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魔王が復活する大陸の物語

転生したらお膝抱っこでヒロインを育てることになりました (元)悪役令嬢の育て方

作者: 和呼

「大丈夫だ。俺が育てたんだから心配するな。向こうで待ってる。」

じっと女神像を見つめてた私の耳元にささやくと、チュッとリップ音をさせて私の頬にキスをして彼は女神像へと進んでいった。


後ろから、押し殺した悲鳴が上がる。

女神像を挟んで向こう側に座っている皇帝陛下が表情は変えていないが、ちらりとこちらを見た。

陛下の周りにいる貴族たちの目にも入っているのだろうが、彼らは無表情を貫いている。


私は表情筋を引き締めて無表情をかろうじて保っているが、顔は真っ赤だと思う。

手汗がやばい。

背中を冷たい汗が伝っていく。


彼は女神像にたどり着くと、一瞬見上げ、そっと片膝をついて俯き、祈りの言葉を口にして台座に触れた。

赤く光る彼の魔力がふんわりと女神像を包み込むように台座から上がっていく。

女神像はそれに応えるようにまばゆく光った。

皇帝は緩くうなずき、周りの貴族や私の後ろからもどよめきがおこる。

彼は何事もなかったように無表情のまま立ち上がると、皇帝に近づき軽く会釈をして下座に置いてある椅子に座った。


「エステル・ティア・スコット」

女神像の手前に立つ大司祭が私の名前を呼ぶ。

貴族たちの中からも、後ろの学生たちの中からも、慣れた刺すような視線を感じる。

さっきまではその視線に怖気付いてひざが震えていたのだけど、不本意ながらさっきのキスで気をそらされたためか、ひざの震えは止まっている。

そっと息を吐きだすと女神像に向かって足を進めた。


女神像の前に立つと女神様のお顔を見上げる。

ゆっくりとひざまずくとうつむいて、胸の前で手を合わせて祈りの言葉を唱える。

合わせた手を離し、台座に触れる。


白、赤、青、金、緑の魔力が流れ出し、絡まるように女神像の周りに渦を巻き、包み込むように上っていく。

女神像は応えるようにまばゆく光った。

肩に触れる優しい手の感触にふと我に返った。

周りのどよめきが耳に届く。

ほんの数秒かもしれないが、呆けていたらしい。

彼の手を取り立ち上がると、皇帝の前に連れていかれる。

皇帝陛下は優しく微笑み、小さくうなずいてくれた。

私も小さく微笑み会釈をすると、下座の椅子に移動した。



◇◇◇



この大陸には数百年に一度魔王が現れる。

魔物は普段から存在しているけれど、魔王が現れると巨大化して狂暴になり村を襲ったりするようになる。そうなると、魔王を倒さなければ個々の魔物に対応してもきりがなく、滅ぼされた国もあったという。

大昔、魔物の群れに襲われた村で人々は建国の女神様の教会に逃げ込んだ。

人々は女神さまに祈りを捧げ、その中の一人の少年が「みんなを守るための力が欲しい」そう言いながら台座に触れたところ、女神像が光った。

そうして数人の少年少女が女神さまに選ばれ、魔王を倒し、平和が訪れたという。

最初の勇者パーティーはそうやって選ばれたそうだ。


少し前から届いていた魔物の増加や巨大化、狂暴化の報せ。

魔王復活が近づくと起こる事とはいえ、間隔も数百年単位なので、時にはそういう事も起こりうる。

そうこうしているうちに帝都の大神殿の女神像が光っているとの連絡が入り、急遽勇者の選別の儀式が行われている。

先ほど女神像が光った時のざわめきは、勇者が選ばれた瞬間を目の当たりにしたのもあるが、魔王が間違いなく復活してしまったことに対する恐れも含まれていたのだろう。



◇◇◇



「ルナ・マリア・スコット」


ぼんやりと考え事をしている間にも選別の儀式は進んでおり、呼ばれた名前にハッとして目を向けた。

私と同じ顔の双子の妹と目が合った。

銀色のまっすぐな髪。

瞳は青。

先ほどからの刺すような視線は彼女からだ。

ルナの視線が一瞬下に動く。

その視線の先には、椅子に座ってからも指を絡ませたままつながれた私の手があった。

慌ててほどこうとしたが、持ち上げられなだめるようにもう一方の手でも包み込まれてしまった。

諦めて彼の顔をちらっと見る。


隣に座って私の手を放してくれないのは、レオン・アクイラ・クローネン。

私の前に女神さまに認められた勇者。

やや赤みがかった少し癖のある金髪に軽く日焼けした肌、彼の持つ魔力のような澄んだ赤い瞳。

きりっとした顔立ちに、意志の強そうな瞳。

皇帝陛下の3番目の子供で第二王子。

私の婚約者。

こちらを睨みつけるルナを明らかに面白がって見返している。


(二人とも、勇者選別の儀式中ですからね?皇帝陛下の御前ですからね?TPOを弁えてくださいね?)

いつもこのような場合、ルナが睨みつけてくるとレオンはわざとらしく私を抱き寄せたり手の甲に口づけたり、煽って楽しむのだ。


ルナはあわあわしている私の顔をもう一度睨みつけるとぎゅっと唇を噛みしめて女神像に向かった。

ひざまずくとうつむいて、胸の前で手を合わせて祈りの言葉を唱える。

合わせた手を離し、台座に触れる。

さっきの私と同じ動作。

台座からふわりと魔力が上がっていく。

ルナの魔力は緑色の風属性。

しかし魔力は女神さまの膝のあたりまで上がると消えてしまった。

ルナは勢いよく立ち上がると、皇帝陛下に会釈することもなく、走って聖堂を出て行った。


貴族側の席から一人の女性が慌てて通路に出てくる。

皇帝陛下に会釈し、ご丁寧に私を睨みつけると足早にルナを追っていった。

貴族側から私に刺すような視線を送っていたもう一人。

スコット伯爵夫人。

私とルナの母親だ。



◇◇◇



母がルナを慰め、二人で今頃は私の悪口大会で盛り上がっているんだろうな。

そんなことをぼんやり考えていると、レオンが優しく手の甲を撫でてくれた。

大丈夫。そんな気持ちを込めてレオンを見上げると、レオンの目は優しく細められている。


女神像が光った。

跪いているのはアーサー・トーマス・レオンハルト侯爵令息。

レオンの幼馴染で騎士団長レオンハルト侯爵の長男。

真っ黒な艶のある長髪を後ろで一つにくくり、艶のある黒曜石のような瞳。

若干13歳で剣に雷をまとわせて魔物を討伐し、血縁とは関係なく次の騎士団長の最有力候補。

さっきの妹とのやり取りを察していたんだろう。

慰めるように私に笑いかけると隣の椅子に腰を下ろした。


次に選ばれたのはアリシア。

柔らかくウェーブしたピンクブロンドに雪のように真っ白の肌。瞳は輝くような金。

ちょっとつりあがったアーモンドアイ、小さく整った鼻といつも微笑みをたたえたような唇。

美しいとかわいいの中間で、誰もが見とれてしまうようなとんでもない美少女。

彼女も全属性で中でも白魔法が得意で魔力量も多く、次の聖女として大神殿入りを望まれているが、彼女の夢は冒険者になり、世界中を旅することだ。

皇帝陛下に会釈をすると、微笑みながらこちらに近づいてくる。

そして私とアーサーの前に立ち止まると、アーサーを見下ろす。

アーサーは肩をすくめると、そっと一つ向こうの椅子に移動した。

アリシアは私とアーサーの間に腰かけると、当然のように空いているほうの私の手に指を絡めながらつなぎ、レオンと同じように両手で包み込むように自分の膝にのせる。



「二人とも手を放してくれる?」

「アリシア、手を放せ」

「もう充分手をつないだでしょ、あなたが放しなさい。」

「まだ儀式中よ?」

「「エステルは気にしなくていい」」

ひそひそ声でお願いしても、二人とも取り付く島もない。


女神像が光った。

跪いているのはアリシアの幼馴染のオスカー。

オスカーを選び終わると同時に、それまでほんのりと光っていた女神像は光を失い、いつも通りの白い像に戻る。


勇者選別の儀式は終わった。



◇◇◇



物心ついたころには私は母に嫌われていることを知っていた。

妹のルナに向ける愛情に溢れるまなざしとは似ても似つかない冷たいまなざし。

嫌われているどころか、それこそ憎まれていると言ってもいいほどの昏い目。


母が私にかまわない分、父は私を愛そうとしてくれていたようではあるが、私をかまえばかまうほど私に対する昏い感情が父にも向けられるようになるようで、7歳になるころには必要最低限の関心を向けられる程度になっていた。


そんな私の人生が大きく変わったのは8歳の時。


母と妹が手をつないで大聖堂の白い大理石の階段を上っていく。

私は段差で転ばないように一段一段、気を付けながら上がっていく。

私は何もないところでつまずいたり、ぼんやりしてよく遅れたりするので、父は後ろをついてきてくれる。手をつなげばいいのだろうけど、母の機嫌が悪くなるのでそれはしない。


開いた扉から中に入ると、目を上げる。建物の中、通路の奥に真っ白な女神像が見える。

周りを見回そうとしたけれど、母たちに遅れてしまうのを気にした父が肩を軽く押す。

振り返り、目が合うとちょっと困った顔の父と目が合った。

遅れると母の機嫌が悪くなることを思い出し、慌てて母達の後を追う。


女神像の手前に司祭様が立っており、向かって右側の席に子供たち、向かって左側の席に保護者たちを案内している。

指示通り、ルナと並んで腰かける。

女神像を見上げ、周りを見回す。高い位置に並んだ大きなステンドグラスから光が差し込んでいる。

差し込んだ光を目でたどっていくと、女神像の台座まで届いている。

台座に当たる光をじっと見つめていると、最前列の席に座った男の子が振り返って食い入るように私を見つめていることに気が付いた。


少し癖のある金髪にステンドグラスの光が当たって輝いている。まぶしくてどんな表情かはよくわからないけれど、何故か見つめられているとわかる。目が合うと一瞬大きく目を見開き、微笑んだように見えた。


女神像の手前に大人の腰と膝の中間くらいの高さの台が準備され、その上に司祭様が布に包まれた物を置くと、広げる。

そして最前列の少年が促されて立ち上がり、台に近づくと何かの上に手を置いた。

ふわっと赤く光った。

司祭様がうなずいて促すと、少年は元の席に戻る。


そのあとは数人まとまって立ち上がると、順番に手を置いて様々な色に光らせては席に戻っていく。

あっという間にエステルとルナの番になる。

台の上には白い丸い石板がのっていた。

ルナが手を置くと、緑色に光った。

ルナがよけて、エステルが進む。

エステルが手を置くと、かすかに光った。

今までの子供たちやルナに比べても弱弱しい透明の光。

(私がこんなだから愛されなかった。お母様は知っていたんだ…)


最前列の少年が立ち上がり、エステルの手を取ると保護者たちの席の最前列に連れて行かれてしまった。

少年を見上げたが、初めて見る顔だ。

赤みがかった少し癖のある金髪と柔らかい、薄い赤い瞳、天使像のように整った顔。

優しくエステルに笑いかけてくる。

席に戻ったルナは、びっくりしたようにこっちを見ている。

もちろん最初は両親もびっくりしたような顔で見ていたが、不意に母の顔が険しくなるとエステルを睨みつけてきた。


早く戻らなければ母に怒られる。

エステルが手を振りほどこうとしたが、少年はニコニコしたまま手を放そうとしない。

「お願い、怒られちゃうから手を放して。戻らなきゃ。」

すぐ近くに石板があり、子供たちがまだ並んでいるので小さな声で少年に訴える。

「大丈夫だから、僕に任せて。」

少年も小さな声で答えると、安心させるようにエステルの頭をなでる。


戻れないままエステルがおろおろしている間に全員の魔力測定が終わった。

「まだ測定していないお子様をお持ちの方はいらっしゃいますか?」

司祭様が周りを見回しながら大きな声で確認する。

数秒待ち、誰からも声が上がらないのを確認するとと大きくうなずき、「それでは終わります。」そう言って石板を布にくるんで持ち上げた。


それを合図のように全員がばらばらと立ち上がり親子でまとまると、出口へと向かっていく。

最善列にいる私たちと、両親とルナだけになると、両親がルナを連れてやってきた。

母は表情が硬いが、微笑んでいる。


私たちと向き合うと、両親は頭を下げた。

「頭を上げて欲しい。ここは非公式の場なので、そんなに堅苦しくせずともかまわぬ。」

「そうですよ。お二人ともお顔を上げてください。うちの息子がいきなりお宅のお嬢さんを連れてきてしまったのですから。謝らなくてはいけないのはこちらの方です。」

両親がおずおずと顔を上げ、大人4人とルナが少年と私を見つめる。

どうしたらいいのかわからず少年を見上げると、少年は大人たちの顔を見回しにっこり笑う。

「僕たちの婚約を認めてください。離れたくないので、今すぐに彼女を連れて帰りたいです。」


大人たちの顔もルナも、ぽかんとしている。

多分私もそうだろう。


台を片付けに来た司祭様に少年のお父様が声をかけると、すぐに聖堂の奥の応接室のような部屋に案内された。

向かい合って、少年の御両親と私の家族が向かい合ってソファに腰かける。

私たちも別々に座るように言われたが、少年は私の手を放そうとせず、彼の御両親の隣に並んで座ることになった。


「僕たちの婚約を認めてください。離れたくないので、今すぐに彼女を連れて帰りたいです。」

彼は繰り返した。

「なぜ突然?お前は彼女を知っていたのか?」

彼の父親が彼に問いかける。

「いいえ、今日初めて会いました。一目ぼれです。」

不安になり両親の方に目をやると、父は戸惑った表情だったが、母は無表情だった。


「普段聞き分けの良い息子からの、めったにない願い事をかなえてやりたいのだが、どうだろうか?スコット伯爵。

婚約発表の時期や細かい取り決めはこれからになるが、もちろん、こちらが無理を通すのだから、そちらの希望があれば何でも言って欲しい。」

父は隣の母をちらりと見やる。

母は皇帝陛下に向かって顔を上げた。

「私共にはもう1人娘がおります。先ほどの様子を見ても、こちらの娘の方が魔力量を多く持っています。王子様の婚約者にはこのルナがふさわしいと思われます。」

そして私たちの方を向くと、いつもルナに向けるような優しい笑顔を向けた。

「殿下、この子たちは双子ですし、話をすればルナの方を気に入るかもしれませんよ?」

「僕はエステルが良いんです。エステル以外はあり得ません。」

王子がきっぱりと言い返すと、母がすっと無表情になった。

父が慌てて母の肩に腕を回して引き寄せる。

「申し訳ございません、急なことで妻も動揺しているようです。

皇帝陛下がお認めくださるのであれば、私共はありがたくお受けさせていただきます。希望などは落ち着いてから、妻と話し合って決めたいと思います。」

「そうか、それでは今日から令嬢をこちらで預かっても構わないかな?」

「陛下のお望みのままに。」


(皇帝陛下?今お父様、皇帝陛下って言った?お母様も王子様って言ったよね?王子様と婚約?)

