります。更に、体の腫れもどんどん大きく、酷くなっていき、
「流石に死を覚悟した」と言っていました。何とか意識を飛ばさないように
堪えていると、やっと神社にたどり着き、急いで両親が藤井を車から出すと
神主さんが慌てた様子で表から出てきて、藤井を見るなり、
「今からすぐ対処しますので、客室で待たれていてください」と
言って両親を中へ案内します。あとから神主に聞いた話によると、
藤井達家族がこの神社に近づいていることが、鋭い悪寒と共に
伝わってきたとのことでした。そして藤井と神主は別の場所に行き、
「少し記憶が曖昧だけど本殿の方へ案内されたはず」と言っていました。
そこで部屋の中央で藤井は寝かされ、神主がご神体の方を向き何か祝詞の様な
ものを唱えていたそうです。所謂、お祓いの儀式が始まると一気に
全身が沸騰したように熱くなります。あまりの苦しさに藤井が思わず
叫ぶと、神主さんが「苦しいのは効いている証拠、もう少しの辛抱です」と
言ってきます。それからは全身火で焼かれたように熱くなったり、
真冬の海に入れられたかの様に寒くなったり、頭を万力で擦り潰されるような
痛みが襲ってきたと言います。何度も襲い掛かってくる拷問の様な苦しさに
藤井は耐え切れず、そのまま気を失ってしまいます。それからしばらくして、
どのくらいの時間が経ったのか、藤井が目を覚ますとそこには神主と
両親がいました。先程いた本殿から場所を移し別の場所で寝かされていた
そうですが、起きてみると体が随分と軽くなり、全身に広がっていた
腫れも無くなっている事に気づいたそうです。
その様子を見た神主さんが安心したように
ホッと溜息をつくと、今回の事について説明を始めてくれたそうです。
神主さんが言うには神社で行う「お祓い」とは本来、霊を払うものではなく
その人自身が持っている穢れや罪を浄化して、元の神聖な状態にすることを差すのだ
そうで、今回藤井君自身には霊は取りついておらず、あの箱の中にいた霊が放った
気による霊障だったとのことでした。なので今回はお祓いによってその
霊障を剥がし、気を浄化することで対処したそうです。しかし憑りつかれても
いないのに霊障だけでこれほどの影響を及ぼすものは珍しく、
もし霊本体が憑りついていたら、どうすることもできなかった。と言われたそうです。
そこまで説明を聞いたとき、藤井はとても嫌な予感がしたそうです。
その後、両親が神主さんにお礼を言って、その日は帰ることにします。
神社を出るともうすっかり夜になっていました。
家についてすぐ、藤井が田岡の家に電話を掛けます。
この時、田岡はまだ自分用の携帯を持っていませんでした。
すると田岡の母親が電話に出てくれて、
「ちょうど良かった。明日直接話したいことがあるので、来てほしい」と
言われたそうです。次の日、田岡の家に行くと母親はおらず、
代わりに父親が明るく出迎えてくれたそうです。
その後リビングに案内されるとそこで、「昨日妻が言ってたことだけどね」と
言って話し始めました。
田岡家では、毎週近くの「○〇の湯」という銭湯に行ってサウナを楽しむ
習慣がありました。寺の箱事件から一日経った次の日も、そのサウナの日でした。
まだ明るい昼の事、平日に入ったこの銭湯には客がおらず、
二人の貸し切り状態でした。父親は田岡と一緒に男風呂に入り、
同じ浴槽でまず疲れを取っていました。そこで田岡が我慢できなかったのか
父親に先日「やこ山」で聞いた不気味な声や、その山にまつわる村の伝承を
話して来たそうです。すると父親は、息子の口から聞くその話が面白かったらしく、
興味深々で聞いていたそうなんですが、それが嬉しかったのか田岡は、
遂に話すつもりが無かった昨夜の出来事まで話してしまいます。
それを聞いたとき、父親は少し怒りそうになったらしいのですが
「まあ、お父さんも若いころは色々やったもんだよ」と言い
