戯言は夜更けと共に
「歴史とは何かな?」
男は言った。
「ある地域や集団、もしくは物や個人の時間的な変化の記録の総体」
私は言った。
「君は子供か」そう言って男は笑った。「歴史とは勝者の歩みだ。被差別民に見せつけるカタログだ」
「記録が完全なものではないのは百も承知だが、それは少し言いすぎなんじゃないかな」
「言い過ぎであるのもか。なら何故カエサルはアレキサンドロス図書館を焼いた? 何故中華は焚書を繰り返す? ジョージ・ワシントンが初の大統領だと皆が信じるのは何故だ? それは簡単な理由だ。勝者が歴史を書き換えたからだ」
「また突飛なことを言い出すね。今度はどんな悪だくみをたくらんでいるんだい?」
「単なる世間話さ。暇つぶしに野暮なことは言わんでくれ」
「馬鹿にされて嫌な思いをしない人間はいないさ」
「悪かった。ちょっとした軽口さ。君もまだアルコールが足りていないんじゃないかな。どれ、私がひとつ作ってこよう。何がいいかな」
「ハイボールを頼む。うんと薄くしてくれ。明日は早いんだ」
男は私のグラスをもって台所へいった。
私はソファーに横になり明日の予定を考えていた。朝一でクライアントに会い、適当に話をつけ、それが終われば書類の整理だ。昼にはまた別の人に会うことになる。午後は午後で予定が盛りだくさんだ。
「ずいぶん辛気臭い顔をしているな」
男は私にハイボールを渡していった。
氷の音を立て一口すすると、私は言った。
「毎日会いたくない人間に会い、下げたくない頭を下げ、笑いたくもない話に笑っていればこうもなるさ。そんなものはどうでもいい、歴史の勉強の途中だったろ? 勝者がどうたらこうたらで」
「ああ、歴史は作るものだと言いたかったんだ」
「ずいぶんと俗物的な考えだね。斜に構えた人間ほどそういうことを言い出すよ。もっとも、俗物的な人間である私には丁度いい話題かもしれないが」
「俗物でない人間なんていないさ。みんな食えば出し、生まれれば死に、朝起きれば口は臭い」
「そんな俗物が勝者の歩みとどう向きあえばいいのかな」
「まずは知ることさ。知らないことにはどうにもならない。もっとも、その知るという行為が難しいのだがね」
「世の中には本がいくらでもあるじゃないか。それを紐解けばいいだけの話じゃないかい?」
「そんな簡単な話じゃない。試しに君の本棚から一冊抜いてみな」
私はソファーから立ち上がり本棚まだでいった。そして適当に本を抜き出す。ハイデガーだった。これでいいかいと男に振って見せた。
「ケツをめくってみてくれ。それはいったい第何判かな」
私は言われるがまま確認した。五十四版だった。
「それだけ君の本は刷られている。その間に何度も改定がされいている。そのたびに中身は少しずつ変わっていくんだ。わかるかい? 私たちが気づかぬうちに内容が書き換えられていく。これが人畜無害な戯言の類ならいいさ。しかしバイブルでおこってみろ? どうなる?」
「魔女狩り」
「そういうことだ。君も、私も、気づかぬうちに書物は書き換えられ、勝者の都合のいいように上書きされてきた。それが歴史というものさ」
「そんな単純な話かな。誰かが間違いを指摘したっておかしくないだろ。まして信仰に関わる話なら猶更だ」
「識字率を考えろ。当時の文字なんて金持ちの贅沢品であり特権だ。それに教養の問題もある。誰が抽象的概念を理解できたか? 君は世間に多くを望みすぎている。そしてそれは現に魔女狩りとして行われている」
「君も私もそこまで馬鹿ではないじゃないか。世間知らずでもない。そりゃあ長い人間の歴史の中にはそういう間違いだって起こることもあるだろうが、それだって正されてきたわけだろ?」
「利用されてきた、といったほうが正確かもしれない。誰かにとって魔女狩りが必要だった時代もあったのさ」
「結局のところ、世間は真偽を見抜けないと、そう言いたいのかな」
「そうだ」
