淡い期待は即座に打ち砕かれる。
4時間目の終了を告げるチャイムが鳴る。
いまから昼休憩の時間だ。
俺は通学カバンから弁当箱を取り出して、すっと席を立った。
すると担任の指示で俺の隣に座ることになった茉莉も同時に席を立つ。
「悠くん。今からお昼ご飯だよね。一緒に食べよ!」
「……あ、ああ。俺は別にいいんだけど――」
いつもはこいつらと飯食ってんだよなぁ。
応えながら俺は、美哉男とわこに視線を投げ掛けた。
ちなみに俺の前の席が美哉男で、斜向かいにはわこが座っている。
普段は俺とこのふたりを合わせた三人で、飯を食っているのである。
「なぁ、お前らも茉莉が一緒で大丈夫か?」
「おー、俺はいいぜー。でも柴犬がなんて言うかなぁ?」
美哉男が揶揄うようにニヤニヤしながらわこを見た。
「な、なによその顔は? あたしも別に構わないわよぉ? あとバカ猫峰は、あたしのこと柴犬言うな!」
「よし、んじゃ決まりだな」
茉莉に向き直る。
「ちなみに茉莉は学食か? それなら案内するけど」
「うん、私、今日は学食だからお願いっ。えへへ、悠くんありがとねぇ」
茉莉がまた俺にくっ付いてこようとした。
そこをすかさず、わこが茉莉の襟首を掴んで阻止する。
「ぐぇっ」
喉を圧迫された茉莉が、変な声をだした。
「――あっ⁉︎ ご、ごめんなさい! つい反射的に!」
わこがパッと手を離すと、茉莉がこちらに向かってつんのめってくる。
俺は彼女が転ばないよう、慌ててキャッチする。
「けほっ、けほっ」
「お、おい茉莉。大丈夫か?」
「うー、酷いよぉ」
茉莉が恨みがましそうな目で、わこを流し見た。
「あ、あははは! ごめんごめん。なんかこう、つい手が出ちゃった」
「……ううー」
ふたりのやりとりにハラハラしてしまう。
けれども美哉男だけは、なにが面白いのかニヤニヤしながらずっと俺たちを眺めていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
食堂にやってきた。
「お、おいあの子見てみろよ。すげえ可愛い……」
「あんな美少女、うちの学校にいたか⁉︎」
周囲の注目が茉莉に集まる。
そこで俺はハタと思い出したのだが、そういえばこいつ、めちゃくちゃ美少女なんだった。
だが朝の一件のせいで、もう俺のなかでの茉莉の評価はただの色モノキャラに固定されている。
それはどうやら2年A組のみんなも同じらしく、転校初日から早々に、茉莉はクラスメイトたちから微妙に避けられていた。
ちょっとヤバいやつと思われてしまったっぽい。
けれども当の茉莉本人はどこ吹く風だ。
「ふん、ふんふふーん♪」
鼻歌なんて歌いながら、椀を乗せたトレイを持って戻ってくる。
「えへへー。私、天ぷらうどんにしちゃった。美味しそうでしょー? なんと、おネギと天かす入れ放題だったんだよ⁉︎ あ、でもこれは私のだから、悠くんにはあげませーん」
「いや、いらないって」
彼女が隣に腰掛けるのを待ってから、俺は話を切り出す。
「それより茉莉、改めて紹介するよ。こっちのふたりは俺のダチだ」
「うっす、俺は猫峰美哉男だ。よろしくなー」
「あたしは柴わこ。林さん、よろしくね」
「で、こいつが――」
紹介しようとすると茉莉に言葉を遮られた。
「ふたりともよろしくー! ねぇ、わこちゃん、林さんなんて他人行儀な呼び方じゃなくて、私のことは茉莉でいいよぉ」
わこはぐいぐい距離を詰めてくる茉莉に面食らっている。
だが表情からして、そう悪い気はしていないようだ。
俺は話をまとめる。
「そんじゃ一通り自己紹介も済んだところで、昼メシ食べようか」
「うん、いただきまーす」
揃って昼食を摂り始めた。
ちなみに美哉男は持参したコンビニサンドイッチで、わこは俺と同じく弁当である。
まぁ自分で作っているらしい彼女とは違って、俺の弁当は七奈が早起きして作ってくれたものなのだが。
「うどんっ、うどんっ」
茉莉が即興のうどんソングを口ずさみながら、麺をリフトする。
ふぅふぅと吐息を吹きかけて、ずずずっ、ちゅるんと窄めた唇から口内へと吸い込んだ。
もぐもぐと咀嚼している。
「んー、美味しい! ここの学食、結構イケますなぁ。お出汁もいい味。やっぱりおうどんは最高だねぇ!」
「あれ? お前ってうどん好きだったっけ?」
こいつとはその昔よく食事を共にしたけど、うどんに執着していたような記憶はない。
「うーん、小さいときはあんまり食べなかったかなぁ。でもうどんは消化もいいし、療養中に療法食代わりでいつも食べてるうちにハマっちゃって」
「……療養? なにそれ?」
美哉男がサンドイッチを頬張りながら割り込んできた。
「なんだ、茉莉ちゃん。療養って病気でもしてたのか?」
「うん、実はですねぇ――」
茉莉の口から、難しい病気を患ったせいでこれまで空気の良い田舎で療養生活を余儀なくされていたことが語られる。
美哉男は神妙な顔で耳を傾けている。
「――だから、学校にもほとんど通えなかったなぁ。ずっと家の中で、窓から外の景色を眺めてた。だから今はすっごく楽しいんだぁ」
話し終えた茉莉が再びうどんに向き合う。
なんだかちょっとしんみりしてしまった。
どうやらそれは俺だけでなく、美哉男やわこも同じようだ。
「そっかぁ、そんな理由があったのね。……それで対人経験を養えなくて、そんなアホの子になっちゃったのかぁ……」
わこが優しい顔で茉莉を見ながら、何気に失礼なことを言った。
「……ふぇ? アホの子?」
「ううん、何でもないの、気にしないで。でも事情はわかったわ。最初は『なにこの子⁉︎ いきなり現れて三枝くんにべたべた引っ付いて、後で〆てやろうかしら!』なんて思っちゃったけど、そっかぁ……」
訳知り顔になったわこが、弁当をつつく箸を止めて何度も頷いている。
「茉莉ちゃん、念のために聞くわね? 貴女が朝から三枝くんに引っ付きっぱなしだったのは、数少ない友人である彼との再会が嬉しかったからなのよね? 他意はないわね?」
なるほど。
俺も朝からやけにべたべたしてくる茉莉の行動に戸惑っていたが、そういうことだったのか。
俺はわこの話に納得しかけた。
だがしかし――
「ううん、違うよ。私が悠くんのそばに居たいのは好きだから! 悠くん、私のことお嫁さんにしてくれるんだぁ」
わこが語った意見は、こうして即座に茉莉本人に否定されてしまった。