かつて一世を風靡したKYという死語の世界。
今回から主人公の友人の『猫峰美哉男』を、『根古宮美哉男』に変えました。
作者のどうでも良いこだわりを発露……!
週が明けて月曜日になった。
茉莉と並んで登校した俺は、自分のクラスである2年A組の扉を開く。
「ちぃーす。はよー」
「おう、三枝か。はよー」
目があったクラスメイトと気怠げな挨拶を交わす。
そのまま教室へ足を踏み入れると、俺に続いて入ってきた茉莉が元気な声で朝の挨拶をした。
「みんな、おはよー!」
なにが楽しいのか、茉莉はえへへと笑っている。
というか無駄に声が大きい。
騒がしかった教室がピタッと静まった。
至近距離の真横から大声を張り上げられた俺はというと、軽く鼓膜がキンキンしていた。
手で耳を押さえながら振り返る。
「っぅ……。茉莉、お前声デカい」
「そう? このくらい普通だよぉ」
「普通ってお前、……まぁいっか」
にこにこと上機嫌な様子を見ていると、文句を言う気持ちも失せてきた。
通学路で話していたのだが、なんでも茉莉はこうして普通に学校に通えていること楽しくて仕方がないのだそうだ。
いい意味で安上がりな女である。
クラスメイトたちが俺たちを見た。
みんな朝から元気溌溂な茉莉に苦笑いをしながらも、チラホラと挨拶を返してくる。
「やほー」
「おはよ、林さん。きみは朝から元気だねぇ」
「おはー」
「うん、おはよー! えっと……めぐちゃんに、凛ちゃんに翼ちゃんだっけ? あ、わたしのことは茉莉でいいよー」
はやくも馴染み始めている。
これも茉莉の人柄、というか顔に貼り付けた人好きのする笑顔のなせる業だろうか。
俺は安心した。
まだ一部のやつらには痛い子と思われ距離を置かれているみたいだが、なに、この調子なら問題はあるまい。
「っと、扉の前で立ち止まってると邪魔になるな」
俺は足を踏み出した。
「ほら、お前も歩け」
「はぁい」
茉莉をうながす。
俺たちは机の合間を縫って歩き、窓際一番うしろの隣り合った席に座った。
◇
椅子に腰を下ろすと、俺のひとつ前の席の美哉男が身体ごとこちらに振り向いた。
「よぅ、悠介に茉莉ちゃん。はよ。さっそく同伴登校とは隅に置けないねぇ」
斜め前の席からわこも続く。
「ふたりともおはよ。ってかなに言ってんの根古宮! 同伴って、たまたま道で会って一緒に登校してきただけでしょうに」
茉莉が即座に否定した。
「ううん。最初から一緒だったよ。だってわたしたち、一緒に住んでるんだもん」
「んなっ⁉︎」
わこが驚く。
だが驚いたのは彼女だけではない。
何の気なしに放たれた茉莉の爆弾発言に、ピシッと教室中の空気が凍りついた。
すぐに動揺が広がっていく。
「……ねぇねぇ! いまの聞いた⁉︎」
「もちろん! 一緒に住んでるってどういうこと?」
「同棲⁉︎」
「……やだぁ。三枝くん、不潔ぅ……」
ざわざわと俺たちを噂する声が届いてくる。
俺は焦った。
これは不味い。
「ちょ、待てって!」
ドンと席に手をついて立ち上がり、いまの茉莉の発言を慌てて補足する。
「同棲じゃないって! 一緒に住んでるだけだ! 家には家族もいるし、こいつはただの居候! 居候なんだ!」
茉莉が膨れた。
「……ぶぅー。悠くんってば連れないなぁ。わたしはただの居候なんかじゃないよぉ! だってわたし、悠くんのお嫁さんになるんだもん! あ、そうだ。許嫁だよ、許嫁!」
また爆弾が落とされた。
俺は茉莉のあまりものKYぶりに驚愕する。
というかこいつの中では、俺たちの婚姻はもう確定事項なのか⁉︎
「ちょ、ま⁉︎ ……はぁ⁉︎」
俺は困惑した。
しかしその空気を読めない茉莉は、今度はあろうことかみんなの見ている前で、投げキッスを披露する。
「んー、ちゅ♡」
そのままウインクをしてきた。
可愛らしくまぶたをぱちり。
「……えへへ。悠くん期待してくれていいよ! わたし、花嫁修行がんばるねっ」
か細い二の腕に力こぶを作ってアピールしてくる。
こ、こいつは……。
頼むから少しは空気を読め!