突然頭の中に、婚約破棄、悪役令嬢という言葉が浮かぶ。

そこで私の意識は飛んだ。



◇◇◇




皇帝陛下の第三子、長女、長男に次いで、次男として僕は生まれた。

帝国では王女も継承権があるので、次期皇帝のスペアという役割もなく、上2人に比べると割とのんびり育てられていた。


大陸内は帝都を中心に、簡単に東西南北の地域で分けられている。

簡単なお茶会とはいえ、帝国中の貴族が集まるのは無理なので、週ごとに北→東→南→西と地域ごとに主催を替えて行われている。

だいたい自分の領地が所属する地域の参加することが多いが、他の地域の交流会に参加することも可能となっている。


5歳の時だった。その日はたまたま両親も姉も兄も忙しく、1人暇を持て余していた。

宮殿と大聖堂の間に庭園がある。

そこでは毎週貴族たちが主催する、交流会が開かれている。

いつもならそんなことはないのだが、今日はやたらとその交流会から聞こえてくる子供の声が気になる。

散々ごねて両親の許可をもらい、メイドに1時間だけ連れて行ってもらえることになった。

今日は西地域が主催。

入口でメイドが事情説明をして、北地域の親子という事にして入れてもらう。

案内してもらい、子供たちが遊んでいるという噴水の近くの広場に向かう。


ふと木陰のベンチで絵本を読んでいる少女に気付いた。

銀色のまっすぐな髪。

俯いた横顔しか見えないが、卵型の顔にちょっとたれ目のアーモンドアイ、エメラルドグリーンの瞳。真っ白な肌、小さい可愛らしい鼻、ふっくらとしたピンクのバラの花びらのような唇だとわかる。

エステル・ティア・スコット。

何回も繰り返してやったゲームのヒロイン。

突然大量の記憶が流れ込んできて、そのまま気を失った。


以前流行った魔王討伐のLV上げRPGに勇者の第二王子との婚約や、魔力がないと思われたヒロインへの家族からの虐待等のエピソード等、乙ゲー要素を少し盛り込んだだけのリメイクゲーム『いつか花咲く丘で』が好きで、このタイプのゲームには珍しく何回も繰り返しやりこんでた。

数百年毎に復活する魔王を勇者パーティーで討伐する。

パーティーメンバーは5人。

ただ、ヒロインのLV上げが討伐の経験値のみではなく、主人公との好感度と両方上げなければならない。

ちなみに、主人公との好感度を上げるためには、暴走後のヒロインの魔力安定のために食事のたびに主人公のお膝抱っこでヒロインに食べさせるのだ。

身体の接触と主人公に食事を与えられることで、魔力が安定し、魔力値も上がるという設定。

ゲームとしては、面倒くさい操作だが、学園の生徒会室でパーティーメンバーがそろった中でのお膝抱っこでの食事に恥じらうヒロインの可愛さにゲーム内容の割にコアなファンがついた。


そのヒロイン、エステル・ティア・スコットが存在して、魔王が復活する。

そして俺は皇帝の第二王子で主人公となるレオン・アクイラ・クローネン。


どう考えてもここは『いつか花咲く丘で【いつ花】』の世界。


俺は高校生だった。

同じクラスにゲーム好きな友達がいて、学校帰りにいろんな話をしながら帰るのが日課だった。

そんなに人気があるとは言えない【いつ花】をやっている友達もいた。

見た目は美少女だが中身は男らしい奴で、ヒロインのエステルを溺愛していた。

あの日も友達数人とゲームやら学校の授業の事、TVやらいろんな話をしながら信号待ちをしていた。

その俺たちにトラックが突っ込んできたような気がする。


あの時多分死んで、俺はこの世界に転生した。

一緒にいた友人たちは無事だったんだろうか?

なんとなくはっきりと思い出せない。

この世界で生きるのに必要だからか、ゲームの内容はしっかり思い出せるのに、ほかの記憶はおぼろだ。


ゲームで魔王を倒す場面がよみがえる。

とどめを刺そうとしたその瞬間。

そこではっと目が覚めた。


付き添っていた乳母がメイドに家族を呼んでくるように言っている。

急に息を吸い込んで咳き込んでしまい、乳母が水を飲ませてくれる。

少しずつ飲み込んでいるうちに落ち着いてきた。

どうやら3日間も寝込んでいたらしい。


「レオン」

家族が口々に僕の名前を呼びながら、駆け込んでくる。

いつも取り乱したりしない家族のそんな姿にびっくりした。

泣きながら抱きしめてくる母の目の下にはクマができていた。

姉はポロポロと涙をこぼしながら、「良かった」と繰り返している。

兄も泣いている。

少し遅れて父もやってきた。

父と目が合うと父も目の下にクマがあり、顔色も悪かった。

父はベッドに近づくと、大きく腕を広げてみんなを抱きしめた。


前世の俺の家族もこんな風に悲しんだのだろうか。

事故ではあったが、申し訳なさに胸が締め付けられる。

名前も顔も思い出せない薄情な子供でごめん。

心配かけてごめんいろんな感情がごっちゃになって、しばらく家族で抱き合って泣いていた。


ベッドから出る許可がもらえるまで1週間かかった。

中身の俺的には一晩も寝れば大丈夫な気がしたが、5歳の体に無理はさせられない。


TVも携帯もマンガもゲーム機も何もないまま、ひたすらベッドで安静とかどんな拷問?と思いながら耐えた。

忘れないようにと、繰り返しゲーム内容を思い出す。

インクと羽ペンではベッドで寝っ転がって書くわけにもいかない。

何しろ机に行きたくても、ベッドで座るのは食事とおやつの時だけ。

回復どころか逆に病気になりそうだった。


自由に動けるようになって一番最初にやったことは、覚えている限りのゲーム内容を書き残すことだった。

転生者のチート故か字は読めるし書ける。

しかし、魔王の復活や勇者にもかかわることだから日本語で書くことにしたが、ちっこい手では力の加減も細かい動きもままならない。

5歳児の感覚では身体は思い通りに動いていると思っていたけど、高校生の感覚ではびっくりするほど思い通りにならない。

握りつぶされた羽ペンの山が築かれたころ、見るに見かねた兄が割り箸を削ったようなペンを作ってくれた。

「兄上、ありがとう」

割り箸ペンも数本の犠牲を出したが、何とかいい感じのペンが手に入った。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


エステル・ティア・スコット。

8歳 魔力測定

全属性持ちで元々の魔力が高すぎて体に負担がかかり、少しの魔力しか測定されなかった。

そのため、親の判断で魔法学園の入学をさせてもらえず、家に閉じ込められて精神的虐待を受け続ける。

13歳で魔力暴走を起こしたため、宮殿に引き取られる形となり、同時に主人公の第二王子の婚約者となる。

身体の接触と全属性持ちの主人公に食事を与えられることで、魔力が安定し魔力値も上がるという設定。

そのための食事のたびに主人公のお膝抱っこ。


18歳 勇者選別の儀式

勇者パーティーメンバーに選ばれる。

魔王が倒れる最後の最後に主人公を狙った攻撃をかばって死亡。


◎ヒロインの魔力暴走を防ぐ。

・8歳の魔力測定の時点で宮殿に引き取る。

・8歳から魔力値を上げ、安定化を図る。

・様子を見て、選別前からパーティーメンバーで魔物の討伐に行く。


勇者パーティー

帝国第二王子 レオン・アクイラ・クローネン 全属性だが、赤寄り


アーサー・トーマス・レオンハルト侯爵令息

騎士団長の息子 俺の幼馴染

雷系


エステル・ティア・スコット

ヒロイン 第二王子の婚約者

全属性 魔力が強い


アリシア

全属性で回復が得意

平民


オスカー

アリシアの幼馴染

弓が得意

平民


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


今のところ思いつくのはこれくらい。

普通は何回もやりこむはずのない魔王討伐のLV上げRPG。

なぜ俺が何回もやりこんだかと言えば、エステルを助けたかったから。

全員をカンストさせて魔王討伐に向かうとか、途中のミニゲームで満点出すとか、途中の分岐の選択を変えるとか、試せるだけ試してみた。

それでもだめだった。

ゲームだったから、何回もやり直せたけど、今いるここは現実。

やり直しはできない。


魔王にとどめを刺した。

そう思った瞬間、魔王の指輪から真っ黒な瘴気がまっすぐ主人公の心臓を狙う。

「レオン!」

主人公と瘴気の間に飛び込んできたエステルの身体に刺さる瘴気。

崩れ落ちるエステル。

主人公の無事を確認して、微笑みながら目を閉じる。

何回もゲーム内容を思い出しているうちに最初はゲームの映像だったのが、なぜか最後に倒れるのは見かけたあのエステルが成長した姿に変わっていった。

彼女は絶対に死なせない。

震える手を抑え込み、そっと息を吐く。


魔力測定まで後2年半。

魔力測定の時点で彼女を宮殿に引き取る事は、ゲームではかなわなかった。

ここはゲームの中ではないから、何とかできるかもしれない。いや、何とかしなければ。

その後彼女の魔力量を増やすために、まず自分の魔力量をできるだけ上げておく。

今からでもやれることはある。



◇◇◇



「ねぇ○○、これ最終話まで読んだ?」

友人がこちらにスマホの画面を向ける。

「それはまだ。こっちの方が今すっごく気になってて」

私もスマホに、気になっている小説の表紙イラストを表示させると友人に見せる。

「あー、これも気になるよね。ヒロインがかわいそうで。はやくあの悪役令嬢、婚約破棄されちゃえばいいのに」


そこでハッと目が覚めた。

自分が高校生だったこと、家族や友人のこと。

目覚める前までははっきりとしていた記憶が、思い出そうとすればするほど思い出せなくなっていく。

まるで夢のように。


今のは前世の記憶?

自分の小さな手を見る。

魔力測定の時の弱弱しい光。

「王子様の婚約者にはこのルナがふさわしいと思われます。」

母の声が耳によみがえる。

皇帝陛下が王子様との婚約を認めてくださったってことは、ルナがヒロインで私は悪役令嬢?

学園の卒業式で婚約破棄されてしまうのかしら?

異世界転生のマンガや小説はいろいろ読んでいたけど、こんな事になるのならば、ゲームの一つでもやっておいた方がよかったんだろうか?

自分の名前、エステル・ティア・スコット。

覚えがない。

ぎゅっと目を閉じる。


ぐずぐずしていたら、またお母様に怒られる!

ハッとして慌てて起き上がる。

見慣れない部屋だった。

カーテンが閉じられていて薄暗いが、明らかに自分の部屋ではない。

もそもそとベッドを降りようと動いたら、ドアがノックされた。

「お嬢様、お目覚めですか?」

「は、はい。」

知らない声だけど、応える。

ドアを開いて入ってきたのは、上等な生地のお仕着せで、上品なレースを使ったエプロンをつけて燃えるような赤毛を両方に分けておさげにした、13歳くらいのメイドさんだった。

洗顔用のお湯とタオルの乗ったカートを押しながら入ってくる。


「わたくしの事はメリーとお呼びください。

体調が問題なければ、朝食にご案内いたしますので、まずお支度をさせていただきます。」


洗顔用のお湯はちょうどよい湯加減で、嬉しくなった。

伯爵家では、冬でも冷たい水だった。


とても手触りの良い、光沢のある上等な生地のドレスを着せられる。

髪の毛も三つ編みにして後ろで可愛くまとめられてきれいなリボンで結んでくれた。

身支度が整うと、食堂へと案内される。

ドアの前には2人の騎士様が控えており、驚いてしまった。

目が合って慌てて頭を下げると、2人とも柔らかく微笑んで頭を下げる。


廊下の絨毯だけでも伯爵家にあるどの絨毯よりも上等でふんわりしている。

壁には絵画やタペストリーが飾られ、ところどころにソファもある。

魔道ランプの間隔も狭く、夜には明るく照らされるのだろう。


ホールの手前の両開きの大きなドアの前でメリーが立ち止まるとノックをした。

中からドアが開かれると、王子が飛び出してきて抱きつかんばかりに近づいてくる。

「気分はどう?体調はもういいの?お腹すいてるでしょ。」

「お気にかけていただいて、ありがとうございます。殿下。」

「あぁ、僕のことはレオンと呼んで。」

「レオン様。」

「レオンだよ、エステル。」

「れ、レオン。」

満面の笑みを浮かべると、私の手を取りテーブルの方に案内してくれる。

「おはよう、エステル。ゆっくり眠れたかね。」

「皇帝陛下、おはようございます。ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。ゆっくり眠れました。ありがとうございます。」

「おはよう、エステル。クリスティンのドレス、サイズが合って良かったわ。よく似合っていてよ。」

クリスティン様は皇帝陛下の第一子で、次に皇帝陛下になられる王女様だ。

「皇后様、おはようございます。クリスティン様のドレスを私なんかに!申し訳ございません。」

頭を下げる私に、皇后様はわざわざ立ち上がって近づいて来ると、膝をついて目線を合わせてくれる。

「謙遜しないで。とっても似合っているわ。ドレスも着てもらえて喜んでいるのよ。私たちのことは、お義父様、お義母様って呼んでくれたら嬉しいわ。」

そして小さな声で耳元にささやく。

「なんかって言っちゃだめよ。幸せが逃げていくわ。」


「お前なんかが!」

母の冷たい声が耳によみがえる。

皇后様の優しい言葉に胸が温かくなって涙が出てきた。


「母上、僕より先にエステルを嬉し泣きさせないでもらえますか?」

レオンが不満そうに言うと、ひょいっと私をお姫様抱っこしてそのまま椅子に腰かける。

さっきまで落ちそうだった涙が引っ込む。

慌てて降りようとするけど、腰をがっちりとつかまれた。

「レオン?」

「これから毎日、君は僕の膝で食事をするんだ。父上の許可も取ってある。いいね?」

2人に救いを求めて見回すが、にっこりしてうなずかれてしまった。



◇◇◇



食事の前に感謝の祈りをささげる。

「あ、あのっ!自分で食べられますから。」

「ダメダメ、君は昨日倒れたんだよ?はい、あーん。」

私を抱き込んだまま、スープをすくうとスプーンを近づけてくる。

クリスティン様のドレスにスープをこぼすなんて、恐れ多くてできない。

諦めて口を開く。

恥ずかしさに顔が真っ赤になっているはず。


高校生だった記憶がよみがえった今、いくら8歳の少年とはいえ、お膝抱っこで食べさせられるなんて恥ずかし過ぎる。

それにレオン…様、8歳の割に落ち着いてない?

