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高校生の俺

 無償のなんとやらを拒絶するようになったのは、高校に入学してすぐだったような気がする。学校には一応通っているが、いつからかじいちゃんちには行かなくなって、部活には入らず遅くまでバイト。帰宅はするが、両親とは最低限の返答だけでほとんど口はきかず、自分の部屋に引きこもる。顔を合わせても無愛想な俺に、母さんは悲しげな顔のままうっすら笑って、冷めた朝食を静かに片付ける。仕事をする時は自室にこもっていた父さんは、リビングで仕事をするようになり、何か言いたそうにこちらをうかがっては、何も言わずにため息をつく。干渉されないから、大袈裟な口喧嘩とか暴力沙汰とか、そういうのとは無縁で有難いと思う反面、それが寂しいような苛立つような、なんとも言えない気持ちが心の中でぐちゃぐちゃに渦巻いていて、毎日気持ちが悪い。じいちゃんが心配してくれるような気がしていたが、その気配もなく、たまにじいちゃんちの様子を見に行っている浩太の話によれば、家を空けていることが多いようだ。なぜ、浩太がそんなことをしているのか理由を聞いたら、何年つるんでると思ってんの、と肩をどつかれ、その時のドヤ顔に安堵した自分が無性に悔しくて、倍以上の力で肩をどつき返してやった。


 おうちの人に愛されてないんじゃないの、かわいそう。


 さみしいね。


 幼い頃気にもしなかった言葉が、頭の中で響く。愛されていなくたって、いいさ。寂しくたって、いいさ。無気力のまま、その日暮らしで適当に生きていける、それだけで、いいさ。


 バイトがない日は、たいていは浩太の家で過ごしている。浩太は小学生の頃から母子家庭で、兄弟もおらず、母親が帰ってくるまでほぼ一人暮らし状態なので、色々気にすることなく過ごせるのがいい。ただ、社交的な浩太には、男子も女子も寄ってくるので、大人数で遊ぶ時は必ず外になる。ゲームセンターやボーリングはまだいいが、カラオケは最悪。聞き専に回って、時間が過ぎるのを待つしかない。そういえば、カラオケで誰もがよく歌うアーティストがいて、何度も聞いているうちに、なんでもない時に脳内再生されるくらい、覚えてしまった。中学生の頃に知りたかった、あの歌だ。アーティスト名も歌の題名も歌も、今更知って覚えたところでなんの意味もないけれど、忘れちゃいけない気がして、誰にも気づかれないように、心の中で大熱唱している。


 ある日、バイトが終わって家に帰ると、家の前に、見覚えのある車が停まっていた。夜だと言うのに、その車体は黒く不気味に光っていて、車体にもたれるように煙草を吸う黒い人影がゆらゆらと動いている。近づいてきた俺に気づいたその人影は、後ろの扉を重たく開けて、首と目だけで、乗れ、と言っていた。怒っているわけでもなく、柔らかい表情だからこその、有無を言わせない威圧感。拒否権も微塵もない。


 じいちゃんに会うのは、いつ振りだろう。久しぶりの再会なのに、沈黙の重いドライブはキツイものがある。行き先も告げられず、窓の外を眺めるかスマホに目を落とすか、小さく流れるラジオの音に耳を澄ますか。最初は、目的地に着くまで寝てやるもんかと思っていたが、バイトで疲れていたこともあって、次第に瞼が重たくなっていく。あぁ、ラジオであの歌が流れている。そんなことを思いながら目を閉じると、そのまま深い眠りに落ちていった。


 目を覚ますと、車内はひんやりしていて、肩までタオルケットが掛けられ、運転席にじいちゃんの姿はなかった。変な体勢で寝ていたせいで、体の至る所が痛い。外に出て伸びをすると、夜の澄んだ空気が一気に肺まで届き、思わずむせた。目的地に着いたんだろうか。辺りを見渡していると、どこからともなくじいちゃんが現れて、また無言のついてこいアクション。ポケットに手を入れて少し丸まる背中。あんなに広くて大きいと感じていたじいちゃんの背中が、心なしか小さく見えたのが嫌で、靴の踵だけを見つめてついて行った。立ち止まったじいちゃんは、古びた小さな店の扉を開け、俺の目をまっすぐ見た。その目を見つめ返すことが出来ず顔を背けたまま、薄明かりの灯る店内に足を踏み入れると、ほのかに、コーヒーの香りが漂っていた。一見古く見えるが、店内は埃っぽさとは裏腹に、手入れが行き届いている気がする。


 頭をフル回転させて、今の状況を整理しようと立ち尽くす俺を気にも止めず、じいちゃんは慣れた手つきで、コーヒーを淹れ始めた。カウンター席の端っこに腰掛け、その姿をぼんやりと眺めていると、じいちゃんは、今までつぐんできた口を、ようやく、開いた。


 うまいコーヒー、淹れられるようになったか。俺は駄目だ、何度やっても、やっぱり不味い。


 呟くようにそう言うと、一杯のコーヒーを差し出してきた。そして、自分用にも淹れていたコーヒーを口に含んで、何がいけないんだろうなぁ、と、宙を仰ぎ、深く、長く、息を吐いた。


 差し出されたコーヒーカップに、おそるおそる手を伸ばす。一口飲むと、不味い、と、自然と口から声が漏れた。だよなぁ、と、じいちゃんが悪戯な目で俺を見る。今度はそらさない。数秒見つめ合っていたら、可笑しくなって、二人で小さく笑い合った。二口目のコーヒーを飲む。やっぱり不味い。不味いのになぁ、この味はどうしてこんなに優しいんだろう。コーヒーカップに触れる手が、唇が、震える。俺は今まで、何に苛立って、何を我慢して、何を諦めて、生きていたんだろう。枯渇したと思っていた涙と、心にせき止めていたものが、一気に溢れ出す。溢れ出すと、もう止まらない。じいちゃん、俺が美味しいコーヒーを淹れられるようになりたいと思っていたこと、知ってたの?ねぇじいちゃん、俺ずっと、じいちゃんが淹れるコーヒー、味見程度じゃなくちゃんと飲んでみたかったんだよ。ねぇ、じいちゃん、俺まだ料理下手くそなままだよ。ねぇ、じいちゃん。

 

 泣き疲れて、カウンターに伏せたまま眠りにつく頃、空は白んでいた。夢心地のまま、これからの自分のことを考える。愛されることを素直に受け入れていた自分を、掛け違えたまま置き去りにしてきた沢山のものを、迎えに行こう。今更照れくさいしすぐには無理でも、時間をかけて、ゆっくり。


 高校生の俺には、取り戻した夢がある。難しくない、シンプルな夢。まだまだ夢の途中、恐れるものは何もない。何度間違えたって、何度でも引き返して、最後にはしっかり、前を向こう。

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