「は、花嫁修行とか訳わからんわ!」
茉莉は俺の話なんか、聞いちゃいない。
ひとりで勝手に盛り上がっている。
「あ、でもね、でもね! わたしね、お料理下手なんだぁ。でも悠くんのために上手になりたいの。うーん、お願いしたら、ナナちゃんお料理教えてくれるかなぁ?」
「ぐぉぉ……! だからお前はまたそうやって……」
俺は身悶えた。
「それでね! それでね! 結婚したらお家を買って、わんことにゃんこを飼うの。きっと可愛いだろうなぁ……。あ、でもいくら可愛くても、悠くんはペットよりわたしのことを可愛いがってくれないとダメなんだからね?」
「ぐ、ぐぬぬ! お前はもう黙ってろ!」
堪りかねた俺は、不用意な発言ばかりする茉莉の口を、手で塞いだ。
「きゃんっ」
手のひらに、ふにゅっと柔らかい茉莉の唇の感触がする。
「――むぎゅ⁉︎ ゆ、悠ふぅん、なにふるのほぉ⁉︎」
「いいから喋るなっての!」
◇
俺たちは絡み合ってジタバタと暴れる。
気付けばいつのまにか、俺は男子たちから白い目を向けられていた。
誰かがボソっと呟く。
「……ちっ、見せつけやがって。くそぉ……」
なにもやましい事なんてしていないのに、俺はつい反射的に言い訳をしてしまう。
「い、いや、待ってくれ! これは違うんだ! それに居候のことだって、親同士が仲良いからウチで預かってるだけなんだ! マジでそれだけなんだ!」
必死に言い繕うも、騒ぎは収まらない。
今度は女子が軽蔑の眼差しを向けてきた。
「……不潔、やっぱり三枝くんは不潔……」
「冤罪だっつーの!」
男子なんか直接罵倒してくる。
「――死ね!」
「くそっ、う、羨ましくなんかねーぞ。でも三枝は、死ねっ! 死んでしまえっ!」
こいつら……!
「はぁ⁉︎ なんでだよっ! お前ら簡単に死ねとか言うな! ぶっ殺すぞ! ってかお前らだって茉莉の転校初日は、アホの子だからってこいつのこと遠巻きにしてただろうが!」
俺に押さえつけられた茉莉が首を傾げた。
「……ふぇ? アホの子?」
スルーする。
「おら何とか言ってみろよ! お前ら、なんで今更茉莉のことで羨ましがってんだよ! ああ⁉︎」
「いや、だってなぁ……」
美哉男を除くクラス中の男子が、一斉に顔を見合わせた。
ちなみに美哉男のやつは、にやにやしたまま成り行きを見守っている。
「……いや、だってたしかに最初は『うわ、アホの子ヤベェ!』って思ったけどさぁ。落ち着いたて考えると林さんって、めちゃくちゃ可愛いじゃん?」
「だよなぁ」
「でも言動が……。うーん、羨ましいような、そうでもないようなこの絶妙な塩梅――」
「いや羨ましいって! アホさを差し引いてもお釣りがくるだろ!」
「くぅー、俺もあんな美少女幼馴染と一緒に暮らしてー!」
葛藤していた男子たちが、茉莉可愛いで纏まりつつある。
これは良くない流れだ。
「お前らちゃんと考え直せ! 茉莉だぞ⁉︎ お前らが羨ましがってるのはこのア――」
おっと直接的に表現しかけた。
言い直す。
「この空気の読めない茉莉だぞ⁉︎」
みんなが俺の懐に抱えらた茉莉を眺める。
そして爆発した。
「ふざけんな!」
「やっぱりめちゃくちゃ可愛いじゃねーか! 死ね! 三枝は死ね!」
「お前、そのポジション俺と変われよ!」
ダメだ。
これはもう、あまり刺激しない方がいいだろう。
教室では茉莉と必要以上にくっ付いたらダメだ。
俺は肝に銘じた。
懐に抱えていた茉莉を、そっと解放する。
「……アホの子? ねぇ悠くん、わたしアホじゃないよ? アホじゃないよね?」
「その話はいまはいいから」
やっぱりこいつはKYだ。
事の発端となる爆弾を投下した本人は、腑に落ちないとばかりにいつまでも首を捻っていた。
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