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ゲームと努力の相互関係について

作者: 高海

2024年5月27日初執筆

 結論から話そう。「ゲームという存在は歴史が変わろうと必ず何処かで生み出され、無才の人々の救済処置になる」物である。だからこそ、理不尽だったり、根拠の弱い理屈で押さえつけるべきではない。無論子ども相手なら特に。


 そもそも家庭用ゲーム機は半世紀前に、意外と近代に生み出された。それまでの生活は想像したくもない差別の多い世界だったのだろうと筆者は夢想している。何故なら現代に置いて活躍している「ゲームの得意な人々」の受け皿が、舞台がこの世に存在していない時代だったからである。

 ゲームだけではない。平成初期から特出しだした電子世界も数多くの埋もれていた才能人を呼び起こした事だろう。実に素晴らしい事だ。だが、豊かな時代であっても特技の有無による格差は未だ存在している。そこで、無才の人々が輝く機会を与える舞台になりえるのがゲームである。

 現代はまだまだ不完全である。自分の意志で命をほおり投げる若者が年々増している事実が証明している。きっと努力も結果を伴わず。無才なばかりに絶望してしまうのだろう。

 しかし、どれだけ絶望しようと産まれた以上生きなければならない。それが正論だからではない。残

された家族が被害を被るからである。せっかく苦しみぬいて死ねたというのに、立鳥後を濁しまくるなど、地獄行き確定だろう。

 ならどうすべきか?産まれたは良いが誰からも褒められない無才な人々は何を希望に生きればいいのか。そう「ゲーム」である。

ゲームの世界には才能の有無はほぼ関係なし。顔の優劣も、身長も、住所も何一つ関係ない。そして、何より、選んだ道がどこかしらで必ず報われる。何なら金をかけても良い。金をはたくことで、開発陣に貢献する事ができる。開発陣に美味しいご飯を食べて欲しいから、なんて理由で課金する人も居るだろう。

 現実では見当違いな方向に向かってしまうと、努力が思った通りの実りを見せてくれない。才能の差に打ちのめされる可能性も高い。しかしゲームでは自由だ。無才な人々でも

「努力による成功経験」

を味わうことができる。更に言うならゲームを通して、交友関係も広がるかもしれない。人次第にもよるが、努力が報われる人生を経験することが出来るのだ。子供達への影響も見逃せない。

 小学生ほどの自我が固まりつつも他者からの評価も浴びたい、人よりも優れた姿を見せたい…未熟ながらも小さな社会を確かに形成している彼らの社会にとって

「手っ取り早く、最短最速で結果を見せられる」

ゲームは素晴らしく有用である。

 それだけではない。当たり前の視点だが、

「ゲームは多人数で楽しめる」

スポーツや絵のような芸術はある程度身体能力や集中力、体の出来不出来によってどうしてもあぶれてしまう子が現れる。しかし、ゲームではあぶれてしまう子が出にくい。誰だって楽しむことができる。

 そう、ゲームは子供達に努力の報われやすい平等な世界を提供しているのである。よってゲームを制限する愚行を犯す親御さんには声高らかに

「それはちがうよ!」

と反論したい。

 

 次に、大人達にとってゲームはどの様な作用を起こすかを筆者は考察していきたいと思う。

 まず、ネット社会では悪印象を押し付けられてしまい報われない処遇「おじさん」の方々にとって、いやその他の「社会に、有象無象にまぎれた人々」にとっての救いになっていることだろう。

 「有象無象」に紛れたままでは我慢ならない人々も山ほど存在し、趣味に走る。…と筆者は考えている。満点の星のように数多く散りばめられた「趣味になり得るコンテンツ」の中にゲームが含まれているのである。

「ゲーム実況者」が最たる例だ。彼等はゲームを通して人を魅了し人生を歩んでいる。半世紀前ではきっと眠れる獅子だった事だろう。彼等の存在こそゲームが数多くの人々の救済になっているという証明ではないか。実際筆者も彼等の動画視聴を学生時代の毎日の趣味にしていた。

 「愛されたい人々」の受け皿にもなっていると考えられる。恋愛ゲームもガールズバー風味のゲームが存在するし、なにより

「VRチャット」

というコミュニケーションアプリの巻き起こした革命は大きいだろう。VRチャットは

姿を自由に変えられる。猫にも美少女にも、止まれの標識にもなれる。なりたい者になれるし、現実では出会えない外国の人々とも言語の壁を乗り越えて語り合うことができる。自分が仮にお爺さんとしてもVRチャットでは美少女を演じられる。資金が無いばかりに整形に乗り出せない人々が自分のデメリットを別の形で昇華して楽しめるのだ。人の温もりを得たい独身の方々にはたまらない事だろう。


 その他にもゲームを「創る」側に回ることで自己肯定する人々もいる。

「ゲームを作りたい」という欲求が人々にはある。

「ゲームを作る楽しさを知ってもらいたい」という願いを成就させるために、ゲームを作る為のゲームが生み出された…と筆者は考えている。そのような先人たちの思いを受け継ぎ、趣味詰め込んだ自分の理想のゲーム開発に乗り出す人々が現れたのだ。一般人がゲームを作る為のゲームを下地に作り上げたゲーム達は

「フリーゲーム」

と呼ばれている。その殆どは無料だ。一大コンテンツになるほど愛されるフリーゲームも多数存在する。

一般人が大人気ゲームを作り上げるなど、半世紀前の誰が予想しただろう?このように、ゲームは多数の可能性を救い上げ、努力を可視化し、そして報われる成功経験を与えることができる。



以上である。

 無論ゲームにのめり込むのはいけない。だが、そうならざるを得なかった背景には「努力の報われない社会」「努力を否定された過去」など現実に打ちのめされた事実があるのだろう。また、老いてもなおゲームで人生を楽しく彩っている者もいる。何事も一長一短だ。だが、改めて主張したい。頭ごなしにゲームを否定してはならない。子ども相手なら猶更。ゲーム1つで社会を形成し損ねる子も現代には山ほどいる。ゲームは、悪いものではない。平等に成果のある努力を経験でき、成功を味わうことができる、いわばチャンスである。

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