第二話 拘束されざる檻
──白い天井。
視界が、にじむ。
まばたき一つで、世界がぐらついた。
(……どこだ、ここ……)
右腕に点滴。左手の甲には、バンソウコウ。
ベッドのシーツは真っ白で、窓際のカーテンが小さく揺れていた。
夢じゃ、ない。
でも──生きてるのか、これ。
「っ……飛鳥は──」
反射的に体を起こした瞬間、
視界の端に、影が揺れた。
──黒服。
黒ずくめの男たちが、部屋の四隅に静かに立っていた。
まるで、そこに最初から“設置”されていた監視装置のように。
動かず、しゃべらず、瞬きひとつしない。
胸元に手を組み、無機質な視線だけが、俺を刺していた。
腕には、何か光る金属──ブレスレットのようなものが、淡く点滅していた。
淡い青い光。ゆっくり、でも脈を打つように光っている。
呼吸するみたいに。
……不気味だった。
「おはよう、秋月朔夜くん」
その声がしたとき、俺は心臓を跳ねさせた。
カーテンの向こうから、一人の男が現れた。
スーツ姿。柔らかい声。表情は笑ってるようで、笑っていない。
「だれだよ……あんた……ここ、どこだ……飛鳥は……!?」
男はポケットから、銀色のバッジを取り出して見せた。
不思議な記号が刻まれている。
見たことのない構造。魔法陣でも、宗教の印でもない。
けど──なぜか、ゾッとした。
「国家律法管理特務第二局。観察官の三野です」
それが男の名だった。
けれど、三野も、その背後に立っている黒服たちも、異様だ。
どいつもこいつも、殺し屋か軍人みたいな目をしている。
アクセサリーのようなデバイスが、どこかしら光っていた。
指輪、腕輪、ネックレスの下。全部が、うっすらと光をまとっている。
それが、なにかの合図に見えて、気持ちが悪かった。
「今日は少し、君にお話を伺いに来ました」
「……話? 何の……飛鳥は無事なのかよ!?」
「申し訳ありません。君からの質問には一切お答えできません」
その瞬間、空気が一気に冷えた気がした。
「本日、午前八時五十二分。
千代田区内にて、都営バスが爆発・横転。死者五名。重傷六名。
現場には、魔術構文の痕跡は検出されませんでした」
「待てって……俺は──」
「朔夜くん。
君にはこの事件の原因に、何か心当たりがありますか?」
「──あるわけないだろ!」
「では、なぜ君だけが──」
三野が言いかけたとき、
彼の背後にいた黒服が、わずかに首を傾けた。
その手元。指先のひとつが、ゆっくり動いていた。
何かの操作。何かの、起動。
(……やばい)
なぜかそう思った。根拠なんてない。ただ、体が反応した。
「……なぜ、君だけが“無傷”で発見されたのか。
バスの“内部”から」
その言葉が、頭に突き刺さった。
思い出すな──そう思った。
でも、遅かった。
血の匂い。焼け焦げた布の臭い。
耳鳴り。誰かの叫び声──飛鳥の、声。
砕けたガラスが顔をかすめて、何かが胸に当たった。
肺が潰れるような圧迫。
世界が傾いた。天井が迫ってくる。
(……ダメだ。これ、死ぬ)
意識が暗転する、その最後の瞬間、
“誰かの声”が頭の奥に届いて──そこで、ぷつりとすべてが、途切れた。
「──っ!」
「落ち着きなさい!」
腕を掴まれた。
三野の顔が目の前にあった。
目は笑っていない。けれど、口元だけは妙に整っていた。
まるで、マネキンみたいに。
「君は、今ここにいる。大丈夫だ。冷静に、ね」
(──冷静? 何が……?)
(だって、俺──)
「ふむ」
三野はいつの間にか立ち上がり、腕時計を見ていた。
「……今日は、このくらいにしておきましょうか。
続きは、また明日」
「待てよ! 帰らせろ! 家に帰りたいんだよ、俺は!」
「……そうですね。
別に、君を拘束するつもりはありません」
そう言って、彼はふっと笑った。
優しげな、だけど空虚な笑みだった。
「我々は君を“お願い”という形で保護しているだけです。
ですが──」
彼は背後の一人に、名前を呼んだ。
「久我くん」
呼ばれた黒服が、俺のベッドの周囲に一歩進み出る。
青白く光る指輪を、静かに掲げた。
──光が、浮かび上がる。
ベッドの周囲に、細かい線と記号のような模様。
空中に、文字のようなものがちらちらと揺れた。
囲まれた。
囲まれた──という感覚だけが、身体を包む。
「おっと。触らない方がいいよ。
うっかり割ると、怪我するかもしれないからね」
三野は歩き出す。
扉の前で、ふと振り返る。
「朔夜君。
──秋月という名が、何を意味するのか。
本当に、わかっていないのか?」
わからない。
なんの話をしているのか、本当に。
「……まあいい。
もし協力してくれる気があるなら、
明日また、この病室でお会いしましょう」
そう言い残して、三野は出ていった。
黒服たちも、誰ひとり声を発さず、あとに続いた。
最後に出ていった男、久我だけが、一瞬だけこちらを見て、
まるで、見送りでもするように、小さく頷いた──が。
その目には、感情のかわりに命令だけが宿っているように見えた。
◆
──静かになった。
黒服たちの足音が遠ざかっていく。
その瞬間、空気の密度がふっと変わった。
まるで、それまで止まっていた時間が、やっと動き出したかのように。
ゆっくり、息を吐く。
「……っは……」
肩で呼吸していたことに気づく。
手のひらはじっとりと汗で濡れていて、
心臓が、まだ“逃げろ”と叫び続けていた。
さっきの奴ら。
三野とかいうスーツ男。あれはまだマシな方だった。
あの黒服たち……あれは本物だった。人間じゃない、ってくらいに。
「……飛鳥……」
ぽつりと名前が口をついて出た。
あいつは無事なのか?
