新メニュー
一夜明けて、私が細工をしているとバタバタと音がしてドアが叩かれた。
ドンドン
「お、おねえちゃんいる~」
「どうしたのエレンちゃん?」
「開けて~」
「分かった」
もうすぐお昼近いし、細工といっても各部の出来の確認だったからドアを開けてエレンちゃんを迎え入れる。
「あれ?どうしたのシーツ持って」
この時間だともうお昼の用意とかテーブル拭きの時間だったはずだけど…。
「そ、それが、お父さんもエステルさんもお醤油のメニューばっかり考えてて、お昼がまだなの!」
「えっ!?もう20分もすればお昼だよ?」
「だから焦ってるの!今私も2人に急いで料理を作ってもらってて洗濯とかは私が、テーブルと掃除は孤児院の子たちに任せてるの」
「て、手伝えることある?」
「火力の調節をお願い!」
必死の形相でエレンちゃんが訴えかける。もちろん私は直ぐに下に降りて厨房に入って行った。
「2人ともどうしたんですか?」
「アスカ!いいところに、このスープ一気に沸騰させられるか?」
「出来ますけど、なんでこんなことになってるんですか?」
「私が説明するからアスカは火を」
「はいはい」
2人ともすごいスピードで材料を切っては鍋に入れたり火にかけたりしている。ちょっと落ち着いてから私は話を聞いた。
「で、なんでこんなことになったんですか?2人とも昨日は早めに終わって寝坊とかしてませんよね?」
「ええ、もちろんよ。今日はちょっと早めに来たぐらいだもの」
「じゃあ、なんでこんなに忙しくなったんですか?」
「それがね。お醤油を早く試したかったから、今日の朝ご飯はいつもの通り前日の余りで昨日のうちに作っておいて、パンだけを焼いたの。そこから新しいメニューを作るために2人で頑張ってたんだけど…」
「それで夢中になってお昼の用意忘れちゃったんですか?」
「違うんだアスカ。俺たちはたとえ醤油が新しい調味料だとしても、簡単に使いこなせると思っていたんだ。だから今日の昼も朝から試していた料理を出せると思っていた…」
ちらりと奥に目をやるとくろ~い鍋が見えた。多分醤油入れ過ぎたんじゃないのかな?
「簡単に薄まると思ってたのよ。でも、水を入れてもそんなに薄まらないし、今度は味が変わるしで…」
「ちなみに醤油の他だと砂糖とかそういう簡単な味付けにしました?」
「いいえ。スパイスとか色々入れて試したわ」
あちゃ~、確かに宿のスープなんかも残り物や切れ端なんかを十数種類入れることもある。スパイスも混ぜ合わせてあるものを投入するのが通常だ。だけど、醤油相手にはきつすぎたのだろう。
「えっと、結構味が付いてるのでそこまで色々入れない方がいいですよ?」
「そうなの?それならそうと早く言ってもらえれば…」
いくら何でもお昼過ぎの暇な時間から作り始めると思ってたからね。2人の料理への情熱を甘く見ていたようだ。エミールたちには悪いけど今日もついててもらうべきだったか。
「アスカはあれどうにかできるか?」
火にかけて味がしみこむのを待っている間、そんなことを言われる。でも、私は味ならわかるけど料理に関しては素人なので、どうにもできない。
「まだあまり火が入っていないなら、具だけ掬い上げてスープに入れたらどうですか?ちょっと濃い味がつくので薄めに仕上げたら何とかなると思うんですけど」
「でも、それだと貴重なお醤油が無駄になっちゃうわ」
「2人が頑張って味の調整つかないからああなってるんですよね?」
「い、いや、時間があればあの状態からでも…」
スパイシーな醤油を何に使うというのだろう。よしんば食べられる味になるとしてもそれまでに大量の香辛料が追加され、胃が荒れちゃうと思うな。私は2人をじーっと見つめる。
「わ、分かった。具だけ取るから。そんな目をするな!エステル、今の内に取り出してざるにあけておこう。夜には使えるはずだ」
「ライギルさん諦めるんですか?」
「あのアスカの顔を見ろ。この前もミーシャについてなくて新メニューの開発にいそしんでたらああやって見てきたんだぞ」
「うっ、分かりました。すぐに空いた鍋を使って準備します」
お昼になる前には何とか料理も間に合い、注文が入るころには盛り付けていく。ただ、いつもならサラダとか冷えているものが先に盛り付けられているのに、今日はそれもまだだ。
「うう~、これじゃ間に合わないですぅ~」
