貴族と知り合っちゃった
「ど、どうしたんだ彼女は?」
「アスカちゃんは貴族嫌いですから、さっきの会話を聞いてさらに嫌になったのでしょう」
「そ、そんな……」
「どうしたクリス?」
「あっ、いえ」
「とにかくお話がそれだけであればお引き取りを……」
「分かりました」
「ミューゼン、いいのか?」
「致し方ありません。確認ですが、あなた方のパンの技術は他の方のものなのですな?」
「お答えする義務はありませんので、失礼します」
そう言うと、宿の責任者らしき女性は引っ込んでいった。それを合図に料理人も宿の受付の子も去っていく。心なしか表情も険しい。これからどうしたものか……仕方ないので一度宿を後にする。
「どうするんだミューゼン?」
「う~む。ああも強硬に来られるとは思いませんでしたな。まるで以前から答えを用意していたみたいでした」
「はぁ、これでは宿に泊まることすら難しいですね」
「そう言えばクリスはあのアスカという少女を気にしていたが、どうしてだ?」
「彼女が細工師だということを聞きましたよね。ディオール様?」
「ああ」
「このネックレスはもちろんのこと、そのネックレスはシェルオーク製です。あの木を加工できる魔道具師など中々いません。それに彼女はどう見ても十一歳ぐらいでしょう。運よく勧誘できれば数十年は貴重な細工物を確保できたかもしれません」
「理由は分かりませんが貴族嫌いですのでどの道、仕方ないでしょう。あからさまに態度が変わりましたからな」
「そうですね。でも、話し合いに同席していなければ今後も商品を卸してもらうぐらいはできたかもしれません」
「確かに。すみません若、あれだけ自信を持っておきながら……」
「仕方ないだろう。交渉上手といっても毎回成功するわけではない。今回は相手が悪かった。店の方にない権利を求めていたのだからな」
「では、元の店を探しましょう。あれだけの味のパンを教える店です、きっとすぐに見つかるでしょう」
そして聞き込みをすればすぐに店も分かったので行ってみたのだが。
「残念ですが、今はそのようなことに手を付けられる余裕がありませんので……」
「そこを何とかなりませぬかな?」
「無礼を承知で申し上げますが、あなた方が信頼されていれば宿の方より紹介があったと思います。その時点で私には支店を出すという選択肢がありません。信頼できるものを王都に派遣できる余裕もなく、どのような経営をされるかも分からないのですから」
「我らが不正をすると?」
「会計ごとだけの話ではありません。味を保ちながら供給するか、同じレベルのものを出せているかそういうことをこちらでは把握できないのです。その中で誠意ある対応をすると申されましても、にわかには信じがたいのです」
「では、うちのものを修行に出さしていただくというのは?」
「先ほども申し上げた通り、そのような余裕がうちにはありません。それに修行といっても貴族の屋敷の料理人がうちに来てもらえるのでしょうか? トラブルにならないとお約束いただけますか?」
「それは……」
確かに子爵家の料理人の腕は素晴らしいものがある。だが、それ故に金銭的な勘定を二の次にするきらいがある。店舗の運営を考えた時には妥協することも必要だ。そう思えば、難しいかもしれない。何より、その辺の料理人に頭を下げられるだろうか。
「答えは出たようですね。それでは……」
「ま、待ってください! 将来的にもあり得ない話でしょうか?」
「それは私にも分かりかねます。この店を任せられるほどの人間が見つかればの話です。無論欲目のないことが前提ですが」
「我が領は大量の穀物を余らせている現状があります。どうかその時はご協力を……」
「私はただの料理人です。その声に応えることはできません。ですが、店の話は後継者が見つかれば、改めてお話ししますよ。本人の了解を取った後でよければですが」
「お願いいたします」
こうしてこちらでもこれといった成果の出ないまま店を後にした。
「これが自領であれば他にもやりようはあるのですが……」
「仕方ないですよ。この地方の領主に請われてしまえば、彼も断ることは難しいでしょう。そうなれば領地の麦は買いたたかれ、それを元手に高いパンが作られるでしょう。それを防ぐためには強気には出られませんから」
「やれやれだな。せっかく、領主就任までに具体的な成果を作れたと思ったんだがな」
「他のことを探しましょう。ディオール様が就任されるまでにはまだ何年か時間がありますし」
「じゃあ、次はアスカだっけ? あいつの方を当たるか?」
「今はやめておいた方がいいのでは? ちょっと時間が経てば話を聞いてくれるかもしれませんが。それに護衛役が面倒ですよ」
「護衛?」
「一緒にいた女剣士ですよ。あの人を相手にするのは厄介ですよ。本人に会えさえすれば大丈夫かもしれませんが……」