いつもやっているかのようにてきぱきと私に食べさせながら自分の食事も済ませていく。

まるで小さな子供に食べさせながら食事を済ませるお母さんのよう。

(お母んなの?レオン様、お母んなの?)

いくら私が小さいとはいえ、あなたもこどもよね、大人じゃないんだから重たいと思うのに。

腰を引き寄せた腕とか、華奢な体つきなのにしっかり鍛えてもいるようで、自分が食べるときに少し身体を前に傾けるんだけど、子供っぽい柔らかい胸板が肩に当たるし、彼の横顔が目の前に来て、近すぎてドギマギする。

(相手は子供、相手は子供、落ち着け私!)

柔らかなウェーブのかかった金髪に、少し薄い赤い瞳。

すっと通る鼻筋に、きりっとした眉。

今はまだ天使の面影を残しているけれど、成長したらすごく凛々しくなるんだろうな。


宮殿のすごく美味しいお料理のはずなのに、味がしなかった。

残念な気持ちで食事を終える。

「心配してたけど、しっかり食べられたね。」

にっこりと微笑んだレオンが私の頬にキスをした。

(うぎゃ~~~~~~~~~~!)

(相手は子供、相手は子供、落ち着け私!)

貴族令嬢らしからぬ悲鳴を飲み込んで思わず周りを見回すと、笑みを浮かべながらこちらを見る皇帝、皇后、クリスティン様、ジョシュア様と目があう。

(恥ずかしがっているのは私だけで、これはここの通常運転?慣れないと心臓が持ちそうにないわ)



◇◇◇



食事の後、レオンは宮殿内を案内してくれた。

皇帝の家族の居住区、それぞれの執務室のある区域、図書室、プライベートな中庭。

親しい数人でお茶会をするようなテラス、応接室。

さしあたって私が使うであろう場所を教えてもらった。

驚いたことに、昨日突然来たにもかかわらず、私が案内された部屋は客室ではなく、レオンの部屋の隣だった。


私がレオンの顔を見上げると、私の手を持ち上げて指先にキスをする。

「いつか全部話すから、それまで待ってくれる?」

その時のレオンの顔が困ったような寂しそうな顔だったので、私は何も言えなくなった。



◇◇◇



食堂のドアがノックされ、俺はたまらずにドアに向かった。

(最初が肝心、がんばれ俺)

一気にまくし立ててエステルにレオンと呼んでもらえるようにした。

有無を言わせず、お膝抱っこして、逃げられないように腰を引き寄せた。

ゲームのエステルは確かに可愛かった。

だけど、このリアルエステルの可愛さはそれどころじゃなかった。

花のようないいにおいがする。

髪がさらさらと揺れる。

赤くなる頬。

鈴を転がすような可愛らしい声。

生きてる。

近い近い。

困ったように上目遣いで見上げられたり、俺が差し出したスープをあの花びらのような唇で飲んだり、俺が差し出したパンを…以下省略。落ち着け俺。

全力で愛でたいのを我慢した。

倒れて目を閉じるエステルの顔を思い出したら、頭が冷えた。

(もっと集中しろ、魔力を注ぎ込むんだ)


魔力測定で見た通り、エステルの魔力量は年齢と体の大きさに対して大き過ぎて、うまく扱えないでいる。

普通は、成長とともに扱えるようになるのだが、エステルの場合は全属性を持っており、それぞれが圧縮されたようになっていたため、13歳の時に魔力暴走を引き起こす。

まずは俺の魔力で包み込んで安定化させ、同時にエステルに少しずつ魔法を使わせることで体内の魔力の容量を増やしていく。

それによって圧縮されたようになった魔力をうまくなじませる。

それが最初の目標だ。



◇◇◇



この世界の人間は魔力を持っている。

魔力測定の時の色が赤なら炎系、青なら水系、金なら雷系、緑なら風系。

まれに白が回復系。


しかし、例えば物を動かしたりとかの強大な魔力はまず使えない。

なので、移動手段は馬やロバ、馬車となる。


できることと言えば、水系は冷やしたり、炎系は火をつけるくらい。

なので、魔力を補充すれば冷やし続けられる冷蔵庫とか、調理に使えるコンロとか、そういう魔道具が発達している。

風系は植物を育てるのに向いているので、持っている人は農業や貴族の家の庭師などで働いている人が多い。

雷系は森の中などで使っても、炎と違って火がつかないので、狩人になることが多い。

魔道具には各属性ごとの魔石が使われていて、効率よく動くようにされている。


魔道具を使うと魔石の魔力は減っていく。

家族がその属性の魔力を持っていれば補充はできるが、そうでない場合は魔術研究所から多少のお金と空になった魔石を持っていけば魔力が込められた魔石と交換してもらえる。


日常生活では魔力はそこまで重要視されていないが、この世界には魔物がいる。

魔物は普通の動物よりも強いため、魔力で攻撃しなければならない。

魔物は属性を持っているので、なるべくその属性を打ち消す属性で攻撃することが望ましい。

炎相手なら水、水相手なら雷、雷相手なら風、風相手なら炎というように。

白ならば回復もできるが、アンデッドへの攻撃も有効。


そして攻撃以外にも、水系は身体強化、風系は防御が上げられる。



◇◇◇



魔王は人々の持つ負の感情が徐々に集まり、瘴気となってある一定以上を超えると復活すると伝わっている。

大陸が帝国として統一されていなかった頃、国同士の諍いが多かったり戦争が起きたりした場合には頻繁に復活が繰り返され、繰り返し魔物に襲われて国が疲弊して諍いが止むと復活の間隔が伸びたため、魔王を復活しにくくするために大陸が統一されて帝国になったといってもいいだろう。


大陸の真ん中に位置する帝都、その中心には宮殿、大聖堂、魔法学園、魔術研究所があり、それぞれの建物は中心の大庭園で行き来することが可能なようになっている。


宮殿は皇帝の家族の住居ではあるが、帝国の運営にかかわるすべての機関も付属している。

大聖堂は普段は女神信仰の場であるが、魔術学園入学前の貴族の魔力測定、在学中の学生の魔力測定、勇者選別の儀式も行う。

魔術研究所は生活に必要とされる魔道具の発明、改良等を行う機関だ。個人が発明した魔道具が安全であるか審査して販売の許可を出したり、悪質な魔道具が使用された際に取り締まったりもする。


そして魔法学園。

歴代の勇者パーティーに選ばれたメンバーは概ね強力な魔力を持っていたらしい。

不思議なことに、毎回選ばれるのは15~18歳の少年少女だったため、帝国では魔力を持った子供を入学させて魔力の扱いを教え、魔王が現れたらすぐに対応できるようにこの学園を建てた。

帝国民は8歳になると貴族は大聖堂、平民は地元の神殿で魔力測定を受ける。

そして一定以上の反応が出た子供は学園に入学することが義務付けられている。


魔法学園は8~18歳までが通うが、年齢によって3つに分けられている。

8歳から3年生までが初級クラス。

読み書き、計算や礼儀作法、簡単な魔力の制御方法や魔道具の知識などを教えられる。

魔力の制御方法以外は、平民は神殿、貴族は家庭教師などから学ぶ。

4年生に進学する前に再び魔力測定が行われ、一定以上の魔力がなければ進学はできない。

4年生から魔力が多かったり複数属性を持っている場合には特別クラスに分かれるようになる。

多少魔力があっても特別クラスに入れないのであれば、辞める者もいる。

8年生に進学する前に最後の魔力測定が行われ、この時点で残れたら、卒業後、魔術研究所に入る者が多い。


ちなみに中級クラス、上級クラスになると、卒業式後に魔法学園で開かれるダンスパーティーに参加できるようになる。



◇◇◇



5歳の時に交流会に行った息子が突然倒れた。

3日間目を覚まさず、家族でものすごく心配した。

目覚めるまで、生きた心地がしなかった。


やっと目覚めたのだが、それからは人が変わったように、時々思い詰めたような顔をするようになった。

上の2人に比べて甘やかし過ぎたのでは?そろそろ王子として恥ずかしくない教育を始めようかと思っていた矢先のことだった。

そして、自分から剣術や魔術、いろんな勉強をしたいと言い出した。

喜ばしいとは思ったが、乳母や護衛の騎士からも報告で上がってくる思いつめた様子がどうしても気になり、2人きりで話す機会を作ってみた。


息子レオンはしばらく考え込んでいた。

いつもであれば膝に乗ってきて、「父上、聞いて聞いて、あのね」そう言っていた息子が、まるで知らない人間のように深く考え込んでいる。

やがて眼を上げると、思い切ったように、話し始めた。


「実は倒れていた3日間、ものすごく長い夢を見たんです。

夢の中で僕は18歳になりました。魔王が復活して、勇者に選ばれるんです。パーティーは5人。

魔王を倒すことはできたのですが、1人が犠牲に…」

「その子はエステル・ティア・スコット伯爵令嬢。

彼女は魔力が大きくてしかも全属性持ちなんです。

それなのに、8歳の魔力測定でうまく結果が出せなくて、魔法学園に入れてもらえないんです。

そして13歳で暴走して、父上の預かりとして引き取って魔法学園に入れるんです。

僕は夢の中で彼女を助けることができなかった。

だけど、こんな風に未来を教えてもらったって事は、きっと女神さまが彼女を救う運命を僕に与えてくれたんだと思います」


一気に言うと、口を閉じ、じっと見つめてくる。

エステル・ティア・スコット伯爵令嬢。

確か従兄弟のアッシュフォード公爵のウィルバートのヘレナ夫人がスコット伯爵家の出身だった。

艶やかな銀の髪とエメラルドグリーンの瞳を持ち、ウィルに月の女神と言わしめる。

彼女は複数の属性を持ち、魔力量も多く、特別クラス卒だった。

彼女の姪であれば、それもあり得るかもしれない。


たとえ夢の中であっても、18歳まで経験してしかも魔王討伐まで。

しかもパーティーメンバーを失うという。

今までの5歳児とは異なる雰囲気をまとうのも致し方ないことかもしれない。


「今の話、全部信じよう。

たった3日でお前の心は18歳になってしまったんだな。」

そう言うと、レオンは悲しそうな顔をした。


「また8歳の魔力測定の前に、お前がどうしたいのか、そのために何が必要か話し合おう。

できる限り協力する。」

両手を広げると、レオンはおずおずと近づいて父親に抱きつく。

一気に大人になってしまった息子の小さな体を抱きしめた。


妻のエレノア、娘のクリスティン、息子のジョシュアには簡単に説明をした、

乳母と護衛騎士にはひどく恐ろしい夢を見続けたという事にしたら、そのうちに今のレオンに慣れたようだ。


それから3年後、約束通りにレオンに協力して多少強引だったが婚約を決めて、即日エステル・ティア・スコット伯爵令嬢を宮殿に引き取った。

私の従兄弟のアッシュフォード公爵ウィルバートに月の女神と言わしめるヘレナ夫人によく似た艶やかな銀の髪とエメラルドグリーンの瞳を持つ可愛らしい少女。

妻も上の2人も新しい妹にウキウキしている。


アッシュフォード公爵のウィルもヘレナ夫人も息子しかいないためか、幼いころのヘレナそっくりなエステルを可愛がった。


すべてレオンの一目ぼれで押し通したが、誰も異を唱えないほどエステルは周りに受け入れられた。


いつまでも恥ずかしがっているエステルには気の毒だが、複数の帝国魔術師と話し合った結果、魔力を安定させ、魔力量を受け入れられる体にするためには、洋服越しでも構わないので身体の接触による魔力の供給と、食事と共に魔力を与えることが一番効果があるらしい。


初級クラスの間は、エステルに妹のルナが何かと突っかかって来ていたそうだが、中級クラスになってからはエステルもレオンも特別クラスになったため、それもなくなった。


魔王の復活については私と息子の2人きりの秘密のままだ。

このまま何事もなく過ぎて欲しい。



◇◇◇



中級クラスになり、特別クラスになった。

俺、レオン・アクイラ・クローネン 

エステル・ティア・スコット

幼馴染で騎士団長の息子、アーサー・トーマス・レオンハルト侯爵令息

回復魔法が得意なアリシア

以上の4人だ。


エステルが転生者かもしれない。

「ルナがヒロインだと思ったのに。」

特別クラスになり、あのしつこく絡んでくる妹と離れられて清々したなと思っていると、エステルのつぶやきが聞こえた。

魔力測定のあの日、エステルは倒れた。

幸い一晩で目覚めたが、あの日かもしれない。


【いつ花】のメモ、日本語で書いてる!

目覚めてすぐに書いたあれは執務室のカギのかかる引き出しに入れている。


ふと思い出したとき、ノートの端にメモをしているのを見られないとも限らない。

これからは高校生の時、友達と交換していた暗号を使うことにする。

アルファベットと数字の組み合わせで単純だから、すぐバレるかもしれないが。


休み時間

エステルは前の授業の資料を返すために、資料室へ行っている。

普通クラスと特別クラスは授業時間がずれているために、あの妹に絡まれる心配はない。


その時の俺は珍しく油断していて、手元の紙に暗号を書きながらぼんやりしていた。

「やっぱりぽん太だったんだ」

紙を見たアリシアが怪訝な顔を向けてきた。

ぽん太は前世で飼っていた犬の名前で、ゲームのキャラにつけていた名前でもある。

紙に書いた暗号で気づいたらしい。

「おかしいと思ってたのよ、入学したらエステルがいるし、お約束の餌付けしてるし。」

「餌付け言うな。」

反射的に返してしまい、周りを見回す。

幸いアーサーは気づいていない。


「上条、お前いつ思い出した?」

思い出そうとしても出てこなかったのに、スッと名前が出てきた。

前世で【いつ花】をやっていたヒロインのエステルを溺愛していた

残念美少女だ。

「魔力測定の時。」

「なるほど。俺は5歳でエステルを見た時だ。お前、男らしい性格そのままでまた残念美少女なんだな。」

「うるさい、素直に美少女と言え、残念王子。」

「残念じゃねえよ。ちゃんとやってる。」

「そうね、確かにちゃんとやってる。エステルは魔力も多いし、安定もしてるし。」

「見えるのか?」

「あんた、見えないの?」

渋々うなずく。

「なんとなくはわかるんだけどな。ステータス画面が欲しい。」


「どうもエステルも転生者らしいんだが、ヒロインがどうこう言ってたから、これ【いつ花】を知らないみたいなんだ。」

「そっか、誤解されないように様子見ながら仲良くなるね。」

アリシアがニンマリする。

「ほどほどにしろよ。」


強い味方を得た。これでエステルが助かる確率が上がった。

エステルが戻る前に何食わぬ顔で離れていくアリシアを見ながら、思った。



◇◇◇



アリシアとエステルはあっという間に仲良くなった。


初級クラスではルナがエステルの悪口を言いふらし、何かと突っかかってくるから、友達なんかできなかった。

ルナ曰く、いつもいじめられていた、俺と婚約するはずだったのに汚い手を使って奪われた。

汚い手ってなんだ?8歳児が考えつくような事じゃない。

母親が吹き込んでいるんだろう。

それにしても、ゲームでは魔力が低いから虐げられていたという事になっていたが、ルナがエステルを見下す様子からして、もっと前から虐げられていたかもしれない。

記憶を取り戻していたんだから、魔力測定まで待たないでもっと早くに交流会でさらってくれば良かった。

まぁ、今更後悔してもどうにもならない。


隣り合った椅子に座ってにこにこしながら会話しているエステルとアリシアを眺める。

指を絡めて恋人つなぎ?

