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帰ってきたウルトラ美少女。

 廊下からトントンと軽快な足音がする。

 その音が俺の部屋の前で鳴り止んだかと思うと、ノックもなくバタンとドアが開け放たれた。


「お兄ちゃぁーん! 朝だよぉ! 起きて起きて!」


 朝っぱらから耳に響く大声だ。

 俺はつむじまですっぽり被っていた掛け布団を少しずらし、目元まで顔を出した。


「……ん、んん……」


 真冬の寒さに思わず(うめ)く。

 カーテンの隙間から差し込んできた陽の光に目を細めながら、俺は起き抜けのまだぼうっとする頭を声の出所に向けた。

 そこにいるのは俺の2つ年下で、中学三年の妹である三枝(さえぐさ)七奈(ななな)だ。


「お兄ちゃん、もう7時半だよ! 早く起きないと朝ご飯食べる時間なくなっちゃうよー!」


 ああ、もうそんな時間か。

 俺は眠気の覚め切らないまぶたを指でこすり、ふわぁと大きなあくびをしてから身体を起こした。

 冷たい空気にぶるっと身震いする。


「……ぁふ、おはようナナ。今日も寒いなぁ……」

「うん、悠介(ゆうすけ)お兄ちゃんおはよ。ちゃんと目が覚めた? じゃあわたしはキッチンに戻るから、着替えて降りてくること」

「……ふわぁ……。ん、わかったぁ……」

「ふふ、大きなあくびぃ。二度寝しちゃだめだよっ」


 朝から元気な俺の妹は、ドアを閉め、来たときと同じく軽い足音を鳴らしながら階下へと降りていった。


 ◇


 パジャマからブレザーの制服に着替えた俺は、キッチンで七奈と差し向かいに座る。


 テーブルにはこんがり焼けたトースト、スクランブルエッグに和風ドレッシングの掛かったサラダ。

 ナナが早起きをして用意してくれた朝食だ。

 いつもの朝の風景である。


 ちなみに両親は共働きで、毎日朝早くから会社に出勤していて、この時間にはもう家を出ている。


「いただきます」

「はい、召し上がれ」


 軽い食感のトーストをサクッと齧り、もぐもぐ咀嚼する。


「お兄ちゃん、コーヒーここに置いておくね」

「ああ、サンキュ」

「どういたしまして。そ、それでね。ちょっと聞きたいことがあるんだけど――」


 淹れてもらった熱いコーヒーをずずずと啜る。

 すると少し前からじっと俺を眺めていた七奈が、躊躇(ためら)いがちに口を開いた。


「……ねぇ、お兄ちゃん。あのね。あの話……聞いてる?」

「ん? あの話って?」


 なんの話だろう。

 特に心当たりがない。

 俺は気にせずに普段通りの朝食を続ける。


「ふ、ふぅん、その様子だとまだ聞いてないんだ?」

「だからなんの話だよ?」


 七奈が意を決したみたいに、胸の前で小さな拳を握る。


「……えっとね! ま、茉莉(まつり)ちゃんが、この街に帰ってきてるんだって!」


 久しく聞くことのなかった名前に、俺は朝食を摂る手を止めた。


 (はやし)茉莉(まつり)


 彼女は俺の幼馴染で、小学生の頃はいつも遊んでいた相手だ。

 親同士の仲が良くて、よくウチにも遊びに来ていたから、七奈とも面識がある。


 色黒で痩せっぽちでボーイッシュな短い髪。

 女というよりかは、俺にとってはいつも後ろをついて回る弟分みたいなやつだった。

 そんな茉莉だが、中学に上がる前に難しい名前の病気を発症してしまい、療養のためにこの街を離れて行ったのである。


「……へぇ、あいつ帰ってきてるのか」


 呟いてから食事を再開した。


「しっかし茉莉のやつも薄情だよな。帰ってきてるなら挨拶のひとつもしに来ればいいのに」


 トーストの残りをパクリと口に放り込み、コーヒーで喉の奥へと流し込んでいく。

 そのまま食事を続けていると、上目遣いの七奈がなぜか恐る恐るといった口調で尋ねてきた。


「…………それだけ?」

「それだけって、なにが?」

「だ、だってお兄ちゃんたち仲良かったじゃん。茉莉ちゃんってば、いっつも『大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになるー!』って言ってたし、お兄ちゃんだって『はいはい、大きくなったらな』って満更じゃなさそうに応えてて……」