「まあ、今回は屋敷のみんなに土産を買って帰るということで済まそうか」
「では、少なくとも一泊はしないといけませんね。店はまだ閉まってるでしょうし」
「仕方ない……ミューゼン。手配を頼む」
「おや、自分で取られないので?」
「今日はいい。疲れた」
こうして、俺たちの第一回目の邂逅は何も得ぬまま終わったのだった。
そのころ、アスカの部屋では……。
「ああ~、来ないかな? 来ないよね? どうしよう~、とうとう目を付けられちゃったのかな? 何もしていないはずなのに……」
しかし、考えていても仕方ない。もし来たらその時に改めて考えよう。そう思い直して依頼品の本を見てみる。
「何々、王国史と続・王国史に上級火魔導書単体編と王子と女官。そして、帝国植物全集かあ。さすが貴族様だよね。いつも銀貨数枚なのに五冊で金貨五枚なんておかしいとは思ってたんだ。これ結構貴重な本だよね」
王国史と続・王国史は傷みがあるものの、他の三冊はかなり良い状態だ。特に帝国植物全集はすごい、隣国の帝国全域をカバーしていて、あらゆる植物が載っている。この町に咲いてる花も載っているけど、それだって貴重な情報だ。内容を見る限り帝国発行書の輸入品のようだ。
「うう~ん、帝国って結構こういう本とかにも力を入れてるのかな? 一度行ってみたいなぁ……。にしてもかなり真剣に選んでもらってるよねこれ。さっき、失礼な態度取っちゃったなぁ。でも貴族なんだよね、貴族かぁ」
自分の貴族観ととても貴重な本を買ってきてくれたいい人たちという思いがせめぎ合う。結局私の出した答えは……。
「とりあえず改めて貴重な本をありがとうございましたって言おう! さっきの態度も謝らないと」
いくら依頼とはいえ、ここまでの内容を揃えるのは大変だっただろう。王都に物があふれているといっても、簡単に揃うものではないことは分かる。お礼ぐらいで今後の付き合いとかないだろうし、へ~きへ~き。
「でも、一応保険もかけておいた方がいいよね」
そう思って私はジャネットさんの部屋に向かう。
「ジャネットさん居ますか~」
「ああ、何だいアスカ? 今日は依頼も終わったろ」
「実はちょっと困ったことになって……」
「はいはい。とりあえず中に入りな」
ドアを開けてもらって中に入る。それから現状を簡単に説明する。
「う~ん。宿の件で何か話すってことはなさそうだね」
「本当ですか! よかった~」
ジャネットさんの言葉に安堵する。
「ほっとしてる場合じゃないよ。あんた、自分が細工師だって言っちゃったんだろう?」
「はい……」
「あの女の方は結構できる冒険者だよ。貴族だか何だか知らないけど、間違いなく以前は冒険者だろう。アスカがシェルオークを加工できることに気づいただろうね」
「じゃ、じゃあ、やっぱり地下牢とか? それとも塔のてっぺんで下界を眺めて『今日も愚民どもは元気だ……』なんて言うしかない人生なんでしょうか?」
「どんな妄想だよ全く。別にここの領主でもないんだから、近づかなきゃ大丈夫だよ。貴族は体面とプライドが大事だからね。よその貴族に舐められるのが一番嫌いなのさ」
「そ、それじゃあ、お礼に行くぐらいなら大丈夫ですか?」
「礼なら言ってただろ?」
「中身がすごくいいものばかりでしたので……」
そう言うと私は買ってきてもらった五冊をジャネットさんの目の前に並べる。
「何々、王国史? はぁ、貴族のお坊ちゃんはわけが分からないね。こんな子どもにこんな本を読ませたって仕方ないじゃないか」
「私が年齢を公表してないからです。きっと大人だと思われたんでしょう」
「それでも、こんな本をありがたく読む奴なんて滅多にいないよ……」
そうなんだ。私はテストとかじゃなければ歴史は好きだけどな。世界史はカタカナばっかりで嫌いだったけど、色々な出来事を知れるのは楽しかった。
でも、カール〇世とか言われても分かんないの。その時代のカールでもよくないですかって先生に言ったら怒られたけどね。
「他には……おっ、これは火魔法の上級書か、流石は貴族だね。結構珍しいもんだよ。後は帝国の本か、これも通常のルートだと滅多に手に入らないね。確かにこう見てみると王国史はこれ以上高くなって払えなくなるのを防ぐもんみたいだね。これなら銀貨一枚もしないだろ」
ということは金貨五枚のうち二冊でかなりいっちゃってるのか……もう一冊の文学書はさすがに価値は分からないなぁ。だけど、実用的とか珍しさで言ったら、さっきの二冊にはかなわないだろう。
「ということでお礼を言いに行きたいんですが、付いてってもらえます?」
「しょうがないね。ただし明日にしな。今日会いに行ったらアスカも気持ちが整理できてないだろ?」
「……そうですね」
「それじゃあ、気を取り直して飯でも食うか?」
「はい!」
こうして私たちはもう一度ディオスさんたちに会うことを決めて、夕食を食べたのだった。