表
息抜きの息抜きが欲しい。
はっと目が覚めた。
ここはどこだ。私は死んだんじゃなかったのか。
視界の端に見たこともないほど高いビルが見える。
夢の世界なのか、はたまたここが天国、もしくは地獄なのだろうか。それにしてはやけに現実味が強いように思える。
体は五体満足で、問題なく動く。撃たれたと思しき額にも、傷一つついていなかった。
自分の置かれている状況がいまいちわからない。死んだ後のことは死んだことがないからわからないけれど、きっと三途の川も天使のお迎えもないのだから、たぶん自分は死んだわけではないのだろう。でもじゃあ今見える景色はどう説明つければよいのだろうか。
先ほど見えたビルもそうだし、ここの路地裏もそうだ。さっき私に壊された哀れな植木鉢も、私の行く手をふさいだ恨めしき壁もない。私の弟を絞め殺す片手間に、私を殺そうとした甲冑の三人組もいない…。
「あああああああああああああ!」
思わず叫んでしまった。一目なんてないことをいいことに、悲劇の主人公のように顔を両手で覆い無様に膝から崩れ落ちる。
何で私は忘れていた。自分の現状に対する疑問のほうが大きかった?ふざけるな。あの悲しみはそんなものに負けるほどのものだったのか。私はそこまで自分本位だったのか。
悲しみと自分に対する怒りが、脳みその中ではっきりと二分化されながら、自分勝手に這いずり回る。
右目からは涙がこぼれ、右側の唇はわなわなと震えているのに、それと対照的に左目は焼けるように熱く、左の口角は裂けてしまいそうなくらいに上がっていた。
ぐちゃぐちゃになっている私に追い打ちでもするかのように、また違う怒りが私の中で呼び覚まされた。家族を殺した者たちへの憤怒だ。自分の愚かさに本当に呆れる。今までこの感情を一欠片も感じなかった自分の腸を引きずり出したくなった。
「ぁ-----------------!!」
怒りが臨界点に達する。境界線が千切れる音がした。もう何もかもわからなくなって叫ぶ。声は出ない。脳みそをそのまま口から吐き出しているような感覚がする。気持ちが悪い。
上を向く。能天気な快晴の空が私を吸い込もうとしてくるように思えた。やめてくれ。これ以上、私に何も感じさせないでくれ。
それでも容赦なく迫ってくる青空に、私は飲み込まれた…。
目を覚ますと視界には橙に染まった空があった。そのままの体勢で気を失っていたみたい。
あの狂乱じみた感情も、今は抑え込めている。
さっきまで何してたんだっけ。やけに頭がふわふわする。
ああ、ここがどこかってことを考えてたんだった。とにかく自分がいた世界とは何かが違うことだけは分かる。どういう理屈なのかはわかんないけど、転移したみたいな感じかな。
あ、タンポポがコンクリートを突き破って咲いてる。なんか初めて見たような感じ。お花はかわいいな。
よいしょと小さく掛け声をあげて立ち上がる。まずはちょっと歩いてみよう。なんにもわかんないなら散歩でもするのが一番。
ゆっくりとした足取りで路地を歩く。走っていたから具体的に何があったかは覚えていないけど、そこまで照らし合わさなくてもやっぱりなんとなく違うことだけは分かった。
広い通りに出る。何だろう。なんかすごい。さっき私のいたところと結構似ているなと思ったような気がするけど、そんなことはなかった。路地裏から見えたビルだけが大きいのではなく、全部のビルが大きかった。周りを見回すと、色とりどりのキラキラしていたり、女の子が描かれたりしている看板がたくさん見える。
そうした中で誰も彼もが明確な目的をもっているかのようにあわただしく歩いているから、ただうろついているだけの私がすごく場違いなような感じがして、ばつが悪くなり頭を掻く。
回れ右をしてもと来た道を戻る。びっくりした。あんなに壮大な景色見たことなかった。
でも何も現状がわからないままなのは変わらなかった。どうしよう。このまますごしていてもどうしようもない。あの中に飛び込んで話を聞いたほうがいいのかな。でもなんかみんな忙しそうだったから私なんかに対応してくれるかな。
「迷透」
後ろからかすかに声がした。低い、男の声だ。
言っている言葉の意味は分からないが、今の私は白のワイシャツとチェック柄のスカート、すなわち高校の制服を着た状態だ。大方制服を着た女子高生がこんな人気のないところにいたのを見てやってきた不届き者だろう。
振り向いてかまえる。予想通り後ろにいたのは男だった。黒いジーンズと無地のシャツに身を包んでいる。私よりは身長は大きい。185cmはあるだろうか。痩せ気味で、無精ひげの目立つ顔は心なしかやつれているように見える。
男との距離は10mほど。奴が不穏な動きをしたらすぐに組み伏せられる。
さあ、かかってこい。
「ちょ、ちょっと待ってくれ嬢ちゃん。状況的にそんな対応するのは正解だけど、今回、今回だけはちょっと話を聞いてくれ。」
こっちを静止するように右手を前に出しながら男が何か言っているが、明らかに怪しい者が話す事なんて怪しいことしかないだろう。
地面を蹴り、一気に距離を詰め、男の胸ぐらをつかむ。
そして地面に叩きつけようとすると、また男がわめき始めた。
「いや本当に待ってくれ嬢ちゃん。止まってください。君、『裏側』の人間でしょ。おじさんもそうだから。多分君は今自分が置かれた状況の把握ができていなくて混乱しているはずだ。その辺教えるから。だからまず離してくれない?このままコンクリートに叩きつけられたらおじさん死んじゃうから。」
驚いた。こいつは何故か私の現状を知っている。さっきの謎の言葉と何か関係があるのかもしれないが、こいつは自分以外が知りえない情報を知っていた。少なくとも、この男の話は聞くべきなのかもしれないな。
そうして私は焦りきった表情の男を静かに地面に降ろしたのだった。