肩が触れてる!

近い近い近い!

俺だってもっと近づきたい!

食事の時に膝抱っこは家族の協力もあり、いまだに続けられているが、本当はそれ以外の時も手をつないだりして魔力を注ぎ続けていたいが、エステルが恥ずかしがって逃げるからどうしようもない。


アリシアが一緒にいる時に魔力を注いでくれるようになったおかげでエステルの魔力値が上がり、今まで以上に安定しているのがわかる。

俺の費やした6年間は何だったんだろう?そう思わずにいられないくらい急激に上がった。解せぬ。


「火属性で攻撃特化しているのはわかるけど、もっと水を上げれば身体強化、風で防御力、光で自己回復もできるしアンデッドへのダメージも増えるんだから。せっかくの全属性がもったいないわよ。やきもち焼いてる暇なんかないのよ。」

アリシアが手を握り、属性ごとに分けながら魔力を注いでくれると、今まで認識できなかったのに属性ごとに意識しながらコントロールできるようになった。

「はい、ごもっともで。」

かろうじて全属性の俺はアリシアに指摘される通り、がんばるしかない。


「アーサー様も少ないけど水もお持ちなので、こちらも上げるよう意識してください。」

今まで雷だけと思っていたアーサーも目を見張っている。

「身体強化ができる」

呟いて口角がよく見ていないとわからないくらいだが上がった。

幼馴染の俺でもほとんど見たことのない笑顔。


アリシアは初級クラスの時に自己流で訓練して出来るようになったらしい。

(残念美少女とか言ってごめん。)



◇◇◇



魔術の教師が驚くほどに4人の魔力量、そして魔術の練度も上がっていった。

半年も経つと魔術教師では教えきれなくなり、騎士団の訓練場に出向き、第一魔法師団の副団長に教えてもらうようになった。

本来ならば、上級クラスに上がってから、半年に一度行けるかどうかという授業だが、特別クラスの全員が中級2年目の5年生でありながら、上級並みの実力を認められ、特別扱いのようになっている。


上級クラスの最上級生10年生に姉のクリスティン、2つ下の8年生に兄のジョシュアがいるから、第二王子の俺が同じクラスに行くわけにもいかず、中級最上級生のクラスになってもバランスが取れないという、大人の事情ってやつだよね。

その代わりに父にねだって魔術も剣術も最高の講師をつけてもらった。


レオンとアーサーが剣術を習う間、エステルは広範囲の攻撃魔法、アリシアは回復魔法を習っている。

学生相手とは思えないような、騎士団の新人並みの個人訓練。


アリシアのおかげで一気に魔力量も魔術の練度も上がったけれど、学生相手ならともかく戦闘を生業としている人たちには全く歯が立たなかった。


前世で言えば中学生、身体も小さいし、体力も足りない。

魔王復活まで4年はある。

高校生であれば、それなりに成長しているはずだ。

騎士団の人たちも子供たちの成長も見込みながら鍛錬を課してきている。


授業時間の半分以上は騎士団の訓練所に通うという、今までにない特別クラスが誕生した。



◇◇◇



数年経ち、中級クラス最上級の7年生になる頃には、騎士団の人の付き添いはあるものの、自分たちで魔物の討伐に出るようになっていた。

特別クラスの俺たち4人と、普通クラスのアリシアの幼馴染オスカーの5人。

オスカーは雷属性で魔力もそこそこ、弓を使うのが得意で、幼い時から狩人である父に連れられてよく森で小型の魔物も狩っていたせいか、魔力を抑えて気配を消したり、周囲の索敵もうまかった。


俺たちも彼に教わって気配の消し方、索敵の練習もした。


いずれ一緒に魔王討伐に向かう勇者パーティーのメンバーでもあるから、遠慮なく持てる権力を使わせてもらい、討伐の時は普通クラスから引き抜いて連れて行った。

上級クラスでは特別クラスに入ることはもう決定している。



◇◇◇



オスカーは何も言わなかったが、討伐に行くようになってからルナに嫌がらせをされていたとアリシアに聞いた。

魔法学園の上級クラスの生徒は、初級、中級クラスの生徒の模範たるべし。

校則にもあるんだから、上級になる時に辞めなかったらこれで辞めさせられないか?

そんなことをつらつら考えていると、アリシアがニヤッとした。

「学園辞めさせようとか考えてない?」

(なぜバレた?)

「ぽん太は潔癖だから、そんな事考えそう。私はそのままにしてていいと思うな。」

「なぜだ?」

「だって、オスカーは特別クラスに入ってくるからもう接点はなくなるし、辞めさせたらまず、オスカーが特別クラスに選ばれた時と、勇者選別の儀式で選ばれなくて悔しがるルナが見られなくなるわよ。」

(いや、別にそんなもん見たくもないけど。)

回復魔法が得意で、卒業後は神殿入りを望まれ、ひそかに聖女と呼ばれているアリシアの悪い笑顔。

口には出さないけれど、みんな騙されている。そう思った。


上級クラスになり、特別クラスにオスカーが加わった。

俺は忘れていて気付かなかったが、特別クラスに決まったエステルとオスカーの魔力測定の時のルナの顔は見ものだったらしい。

エステルを溺愛しているアリシアはエステルには猫をかぶっているが、俺には黒い笑顔を見せてくる。

「何でわざわざ俺に?」

「初級クラスの時、同じクラスでエステルの悪口言いまくっていたのをぽん太止めなかったでしょ?」

エステルがかかわりたがらなかったのもあるが、ゲームではそんなもんだったからと放置していた。

「ゲームではテンプレだったかもしれないけど、エステルは生身の人間なのよ。傷つかないわけないでしょ。」

宮殿に引き取ったからと、俺は安心していた。

エステルは、妹から向けられる悪意に傷ついていた。

「気づいてなかった。すまん。」

「ポンコツ王子、次はないわよ」



◇◇◇



5歳の時に前世を思い出してから、ゲームじゃないリセットができない現実だから、何とかエステルを死なせないようにと色々頑張っては来たけれど、一緒に暮らし始めてこれまで、会話らしい会話をしてこなかった。

それじゃダメだっていうのはわかっていたけど、8歳の彼女にどう説明していいか分からず、最初の日にレオンと呼んでもらい、食事のたびの膝抱っこを家族からのそれが普通みたいな態度をとってもらうことで続けてきたがそれもそろそろ限界だろう。

俺は今まで魔王討伐でエステルを生き残らせるという目標を目指してきていたけれど、それよりももっと先なんて考えたことはなかった。

エステルが生きた人間だというのはわかっていたけれど、無意識にゲーム内のエステルを重ねていたらしい。


エステルは好きだ。

ゲーム画面のエステルよりも、生きている体温が感じられる身体を持ったエステルは比べ物にならないほど可愛い。

初めて見かけた時は人形のように可愛らしかった。

きっと今の俺は生きているエステルをもっと好きになっているんだろう。

親しい者だけを集めた、母が主催するお茶会やダンスパーティー、学園で卒業式後に行われるダンスパーティーではエスコートして、練習も含めて一緒に踊ったりしているが、学園の会話くらいしかしていない。

エステルにとっての俺は、魔力測定のどさくさで婚約して宮殿に連れてこられたけど、それ以降ちゃんと話もせず、膝抱っこでご飯を食べされる変態だと思われているかもしれない。


全員で生き延びられたら、婚約しているのだから卒業後結婚という話にもなるだろうし、それならば俺はちゃんとエステルと恋愛したい。

したいとは思っているが、毎日少しづつ、魔王討伐で倒れたエステルに近づいていくのを感じると、どうしても魔王討伐が最優先になる。


取り敢えず恋愛関係になれるかどうかは後回しにして、アーサー、オスカーも含めて父にしたように、夢の話という事にして、今まであいまいにしてきた事情を共有することから始めようと思った。



◇◇◇



週末の夜、家族との夕食の後、エステルをサンルームに誘う。

父には特別クラスの全員に話すことの了承は得ている。


今日は満月なので、庭は暗いが月の光を浴びた花が白っぽく光って見える。

婚約しているとはいえいつもなら誰かが立ち会うのだが、今だけは2人にしてもらった。

2人分のカップには紅茶が湯気をたてている。ポットも準備されている。


ソファにエステルを座らせると、近くにあった予備の椅子を運んでテーブルの角を挟んで腰かけた。

エステルはいつもと違う俺の様子に戸惑ったような表情を浮かべながら見つめてくる。


5歳の時に交流会でエステルを見かけ、倒れてから3日間、魔王討伐までの長い長い夢を見たという話をした。

エステルが死んでしまう事をごまかすために、倒して帰ってきたとは言わず、これから魔王と戦うという所で目覚めたことにした。


複数の帝国魔術師と話し合った結果、魔力を安定させ、魔力量を受け入れられる体にするためには、洋服越しでも構わないので身体の接触による魔力の供給と、食事と共に魔力を与えることが一番効果があるという事も説明する。


「私は学園に通えなくて、魔力暴走を起こしてしまってたのですか?」

「うん。僕はそのことで君に謝らなくてはいけない。」

膝に置いている少し震えているエステルの手を包み込むように握る。

「なぜ?レオンは私をここに連れてきてくれて、そのおかげで学園にも通えているのよ?」

「僕は夢の内容だけを信じて魔力測定の時に君をここに連れてきたけれど、本当はもっと前から家族にきつく当たられていたんじゃないのかい?魔力測定の時の君の母親の態度からそれを察することもできたのに。それに初級クラスで君の妹から君をかばわなかった。」

「そんな!あなたも8歳の子供だったのよ?それにレオンにいやな思いをして欲しくなくて、私が止めたんだし。」

「夢の中で18歳になっていたんだから、それを考えたらもう大人だったと言ってもいいくらいなんだが。」

「確かに、魔力測定の時のレオンはすごく落ち着いてて、私の頭をなでてくれたわね、とても安心できた。」

「それなら良かった。」

そう言いながら、近い方の右手を伸ばし柔らかく微笑みながら頭をなでてくれる。


魔力測定の初めて会った日はまだ天使のような幼い顔立ちだったのが、変わらない赤みがかった癖のある金髪と少し薄い赤い瞳のまま凛々しい引き締まった顔と毎日の鍛錬で王子らしからぬ日焼けした肌の少年と青年の間くらいに成長している。

引き締まった顔が目を細め、本当に愛おしそうに微笑みながら頭をなでてくる。

こんな風にされていると、レオンが私を本当に好きでいてくれると勘違いしそう。


魔力測定の時、色もなく少ない魔力しか出なかったことで私は自分に対して失望した。

母やルナにきつい態度をとられても仕方なかったんだって納得してしまった。

けれど、レオンはそんな私の手を引いて、「僕たちの婚約を認めてください。離れたくないので、今日今すぐに彼女を連れて帰ることをお許しください。」

母に対しても「僕はエステルが良いんです。エステル以外はあり得ません。」

そう言ってくれた。

あの日私もレオンと離れたくない、レオンが良い、レオン以外はあり得ない、そう思ってしまった。

つないでくれた温かい優しい手を離したくないと。


私が悪役令嬢でもなく、ルナもアリシアもヒロインじゃなかった。

でも、さっきの話の通りならレオンは私をここへ連れてくるために婚約してくれたのよね。

それならこれから先、レオンに本当に愛する人が出来たら、私は身を引かなければ。

胸がチクチクする。

その時、頭をなでていたレオンの手がエステルの髪を一房持ち上げると自分の唇に当てた。

エステルはエメラルドグリーンの瞳を見開き、レオンを見つめたまま固まる。


「交流会で初めて見かけたときから、ずっとこうしたかった。膝に抱いて一緒に食事をするたびに、君の髪に顔をうずめて香りをかいで、抱きしめたいと何回も思った。そして、君にも同じように思って欲しいと願ってた。」

エステルの顔に熱が集まる。


レオンが唇に当てていた髪を放す。

エステルの髪が肩に当たり、その感触がひどく寂しく感じる。


「でもその度に、魔王を倒さなければ幸せになれない、すべて奪われてしまう、そう思うんだ。そしてそう思い浮かぶと、魔王を倒すことしか考えられなくなって、君への気持ちがひどくあいまいに感じるんだ。」

