第一話 選ばれざる継承者
──大日本を覆う“鎖国魔法・天岩戸”
──天皇により管理されし、神律の防壁
──それが音によって破られ──
──って、そんなの信じるかよ。
ぽちっ、とマウスをクリックしてスクロール。
画面には、相変わらずのテンションで陰謀論を展開する書き込みの山。
『【悲報】また結界に亀裂、アメリカの音魔法が起源説』
『なぜ原爆は魔術を突破できたのか、米国との密約が明らかに!?』
『魔法大戦で東京湾に沈んだ“もう一つの国会議事堂”、ついに発見か!?』
「いや“発見か”じゃなくて、沈んでないだろ普通に」
思わず口に出してツッコミを入れてしまった。
画面の右上には、「魔法史総合/日本最強スレ Part.641」とある。
──秋月朔夜。
男子高校生、陰謀板常連(ROM専)。
特別な力なんて、ない……はずだった。
もちろん信じてるわけじゃない。
こんなもん、都市伝説と与太話のオンパレードだ。
ただ──
「“鎖国魔法・天岩戸”か……。笑える。でも、ちょっとだけ燃えるなコレ」
ふと、視線をモニターの外に向ける。
机の端。
埃をかぶったままのデジタルカメラが転がっている。
レンズのフタは外れて、液晶には「バッテリーを充電してください」の文字がずっと居座っていた。
その隣には、一冊のノート。
表紙にはボールペンで『うちゅうのはしっこにある神社のはなし』と書かれている。
書き始めたのは、小学校の自由研究──の、はずだった。
ページをめくると、ところどころに貼られた切り抜きと、手書きの地図。
何度も書き足した痕跡があるのに、
最後のページは白紙のまま、なぜか破られている。
「……片付けろって言われるわけだよな」
ぼそっと言って、ノートを閉じた。
「ごはんできたよー!」
階下から、母さんの声が響く。
「はーい」
モニターを閉じ、スリープ音が部屋にひとつだけ残る。
立ち上がると、六畳の部屋はやけに広く感じた。
布団はきちんと畳まれているのに、
部屋全体には、何かを待っているような“空白”があった。
俺の“今”って、たぶんそういうものだ。
◆
階段を降りると、いつもの食卓があった。
昭和の残り香が漂うダイニングキッチン。
炊きたての白米と、味噌汁と、ちょっと焦げた焼き鮭。
父さんは新聞を読みながら、すでに黙々と食べている。
「今日、終業式だろう?」
新聞の向こうから、低い声だけが飛んできた。
「うん。昼には帰ってくる」
「もう二年になるんだ、進路、考えなきゃな」
「……まあ、そろそろね」
「大学か、就職か。
何がしたいとか、まだ決まってないのか?」
「決まってないっていうか……ピンとこないというか」
「だったら、選べるようにしておけ。選べないと、誰かに決められるぞ」
「はーい」
言いながら、ご飯をかきこむ。
選ぶ、ってそんなに簡単じゃない。
未来の選択って、そもそも“誰がどこまで決めていいもんなんだろう”って、時々思う。
「大学はともかく、就職は厳しい。
公務員試験の倍率も上がってる。資格も考えた方がいい。
まあ、あとは……民間に行くならAI系だな」
「AIねぇ……」
適当な相槌を打つ。
AI。資格。進路。未来。
どれも現実で、必要で、俺の“明日”に直結してる話だ。
だけど、いまいちピンとこない。
「ちゃんと荷物まとめて帰ってくるのよー。
春休み入ったら部屋片付けるって言ってたでしょ?」
母さんが味噌汁を差し出してくれた。
「言ってないけど……了解っす」
母さんは「言ったわよ」と笑っていた。
これが、俺の日常。
つつがなく、正しく、予定通りに流れていく日々。
──その奥底で、
ずっと何かが、聞こえるような気がしていた。
◆
玄関で靴を履いて、ドアを開ける。
風が、少し冷たい。
空は薄曇り。冬の残り香が、ほんのり残っている。
だけど、地面には春の兆しが確かにあった。
通学路は、今日も変わらない。
コンクリの坂、電柱、コンビニ前のカーブミラー。
信号を渡った先、いつものバス停が見えてくる。
そこに──いた。
「おっせーぞ、朔夜!」
腕を振りながら駆けてくるのは、村雲飛鳥。
俺のクラスメイトで、たぶん一番“体温が高い”男。
「別に遅れてねーだろ。まだ発車五分前だし」
「いや、俺のテンションがスタートしてたから遅刻。
つーか聞いてくれよ、“日本の電波塔って実は魔力塔だった説”が昨夜また更新されててさ──」
「朝からそれかよ」
「おう!朝こそ陰謀のゴールデンタイム!」
俺は笑う。
ほんと、こういうときだけは感心する。
「で、なんて書いてあったの?」
「"スカイツリーの頂上にだけ、なぜか鳥が止まらない”って。
だから中に結界石があるって。で、ソースは“俺”」
「お前かよ」
「違う違う、俺“じゃない”俺。要するに、限りなく俺。」
飛鳥は得意げに親指を立てて見せる。
なんかこう──
馬鹿だと思う。でも、それが救いだ。
バスがゆっくりと停留所に入ってくる。
「行こうぜ」と言って、俺たちは並んで乗り込んだ。
車内は、少しひんやりしていて、ほどよく空いていた。
並んで座ると、飛鳥が急に真顔で言う。
「なあ朔夜、春っていいよな」
「お前、言いそうなセリフがおじさんなんだよ」
「違うって、空気が軽くなるだろ?