「昔のことは私にも分からないさ。だが、それが現代になればなるほど難しくなっていくんじゃないかな。だって図書館にでもいって、古い本と新しい本をひき比べてみればいいだけなんだから」
「そんな手間など誰がかける。そもそも誰が気にする。茹でガエルみたいなもんだ。少しずつ内容を変えていく。少しずつニュアンスを変えていく。そのうち元の意図とは別のものにすり替える。一部の好事家が鬼の首を取ったように騒いだって、そんなものは誰も気にせんよ。それどころか、事態は余計にややこしくなっている」
「どうしてだい? 記録媒体が発達し、証拠がちゃんと残るようになったのに」
「それこそ現代の勝者にはもってこいなのさ」
「君の言っていることが分からないな。都合よく記録を書き換えたい人間にとっては、記録の残る現代のほうが都合がいいとくるんだから」
「つまりだね、好事家、すなわちマニアは少ないということさ。些細な正確さなど気にしない人間が大多数ということさ。それよりも物語だ。それらしい物語、歴史、そういったものが重要視される。創作が大きな力を持ってきた理由がそこにある。ヴェーダなど知らん人間が、プラーナ文献から学ぶんだ」
「今度は物語と来たか。正確性という論点から、ずいぶん外れていると思うが」
「イエスはいつ生まれた?」
私はわざとらしくため息をついた。男は特に気にした様子はなかった。
「馬鹿にしているのか、十二月二十五日だ」
「それは共観福音書のどこにも書かれてない。ようは俗説だ。その証拠に、時代が下ると何月何日がイエスの生まれたという仮説が次々に出てきた。しかしそれらは全て忘れられていった。それはなぜか? 十二月二十五日という日付に個々人それぞれの物語に紐づけされているからだ。確かに事実とは違うかもしれない。しかしそれら体験は人々にとってはるかに真実なのだ。物語とはそれだけの力を持つものなんだ」
「まるで二重思考だな」
「言っただろ、それは真実だと。人々はそれを信じている。ジョージ・オーウェルの造語とは関係ないさ」
私は大きなあくびをした。日付はとうに変わっている。
「しかしだ」男は続けた。「ニュースピークは別だ。あれは素晴らしい概念だ。要領が良く、簡潔にまとまっている。本質も見抜きやすい。エトスもパトスもカイロスも、ロゴスがなければ始まらない。いくらアリストテレスが人前で泣いたって、そこにロゴスがなければ誰も相手にしない。物語だって、つまるところ言葉の産物だ。つまりだね、言葉を握るということはそれだけ力を持つということなんだ」
「それが記録媒体の話とどんな関係があるんだ?」
「例えばだ、歴史上の偉人、アレキサンドロス大王三世でもいい。少しづつ呼び方を変えていったらどうなる? アレキクサンドロスからアレクキサンドロスへ、そのうちイスカンダルに変えてもいい。すると後年の人間の目にはどう映るかな。表記が違えば、それだけで資料を辿りづらくなる。なんせ検索一つ容易に出来なくなるのだから。その過程でアレキサンドロス大王への出鱈目な記述を付け足してみろ。それは歴史の事実として一人歩きをし始める。物語を持ち始め、人々の口から真実として語られる」
私は何が何だか分からなかった。眠気と酔いと明日の予定で頭はいっぱいだった。
「いいかい、今はデジタルの時代だ。本の中身を書き換えるなんて七面倒くさいことをせずとも、データを弄ればいいだけだ。もはや真理省など必要ない。歴史をいじることなんて簡単なんだ。そういう世の中に私たちは生きているのに、それを利用しない手はないだろ? そう思わないかい?」
私は曖昧にうなずいた。
「君の理想はよく分かった。それじゃあ僕はもう寝るよ。夢の中で勝者にでもなってみるさ。おやすみ」
「おやすみ、よい夢を」
男は私に向かってグラスをあげるととウインクをした。
私はふらつく足で寝室まで行くと、着替えもせずにそのままベッドへ横になった。