レオンの顔からは一切の表情が消え、次に困ったような悲しそうな表情に変わる。


レオンは夢と簡単に言ったけど、たくさんのつらかったり悲しい体験もしたのかもしれない。

レオンに悲しい思いをさせたくない。

今度は私がレオンの頭をなでた。

見開いたレオンの薄い赤い瞳から涙が落ちる。

涙をこぼしながら、優しく笑う。

「一緒に魔王を倒しましょう。」

「うん、絶対に魔王を倒して、みんなで幸せになろう。」

レオンの涙はなかなか止まらなかった。



◇◇◇



次の日の午後、明るいサンルームに私たち特別クラスの5人が揃っていた。


「うわー、さすが宮殿。思っていたよりも何千倍もきれいだわ。」

アリシアがきょろきょろしながらため息をつく。

「後で時間があれば私の部屋にも来て?」

「わ、嬉しい。じゃあレオン、さっさと話し終わらせて。」

「お前な・・・」

レオンが苦々しい顔をする。


ソファで2人に挟まれて、座っている。

レオンは肩に手を置き、もう片方の手で私の手を握る。

アリシアは私の反対の手を握り、空いた手で器用に私の口にお菓子を運び、紅茶を飲ませてくれる。

昨日の夜、私の魔力を増やして安定させるために必要だと言われたので、逃げることはできない。

アリシアがいるときは2人に挟まれる。

「魔力の解放も安定化もアリシアの方が俺より上手いんだよ。」

今まで見たこともない苦々しい顔でレオンが言う。

アリシアは得意げにレオンを見やる。

アーサーとオスカーは何事もない顔で、レオンに目を向ける。


レオンは昨日と同じ話をした。

ただし、私が魔力暴走したとかその辺は必要ないので省かれていた。

話し終わった後、オスカーが手を上げる。

「確かにここ数年、俺が子供の時に森の奥でも見たことなかったような魔物が村の近くでも時々出てくるようになったって親父が言ってた。」

アリシアもうなずく。

2人は王都から馬車で半日ほどの少し離れた村で育った幼馴染で、学園には寮に入って通っている。

オスカーの父親は狩人で、害獣退治が主な仕事だったが、最近は騎士団を森に案内して魔獣退治することが増えたらしい。

「父上もはっきりとは言わないが、騎士団をあちこちに派遣することが増えているように思われる。」

アーサーは騎士団長であるレオンハルト侯爵の令息。


俺とアリシアはゲーム知識として知っていたが、実際に仲間から話を聞くと魔王復活に対するいろいろな気持ちに重みが加わった。

百聞は一見に如かずってこういう事か。

確かに最後に倒れたエステルが二次元のゲーム画像から成長したエステルになった時、ぞっとしたもんな。

身体中の毛穴が開いていやな汗が出て、しばらく震えが止まらなかった。


魔王が復活して、このメンバーで討伐に向かうという情報は共有できた。

少しお茶した後、それぞれが自由に動き出す。

エステル、アリシア、オスカーは庭の散策に行った。

プライベートな庭園には薬草も植えているので、アリシアとオスカーはそれに興味を示した。

「エステル、欲しいものがあれば庭師に言えば良い。」

エステルはうなずくと、3人で出て行った。


オスカーが俺に何か話したさそうにしているから、2人でしばらくお茶を飲んでいた。

「ぽん太と上条はゲーム以外の記憶があるのか?」

お茶を吹き出しそうになったが、かろうじて飲み込む。

「せめて飲み込んだタイミングで言ってくれ!」

「すまん。」

「それでお前はいつ気づいた?」

「上条がお前をぽん太って呼んだ時かな?」

「あん時か!言えよ。」

「衝撃で固まってた。」

「あああ、そうなるな確かに。」

「このゲーム、お前らの話聞いてただけだから、ほとんど記憶もなんもない。」

「あー、俺もゲーム以外の記憶、ほとんどないんだよね。」

「3人で仲良く異世界転生かぁ。」

「奇跡だな。」

しばらく2人でニヤニヤする。

落ち着いたころ、アーサーがじっと見つめてきた。


「お前と上条、何か隠してないか?」

「つっ…」


魔王討伐の時、ゲームでは最後にエステルが死んでしまった事を告げると沈黙が落ちた。

「ゲーム内じゃ魔力測定の後、彼女は親に学園に入れてもらえず、13歳で魔力暴走を起こしてから入学することになってた。

それに属性ごとに魔力上げるとかできなかった。

騎士団での訓練も魔王討伐が決まってから始まった。」

「だいぶ変えているんだな。」

「うん、絶対に死なせない。死なせたくない。」

「彼女は知っているのか?」

のろのろと首を振る。

「・・・・・・言えないよな。俺に協力できることがあれば何でも言ってくれ。」

涙をこらえるのに精いっぱいで、うなずくことしかできなかった。



◇◇◇



情報共有して1年が過ぎた。

まだ魔王復活の報は入らない。

Sランク、SSランクの魔族の発生もまだだ。


ゲーム通りならば、勇者選別の儀式は1年後。

ゲーム内では最上級生になって3か月、長期休みに入る前に勇者選別の儀式が行われ、3か月ほどで準備して魔王討伐に半年かかった。


ゲームやマンガやアニメなら軽装でほいほいあっちこっち行けるだろうが、ここは現実。

大陸は広く、魔物が多く湧いているからってそこに魔王がいるとは限らない。

しかも移動手段は馬か馬車か徒歩。

大陸は広い、山に登れば寒いし、暑い地方もある。

道が狭ければ、馬車も使えない。

武器や防具、暑かったり寒かったりの着替えや食料、野宿用のテント、調理器具、その他。


準備期間3か月で武術と魔力上げて、まぁ、半年かかるけど魔王探して討伐。

いやいやいやいや、普通に考えて無理。

現実で大陸一周だけでも、馬車で軽く数年かかる。


実際というか、ゲームでは1年かからずに討伐できたが、昔はもっとかかっていたという設定になっている。


アリシアはここがゲームと同じ世界だというのは省いて、いつの間にか転生者だとエステルとオスカーにカミングアウトしていた。

「道理でいろいろ変な奴だと思ってた」とさらっとオスカーに言われたと憤っていたが、前世でも残念美少女と呼ぶくらい変わっていたから、心の中で大きく同意しておいた。

それで、エステルもカミングアウト。

流れで俺とアーサーもカミングアウトすることになり、これからの計画が大いに捗ることになった。


計画というのは、前世のおぼつかないアウトドア知識諸々を総動員して、この世界とは比べ物にならない新しいテント、テントや馬車で魔石で使える携帯ミニコンロ、ミニストーブ、エアーマット、暖房機能付き寝袋、簡易シャワー、ドライヤー、その他を発明してもらう事だった。

いきなり色んなアイデアを出し、それがエステルとオスカーに怪しまれるのではと躊躇していたから助かった。


簡易シャワーとドライヤーはエステルとアリシアが熱烈に欲しがったし、実際によく野営をするオスカーがいろいろアイデアを出してくれた。

シャワーとドライヤーなんか、水魔法で洗うと同時に風魔法で乾かせば良いだろうと言ったが、押し切られた。

服にも暖房機能をつけてもらい、荷物を減らす。

普通荷物は馬車の後ろに置くが、悪天候時に中からも取れるように軽自動車のように座席の後ろに荷物置き場を作り、馬車の後ろに扉をつけて詰めるようにしたり、この際だからと馬車に変更もした。


普通は詳細な設計書、設計図を書き、学園の教授の許可をもらい、それから魔術研究所に提出してーという気の遠くなるような手続きが必要になるけど、そんな時間は魔力や武術を上げるのに使う。

王子という特権をフル活用して、思いつくままに口頭と簡単な絵で魔術研究所の職員に丸投げした。

最初はなかなか分かってもらえなくてやり取りに時間がかかったりもしたけど、どこの世界にもマニアはいるもので、こっちの要求をすぐに理解し、思いつかなかった機能を追加してくれる研究員が現れて、ほとんどのものは商品化されて騎士団や領地の遠い貴族用の馬車でも使用されるようになった。


商品化された場合、発案者と作成者に売れるごとにお金が入る仕組みとなっている。

みんなで話し合ってできたものなので、俺たちの取り分は全部5等分にしてもらうことにした。


かなり重くなるからさすがに冷蔵庫を積むわけにもいかず、その代わり燻製やオリーブオイル漬けの保存食の作り方と料理法を習った。

オスカーが貴族の俺たちが料理をできることに驚いていたが、前世は平民だというと納得していた。



◇◇◇



Aクラスの魔物ならば多少群れになっていても5人で倒せるようになっている。

騎士団との模擬線(騎士団長をSSランク、団員をSランクとみなす)でも8、9割は勝てるようになってきた。


エステルもアリシアも魔力もだいぶ成長し安定もしているので、魔術騎士団長からの提案で杖を作ることになった。

勇者に選別されれば宮殿の宝物庫にある武器が使える。

これはその練習に使う。

さすがに選別されていないのに、宝物庫の武器を持ち出して使える権限は持っていない。


杖があると魔力の調節もしやすいらしく、2人は今までうまく発動できなかった技も1回で決められるようになったり、発動できる回数も増えたりでいいことずくめだった。

「そのうちエステルとオスカーと3人で討伐に行けるようになったりして。」

アリシアがニンマリと悪い笑顔を向けてくる。

「俺たちだって伝説の武器が手に入れば…」

アーサーと慰めあう。

「その時には私たちも伝説の杖を手に入れてるわね。」

「・・・・・・」

悔しさを騎士団との訓練にぶつけ、次の週、初めて全勝を手に入れた。



◇◇◇



エステルとアリシアの杖は半年で魔力の伸びに耐えられなくなったために新しい杖になり、俺とアーサーも載せる魔力に耐えられなくなって、新しい剣に変えた。


自分の部屋で珍しくのんびりしながら、明日から使う新しい剣の事を考えてたりしていた。

エステルに時間があれば一緒にお茶でも誘おう。

メイドに声をかけ、お茶の準備を頼む。


サンルームで日を浴びながらエステルを待つ。

あと半年でどれくらい上げられるだろうかそう思っていた時に、大聖堂の女神像が光り、勇者選別の儀式が行われると連絡が入る。

ゲーム内より半年早い。

半年の時間が奪われた。

こうなるとSクラス、SSクラスの魔族が発生するようになり、各地の魔物も今までよりも狂暴化する。悠長にしていられなくなる。


ゲームでは全員をカンストさせても最後にエステルを守り切れなかった。

どんなに強くなったとしても最後の最後にゲームの強制力が働いて守れないのではないか、強くなった気はしているが実際に戦ったらかなわないのではないか。

半年早まった今の時点の勇者選別の儀式は強制力が働いたのだとしたら。

倒れて目を閉じるエステルが目に浮かぶ。

エステル、君を失ったら生きてはいられない。

今まであえて考えないようにしていた事が頭に浮かんで、一気に不安が押し寄せ立っていられなくなった。


「レオン」

どれくらいそうしていたのか、ふとエステルが呼ぶ声に気付く。

背中をさすり、頭をなでながら額や髪にキスをされていることに気づく。

「レオン、大丈夫よ。大丈夫。私たちは勝てるわ。努力したもの。」

エステルがポロポロと涙をこぼしている。

「レオン、大丈夫よ。大丈夫。私たちは勝てるわ。」

繰り返しながら頭をなで額や頭にキスをされている。

「エステル」

顔を上げると涙をこぼしながらも微笑むエステルの顔が目に入る。

額をくっつけて両方の頬を手で包み込んでくれる。

「レオン、大丈夫よ。私たちは勝てるわ。」

「一緒に魔王を倒すんでしょう。」

エステルの肩に顔をうずめ、抱きしめた。

エステルは俺の頭をなで続けて頭にキスをしたり頬ずりを繰り返す。

背中をポンポンと軽くたたいてくれる。

身体の震えが止まる。

もう一度しっかりとエステルを抱きしめ、香りを吸い込む。

エステルはいつも優しい甘い花のような香りがする。

頬にキスをして顔を上げ、両手で頬を包み込み額をくっつける。

「絶対に魔王を倒して、みんなで幸せになろう。」

エステルは微笑んで何度もうなずく。


学園の制服に着替え、2人で手をつないで大聖堂に向かった。

父、皇帝陛下は女神像の隣の椅子に座っていた。

2人が近づくとうなずき、一瞬優しく微笑んでくれた。



◇◇◇



勇者選別の儀式は終わった。

俺、レオン・アクイラ・クローネン。

エステル・ティア・スコット。

アーサー・トーマス・レオンハルト侯爵令息。

アリシア。

オスカー。


ゲーム通りに5人が選ばれ、とりあえずホッとする。

次の日は皇帝と魔術研究所の所長が立ち合いで宝物庫に行って持っていく武器を見つける。宝物庫には特殊な保存魔法がかけられているらしい。

そのおかげで数百年も前の資料でも保存できているらしい。

中に入ると、代々の勇者達が使った武器や防具が並んでいる。

ここで自分に合う装備があれば光って教えてくれるらしい。

なければそこから作る。不思議なことに、ちゃんとその勇者に合うものが出来上がるらしい。

出発までの3か月の猶予期間はそれか~と思いながら聞いていた。


勇者が身に着けると勝手にサイズが合って重さが0になる、ドワーフの作ったというとんでもない鎧と盾を手に入れた。

火属性の大きな魔石のついた剣も手に入った。これもドワーフ作。

ドワーフの国は大陸東の山脈にある。討伐が終わったらぜひ行ってみたい。


アーサーも同じ鎧と盾、雷属性の剣。


エステルとアリシアは杖のてっぺんの所にぐるりと白、赤、青、緑、金の5つの魔石のついた杖で、エステルはルビーのような赤、アリシアは純白でこちらはエルフの作ったもの。

長さも太さもあり、かなり重そうだが、こちらも勇者が持つと重さが0になる優れもの。

そして様々な加護と防御が施された杖と同じ色のローブとブーツ。これもエルフ作。

エルフの国はドワーフの国のある山脈の麓の広大な森林にある。こちらもぜひ行ってみたい。


オスカーもエルフの作った金の弓、矢、そしてロビンフッドのような緑の帽子と服とブーツ。

矢も呼べば戻ってくるという。

こちらも様々な加護と防御が施されているらしい。


どの服も装備もすごく目立つ色をしているが、魔物の目には映りにくい特殊な効果がつけられているらしい。

一つ一つにつけられたタグのようなものを見ながら、所長が丁寧に説明してくれる。



◇◇◇



ありがたいことに今日で全員の装備がそろったので、明日フル装備で近場に討伐に出ることにする。

勇者達の伝説の装備はすさまじかった。

勇者が復活した数百年ごとにしか見ることのできない装備と武器を見てみたいほとんど全員の騎士団がついて来て、いつものようにAクラスの群れを討伐に行ったのだが、俺とアーサーの一振りでほとんどの魔物を葬ってしまったのだ。


騎士団の武器管理課長がすぐにドワーフとエルフに連絡を取り、同じ武器や防具を作れないか問い合わせたらしいが、伝説だけになぜか勇者が選ばれた時に材料もあっさりと揃って作れたが、それ以降どうしても作れなかったと伝わっているそうだ。

