粗茶が粗茶でも上機嫌。
リビングに戻り、ソファに腰掛け直す。
俺の隣に並んで座った茉莉が、キョロキョロと室内のあちらこちらを眺めている。
「うわぁ……! 悠くんのお家、久しぶり! えへへ、あんまり変わってないねぇ」
「そうかぁ?」
家具の配置なんかは結構変わってると思うのだが。
「そうだよぉ。あの壁掛け時計とか、昔の記憶そのまんま。懐かしいなぁ、なんだか嬉しくなっちゃう!」
◇
しばらく茉莉と話していると、キッチンでお茶の用意をしていた七奈が戻ってきた。
すっかり身体の冷えてしまった茉莉に、温かなお茶が差し出される。
「……どうぞ、茉莉ちゃん。粗茶です」
「わぁ、ナナちゃんありがとー!」
「お兄ちゃんもどうぞ。……粗茶です」
「おう、サンキュ。つーか粗茶? よくわからんけどなんで俺たち相手にそんな畏まってんの?」
七奈の淹れる茶は、いつも美味い。
俺はそのことをよく知っていた。
湯呑みへと手を伸ばし、ふうふうして熱気を冷ましてから、ぐいっと口に流し込む。
そして――
「ぶふぉっ!」
盛大に吹き出した。
「ふぇっ⁉︎ ど、どうしたの悠くん! 大丈夫⁉︎」
「こほっ、こほっ! ……し、渋ぅぅぅうううっっ!!!? なんだこれ⁉︎ このお茶、めちゃくちゃ渋いぞ! ごほっ、ごほっ」
まるで大量の茶葉をじっくりことこと煮詰めたような、えぐ味を感じる。
とんでもない渋さだ。
これは酷い。
「うげぇ、ごほっ、ごほっ!」
俺は咳き込み、涙目になりながら七奈を見上げた。
目が合う。
けれどもすぐにそっぽを向かれた。
「……ふんっだ。お兄ちゃんのバカっ」
「なっ⁉︎」
こ、こいつ!
もしかしてわざとか?
この渋茶わざと渋くしたのか⁉︎
普通、粗茶とかただの謙遜かと思うだろ。
なのにマジで粗茶を淹れてきやがったのか⁉︎
なんの嫌がらせだよ。
思いっ切り飲んじまったわ!
「ナナ……! お、お前なぁ……」
「つーん。女の子を家に連れ込むお兄ちゃんなんて、知りませーん」
「はぁ⁉︎」
いや女の子っても茉莉だぞ?
それに連れ込んだんじゃなくて、勝手に押し掛けてきたんだ。
言い返そうとしたところで、そっぽを向いていた七奈が、今度は茉莉に向き直った。
「さぁさ、茉莉ちゃんもどうぞ飲んでください。あったまりますよー? ささ、ぐいっとぐいっと。……粗茶ですけど」
「うん! ありがとナナちゃん!」
元気に応えた茉莉が躊躇なく湯呑みを持ち上げた。
そして唇に添える。
俺は焦った。
「ちょ、ちょっとやめとけって! というか俺が咽せたの見てなかったのかよ? あ、そうだ! すぐに俺が淹れ直してくるから、その粗茶は飲むな!」
「お兄ちゃんは邪魔しないで! ささ茉莉ちゃん、早く飲まないと冷めちゃいますよー? それ、一気! 一気!」
七奈が一気コールで囃し立てる。
手拍子つきだ。
俺はなんとか止めようとした。
だがしかし――
「……ずずず。……ずずず……」
茉莉が粗茶を口に含んでしまった。
「……あ、ああ……。茉莉、お前……」
茉莉は湯呑みの底に手のひらを添え、そのまま大きく傾ける。
「……んく、んく……」
白い喉がごくごくと動いた。
豪快に粗茶を飲み干した彼女は、湯呑みをトンっとテーブルに置く。
「……ぷはぁ! 美味しかったぁ! ちょっとだけ渋かったけど、このお茶、温まるねぇ。身体ぽかぽかだぁ……」
え?
なんだこいつ、普通に飲んだぞ?
あの粗茶飲めるの?
こいつ無敵じゃない?
もしかして無敵のひとじゃないのか?