そもそも、俺はなんで生きてる?
あの時、確かに──死んだはず、なんじゃ……
頭が混乱して、思考がぐるぐると渦を巻く。
これは全部夢か? あんな事故、嘘じゃないのか?
──でも。
視界の隅に、青白い光がちらついた。
青白い記号群が、いつのまにかベッドをひとつの“檻”に変えていた。
夢じゃない。これが、現実の証拠だった。
(……帰らなきゃ)
はっきりと、そう思った。
ここにいてはいけない。
あいつらは──言葉の裏に何かを隠してる。
従順に待ってたら、絶対に戻れなくなる。
飛鳥の無事だって、誰も教えてくれないなら、
自分で確かめに行くしかない。
もう一度、光に目をやる。
ぼんやりと漂う青い光。
……結界──的なやつだよな。
指を伸ばしかけて、止まる。
頭に浮かぶのは、あの男の言葉。
『……触らない方がいい。怪我するかもしれないからね』
口調は優しげだったが、
その“かもしれない”の中に含まれている可能性が、
冗談に思えなかった。
俺は、結界の縁に目を向ける。
ぼんやりと、だが呼吸するように脈打つ光が、ベッドの足元を縁取っていた。
(……これ、マジで触ったら終わるやつじゃ──)
でも。
それでも、ここに留まるわけにはいかない。
(……帰らなきゃ)
覚悟を決めて、拳を握った。
「……関係ねぇ」
そう呟いて、思いきり腕を振り抜く。
指先が、青白い結界の縁に差しかかる──その瞬間、
スッと──
何の手応えもなく、拳が通り抜けた。
波紋も、反動もない。
空気の密度すら変わらない。
光の粒子は、ただ霧のように揺れて、散った。
「……は?」
まるで、そこに最初から“壁”などなかったように。
俺の存在だけを、最初から認識していなかったかのように。
拳を握ったまま、硬直する。
「……なんで──」
『拘束するつもりはありません』
三野の言葉が、頭の中でリフレインする。
……そういうことか。
拘束なんか、最初からしてない。
してないけど、した“フリ”をしてた。
つまり──ただの脅し。
「……くそ……だまされた……」
でも、今ので気づかれたかもしれない。
いや、あの黒服たちなら、最初から分かってて放置してた可能性すらある。
だったら──ここで迷ってる時間はない。
急いで身支度を整える。
ベッドの脇に置かれていた鞄と上着。スマホはある。財布もある。
まるで──何事もなかったかのように揃っていた。
(本当に……“拘束”なんて、する気なかったんだ)
それが逆に怖かった。
鞄を肩にかけ、俺はゆっくりとドアの前に立つ。
手を伸ばしかけて──止まった。
(……本当に、開くのか?)
自分の手のひらを見下ろす。
さっき、結界は俺に反応しなかった。
けど──このドアは?
開けた瞬間、何かが起こるんじゃないかという予感が、背中をざわつかせた。
(……でも、行くしかない)
ドアノブに、静かに触れる。
カチャ──という感触も、ガチャ──という抵抗もない。
ただ、重さも音もなく、ドアは開いた。
ほんの少しの風が、室内に流れ込んでくる。
誰もいない廊下。けれど、その空気には──
たしかに“外”の匂いがあった。
「誰も......見張りはいないのか」
(……出ていいってことかよ)
それが「許されたこと」なのか、「試されている」のか、わからない。
けれど──もう、後には戻れない気がした。
* * *
【次回予告】
やっと見つけました、朔夜様。
だけど──ちょっと遅かったみたいで!?
家に帰ったら、なんかヘン。空気も音も、おかしすぎ。
……嫌な予感は、たいてい当たるんです。
私が間に合わなかったせいで……ごめんなさい。でも!
ここからは、もう誰にも触れさせない。
あなたの影として、私は“そこ”に立ちます。
次回、『 第三話 影、帰還す』
“影法師”の意味、ちゃんと見せてあげます──!
……ようやく会えますね、朔夜様。
読了ありがとうございます!
いや〜、朔夜くん……
黒服に囲まれ、スーツのおじさん(?)に絡まれ、さっそく“選ばれて”しまってますね。
本日、がんばってたくさん投稿してます!
まだの方は、第一話&プロローグもぜひチェックしてみてください。
このあと【第三話】も投稿予定です!
ついにヒロイン登場の気配......!
動き出します……どうぞお楽しみに!