これも女神さまの加護だろう。


そのあとは出発までアリシアとオスカーは家に戻り、家族に報告してゆっくりしてくる。

エステルは家族を呼ぶことにした。


予想通り、エステルは父親だけが会いに来た。

ルナは体調不良で、母はついているので来られないと。

魔力測定の日の大聖堂以来、婚約の条件どころか一度も連絡してこなかった。

エステルの隣には、レオンが付き添った。

応接室で向かい合って座る。

「元気そうで良かった。」

「お父様も、お元気そうで。」

それきり会話は続かず、ぎこちない空気が流れる。

5分も経たないうちに父親が立ち上がる。

「あまり遅くなるとエレンが心配するから。」

エステルは分かってるというようにうなずく。

「無事に帰ってくるんだよ。女神さまに祈ってるから。守ってあげられなくてごめんね。」

エステルは何度も何度もうなずいた。

スコット伯爵はうつむいたエステルの頭をそっと撫でるとレオンに深々と頭を下げて出て行った。

俯いて震えているエステルの肩を抱いて、頭に頬を摺り寄せる。

「愛されてる。良かったね。」

エステルがかすかにうなずく。

エステルが顔を上げるまで、レオンは寄り添い続けた。


「8歳の子供を連れてきたいとお前に言われた時は、とんでもないことを言い出したと驚いたが、これでよかったんだな。」

エステルとの面会の後、スコット伯爵は父に繰り返し礼を言ったらしい。

「私では守り切れなかったので」

切なそうな顔をして帰っていったそうだ。



◇◇◇



魔王討伐に向かうための準備は、保存食が出来次第、馬車に積まれて終わった。

早すぎたかなと思っていたが、諸々の準備を後回しにしなくて良かった。


見送りは早朝、皇帝一家と騎士団長夫婦。

俺の家族とアーサーの両親。

簡単に挨拶して出発した。


魔物の被害がひどいという事で、まず南に向かうことにした。


馬車はとんでもない重さになった。

5人分の荷物だから仕方ない。


馬車は4頭立てで御者台に2人、中に2人、馬が1人で行くことにした。

馬車の揺れだけはどうにもできない。

サスペンションの存在は知っていても構造がわからなければどうにもならなかった。


長期間の体力勝負になるため、なるべく人里離れていない場所では野宿は避けることにした。

領主館に泊まると、食事会やら何やらめんどくさいのは分かっていたので、寄るのは騎士団詰め所。

そこで馬も世話してもらえ、簡単な食事と魔物の情報ももらえる。


野宿の場合は夜、馬車でエステルとアリシアが眠り、テントで男2人、交代で見張り1人をローテーションする。

エステルとアリシアは夜の見張りをしない代わりに食事係をお願いした。

昼は女性2人と男1人が御者台と馬で、見張りが馬車で寝る。


皇都から馬車で1か月半かかる南のサザントンは近くの山脈から魔物が湧いてきたため、近くの町や村の住民は、昔サザントン国の王城で今は砦となっているサザントン砦に逃げ込んでいる。


砦まで馬車で1日の距離にある手前の騎士団詰め所で馬を借り、馬車は後で運んでもらうことにして先に砦に向かうことにした。


軍馬は身体が大きいが、エステルとアリシア、オスカーもあっという間に乗りこなせるようになっている。特にオスカーは1度も乗ったことがなかったのに、走る馬に立ち上がって弓を射れるようになっている。勇者に与えられる女神さまの恩恵かもしれない。


峠を越えると魔物に包囲された砦が見えた。

まず手前の魔物をエステルが範囲魔法で薙ぎ払い、俺とアーサーは左右に分かれて砦の周りの魔物を片付けて行った。

アリシアは砦に入り、けが人の治療に入る。

1時間ほどで砦の周りの魔物をあらかた片付けて、合流する。

そのまま魔物の湧く場所に向かう。


魔法で物は送れないが、魔石でできたピアスにそれぞれが魔力を注ぐことで近距離であれば連絡を取ることができる。

重症者の治療を終えたアリシアも合流する。


瘴気の湧く泉にいた初めて出会うおそらくSランクの魔物。

今までの魔物より体も大きく魔力も多い。

今回は思っていたよりもあっさり倒せたが、これから先のランクの高い魔物は湧いてから時間も経っているから手ごわくなると思われる。


泉をアリシアが浄化する。

俺もエステルも確かに全属性持ちではあるが、アリシアの白魔法の浄化、回復能力はけた違いだ。


初戦を圧倒的勝利で飾れた俺たちは砦に戻った。


砦には疲れ切った兵士や近くの町や村から避難してきて一緒に戦ったりした人たちであふれていた。

けがをしている人もいる。

それでも、みんな勇者たちが近くの魔物を全滅させ、森の魔物の発生源の瘴気を祓ってくれたことで、今までの生活に戻れることを喜んでいた。


魔王討伐が終わったらまた来ることを約束して、次に被害の大きい南西の街へと向かうことにした。


サザントンの砦と騎士団から伝わっていたらしく、連絡を受けて向かった襲撃場所の近くの騎士団では軍馬と馬車用の御者が準備されており、その後の攻略もサクサク捗った。


何回かSランクの魔物に遭遇したが、SSランクはまだだ。

ゲームでは、東西南北に1体づついて、そのうちの1体はサザントンにいた。

今回は要請があったから1番に駆け付けたが、ゲームでは王都周辺の街を順番に救っていき、サザントンの砦で1体目のSSランクを倒した後は北東西の砦でそれぞれ1体ずつ倒し、最後に皇都の近くに発生した魔王を倒して終わる流れになっていた。



◇◇◇



最初は疲れているのかと思った。

普段、明るくみんなに気を配るレオンの口数が少なくなった。

討伐に出て最初のころは相変わらずレオンの膝に座らされて食事していた。

けれど、サザントン砦を出た頃から「俺よりアリシアの方が効率良いから、頼めないかな?」

そう言って、アリシアに頼むようになった。


目が合わなくなった。

夜中に勇者ではなく通常の鎧と剣で鍛錬している様子。

理由を聞いても「大丈夫」そう言って、困ったようにちょっと微笑んで離れていく。

いつもならレオンが無茶すれば怒るアリシアが「そっとしておいてあげて」そう言って、アリシアも困ったような顔をする。


南のサザントンの砦から始まった魔物の討伐は西のシュリダン砦も救い、北に向かっている。

レオン達がSランクと呼ぶ魔物も順調に倒し、これまでの所苦戦すらせず順調に進んで来れている。

レオンとアリシアが難しい顔をする理由がわからない。


夜中ふと目覚めると隣にアリシアがいない。

外から押し殺したようなレオンの声が切れ切れに聞こえる。

馬車のカーテンの隙間からそっと外をのぞくと、焚火の前に座ってレオンとアリシアが何かを話している。

私に話せないことでもアリシアには話せるんだ。

レオンの様子がおかしくなってからずっと我慢していたけれど、仲間外れにされたような、自分がレオンにとって価値がないようなもやもやとした気持ちが湧き上がってくる。


勇者選別の儀式に向かうとき、つないだ手の間に距離はなかった。

一緒に魔王を倒す。気持ちは一つだと思っていたのに、いつの間にこんなに離れてしまったんだろう。


エステルはベッドに戻り、目を閉じた。



◇◇◇



「エステル」

朝食の時、珍しくアーサーが名前を呼んできた。

いつものように私は2人に挟まれて座っていた。

めったにないことなので、レオンとアリシアも動きを止め、驚いた顔をしてアーサーを見つめている。

「レオンとアリシアは毎日食事を与えている間にお母んになって君を箱入り娘のように思っているんだ。」

アーサーが何を言いたいのか分からず、オスカーも含め、ぽかんとしてオスカーを見つめる。


「旅に出てからレオンは討伐に出発してからの夢を見たんだ。」

ヒュッとレオンが息をのむ。

「その夢で今まで俺たちが倒したのとは違う、もっと強い魔物が南と西の砦近くにいたらしい。

だが、実際に俺たちが砦に行ってもそんな魔物は出ていない。後でそいつらがまとめて出てきてみんなが危険にさらされるんじゃないかと疑っている。」

アーサーがレオンとアリシアの顔を見て、私に目を向ける。

「こいつらは箱入り娘の君に心配をかけたくなくて、あーでもないこーでもないってない頭を突き合わせて悩んでいるんだがどう思う?」


「・・・・・・わ、私は箱入り娘じゃないわ。女神さまに選ばれてみんなと一緒に魔王を倒すためにここにいるの。」

「だそうだ。レオンお母ん、アリシアお母ん、過保護過ぎじゃない?」


(初めてお膝抱っこでご飯を食べさせられた時、お母んかって思ったわ、そういえば。)

ふと遠い目をしてしまった。


レオンが頭をガシガシをかいて、大きくため息をついた。

アリシアは手にしていた食器とスプーンをテーブルに戻すと私に抱きついた。

「ごめんなさい、エステル。」

アリシアは震えている。

「ごめん、エステル。一緒に魔王を倒すって約束したのに。」

レオンはこめかみに額を寄せて囁いた。


「アーサー、オスカーもごめん。そうだよな。みんなで一緒に倒すんだよな。」

オスカーはこっちに笑いかけると食事を再開した。

「これでこれからは隠し事はなしだ。さぁ、さっさと片付けて出発しよう。」

アーサーも食器を手にする。



◇◇◇



馬車の御者席で話すエステルとアリシアの笑い声が聞こえる。

移動中、俺とアーサーは馬車で仮眠をとるために横になっていた。

「今日は助かった。」

「色々と段取りが狂ったから、それもストレスになってたんだろ。」

「そうかもしれない。これからは、もっと頼るよ。」


半年早くなった勇者選別の儀式、砦にいないSSランク。

もしゲームの強制力が働いたら、対応しきれなかったら。


元々不安には思っていたが、学園にいたころは騎士団と合流して訓練をしていたから強くなっているという実感があった。

けれど旅に出てからは、伝説の防具と武器で学園にいたころに倒せていた位の魔物としか戦っていない。弱くなっていたらどうしようという不安がどうしても消えない。


ゲームではSSランクの魔物は4体。

東西南北の砦に1体ずついた。

もしも魔王とSSランク4体が一緒にいて1対1で戦うことになったら。


不安は尽きないが、久しぶりに悪夢を見ずにぐっすり眠れた。



◇◇◇



途中立ち寄った街で、久しぶりに森に入って討伐をした。

街を包囲するほど湧いてはなかったが、近くに騎士団もなく、逃げ込める場所もない。


馬は普段馬車を曳かせている5頭。

馬車は街に置いてきた。

オスカーが軍馬でもないのに、騎乗のまま森にすごい勢いで突っ込んで行く。

木の枝を器用によけながら、弓と剣を器用に使い分けて魔物を追い込んでいく。

エステルとアリシアは狭い範囲魔法で効率よく倒し、残りを俺とアーサーで仕留めて行った。


森の奥、山脈の麓の入口の狭い洞窟の奥から瘴気が流れ出している。

もしも奥に大きな魔物が隠れていたら困るので、確認に入る。

アリシアの白魔法で瘴気を祓いながら奥へ進む。

20分ほど進んだあたりで洞窟が広くなって、瘴気の塊があった。

見た瞬間、それが瘴気を集めて、時間をかけてSランクやSSランクの魔物になる素だと気づいた。

それがかすかにうごめいたが、アリシアが浄化をするとあっけなく消えた。


伝説の防具と武器を宝物庫で選んだ時、歴代の勇者たちが書き残した資料にもざっと目を通したが、そのような記述はなかった。

たまたま今回、進み方が速いために湧いていないのかはわからないが、記録に残す価値はあると思った。


街に戻り、浄化が済んだことを伝えると皆が喜んだ。

しかし、魔王はまだ倒せていないので、引き続き用心するように伝える。


次に立ち寄った騎士団で、もしかして現時点でSランク、SSランクの魔物の素が発生しているかもしれないので、南と西の砦にも伝えるように頼んだ。



◇◇◇



5人で馬に乗り、山を登っていく。

目的地はこの峠を超えた向こうの山脈の斜面にあるはず。

馬と馬車は騎士団に置いて頼んできた。

水と簡単な食糧3日分、魔力回復用ポーションを馬に積んできた。


やっと頂にたどり着く。

向こうの山脈の斜面、低いところに広がる森林の東の方に黒い靄が見える。

今まで見てきたどこよりもひときわ濃い禍々しい瘴気。

見下ろすとあふれかえった魔物が広がって、こちらを目指して登ってきている。


「あのっ、ちょっと試してみたいことがあるの。やってみても良い?」

エステルがみんなを見回す。

「6割くらいで抑えるから。」

アリシアがエステルをじっと見つめる。

「うん、6割なら余裕かな?」

(こんな時こそ、ステータス画面が欲しい。)

切実に思った。


エステルが杖を構えて目を閉じる。

エステルの周りで風が渦巻き、そこに時々雷と氷が混ざっている。

杖を軽く振ると風の輪が麓の魔物に向かって一気に広がって波が押し寄せるように流れて行った。

風に触れた魔物はことごとく粉砕されたように瘴気になって消えていく。

残念ながら森の奥の魔物には効果がなかったらしく、森の上に瘴気が漂っているが、森のこっち側まであんなにあふれかえっていた魔物が消えてしまった。


俺たちは声もなくただただ魔物の消えた麓を見つめていた。


エステルが振り返る。

「私ね、この前、レオンが新しい夢を見た時に気づいたことがあるの。

今までずっとレオンとアリシアにご飯を食べさられるのが、私の魔力を使えるようにして安定させるためってわかっていても、小さい子のようですごく恥ずかしくていやだったの。

でも、あの時にレオンが私に相談してくれなかったのは私がずっとそうやって受け身だったからじゃないかって思った。

それからは食事のたびに取り込んだ魔力を自分の身体になじませるように意識していたら、さっきあの魔物たちを見ていたら、どうすれば今の魔法が使えるか、身体の中のピースがカチッて嵌ったように分かったの。」


エステルが両手を広げると俺を抱きしめた。

「今までずっとありがとう。こんな魔法が使えたのもレオンのおかげだわ。」

耳元で囁くとニッコリして離れていく。

次はアリシアを抱きしめていた。



◇◇◇



特別クラスになってすぐのころ、アリシアが手を握って単独での属性の使い方を教えてくれた時のように、今、エステルに抱きしめられたことで、今度は単独の属性を組み合わせる感覚が身体の中で渦巻いている。

