妹への偏執的な想いと、初めてのヤック。
本日の授業もすべて無事に終わり、放課後になった。
俺は下校する生徒たちを横目にしながら、校門わきで美哉男と話をする。
「なぁ、お前ってさ。たしか妹フェチだったよな? それもかなり重度の」
「そうだぞ。俺は妹が大好きだ」
断言された。
しかもちょっと誇らしそうにしている。
というか妹フェチって、別に誇ることではないと思うのだが……。
「妹はいいぞぉ? 最高だ! 特にお兄ちゃんって呼ばれたいんだよ。『お兄ちゃん』だぞ? きゅんとくるよな!」
「お、おう。そうか」
なるほど、わからん。
曖昧に応える。
ところで俺たちがこうして時間を潰しているのは、茉莉を待っているからだ。
じつは美哉男とヤクドナルドにでも寄って帰ろうかと話していたら、自分も行きたいと言い出したのだ。
で、当の茉莉はというと、担任の能登先生に呼ばれたとかで今は職員室に行っている。
そういう理由で俺たちは雑談をしながらあいつを待っているのである。
俺と美哉男は話を続ける。
「それで俺の妹推しがどうかしたのか? あ、わかったぜ! さては悠介、お前、ようやく七奈ちゃんを俺に任せる気になったな?」
唐突に美哉男がバカなことを言い出した。
「…………はぁ?」
なに言ってんのこいつ?
「うんうん、いい心掛けだ」
美哉男はひとりで納得している。
「七奈ちゃんがついに俺の妹になぁ。いや待てよ? となると、悠介が俺のお兄ちゃんになるわけか。んんんんん⁉︎ それは微妙だな」
「んな訳あるか! 気持ち悪いこと言うな!」
俺は即座に否定した。
ったく。
「第一、やるとかやらないとか、ナナは物じゃないだろうが」
「ちっ、ケチくさいやつめ。七奈ちゃんの愛情は独り占めってわけか」
「……もういい。好きに言ってろ」
ふぅとため息をひとつ吐いた。
俺は人待ちの暇潰しがてら話を元に戻す。
「ところで、ちょっと気になっただけなんだけど、お前って妹フェチの変人じゃん? でもそのくせ能登ちゃんに入れ上げてるよな。それって矛盾してないか?」
俺が不思議に思っていたのはこの事だ。
なにせ担任の能登繭子(独身)は、御歳30。
かなりの美人であることには間違いないが、高校2年の俺たちとは二回りも年齢が離れている。
妹にはなりえない。
「バッカお前!」
美哉男がくわっと目を見開いた。
唾を飛ばしながら叫びだす。
「三十路だからなんだってんだよ! 年上は妹になれない⁉︎ そんなこと誰が決めたんだよ! ふざけてんじゃねぇぞ!」
「いや普通なれないだろ」
「だからお前はお兄ちゃんになれないんだ! 固定観念を捨てろ! 自らが妹と信じさえすればどんな相手も妹だ! そうだろっ?」
お兄ちゃんになれないもなにも、俺は既に兄だ。
わけがわからん。
「なに言ってんのお前。頭に蛆でも湧いてんのか?」
思ったままに突っ込んでみた。
「湧いてねーよ! いいからちゃんと想像してみろ! あの能登ちゃんがだぞ? 少しハスキーで独特で柔らかみのある鼻にかかったあの声で『……お兄ちゃん……』って言い寄ってくる姿をよぉ! めちゃくちゃ可愛いだろうが!」
美哉男が勝手にヒートアップしていく。
「可愛いだろうが!」
二度繰り返された。
どうやら重要なポイントらしい。
「くぅ、たまらん! はぁ、はぁ……! お、俺の妹になった能登ちゃんが、ちょっと視線を斜め下に逸らしながら、こう桃色に頬を染めてだなぁ! ……くぅぅぅ! たまんねぇ! 想像するだけでたまらんわ!」
美哉男に妹の話を振った俺がバカだった。
変人は理解が難しい。
こいつはもう放っておくとしよう。