「あー、そんなこともあったなぁ」


 というかこいつ、あんな昔のことよく覚えてたなぁ。

 当事者の俺だってすっかり忘れていたくらいなのに。


「でもそれがどうしたんだ? あんなのただの子どもの頃の口約束だろ」

「…………はぇ? そ、そうなの?」


 俺の言葉に七奈が安堵の息を吐いた。


「……はぁぁ、なんだぁ……。わたしってば、てっきりお兄ちゃんたち――」

「てっきりってなんだ? というかさっきからどうしたんだよナナ。今日のお前ちょっとおかしいぞ?」

「な、なんでもない! それよりおかしいってなによぉー! こんな可愛い妹を捕まえて失礼しちゃうっ」


 七奈が頬を膨らませながら、椅子に座る俺の背中に抱きついてきた。

 こいつはたまにこうしてスキンシップを求めてくる。

 まったく来年には高校にあがる歳だというのに、まだまだ子供っぽい妹である。


「んふふー。お兄ちゃぁん。うりうり」


 両腕で頭を抱えこまれ、頬擦りをされた。


「こら、ナナ。そんな風にされたら食べられないだろ。離れろ」

「えー? どうしよっかなぁー」

「……ったく、お前は」


 雑談を交わしながら朝食を終える。

 片付けをしてから七奈は中学へ、俺は高校へと登校した。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 学校へとやってきた。

 俺のクラスは二年A組だ。

 教室の引き戸をガラガラと開き、ホームルーム前の喧騒に塗れた生徒たちの合間を縫って、自分の席へと座る。

 窓際最後列のこの席は、俺のお気に入りだ。

 通学カバンを置き、椅子に腰を下ろしたところで声を掛けられた。


「よ、おはよう悠介」

美哉男(みやお)か。おー、おはよう」


 こいつの名前は猫峰(ねこみね)美哉男(みやお)

 クラスで一番の俺の男友達だ。


「今日も始業チャイムぎりぎりの登校だな」

「まぁな。俺は早く家を出ようとするんだけど、ナナのやつが中々離してくれなくてなぁ」

「……くぅ、なんて羨ましいやつだ! 七奈ちゃんみたいな超可愛い妹と、朝っぱらから乳繰りあえるなんて……!」


 また始まった。

 こいつは重度の妹フェチなのである。

 とりあえず放っておこう。


 続いてとある女子が俺のそばまでやってきた。


「三枝くんおはよー。今日も寒いわねぇ」


 挨拶をしてきたこっちの女子は、(しば)わこ。

 一年のクラス分けから同じ組で、なぜか気付けばいつも一緒にいる同級生女子である。


「よう、柴犬(しばけん)。おはよー」

「って、柴犬って言わないでって言ってるでしょー! あたしの名前は柴わこよ! 苗字が『柴』で名前が『わこ』!」


 わこが柴犬みたいに牙を剥いて、ぐるると怒りだした。

 そこに美哉男が割って入る。


「なんだお前ら、今日も仲良しだなー」

「なによ猫峰! あたしと三枝くんのどこが仲良しだって言うのよ!」

「どこがって、全部? お前らもう付き合っちゃえばいいのに」

「――は、はぁ⁉︎」


 わこは耳まで真っ赤だ。

 俺から視線をそらし、今度は美哉男に食って掛かる。


「つ、付き合うってそりゃああたしは大歓迎だけど、三枝くんがあたしの事どう思ってるのかわかんないし――って、はっ⁉︎ ち、違う! いまのなし! なしだから!」

「はいはい」


 美哉男がわこを軽くいなす。


「それよりお前ら、聞いたか? 今日転校生がくるらしいぜ。しかもうちのクラスにだ」

「へえ、転校生か。どんなやつなんだろうな」


 まさか茉莉のやつだったりして。

 俺は今朝の七奈との会話を反芻する。


「男子なの? それとも女子なのかしら?」

「いやそこまでは俺も知らないんだけどさ」

「なんだ、中途半端な情報だな」

「仕方ないだろー! 俺だって職員室の前を通り掛かったとき小耳に挟んだだけなんだからさー」


 ◇


 噂話をしていると、始業チャイムがなった。


「っと、じゃあまた後でな」


 美哉男とわこが席に戻る。

 続いてすぐに教室前側の引き戸が開かれ、担任の女教師である能登(のと)繭子(まゆこ)(30歳独身)が姿を見せた。


 黒板を背にして教壇に立った先生は、静まった生徒一堂を見回してから話し出す。


「お前らちゃんと着席してて偉いな。それはそうと、今日はひとつニュースがある」

「ニュース? ニュースってなんだよ、能登ちゃあん」


 美哉男がおちゃらけた風な口調で尋ねた。


「こら、能登ちゃんではなく先生と呼べ。猫峰は後で説教だから、職員室まで来なさい」

「えええ? そんなぁ……」


 しょんぼりとした美哉男の姿に、どっと笑いが巻き起こる。

 だが俺は知っている。

 美哉男のやつは実は能登先生のことが好きなのだ。

 だから呼び出されて内心嬉しがっているに違いない。

 その証拠にこっそり隠しながら、俺に向けて親指を立てている。


(……グッ!)