「エステル、アーサーとオスカーの手を握ってくれないか?ハグはダメ、手だけ。ハグはダメ。」

エステルが離れたアリシアが一瞬こっちを見てエステルに向かうと激しくうなずいている。


不思議そうな顔でエステルがアーサー、オスカーと順に手を握る。

するとアーサーが目を見開いて自分の掌をじっと見つめた。


さっきのエステルの魔法を見た感じでは水と雷を組み合わせた攻撃はなかなかよさそうだ。

雷メインのアーサーの攻撃力が上がりそうで期待できる。


オスカーは魔力は持っているが雷属性だけだから、何の変化もなかったらしい。

ちょっとしょんぼりしていた。

すまん。



◇◇◇



麓の端の方に迂回しながら下る。

森からは魔物がこちらに向かってくる。


「最初に俺が行く。」

レオンが魔物たちに近づいて行った。

先頭に近づくと馬から降りて剣を抜く。

最初は炎と雷、次は炎と風というようにいろいろな組み合わせで魔物を倒していく。

最後に魔力を多めに込めて一振りすると、それだけで森から出てきていた魔物たちが倒れていく。


レオンが戻ってくる。

「組み合わせを使っても、疲れと回復は普段と変わらない気がする。光属性も混ぜたんだが、エステルの時のように魔物が消えないんだよな。あれが出来れば後が楽なんだけどな。」

眉間にしわを寄せながら、皆に説明してくれる。


魔物は死体からも瘴気が発生するので、光属性で浄化または火で燃やさなければならない。


次はアーサーが試し、水と雷の組み合わせに満足そうに戻ってきた。見ていてもそれがわかったくらいだ。やはり格段に威力が上がったらしい。


アリシアとエステルが何やら話し込んでいる。

うなずきあうと2人で瘴気が発生している方に向かい、杖を構える。

最初にエステルの前方にさっきと同じように魔法の渦が発生する。

次にアリシアの前に同じような渦が現れる。

アリシアの前の渦が移動してエステルの渦に重なる。渦がゆっくりと上昇をはじめ、瘴気の方向へ進みながら広がっていく。

エステルの身体がふらついているのに気づいて、身体を支える。

近くで見ると、エステルの額に汗が浮いている。

とっさに俺はエステルに魔力を注ぎ込んだ。

アーサーが来て、アリシアの身体を支えた。

魔力の渦はちょうど前方の瘴気の広がりの上空に達し、同じくらいに広がっている。

不意に瘴気の塊から何かが2つ飛び出してきたが、その時渦が下に下がり抑え込むように森に沈んでいく。

一瞬渦が眩しく光り、元に戻った時には瘴気が消えていた。



◇◇◇



4人でへたり込んでいると、じっと森を見つめていたオスカーが振り返って言った。

「多分、魔王が残っているよ。」

言われて立ち上がり、よくよく見ると奥の1ヶ所に瘴気が少し残っている。


「まず回復だな。」

馬に積んでいた荷物を下ろし、腰を下ろす。

残った瘴気を眺めながら、まるでピクニックのように食事をする。

とは言っても、食べるものは乾燥肉と水で戻した乾燥豆。

魔術研究所からもらった最高ランクのポーションは、出発前に騎士団と訓練で行ってた魔物討伐の時には使い切った魔力を簡単に回復してくれたのに、今飲んだ感じでは1本で1/3くらい。

出発して3か月ちょっと。それだけでこんなに魔力量が増えていたのかと少し安心した。

最高ランクのポーションを水のように飲み、全員が回復したのを確認すると立ち上がった。



◇◇◇



全員で細かく索敵しながら森を進む。

森に入る前に残った瘴気の方角は確認していたが、実際に森に入ったらすぐにわからなくなった。

時折頭上の枝の隙間から山肌が見えるとそちらに方向を修正しながら進む。

2時間ほど経った頃に、オスカーが瘴気をとらえた。

暗くなる前にたどり着きたいので、、個々の索敵は止めてオスカーについていく。

森の中でオスカー以上に速く移動出来る人間を知らない。

「え?俺なんか親父についていくのもやっとですよ。本気の親父には追いつけないし。」

以前そう聞いて、上には上がいるんだなと思ったが、今のオスカーに俺たちはやっとついていけてる状態だ。

多分、かなり手加減してくれているんだろう。

1時間ほどで瘴気にたどり着く。


そこにいたのは人型の魔物だ。

やってきた俺たちを静かに見返してくる。

大きな岩にもたれ、立ち上がることもできないらしい。


オスカーは馬上から弓で狙い、エステルとアリシアは杖を握っていつでも攻撃できるようにしている。

少し距離を保ち、目を離さずに馬から降りた。

前もって打ち合わせていた通り、アリシアに俺の前面に防護膜を張ってもらい、エステルは全体が見渡せるように最後尾にいる。


「今回の勇者はとんでもないな。」

頭の中に声が響く。

小さな声だが、反応を見るに全員に聞こえているようだ。

「お前が魔王か?」

「これまでお前たち人間が吐き出してきた悪意の塊とも言えるな。」

「・・・・・・・」

それについては返す言葉もない。ゲームの設定上、人間を滅ぼすために突然魔王が現れるのではなく、大陸で暮らしている多種族も含めた人間たちが吐き出した悪意が瘴気となり大陸を覆い、そして人里離れた場所で人知れず集まってやがて魔王を生み出すような塊になる。

要は勝手に生み出しておいて、討伐されるという魔王側にとっては理不尽なシステムになっている。

「わからんでもないが、共存はできない。」

俺とアーサーが剣を持って近づこうとした瞬間、突然魔王の輪郭がゆがみ瘴気の塊となってエステルに向かっていった。

間に入ろうとしたが間に合わなかった。

倒れるエステルの姿が頭に浮かぶ。

隣にいたアリシアも反応できない。

瘴気の塊がエステルの身体を貫くと思われたその時、エステルが魔王だった瘴気の塊を杖で思い切り地面に叩きつけた。

オスカーが瘴気の塊に矢を打ち込む。

地面に縫い付けられてうごめく瘴気の塊にアリシアが浄化魔法を放つ。

魔王だった瘴気の塊が消えた。



◇◇◇



エステルに駆け寄る。

エステルは馬から降りると胸に飛び込んできた。

「エステル、けがは。」

エステルの身体のあちこちを見る。

「大丈夫、けがはないわ。」

みんなも駆け寄ってきた。

「今のはどうやったんだ?杖は?」

アーサーが言った瞬間アリシアが噴出した。

「まさか、あれ?」

「ええ、そうよ。」

エステルは笑っているアリシアにまじめに答える。

「「「あれって?」」」

3人の声がそろった。


エステルが杖を持ち上げてみんなに見せながら、1ヶ所に触れると魔法陣が光った。

「あのね、ここに触ると魔力が流れ込んで杖に強化がかかるの。どうやって使うのか分からなくて魔術研究所に行ったら、魔物が近くて魔法が間に合わなかったら、ここに触って魔物をぶん殴りなさいって言われたの。」

「「「は?」」」

アリシア以外、ぽかんとする。

魔法の杖にそういう機能があるのが一般的かどうかは知らないが、今回はそれに救われた。

「お陰で助かったわ。」

エステルは杖の魔法陣を見ながらニコニコしている。


エステルを杖ごと抱きしめる。

「無事でよかった。魔王が君に向かった時、俺は何もできなかった。君を失うかと思った。」

最後は涙声になった。

そのまま俺が泣き止むまでエステルは慰めてくれた。



◇◇◇



騎士団についたときは日も暮れていた。

魔王討伐完了の報せを宮殿に送ってもらう。


俺たちが魔王を倒すと同時に、狂暴化していた魔物が急におとなしくなって森に引き返したりたり、大きかった魔物が小さくなったりしたらしく、町などが襲われそうになって対応していた他の騎士団から早いところでは夕方には魔王が討伐できたのでは?という問い合わせが、すでに入っていたらしい。


今までもそうだったのか、たまたま今回はかなり早いうちから弱らせてから討伐できたからそうなったのかは現時点では分らないが、それは後々歴代勇者の研究をしている騎士団の中の機関が調べてくれるんだろう。


俺たちは食事して風呂に入っただけで寝落ちしそうになっていた。

割り当てられた部屋に行き、ベッドに倒れこむようにして意識を手放した。



◇◇◇



気が付くと、女神様の前に5人で立っていた。

「レオン、アーサー、オスカー、アリシア、エステル。」

並んでいる順に、1人1人顔を見ながら名前を呼ぶ。

「あなたたちのおかげで今回の魔王を討伐することができました。たくさんの努力をしてくれた事に感謝します。

今まで何回も繰り返し魔王の討伐に勇者たちが旅立って行きましたが、全員が無事で帰って来られたのはあなたたちが初めてです。

この大陸が統一されて戦争がなくなり、以前に比べると魔王が誕生することは稀にはなりましたがなくなる事はないでしょう。」


「これまでお前たち人間が吐き出してきた悪意の塊とも言えるな。」

そう言った時の倦んだような魔王の顔が目に浮かぶ。

自分たちで生み出しておいて、いざそうなったら討伐ってふざけんなって俺でも思う。

魔王に対峙してから、俺は少し魔王に同情していた。エステルを狙ったことを許す気はないが。


「これからあなたたちが真実を伝えることによって、魔王が誕生しない世界を創り上げられることをわたくしも祈っております。」

にっこりと微笑むと、消えて行った。



◇◇◇



目覚めると昼近かった。

示し合わせたように全員が同じころに目を覚まし、夢もちゃんと覚えていた。


「夢のために俺ら無理やり寝かされたのかな?女神様って強引だな。」

「勇者に選ばれたら拒否権ないしね。」

「確かに。」

騎士団の食堂の隅っこで朝食兼昼食をみんなで食べながらぼやく。


旅の間、食事や馬の手配などもあるし、宮殿が俺たちの位置を把握できるようにというのも兼ねて、次にお世話になる騎士団には、出発前に前の騎士団から連絡してもらうようにしていた。

なので、朝には宮殿から「まっすぐ帰って来い」との連絡が入っていた。


今いる場所は大陸でも結構北の端に近く、間の山を迂回していたら宮殿までは軽く3か月はかかる。

帰ったら魔王討伐の祝賀会やらそれに関連した夜会やら帝国民へのお披露目パレードやらそれの準備とか、騎士団と魔術研究所への報告書とかで少なくとも1か月はのんびりできる暇はないはずだ。

急いでとは言われていないので、のんびり帰ることにした。



◇◇◇



帝都まであと30分ほど。俺たちはすっかり油断していた。

魔王を討伐した帰りは、みんな目立たないように平民が着るような楽な服を着て帰って来ていたのだが、いきなり数人の騎士に馬車が止められた。

「レオン様、お帰りなさいませ。」

よく見ると俺の護衛騎士だった。

アーサーの護衛騎士やエステルの侍女もいる。

すぐに伝説の防具と武器を身につけさせられ、準備してあった皇帝の結婚式などで使われるオープン型のパレード用の馬車に乗せかえられる。


帝都の入口では皇帝一家、騎士団長も加わり、帝都を一周する凱旋パレードが行われるらしい。

着いたとたんに、いきなり前世にあった某夢の国のパレードのキャラクターのようににこやかに手を振りながら帝都一周ってどんな拷問だよ?と思いながら、無理やり微笑みを浮かべて何とか頑張った。

多分俺たち5人は死んだ目をしていたと思う。


「いや~、言えば君たち、いつまでも帰って来ないと思ったから。」

一応ここは皇帝の謁見の間で、皇帝一家、伯爵以上の貴族が勢ぞろいなんだが、いたずらが成功した子供みたいな顔で皇帝陛下がのたまった。

「よくご存じで。」

ことさら低~い声で、苦々しい顔をしながら俺は応えた。


「女神様と皇帝陛下の命に則り、魔王の討伐、完了いたしました。」

「ご苦労であった。では、みな楽にしなさい。」

跪いたままだった俺たちは立ち上がる。

貴族たちから盛大な拍手が沸き起こる。


この日から1か月半、俺たちは毎日目が回るような忙しさだった。



◇◇◇



すべての行事が終わり少し落ち着いたころ、俺とエステルは勇者パーティーメンバーを招いて中庭でお茶会を開いた。


帝都に戻って約2か月。

大変だったのはアリシアとオスカーだと思う。

魔王討伐の褒美として伯爵位をもらい、それなりの領地も帝都の近くに与えられた。

もちろん領地経営を任せられるような信用できる人間もつけ、学園の授業で勉強できるようにした。

これから貴族としての勉強やらも加わる。しばらくは大変だと思う。


特にオスカーは学園を卒業したら結婚しようと約束していた恋人がいたため、貴族に任じられる前に急遽結婚まですることになった。


もちろん俺とアーサー、エステルもそれなりの領地が与えられた。


しばらくお互いの近況報告で盛り上がり、旅の思い出話になり、落ち着いたころを見計らって俺とエステルは切り出した。


「実は学園を辞めようと思ってる。本当は卒業後にしようと思っていたが、ちょっといろいろな事情が重なって、前倒しで準備を始めることにしたんだ。」

「冒険者ではないが依頼があれば冒険者ギルドも動かせて、早めに瘴気の集まる場所を見つけて浄化する権限を持ち、必要があれば騎士団も魔術研究所も動かせる、瘴気が集まらないことを目的にした皇帝直属の組織を作りたいんだ。」

「先々、要らぬ権力欲を持った人間に利用されないように、最終的には各組織の責任者と皇帝との合議によって動かすことを基本にする。」

「いつもいつも権力者に清廉潔白な人物がなるとは言えないが、それはもうその時は仕方ないだろうけど。」

「「これまでお前たち人間が吐き出してきた悪意の塊とも言えるな。」

あの魔王の一言がずっと引っかかっていた。」

「だから、少しでも魔王が誕生しないように、できればもう誕生しないような未来を手に入れられるように努力したい。」


「前倒しにする理由はあのばかか?」

少し考えこんだ後、アーサーが言った。



◇◇◇



忙しい日々の一番最後の行事、魔王討伐凱旋記念の舞踏会がオスカーとアリシアの貴族としてのお披露目も兼ねて開催されたのだが、その日に南に属するサザントン公爵が踊り終わったレオンとエステルに近づいて来ると、

「勇者のお2人が未来の皇帝陛下と皇后陛下となれば、この帝国もますます栄えるでしょうに残念ですな。」

とわざとらしく、おどけるように言った。


エステルが手を引かなければ、ぶん殴って不敬罪で父親の所に引きずっていくところだった。

「魔王討伐で一番最初に向かったのはサザントンの砦でしたが、その判断は間違いではなかったようですね。確か砦は公爵の領内ですよね。」

そういうと、サザントン公爵は顔を真っ赤にして離れて行った。


今回の魔王が北の領地にいたために、北の人間が良からぬことを考えていたからではないか?とまことしやかに口にして北を貶めようとする北以外に領地を持つ者もいるらしい。

サザントン公爵はその筆頭だ。

また、第二王子とその婚約者が魔王を倒した勇者だから、次の皇帝陛下と皇后陛下にふさわしいのではないかという話も、魔王を倒した後に出始めたらしい。


だから、学園を卒業してからなどと悠長なことを言って帝都にいたら、噂に尾ひれどころかもっととんでもないことになってしまいそうだ。



◇◇◇



俺が考えた組織はガーディアンと名付けられた。


魔王を討伐したあの辺は人も住まないため直轄領になっていたので、いつまでも魔王の事を忘れないように、俺がもらった。

俺は皇位継承権を放棄して、ここの地名をつけてノースウィンディア大公になった。

ガーディアンの拠点として人が住むようになれば、それなりの街もできるだろう。

まぁ、それはまだまだ先の話だ。


俺とエステルは学園を辞めた。

挨拶に行ったとき、偶然ルナに会った。

噛みついて来るかと思っていたら、おとなしくエステルと言葉を交わし、去っていった。

これも魔王を倒した影響か?