「だがもうやめとけよ?あとお母さんには絶対言うなよ?」と言って笑って
許したそうです。そんな会話した後、そろそろ行こうかと言って二人はサウナ
に入ります。20分ほど入って体を温め、出てすぐ水風呂に入り外気浴。
これを4回ほど繰り返したあと、最後にするかと言ってサウナに入ると
サウナ室の中にあるTVに田岡が夢中になってしまいます。
20分ほど経って父親が「もう出るぞ」と田岡を連れ出そうとしますが、
田岡は「もうちょっと」と言って出ようとしません。「そうか」と言って
父親は先に出たそうなんですが、扉を閉めたその時、地震が発生します。
と言ってもこの時の揺れは震度3にも満たない小さな地震。
少しだけ驚いたそうですが、なんてことはなかったそうで、
そのまま水風呂に入ります。
しかし、その判断が後に父親を後悔させます。
水風呂にも満足し、そろそろ外気浴にするかと思ったころ、
まだ息子が出てこないことを心配した父親は扉越しにサウナの様子を見ます。
しかし、蒸気が立って中が良く見えません。
仕方なく、扉に手をかけて開けようとするのですが何故か扉が開きません。
「おかしい」と思って扉をよく見ると、扉が歪んでロックされていました。
実はこの銭湯、何年も前から営業をしており所々老朽化が進んでいたのですが、
改築する費用が無いということで手を付けられていない場所が数か所あり、
その一つがこのサウナ室でした。普通ならなんてことはない震度2程度の地震。
しかしその少しの揺れが原因となって扉が歪みロックされ、
中に田岡が閉じ込められてしまったのです。
父親が叫びます。「おい!!○○!!大丈夫か!!」すると扉の向こうから
小さく「熱い…」と聞こえてきます。先ほどの楽しい家族団らんは一変します。
「今から助けを呼ぶから待ってろ!!絶対死ぬなよ!!」
と言って急いで更衣室に行き、119番でレスキューを呼びます。ロビーに戻り
周囲を見ますがまだ母親は出てきておらず、
受付へ行って店員に今の状況を伝えます。すると慌てた様子の店員が奥の事務所から
4,5人男手を呼んできて、皆でサウナ室に向かいます。
店員の男たちと協力して扉を開けようと必死になりますが、
押しても引いても全く動く気配がありません。そうこうしていると
レスキュー隊が到着し、「危ないですから離れてください」と言ってサウナ室の前を占拠します。
一人の隊員が丸鋸を持ってサウナ室の扉を破壊していきます。
この時父親は息子の無事を必死で祈っていたそうです。
それから数秒、扉は完全に破壊され中へレスキュー隊員が突入。
すると中から意識を失い、ぐったりとなった田岡がレスキュー隊によって
運び出されます。そのまま止まることなく風呂場を出て外へと向かっていきます。
それに父親もついていきロビーに出ると母親が風呂から上がっていました。
レスキュー隊に運ばれる息子、後に続く父親。それを見た母親は血相を変えて
父親に詰め寄ります。「何があったの!?」そう自分の妻に言われたとき、
父親は、言葉では言い表しようのない感情に襲われ、
ただ「ごめん…。ごめん…。」と繰り返すことしか出来なかったそうです。
そのまま二人は一緒に救急車に乗り、病院へと向かいます。
この時父親は「なぜ、地震の後すぐにサウナの中を見なかったのか」と
後悔してもしきれない思いに苛まれていたそうです。
病院についてすぐ、田岡は集中治療室へと運ばれます。
両親はその扉の外で待たされ、交わす言葉もなく、
ただジッと待つしかなかったそうです。
どれくらいの時間が経ったのか、しばらくするとガチャっと扉から
一人の医者が出てきます。両親は祈る様な目で医者を見つめ、
母親がやっとの思いで「どうですか?」と聞くと医者からは
「一命は取り留めました。しかし意識は戻らず、油断できない状況です」と
伝えられたそうです。
ここまで田岡の父親が話してくれた後、
藤井はジワジワと寺に行った事を後悔し始めます。