俺は興奮し続ける変人にスルーを決め込んだ。
◇
そうこうしている内に、茉莉がやってきた。
「悠くん、お待たせぇ」
ツーサイドアップに結った艶のある黒髪を小さく揺らしながら、トテテと小走りで駆けてくる。
下校途中の生徒たちが、茉莉に見惚れる。
まぁこいつは見た目だけは可憐な美少女だから、つい眺めてしまう気持ちはわからんではない。
「寒かったでしょー? 待たせてごめんね」
茉莉は手を握り、冷たくなった俺の手を温めようとしてきた。
はぁと息を吹きかけてくる。
触れた手のひらから、柔らかな感触が伝わってきた。
「いや、そんなに待ってないぞ。ところで能登セン、なんの用事だったんだ?」
「なんでもなかったよ。えっとね。学校生活に不便はないかーとか、困ったことがあるなら相談しなさいーとか、そんな話をしただけー」
「そっか」
能登セン、いい先生だなぁ。
なのにこんな妹バカの変人に、たとえ妄想とはいえ妹扱いされてるなんて、不憫だ。
俺は後ろを振り向いた。
視線の先では、まだ美哉男が妄想に耽っている。
「――兄と妹の禁断の関係……。そこには葛藤がつきものなんだ……。想いが兄妹を苦しめるんだ! でも能登ちゃんは勇気をふり搾って俺に――」
「おい、美哉男」
とても嫌だが、声を掛けた。
だが変人は反応しない。
「『美哉男お兄ちゃん、抱いて……』そう言った能登ちゃんの唇はきっと少し湿ってんだよ! 涙に濡れた瞳と同じでな。だから俺はこう言ってやるんだ。『繭子、お前に泣き顔は似合わないぜ? 全部お兄ちゃんに任せな』ってな! そしたら――」
「美哉男! そろそろ戻ってこい! もう茉莉、来たぞ!」
「ん? ……ぁ、お、おう。わり」
ようやく美哉男が元に戻った。
「ちょっと正気をなくしてたわ」
敢えて何もいうまい。
茉莉と合流した俺たちは、揃ってヤックに向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
店につくなり、茉莉がキラキラと目を輝かせた。
「うわぁ、凄いね!」
俺は数歩前にぴょこんと歩み出た彼女の背中に声を掛ける。
「凄いってなにが?」
「ヤックだよぉ、ヤクドナルド! わたし、ヤック来たのこれが初めてなんだぁ!」
店内は子連れの母親や、ノートパソコンで仕事をするサラリーマン、放課後の学生たちで賑わっていた。
「ドラマやアニメなんかだと、よく学校帰りにヤックに寄り道してるシーンあるよね。わたし、実は憧れてたんだぁ」
茉莉がカウンター上に据え付けられたメニュー表を見上げる。
「ふわぁ、いっぱいメニューがあって目移りしちゃう! うーん、てりやきバーガーにしようかなぁ? それともチーズバーガーがいいかなぁ? あ、悠くん、悠くん。グラタンコロッケバーガーなんてのがあるよ! 期間限定なんだって!」
なんとも楽しそうな笑顔で、はしゃぎながらメニューを吟味している。
「どれにしようかなぁ? 迷うなぁ……。あ、そうだ! いっそのこと全部食べちゃえば――」
「いや、それは食いすぎ」
俺は茉莉を止めようとした。
そのとき――
……ぎゅるるるるる。
盛大に腹の虫が鳴り響く。
茉莉が手でお腹を押さえて、照れ臭そうにしながら振り返った。
「え、えへへ。……聞こえた?」
「ああ、ばっちり聞こえた」
「もうっ! そういうときは、嘘でも聞こえなかったて言うんだよぉ。悠くん、デリカシーがないんだから!」
茉莉が俺の胸板をぽかぽか叩いてくる。
というか、まさかこいつからデリカシーなんて言葉が飛び出してくるとは意外だ。
「くく……。お前ら、ほんとに仲良いよなぁ」
戯れ合う俺たちの隣で、美哉男が苦笑いをしていた。