まず帝国中あちこちの砦や騎士団、冒険者ギルドを訪れて、ガーディアンの目指すところを説明することから始めることにした。

討伐の旅に使った馬車や他の物は量産できるという事で宝物庫送りは見送られていたから、使わせてもらうことにした。


本当はエステルと結婚式を挙げてから出発しようと思っていたが、学園卒業後にアーサーとアリシアが結婚するというので、結婚だけして式は合わせることにした。

オスカーも式は挙げていなかったから、結局3組で一緒に挙げることになった。


サザントン公爵は、あの後父が差し向けた者たちによっていろいろと隠れてやっていたまずい事がばれて砦を含む領地のほとんどを取り上げられたが、処刑するほどではなかったので男爵にまで爵位を落とした。

追従してた連中も、同じような目にあった。

類は友を呼ぶとは、このことだろう。


というわけで、最初に向かうのは自分の領地にもなったサザントン改めノースウィンディア・サザントン砦だ。



◇◇◇



討伐への出発の日のように、見送りは早朝、同じメンバーだが、今回出発するのは俺とエステルの2人。

同じように簡単な挨拶を交わして出発した。


記憶を取り戻してから討伐まで、エステルの死をもたらす敵として、あんなに恐れ、憎み、殺そうと思っていた魔王のために自分が何かするなんて思ってもいなかった。

それによって人類も救われるのだから、間違ってはいないと思う。


御者台でエステルと並んで座り、のんびりと馬車を走らせる。


ゲームは終わった。この世界での自分の人生はこれから始まるんだ、そう考えていたら、

「自分の本当の人生がこれから始まるみたい」

エステルがそう言って、俺を見上げてくる。

「うん、俺もそう思った。」


エステルと一緒なら、どんな事があっても乗り越えていけるだろう。

俺の育て方は間違ってなかった。




◇◇◇◆◆◆◇◇◇



私には双子の妹がいる。

いつもぼんやりしていて、何もないところで躓いたり、ダンスもろくに踊れない。

「エレンがしっかりしているから、とても助かるわ」

父も母もいつもそう言ってわたしをほめてくれた。


帝国では数百年ごとに魔王が復活する。

その時には勇者選別の儀式が行われて勇者パーティーが選ばれる。

選ばれる基準は不明だが、魔力量が多かったり武器の扱いに長けている者が選ばれる事が多いため、自然と平民よりも貴族が選ばれる割合が多い。

勇者パーティーは15~18歳の少年少女から選ばれることが多いため、子供同士が仲良くできるように子供のいる貴族はなるべく帝都で過ごし、交流を図るのが重要とされていた。

そのために毎週末、宮殿と大聖堂の間の広い庭園で、交流会という簡単なお茶会が行われている。

歴代の勇者の記録を見ても、勇者パーティーの旅が円滑であれば討伐にかかる時間も短く済むことが多い。


魔王は人々の持つ負の感情が徐々に集まり、瘴気となってある一定以上を超えると復活すると伝わっている。

大陸が帝国として統一されていなかった頃、国同士の諍いが多かったり戦争が起きたりした場合には頻繁に復活が繰り返され、繰り返し魔物に襲われて国が疲弊して諍いが止むと復活の間隔が伸びたため、魔王を復活しにくくするために大陸が統一されて帝国になったといってもいいだろう。


月に一度参加する交流会。

朝からおめかしをして、父と母に連れられて宮殿近くの大聖堂に向かう。


宮殿と大聖堂の間にある広い庭園がいつも会場になっている。

大陸内は帝都を中心に、簡単に東西南北の地域で分けられている。

簡単なお茶会とはいえ、帝国中の貴族が集まるのは無理なので、週ごとに北→東→南→西と地域ごとに主催を替えて行われている。

だいたい自分の領地が所属する地域の参加することが多いが、他の地域の交流会に参加することも可能となっている。

私の伯爵家は西地域の所属になるので、いつも西地域の日に参加していたのだけれど、私たちももうじき7歳。

8歳になれば魔力測定を受けて魔法学園に入学することになるので、他の地域の貴族の子供たちとも顔見知りになっていたほうが良いだろうという事で、今日は北地域の交流会に来ている。


だいたいの人数を把握するために、交流会はチケット制となっている。

馬車を降りて入口に向かい、列に並ぶ。

会場はいつもと同じとはいえ、いつもの西地域の交流会とは飾りつけもお菓子の匂いも違う。

妹は父と手をつなぎ、私は母と手をつないでいる。

私はドキドキしながら順番を待っていた。


チケットを渡して、リボンを受け取るとそれぞれ胸につけて会場に入る。

入口付近にいた婦人が、私たちのリボンの色を見て、すぐに近づいてくる。

「こんにちは。西地域からいらしたのですね。どなたか尋ねていらっしゃったのですか?いらっしゃらないようであればご案内しましょうか?」

婦人は母と同じくらいで、赤っぽい茶色の髪を軽くまとめ、明るいハシバミ色の瞳だ。

「ありがとうございます。初めてなので、ご案内いただけると助かります。」

西地区の交流会では、母も同じようにたの地域から来られた方たちを案内したりもしているので、お互いに手慣れたものだ。


最初に子供たちが遊んでいる、噴水の近くの広場に案内される。これは西地域と変わらない。

だいたい5~8歳くらいの子供たちの30人ほどが遊んでいる。

「ウィル~、クラウド~」

夫人が呼ぶと、二人の少年が走ってくる。一緒に遊んでいた子供たちも後をついてくる。

柔らかいウェーブのかかった金髪で、真夏の空のようなブルーの瞳のウィルことウィリフォード8歳と、夫人によく似た赤っぽい茶色の髪と明るいハシバミ色の瞳のクラウド7歳。


夫人は私たちを子供たちに紹介し、お互いに挨拶をしてから一緒に広場に戻っていくのを見届けると、今度は両親を大人たちの集まっている方へと案内していった。


双子の妹のヘレナと手をつなぎ、子供たちと一緒に広場に戻る途中、ヘレナがいつものように何もないところでつまずいた。私も一緒に倒れそうになった時、二人が両脇から支えてくれた。


広場の端の噴水に近い、交流会の時にいつも座るベンチにヘレナを座らせる。

2人は気にしていたが、途中でつまずいたこともあり、ヘレナがいつものように本まで準備しているのを見ると、何も言わなかった。


3人で子供たちと合流する。

西と北では、子供たちの遊びも少しルールが違っていたり、途中で演奏が始まって、子供たちの輪の外側に大人たちがわを作って同じように回って踊る北地方に伝わるダンスを教えてもらったり、初めて食べるお菓子や飲み物をもらったり、想像以上に楽しい一日を過ごした。

最初は恐る恐るだった他の子供たちとも夕方になるころにはすっかりうちとけて仲良くなれた。

本当は東や南にも行くつもりだったのだけど、思いがけず仲の良い友達ができたため、魔法学校の入学まで西と北に交互に参加して過ごした。


8歳になり、私たちは学園に入学した。

ウィルは1学年上で、クラウドと私たちは同級生だ。

初級クラスの間はお互いに行き来もあり、一緒にお弁当を食べたりもした。

ウィルが2度目の魔力測定で特別クラスに編入し、次の年にはヘレナが特別クラスに入った。

たまに廊下ですれちがえば挨拶くらいはかわすが、なかなか一緒に過ごせなくなってきた。

長期休暇に一緒に遊ぶには、住んでいる地域も異なるし、向こうは公爵家、こちらは伯爵家、気軽に行き来するのは不可能だった。

交流会も学園の入学前や初級クラスの間に数回参加したくらい。


魔法学園では、中級クラス以上になると、学年の最終日に卒業式後のダンスパーティーが開かれる。

だから最終日のダンスパーティーには4人で楽しくおしゃべりし、一緒に踊るのが楽しみだった。


あっという間に月日は流れ、ウィルは今度最終学年となる。

今年の卒業式は来週行われる。


ウィルは公爵令息にもかかわらず、まだ婚約者がいない。

もし卒業前に婚約者が決まれば、今年が彼と踊れる最後のパーティーになるかもしれない。


初めて出会った時からそうだったが、ウィルはみんなが憧れる王子様のようだ。

柔らかいウェーブのかかった金髪で、真夏の空のようなブルーの瞳。

誰にでも分け隔てなく優しいし、高い魔力量と複数属性をもち、中級クラス、上級クラスと特別クラスに所属し、成績も優秀だ。

北地域でも古くから続くアッシュフォード公爵家の跡取り。

どう考えても私は不釣り合いだ。


もし自分がヘレナだったら。

ふとそう考える。

私とヘレナは双子だけれど、あまり似ていない。

私の髪は特徴のない栗色で、瞳は青。

それに比べてヘレナは銀色のストレートな髪で、エメラルドグリーンの瞳をしている。

顔はほっそりとして、小さな鼻、少したれたアーモンドアイ。

子供のころはいつも俯いてぼんやりしていて、何もないところでつまずいたりダンスや運動も下手だった。

けれど今では、複数属性を持ち魔力量も多い。特別クラスで成績も優秀。

彼女が歩く姿に男女とも見とれる者もいる。

去年の最終日のダンスパーティーでウィルと踊るヘレナは華のようだった。

周りのみんなも見とれていた。

けれどもヘレナも私と同じ伯爵令嬢。

身分違い。

ヘレナでさえただの幼馴染で終わる。そう考えたら、明後日のダンスパーティーで告白しようなんて気持ちはしぼんで消えてしまった。


◇◇◇


明日がダンスパーティーで、今日は休み。

メイドたちに準備されたドレスとアクセサリーを眺めながら、ふとヘレナの今年のドレスが気になった。

ヘレナのメイドに聞こうにも、何か今日は部屋の外の様子があわただしい。

気にはなったけども、元々髪の色も瞳の色も違うんだから、重なりようがないと思いなおすと昨日持ち帰ってきた教科書などを片付けていた。


ドアがノックされる。

「お嬢様、ご主人様が執務室へお呼びです。」

執務室?何事だろう?今年の成績はそんなに悪くなかったはずだけど?

「わかったわ」

不思議に思いながら立ち上がると、父の執務室に向かった。


ここ最近の父は何かと忙しく、夕食でもほとんど顔が合わせられていない。

何かあったのだろうか?少し不安になりながらドアをノックすると、すぐに父に「はいりなさい」と言われる。

思っていたよりも普通の声だったので、ドアを開け入ろうとしたが、中の光景に足が止まる。

執務室の応接用の手前のソファには父と母が並んで座り、奥のソファには見つめあって腰かけるウィルとヘレナがいた。

2人は仲睦まじく両手を握り合い、エレンに満面の笑みを向けてきた。

「どうした?早くドアを閉めてこっちに来なさい。」

父に不思議そうに言われ、慌ててドアを閉じると震える足を無理やり数歩進めた。

母に促され、母の隣、ヘレナの向かいに腰を下ろす。


「ウィルバート様とヘレナの婚約が決まった。」

父が家族にしか分からないくらいの不満そうな声で告げる。

「本当はヘレナの卒業まで待つつもりだったが、私が卒業して会えなくなると思ったら、どうしても耐えられないと思ったんだ。大事な親友の君にももっと早く教えたかったけど、口止めされていたんだ。ごめんね。」

「彼の卒業後すぐに結婚する予定だけど、私は卒業まで学生を続けるからそれまでは学校で会えるわ。」

幸せそうに頬を染めながら、2人が私に告げる。


「婚約が実は内定していた事にして叔父上にお願いすれば、長期休暇前にでも結婚できるんだけどな」

ヘレナはクスクス笑っている。

(叔父上って皇帝陛下よね?)

ヘレナに向かってとろけそうな顔で、いつものウィルでは絶対に言わなそうなとんでもない発言を聞いているうちに、少し冷静になってきた。


「ウィルバート様、ヘレナ、おめでとうございます。」

「エレン、ありがとう。」

「お姉さま、ありがとう。」


「途中のままにしてきたものがあるので、戻りますね。」

「忙しいのに呼び出して、すまなかったね。」

にっこりと微笑んで立ち上がると、挨拶をして退室する。


執務室のドアを閉じると歯を食いしばり、ギリギリ見咎められない速さで部屋に戻る。

部屋のドアをそっと閉じて鍵をかけると、崩れ落ちてしまった。


ウィルはいつからヘレナのことを想っていたんだろうか?

今まで婚約者がいなかったのは、ヘレナのためだったんだろう。

うちの父を含め、アッシュフォード公爵、皇帝陛下それ以外のどれだけの人たちにいつから根回しし、説得してきたんだろう?

ついさっき自分が身分違いだから手が届かない、かなうはずがない。そう結論付けて諦めたばかりなのに、そんなものは何の障害にもならなかった。

一緒に出会い、同じような時を過ごしてきたと思っていたけど、ウィルはヘレナを選んだ。

私は選ばれなかった。


毎年ダンスパーティーのたびに差し出される手。

私は幼馴染、ウィルにとっての特別。

そう思っていたけど、そうじゃなかった。

誰にでも優しいウィル、分け隔てのないウィルの笑顔。あれは誰にでも向ける笑顔だったんだ。


「彼の卒業後すぐに結婚する予定だけど、私は卒業まで学生を続けるからそれまでは学校で会えるわ。」

ウィルの卒業までは婚約中の2人、そしてその後は卒業まで幸せそうなヘレナを見続けなければならないのか。

想像しただけで胸がきしむ。


涙がとめどなく流れる。

今まで一度も見たことない頬を染めたウィルの顔。

ヘレナに向けるとろけそうな笑顔。

ぐるぐると頭の中をめぐっている。


私は初恋と妹、幼馴染を一度に失ってしまった。






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