孤児院の子たちも頑張ってくれているが慣れない作業だし、客に手待ちが出来てしまう。
「しょうがない。みんな、テーブル番号順にメニューを書いていって」
「は、はい!」
孤児院の子たちに指示を出す。そしてそれ通りに盛り付けてカウンターに並べてそれを一気に魔法でテーブルに打ち出す。もちろんきちんとコントロールしているので、こぼれたりしない。
「今日は魔法でのおとどけですよ~」
嘘である。いつもよりメニューの受付から配膳までの時間が長いため、途中でぶつかったりする事故を防ぐためだ。孤児院の子たちも頑張ってくれているものの、まだ12歳ぐらいだ。慌てて食事を落とすと、すごく落ち込んだりする。2人のミスの所為でみんなが嫌な思いをしないように、即興で思いついたのだ。
「おおっ!流石はアスカちゃんだぜ!すごいコントロールだ」
「これで私が冒険者だって信じました?」
「信じた信じた。でも、ここで働いてるの見るの久しぶりだなぁ」
「でしょ?たまにはと思ってね。修行にもなるし」
「やっぱりでっかい仕事を取るやつはいうことが違うね~」
「でっかいってあれ、ものが大きいだけですよ。実際は簡単な作りですよ」
「そっか~、おかしいと思ったんだよな。部屋にこもってて、いつ作ってるか分からなかったもんな」
「あはは」
大きいからアルゼイン建築の場所を間借りしてるんだけどね。おじさんたちと違って裏手の通りから行くから、宿の裏庭から出るしね。ちゃんと最近は部屋から出てるもん。
そうやって話しながら、奥では必死にライギルさんたちが盛り付けたものをカウンターに置く。私はその間に孤児院の子たちが書いてくれた紙を元に第2陣、3陣と食事を送り込んでいく。唯一困ったことはというと、これが今日のお昼のサービスだと勘違いされて、やめ時を失ったところだ。
「はぅ~、つかれた~」
14時頃、客が退けて新規の注文がなくなったところで私はようやく解放された。
「アスカねえちゃんありがとう」
「ううん、みんなも頑張ってくれたし」
そう、配膳が同時に行われるということで、客が食べ終わる時間も大体一緒になった。みんなは料理を運ばない代わりに、最初に食べ終わった人の大量の皿を下げるのに忙しくなってしまったのだ。
「それもこれも、不甲斐ない店主のせいで…」
「エレン…」
「お父さん、この前お母さんに注意されたばかりだよね。目が行き届かなくなるから程々にって」
「すまん。いけると思ったんだ」
「結果、店員だけならともかく、お客さんにも手伝ってもらったよね」
エレンちゃんが真顔だ。この顔は魚パン以来かもしれない。
「アスカか?だが、普段からお風呂とか…」
「それはついでの範囲だよね。自分が早く入りたいとかちょっと気が向いたとか。今日は間に合わないからわざわざ来てもらったんだよ。もう14時なのにご飯も取ってないし、魔法もいっぱい使ったし」
おおっ!エレンちゃんがまるでミーシャさんのようだ。宿は継ぐか分からないって言ってるけど、この調子ならうまく回せると思うな。
「エステルさんも孤児院の子たちの見本にならないと駄目じゃない」
「ご、ごめんなさい。私もいけると思ってやり過ぎたわ」
「せめて、働き出した子たちが慣れてくるまでこういうことしちゃだめだよ」
「はい…」
「じゃあ、今日から料理の研究は14時から16時までね」
「それはちょっと、もう少し何とかならないか?」
「だめ。少なくとも来月まではこれで行きます。それでも、昼の片付けの時間とかは入れてないんだからね」
というわけで、一旦この騒動は終わったかに見えた。
「分かった。ならあと2時間あるな。エステル、アスカの意見を聞いてすぐにメニューを作るぞ!」
「ちょ、ライギルさん。アスカはまだご飯食べてません」
「だから、今から作ればちょうどだろう?」
「私、フィアルさんの店で何か食べてきます」
これは一度反省を促すしかない。醤油料理は楽しみだけど、冷静になるまでそっとしておこう。
「それでうちの店に?」
「はい」
「なるほど、災難でしたねアスカ。ところで私にはないのですか?」
やばっ!普通に忘れてた。この人も料理バカだったんだ。私は急いでリュートに醤油を分けてもらいフィアルさんに渡した。
「面白い料理のレシピを頂いてばかりですし、今度はこちらから色々提案しますよ」
「ソレハヨカッタデスネ」
私の楽して和食計画は思いのほか大変な滑り出しを迎えた。