可愛くなっても茉莉は茉莉でした。
よくよく確認してみると、なんのことはない。
茉莉の言った『デート』とは、ただの散策のことだった。
いわく、久しぶりに戻ってきたこの街を、俺と一緒に見て回りたいのだそうだ。
「悠くんお待たせぇー」
先に出かける準備をして玄関で待っていた俺のもとに、外着に着替えた茉莉がやってきた。
スカートの裾をひらひらさせながら、リズミカルな足音を鳴らして2階から降りてくる。
私服姿も奇跡みたいな美少女だ。
俺にはやっぱりこいつがあの茉莉だということが、どうにもしっくりとこない。
彼女と合流した俺は、家の中に向けて声を掛けた。
「それじゃあ行ってくる。晩めしまでには戻るから」
「あ、待ってお兄ちゃん! 私も! 私もいくからっ!」
七奈がやってきた。
「茉莉ちゃんとお兄ちゃんを二人きりになんてさせないよ!」
かと思うと颯爽と現れたお袋にブロックされる。
「待ちなさい! ナナちゃんはお留守番よ!」
「お母さん⁉︎」
「ナナちゃん! あなたはいい加減、お兄ちゃん離れしなさい。そんな風に悠くんの恋路を邪魔してどうするの!」
「邪魔なんかじゃないもん! お母さんそこをどいて!」
恋路?
なんの話だ。
よくわからん理由で、母娘が争っている。
「だいいち兄弟が仲良くしてなにが悪いの⁉︎」
「仲が良いのは良いことよ? でもナナちゃんのそれは度が過ぎるの! 兄妹は恋人にはなれないの! だから諦めて、同級生のイケメンでも追いかけなさい! それならお母さん応援してあげるからっ」
「お母さん全然わかってない! お兄ちゃんより素敵な同級生なんて、いるわけないじゃん!」
お袋が盛大にため息をつく。
「……はぁぁ……。まったく、どうしてこんなお兄ちゃんっ子に育っちゃったのかなぁ? ずっと両親共働きで、甘える相手が悠くんしかいなかったのが不味かったのかしら……」
お袋が頭を抱えた。
「チャンス!」
「おっと、そうはいかないわよ!」
「ぐぇっ」
お袋のブロックを躱そうとした七奈が、足を引っ掛けられた。
バタンと転倒した妹の背中をお袋が押さえ込む。
そのまま俺たちに向けて手のひらをヒラヒラさせてきた。
「ほら、行って! 今のうちに行きなさい! ナナちゃんのことはお母さんに任せて! ……あ、悠くんはちゃんと茉莉ちゃんのこと、エスコートしてあげるのよ? 好感度を稼ぐチャンスなんだから」
「こ、好感度?」
なんだそれ。
俺は後退りながら、玄関ドアを開けた。
「じゃ、じゃあ行ってくる」
「お兄ちゃん、待ってぇ!」
手を伸ばしてくる七奈。
だが俺は背を向け、茉莉を連れて家を出た。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
外に出た俺は、冬の寒空の下を茉莉と並んで歩く。
「ナナちゃん、ちょっと可哀想だったね」
「そうか?」
「そうだよ。まぁわたしは悠くんのこと独り占めできて嬉しいかもだけど。――えいっ」
茉莉が引っ付いてきた。
そのまま腕を絡めてくる。
「おわっ⁉︎ ち、近いって!」
「えへへ。悠くん、あったかいねぇ」
「……ったく、俺は懐炉じゃないぞ」
照れ隠しにそっぽを向く。
俺は隣で微笑む美少女が、どうも俺の知っている茉莉と重ならなくて、落ち着かない。
「……ほら、離れろよ」
「だぁめっ」
「ダメって、お前なぁ」
続く言葉を飲み込む。
言ってもどうせ聞かないだろう。
「……はぁ……」
しかたないから放置だ。
でもこんな引っ付かれると緊張するから、精神的に疲れるんだよなぁ。
◇
腕を組みながらしばらく街路を歩いてると、茉莉が不思議そうに呟いた。
「……あれぇ? ね、悠くん」
「どうした?」
「たしかこの辺りに駄菓子屋さんがあったよねぇ? 昔、よく悠くんと一緒にお菓子を買ったお店」
「ああ、それならアレだ」
通りの向こうのマンションを指さす。
「あの駄菓子屋は少し前に取り壊されて、代わりにあそこのマンションが建ったんだ」
「…………え?」
茉莉がマンションに顔を向けた。
じっと眺めている。
その横顔は、どこか寂しげだ。
「……そっかぁ……。あの駄菓子屋さん、なくなっちゃったんだぁ」
「残念か?」
「うん、ちょっとね。でも大丈夫!」
笑顔を向けてくる。
「だってお店がなくなっちゃっても、悠くんとの思い出まで消えてなくなっちゃう訳じゃないもん。わたし、ずっと覚えてるから」
本音ではあるのだろうけど、少し強がりも混ざっているのか。
茉莉は言葉とは裏腹に、やっぱりどこか寂しそうだ。
俺はふと思い立つ。
「あ、そうだ。それなら――」
「どうしたの?」
「ちょっとな。ほら、茉莉。次はあっち行こうぜ」
