エピローグ3
薄汚れた身体は早くキレイにサッパリしたい。汗と砂埃に塗れた姿ではアクアパッツァに足を踏み入れるのも躊躇する。
しかも、仕込みすらままならない夕方の開店前では迷惑にも程がある。
「ワガママに付き合わせて悪かったのう。して、そんな怖い顔をしなさんな」
真っすぐ帰るつもりのボクとレナより先に、フェイリアの誘いを即答したのはクリス先生だった。ボクとレナでも断らなかっただろうけど。
「改めてイーノについては迷惑をかけた。以前ワシが迷宮から脱出してから魔物襲撃騒ぎや街の復興に気を取られてしまい、存在をすっかり忘れておった」
たった一晩だけの騒動は今でも尾を引いている。子供を預かる安全な場所であったエスカレア特別区での失態に不安を覚える生徒の一部は、未だに戻ってきていない。
「迷宮探索ゲームがなければ、地底で機能停止していたイーノを……文字通り寝た子を起こすことはなかったじゃろう。手間を取らせたことは素直に詫びる」
車椅子に座ったままであることを考慮しても、深々と頭を垂れたのは最大限の誠意。それでも依然としてクリス先生の表情は硬いまま。
「で、でもイーノの気持ちも理解できるよ。ずっと放置されてたんだから。イーノが言ってた恨みってそういうことなんだよね?」
場を和ますためにすかさずフォローを入れた。フェイリアの肩を持つわけじゃないけど、レナやみんなだって恨みや怒りは持っていないはず。
「……………………ふーん。恨みって、そんなこと言ってたの」
ようやく口を開いたかと思えば、質問だか納得だかよくわからない返事。声色から判断すれば、確実に怒っている。
「イーノに襲撃された時、初動で不覚をとってしまった。迷宮内部で撃退しても移動できぬ故、反撃の機会を探っておったんじゃ」
「そうなんだぁ。フェイちゃんの命令を聞かなかったんだよね」
「魔法のティアラによる効果が強過ぎたようでの。しかしじゃ、あの状態であってもワシが屈服することはない。いずれにせよ二、三日で効果は消滅するものじゃった」
「ボクたちが駆けつけた時も余裕だったのは、いつでも終わりにできたからなんだね。なんだか、助けるつもりが助けられてたんだ」
現場にいなかったクリス先生を安心させるために、言葉を選びつつ感謝を表してみた。だけどやっぱり、表情に変化がない。
──カラン、カラン。
バーはまだ営業前。客が入ってくるはずがないのにドアが開いた。
「おまたしましたフェイリア様」
そのままボクたちのテーブルに近寄ると目の前で直立した。入口に背を向けて座るフェイリアとレナ、向かい合うのはクリス先生とボク。
「あ」
声を出そうとした瞬間に太ももに激痛が走る。前を向いたままのクリス先生が強くつねってきたんだ。すかさず察して咳払い、流れる動作でコップの水を飲む。
「今回は差し障りなく終息したとはいえ、学園で預かる大切な子供が命の危機に瀕したことに気分を害しているんです」
口調こそ丁寧だけど、ボクやレナを叱る時とは違った迫力があって怖さを感じる。きっとこの状態が本当の怒りモードなんだ。
「ワシのテレポート魔法があるとはいえ、確かに一歩間違えれば生き埋めになっていた可能性も捨てきれぬ。改めてクリスには、そしてラドや他の者には心配をかけた。心より詫びる、申し訳ない」
正面にいるレナまでもが上目遣いで許しを請う。
「可愛い生徒を思うというなら、今回限りですよ?」
「うむ、恩に着る。しかしのう…………可愛い生徒とはラドのことかえ。愛おしく大切に思っておるんじゃな」
「ええ、思ってますよ。家族ですから」
「ワシとて同じじゃ、カッカッカ」
愛くるしい上目遣いから瞬時に光を奪われたレナが、テーブルの下で足を蹴ってくる。
「そうじゃ、カイはイーノとはまた違った身体の仕組みになっておってのう。腹を触っただけじゃわからぬだろうな」
今この情報はいらない。
見えないところで直接攻撃を喰らっているのを知った上で、わざとやっているんだ。
「ほほうチビッコ、あんたカイにそんなことしたかったの」
「それはつまりワシの腹に触れたいという願望の表れ。クリスは嫌がるじゃろうがワシは許すぞ、ほれほれ」
「私だって別に構いませんよ。家族ですから。でもレナはダメー」
クリス先生すらこの状況を楽しみ始めた!
でも笑顔を浮かべて、いつものクリス先生に戻ったんだから耐えてあげよう。
「ところで、学園に流れている噂はどうするおつもりですか」
「メテオで天井を破壊した件じゃな。そんなもの寝ぼけておったか流れ星でも見たとして捨て置け。生徒会長もワシら側についておる、情報統制など容易いことよ」
「はあ、そうですか」
「ソードシステムと並んでレナのメテオはエスカレアのトップシークレット。共有する秘密をバラすわけにはいかぬじゃろ」
今まで何の気なしに使っていたメテオって、そこまで機密事項レベルだったの?
「安心せい。問題になる前に学園長権限でいくらでも誤魔化してみせよう。カッカッカ」
尻拭いするのはフェイリアではなくフェイラー学園長。姉という存在はそれほどまでに強いものなんだろうか。
「ワシはそろそろお暇するかのう。今夜はゆっくり休みたいのでな」
いつものように車椅子を運ぶように促しても、カイは微動だにしない。
「それはなりません。フェイリア様の命令には忠実に従うと同時に、フェイラー学園長の命令も…………」
カイが作っていた死角の先に隠れていたフェイラー学園長がおもむろに近づく。
「子供たちを危険な目に遭わせ、監禁した上にその態度と言動とは。世界征服罪よりも先に、生徒虐待罪および今後の趣味研について、マジェニア学園長として厳しく、非常に厳しく問いつめる必要がありそうじゃ。のう、孫娘フェイリアよ」
「ふぇっ、フェイラー!?」
手足をジタバタさせて抵抗しても虚しいだけ。
大人が子供に力負けするはずもなく、姉でなくなった存在を恐れることもなく。
ボクたちにはいつもの優しい表情で会釈をして店を出ていった。
「尻叩きは嫌じゃああぁぁぁ…………」
嫌だと言われてもフェイラー学園長は実行するだろう。大人として祖父として、学園長としての覚悟を決めた顔をしていた。
フェイリアを大人扱いするのはもう、止めた方がいいのかも。
「学園長さんっていつからいたの? 監禁とか世界征服とか、知らないはずなのに」
「さぁねぇ。知り得ない尻拭いだけに尻叩きってアッハッハ!!!」
そしてボクとレナは、閉店するまでしこたま付き合わされた。




