中学生の僕
世間知らずだった僕も、中学生になった今では、少しは成長していると思う。言葉は選んで口に出来るようになってきたし、周りに合わせるということも覚えてきた。あの時のあれは憐れみだったとか、妬みだったとか、皮肉だったとか、思い返せばひどい仕打ちを受けていたような気がして、じいちゃんにそのことを話したことがあった。恵まれている人間は、それに気づいたりそのありがたみに気づいたりするのが遅いんだ仕方ない、と言われた時の、雷に打たれたような衝撃は今でも忘れない。そうか、僕は恵まれている人間で、それに気づいていなかったあの時の僕にも非があったんだ。それじゃあ、おあいこだ。だけど、周りの人達が恵まれていない人間だとは決めつけてはいけない。だって、恵まれているってことの定義や価値は、人によってそれぞれだもの。ほら、僕は確実に成長しているでしょう?
中学生になってから、自分ちの鍵を持たせてもらえた。部活が終わったらじいちゃんちに行って、時間がある時はじいちゃんと一緒に料理をして、夜ご飯を食べたら家に帰って、両親が帰ってくるまで勉強をして待つ。小学生の時にはあまり言えたことのなかったおやすみなさいを、顔を見て毎晩言えるようになったことが、とてつもなく、嬉しかった。
父さんが音楽プロデューサーだから、家には音楽に関する機材やら楽器やら、色々な物が置いてある。興味はあるし、触るのを禁止されたことはないけど、料理の才能に加えて音楽の才能もないことを知っていた僕は、なんとなくそれらに触れちゃいけない気がしていた。歌や曲を聴くのは嫌いではないし、最近よくコンビニとかで流れていて気に入っている歌があるけど、タイトルや歌手の名前がどうしても覚えられなくて、父さんが帰ってから聞こうと思うのに、別の話題に盛り上がって聞くのを忘れてしまう。奇跡的にその話題になって、こんな歌なんだけど、と精一杯歌っても、僕の歌が下手すぎて一ミリも伝わらず、未だに不明のままだ。
母さんは雑誌の編集者で、父さんよりもドタバタしている。ドタバタしている割には、身なりはいつもきちんとしていて綺麗で、仕事を家に持ち帰ってきたことがない。だから、父さんより早く帰ってくることは少なくて、その分、朝ゆっくりと家を出て行く。父さんとは夜に沢山話をして、母さんとは朝に沢山話す。父さんも母さんも忙しいだろうに、学校行事にはどちらか一人が来てくれたし、運動会などの大きな行事には二人揃って来てくれていた。日々の暮らしの中で、三人揃うことは夜か朝の少しの時間しかないけれど、僕は本当に、幸せ者だと思う。
運動神経抜群な母さんに似たのか、授業で行う大抵のスポーツはこなせてしまうのと、じいちゃんちで過ごす時間が少なくなるのは嫌、という理由から、運動部に入る頭はなかった。そのくせ、部活動に入らないという頭もなかったので、お前んちのじいちゃん唸らせてやろうぜ、と言う浩太に誘われるがまま、料理部に入った。それを知ったじいちゃんには、俺に勝とうなんざ百年早いわ、って言われたけどね。
料理部で活動していると、収穫がたくさんある。一番大きい収穫は、「美味しいコーヒーを淹れること」が、仕事としてあることを知ったこと。バリスタとか、焙煎士とか。料理の腕は全然上がらないし、コーヒーの味の違いはまだ分からないけれど、明確に将来の夢を意識している自分がいる。
中学生の僕には、未来に続く道標がある。