寒いのが抜けて、景色もやわらかくなってさ。
なんか、“始まる”感じ、するじゃん?」
「……まあ、言いたいことはわかる」
「だろ?
……だからまあ、今日もいい日になるっしょ」
飛鳥はそう言って、窓の外を指差した。
朝日が、雲の合間からひとかけらだけ差し込んで、
バスの中を、ほんの一瞬だけ明るく照らした。
街が流れる。
遠くのビル、電線、広告、街路樹。
どれも、予定通りにそこにある。
その「予定通り」に、俺もちゃんと含まれてることが──
最近、少しだけ息苦しく感じるときがある。
「……なあ、飛鳥。さ、仮にさ、“自分の生きてる世界が作り物だったら”って考えたことある?」
「なんだそれ。いやまあ、あるけど。アレだろ?マトリックス的な」
「うん、まあ。でも俺さ、“作り物の方がありがたい”って思っちゃうときあってさ」
「はは。お前、なんか文学的だな。でも、まあわかる気もするぜ。
俺も通知表がゼロだったら“これは夢です”って思いたいもん」
「お前のゼロは現実だろ」
「え、マジで?……ま、人生そんなもんよ!」
俺は笑った。
世界がウソでも、本物でも、
飛鳥みたいなバカが横にいれば、たぶん俺は笑えるんだと思う。
──そのときだった。
耳の奥で、“音”がした。
カァァン……という、乾いた金属音。
「……なんか言った?」
「ん? 何も。今、マジで電柱数えてっから」
「......ならいい」
たぶん気のせいだ。
いや、きっと、そうだ。
カァァァァァァァァァン……
──……──ンンン……
「おい飛鳥、やっぱり何かヘン──っ!」
世界が、横に、滑った。
次の瞬間、
バスが跳ねた。
空気が裂けたような音がした。
車体が浮き、斜めに傾き、誰かの叫び声が飛び交った。
ガラスが砕け、何かが俺の頬をかすめていく。
視界が──光の粒で満たされる。
世界の重力が、どこにもなかった。
宙を舞うランドセル。曲がった手すり。
破れた窓から、ひらひらと入ってくる桜の花びら。
そして、ゆっくりと、バスは横転した。
世界が、ぐるりと反転する。
視界の端でガラスの破片が太ももに刺さっているのが見える。
腕は折れていた。手が、自分のじゃないみたいにぶらぶらしている。
血が、音もなく床を濡らしていく。
(……ああ)
(これ──)
「──これ、死んだわ」
誰かの声が聞こえた気がした。
それが俺のものだったかどうかは、もうわからない。
視界が白くなる。
その向こうで、小さな神社の鳥居が見えた──ような気がした。
──なんだ?
なにか、別の思考が、
俺の中に入り込んでくるのを感じる。
冷たくて、遠くて、
それでいて、なぜか懐かしいような、声。
『……確認。該当素体、再接続。構文、適合。起動準備完了──』
──やめろ、誰だ。
『ID※※※※※: “秋月”を継承──』
(ああ──これ、)
(ほんとうに──)
世界が、音を立てて、暗転した。
* * *
【次回予告】
白い天井。知らない天井──!?
目を覚ました朔夜様を待っていたのは、なぜか黒服たちの無言の“歓迎”でした!
しかも現れたのは、スーツの怪しいおじさん!?
“少しだけお話を”って、どこが“少し”なんですかっ!
背中がムズムズする、青白い光がちらつく、
これって……“ふつう”じゃなくないですか!?
次回、『第二話 拘束されざる檻』
静かすぎる病室で、
朔夜様が最初に見つけたのは、“鍵のない檻”でした──っ!
......朔夜様、大丈夫でしょうか。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
この第一話から、いよいよ朔夜くんの“日常崩壊”が始まります。
ちなみに──
この作品には、ちょっとカタめの【プロローグ】も同時公開中!
「魔法国家・日本の裏側ってなに?」という方向けに、秋月世界の成り立ちを少し語ってます。
気になる方は、ぜひそちらもチェックしてみてくださいね!
このあとも更新予定ですので、引き続きお付き合いいただければ嬉しいです!