◇
目的地にたどり着いた。
俺はちょっと得意げに茉莉に問いかける。
「どうだ? この公園は覚えてるだろ? なんせ昔のまんまだからな」
案内したのは年期のいった古い公園だった。
鎖の一部が錆びたブランコ。
塗装の剥げた滑り台。
元が何色だったかわからないほど変色したジャングルジム。
そんな古ぼけた遊具を前にした茉莉の瞳が、キラキラと輝きだした。
「うわぁ! わたし覚えてるよ! ここ悠くんと一緒に遊んだ公園だぁ!」
茉莉が俺から腕を解いて駆け出した。
「このブランコも、悠くんと一緒に遊んだよ!」
茉莉はブランコに座り、大きく漕ぎ出しではしゃいでいる。
スカートが風に捲れた。
「あははっ! 楽しいね!」
「おまっ⁉︎ スカートなんだから、ちょっとは気をつけろって!」
「なぁにぃ? 聞こえなぁい!」
茉莉は思う存分ブランコを堪能している。
しばらくしてようやく戻ってきた
「ああ、楽しかったぁ!」
「ったく。スカートでブランコに乗るなよな。……って、そういえばちょっと思ったんだけど、お前、いつのまにかスカートなんか履くようになったんだなぁ」
「そだよ。変かな?」
「いや似合ってる。でも昔はいつも男子みたいな格好してたなと思ってさ」
そいやこいつ、なんであんな男っぽい格好してたんだろう。
言葉にして尋ねると、茉莉が頬を膨らませた。
「ひっどぉい! 悠くん覚えてないの⁉︎」
「なにを?」
「だって悠くんが言ったんだよ? 『お前とはもう遊ばない。俺は男子と遊ぶから、茉莉は女子と遊べ。だって女なんかと遊んでるのを見られたら恥ずかしいだろ』って! だからわたし、男の子の格好をして、悠くんに遊んでもらいたくて――」
「……そんなこと言ったっけ?」
「言ったよぉ! わたしショックだったのに、忘れちゃうなんて酷いよぉ」
記憶にはないが、いかにも俺が言いそうなセリフだ。
「その、なんだ。それは悪かったな」
「……ぅうー」
「謝るから、そんな膨れんなって。……な?」
「もうわたしと遊ばないなんて言わない?」
「言わない言わない」
「あー! なんか適当に返事してるぅ!」
茉莉がぽかぽかと俺を叩いてきた。
「こ、こら。やめろって」
「だめっ、約束してくれるまでやめないっ!」
「わぁったって! 約束するから」
茉莉が叩く手を止めた。
そして俺を見上げてにっこりと笑う。
「うん、ならよし!」
◇
茉莉と古い公園をゆったりと歩く。
「あ、悠くん! このシーソー、昔一緒に遊んだよねぇ。覚えてる?」
「おう。それなら覚えてるぞ」
「ね、ね、シーソーで遊ぼうよ!」
「え? いや、それはちょっと……」
高校生にもなってシーソーで遊ぶのはちょっと恥ずかしい。
通りすがりの通行人の目もあるし。
俺がちょっと嫌そうな顔をすると、茉莉がボソッと呟いた。
「……悠くんの嘘つき。さっき遊んでくれるって言ったばかりなのに……」
「うっ」
そう言われてしまっては反論のしようもない。
仕方あるまい。
俺は腹を括った。
「……上等じゃないか! 茉莉お前はそっちに座れ。本物のシーソーってもんを味わわせてやる!」
◇
ぎっこん、ばったん。
ぎっこん、ばったん。
高校生ふたりが跨ったシーソーから、単調な音が鳴る。
なんともシュールな絵面だ。
けれども茉莉はご満悦らしい。
「えへへぇ。楽しいね、悠くん!」
たしかにいざやってみるとちょっと楽しい。
こう単調ではあるのだが、止めどきを見失うというか。
きっと童心に帰るとはこういうことなんだろう。
その気になった俺は、ちょっと勢いよくシーソーを揺らしてみた。
「きゃん!」
「くく……。どうだ? 驚いたか?」
「うんっ。驚いたぁ」
「まだまだ、こんなもんじゃないぞ!」
全体重をのせて、思い切りシーソーを踏み込む。
反動で茉莉の側が跳ね上がった。
「あはは! すごいすごい! 悠くんってば力持ちなんだねぇ。昔よりずっとすごいよー!」
「そりゃ成長したからな。ほら、舌を噛まないように注意しろ! まだまだいけるぞ!」
「きゃー! あははははっ! もっと! 悠くんもっともっとー! あははは!」
茉莉が無邪気に笑っている。
その笑顔が子供の頃の彼女の笑顔に重なった。
なんだかすとんと腑に落ちる。
ああ、こいつ茉莉なんだ。
見た目はすっかりあの頃と変わっちまったけど、こいつは俺がよく知っている、幼馴染の茉莉だ。
そんなことを思った。
美少女に変わった茉莉にずっと抱いていた違和感は、もうすっかり消え去っていた。
みなさん、★での応援ありがとうございました!
ランキング表紙からは落ちてしまいましたが、おかげさまでたくさんのブクマを頂けました。
ありがとうー(*´꒳`*)