そして「それで今、田岡君はどこに?」と聞くと
「今はまだ病院にいて、意識も戻っていない」と明かされます。
それに続けて「藤井君、俺は幽霊なんて信じたことはないが、
もし、もし息子が死んだら、俺は君を絶対に許せない」と言われたそうです。
父親としてもそんな霊的なものが原因とは思っていなかったのでしょう。
しかし、あまりの偶然が重なり、そして自分が助けられなかったという
重圧に押しつぶされそうになり、心にもないことを藤井に言ってしまったのだと
思います。しかし、当時中学3年生の藤井にはその言葉が重く、
のしかかってきたと言います。そして何より藤井は神主から
「もし霊本体が憑りついていたら、どうすることも出来なかった」という
言葉を聞いています。藤井自身、「どうしてあの時寺に行くのを
やめなかったんだろう」と強く後悔したそうです。
しばらく沈黙が流れた後、父親の携帯が鳴ります。「ちょっと待ってて」と言って
父親はリビングを出て通話を始めます。数分経ってリビングに戻ってくると
父親が藤井に「一緒に病院に行こう」と言います。
それから車に乗せてもらい、病院に向かうのですが父親は全くの無言。
重い空気が流れたまま病院に着き、そのまま病室へと案内されたそうです。
すると中で待っていたのは、白い布を被された田岡の姿でした。
藤井が言うには、その日の記憶はここで途切れて無くなっているそうです。
これが寺の箱事件の真相です。
田岡が亡くなった次の日、藤井から連絡があり私も通夜に参加しました。
その時の記憶は曖昧ですが藤井によるとその時の私は
「現実が受け止められない」といった様子だったらしく、
葬式の場でもただ茫然としていたそうです。
ここからは後日談ですが、今回登場した銭湯。
要は死亡事故を起こしているわけです。しかし、銭湯側はこれ以上経営が
傾いてはマズいと田岡家に示談を求め、事の隠蔽を謀ろうとします。
しかし、それを田岡の両親が受け入れるはずもなく、両者間で裁判になります。
結果裁判所の言い分は「老朽化の事実は確かにあるが、営業停止命令が出るほどの
ものではなく、今回の事故は銭湯側の過失ではなく天災による事故」と判断され、
銭湯側は無罪の判決を受けます。ですがその後、田岡の両親がそれを不服として
上告します。今であればこうした事件はSNSを主として拡散され、
被害者家族が世間を味方に付けることも出来ますが、当時はまだそうでもなく、
その後裁判は泥沼化します。そうした最中、なんと次の判決が出るまでに
この「○○の湯」が営業不振により倒産。すると銭湯の経営責任者が失踪。
結果裁判自体は田岡家の勝訴に終わるのですが
相手は責任追及から逃れてしまいます。
この時TVでは地元の地方局が閉店したことをニュースで取り上げましたが、
裁判については触れず。田岡の両親はやり場のない怒りや悲しみを抱えたまま、
この事件は終わってしまいます。
さて、ここまで私の話を聞いてくれてありがとうございました。
いかがだったでしょうか。私自身は霊的なものは全く信じていません。
藤井の謎の高熱や田岡の事故も、本人たちは全く悪くないと考えています。
しかし、あの夜寺に入った藤井は原因不明の病気にかかり、
箱を破った田岡が事故に遭い遺族が報われなかったというのは事実です。
こう思うのはどうかと思いますが、あの夜、寺に入らなくてよかったと
思わずにはいられません。今読んでいるあなたも
「まさかこんな結末になるとは。」と驚かれたかもしれません。
念のため言っておきますが、今回の事件について調べようとするのは
呉々もお控えください。
被害者遺族の為にも、そっとしておいて貰えると助かります。
今回はあくまで、誰にも言えなかった心の底を皆さまに独白したかっただけです。
それでは。
本内容は、場所や個人の特定を避けるため、偽名や僅かな嘘を織り込ませていただきました。