「……ちっ」
七奈が舌打ちをした。
表情も悔しげに歪んでいる。
というか、いつもの可愛い我が妹はどこにいったんだ……。
「あの渋茶をいとも容易く飲み干すなんて……。やっぱり茉莉ちゃんは侮れませんね。これは警戒ランクをひとつ上げないと……」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
粗茶を片付けた七奈が、再びリビングに戻ってきた。
「ちょっと茉莉ちゃん。邪魔ですよ」
自然な動作で、茉莉を押しのける。
さもそれが当然とばかりの流れるような動作に、止める間もない。
「お兄ちゃんの隣はわたしの場所です。よいしょ」
「あうっ」
七奈はお尻で無理やり割り込んでくる。
弾き出された茉莉が、ソファにパタンと横倒しになった。
「ぐぇっ。あいたたた……。もうっ、ナナちゃん酷いよぉ」
「ふんっ」
「こ、こらナナ。いくらなんでもさっきから態度が悪過ぎるぞ。お前はもう少し茉莉と仲良くだなぁ」
「……つーん」
俺は七奈を諌めようとした。
ちょうどそのタイミングで、玄関から声が聞こえてくる。
「疲れたぁ……。いま帰ったわよぉー!」
どうやら今度こそお袋のようだ。
靴を脱いだお袋は、ドスドスと廊下に大きな足音を響かせながら、俺たちのいるリビングにやってきた。
「ただいまぁ! あぁ今日も仕事大変だったぁ……って、おや?」
お袋が茉莉を見つける。
「あら? 茉莉ちゃんよね? あ、そうか。来るの今日だったわね。迎えにいけなくてごめんなさいね。ってそれより、これはまた随分と綺麗になったわねぇ」
「おばさん。お久しぶりです!」
「ええ、ええ。久しぶり」
俺はふたりの再会の挨拶に割って入る。
「お袋、おかえり。待ってたぞ!」
「ええ、ただいま。待ってたって、お母さんを?」
「ああそうだ。お袋、聞きたいことがある! 茉莉のことだ!」
「そうだよお母さん! わたしも聞きたい!」
七奈も会話に混ざってきた。
「どうして茉莉ちゃんがうちに来るの? しばらくお世話になるとか変なことを言ってるけど、それってほんとなの⁉︎」
食って掛かる七奈に対して、お袋は何食わぬ顔だ。
平然と応える。
「そうよぉ。……あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてないって!」
「聞いてないよっ!」
俺たちの大声が綺麗に重なった。
茉莉が笑う。
「ふふっ、ふたりとも相変わらず仲良いねぇ。くすくす……」
「いやいや茉莉。なに『自分は関係ありません』みたいな顔してんだよ。いまお前の話してんだぞ?」
「はぇ? そうなの?」
ダメだこいつは。
俺は茉莉のことは放っておいて、お袋に向き直る。
だがお袋はもう俺たちの相手をする気をなくしたらしく、ジャケットを脱いで、冷蔵庫から缶ビールを取り出している所だった。
「ビールっ、ビールっ。お仕事あがりのビールは最高なのよねぇ。あ、ナナちゃん、なにか軽く一品、お肴を作ってくれるー?」
「それはいいけど、それよりもお母さん! いまは茉莉ちゃんの話だよぉ! 同居とかそんなのわたし聞いてない!」
「細かいわねぇ。いま言ったじゃない。今日から茉莉ちゃんはうちで預かります。向こうの親御さんとも話ついてるんだから」
「うー!」
七奈がリスみたいに頬を膨らませた。
「お母さんのバカっ!」
肩を怒らせてリビングを出て行く。
「……あ、ナナちゃん待って! 肴は……」
残されたお袋は、俺に顔を向ける。
「……悠くん、お母さんの肴は?」
「知らん」
「そ、そんなぁ……。お母さん、頑張って働いてきたのにぃ」
項垂れるお袋の愚痴はスルーする。
「……けどナナちゃんってば、急にぷりぷり怒ってどうしたのかしら? もしかして反抗期?」
違うと思う。
「あ、そうだ。それはそうと悠くん」
「なんだ?」
「茉莉ちゃんの部屋、二階の奥の空き部屋だから案内してあげて。お客さん用のお布団も持って行ってね」
どうやら同居は本当らしい。
「悠くん! 今日からよろしくね!」
茉莉が向日葵のような笑顔を咲かせる。
こうしてひとつ屋根の下での、俺たちの生活が始まった。