 策士め。

 俺も親指を立て返した。

 能登先生が話の続きをする。


「それでニュースの話なんだが、実はだな――」


 先生が教壇からドアの向こうに視線をやる。

 つられて俺やクラスのみんなが廊下側へと目を向けた。


「入ってきなさい」


 先生が促すと、ひとりの女子生徒がしずしずとした足取りで教室に入ってきた。

 見慣れない顔だ。

 にわかに教室がざわざわと騒がしくなる。

 能登先生の傍らに立ったその女子が、ぺこりと頭を下げた。


「ど、どうも……」

「転校生だ。今日からこのクラスでお前たちと一緒に授業を受けることになった。仲良くしてやれよ」


 クラスが湧いた。

 あちこちで歓声があがる。

 特に男子の喜びが凄まじい。

 それもそのはず、本日付けで転校してきたというその女子は絶世の美少女だったのである。


「ちょっと、見てあの子。すっごい可愛い……」

「うひょー! マジか⁉︎」

「美少女転校生なんて、漫画かアニメの話だけかと思ってたわ!」

「うおおお! 俺、このクラスで良かったぁ!」


 頭を上げた美少女がビクッと肩を震わせた。

 どうやら突発的で爆発的なこの喧騒に怯えているようだ。


「こらお前ら! 鎮まれ! そんなに騒いだら他のクラスに迷惑だろ。静かにしろー!」


 先生がなんとか生徒たちを落ち着けようと声を張り上げるも、騒ぎは一向に収まらない。

 むしろどんどんうるさくなっていく。


「あわ、あわわ……」


 あまりの騒ぎように転校生の女子がおろおろし出した。

 キョロキョロと視線を彷徨(さまよ)わせる。

 その目の行く先が、俺のもとでピタッと止まった。


「――あっ⁉︎」


 女子が短く声をあげ、目を丸くした。

 俺はぽけぇーっと口を開けて、可憐な彼女を見つめ返す。

 しかし、びっくりするような美少女だ。

 肌は白磁か粉雪のように白く透明感があって、くりっとした瞳は大きくて鼻筋がすっと通っている。

 ふっくらとした唇は形がよく、色艶(いろつや)も薄桃色でつやつやだ。

 身長は女子の平均程度だろうか。

 長めにカットしたツーサイドアップの黒髪がよく似合っている。

 印象としては清楚めな美少女である。


 俺がぽかんと口を開け、間抜け面を晒したまま見つめていると、さっきから目があったままだった彼女の瞳がうるると潤んだ。


「……ぅぅ……。ま、まさか、こんなに早く会えるなんて……」


 目尻からこぼれそうになった涙の雫を、美少女が白魚(しらうお)のような指でそっと拭う。

 かと思うと、彼女は黒板前から窓際最後列の俺の席までいきなり駆け出し――


「うええええん、悠くぅん! 会いたかったよぉ!」


 ――そのまま飛び付いてきた。


 あっけに取られた俺に構わず、美少女が叫ぶ。


「悠くぅぅん! 悠くぅぅぅん! 会いたかった! 会いたかった! 会いたかった!」


 イエス!


 動転した俺は、思わず心の中で意味不明なあいづちをいれた。

 その間も泣きじゃくったままの美少女は、俺に抱きついたままで、涙に濡れた頬や制服ごしでもはっきりわかるたわわな胸の膨らみをぐいぐいと押し付けてくる。

 俺はテンパった。


「ちょ、ちょま⁉︎ ちょちょちょ、ちょっと待てって!」


 美少女の両肩をぎゅっと握る。


「あんっ♡」


 なんだその声は。

 この女は肩に性感帯でもあるのか?

 俺は歯を食いしばり、こぼされたちょっとエッチっぽい声にも負けず、両腕に力をこめて抱きついていた彼女を引き離す。


「い、いきなりなんたんだ⁉︎ それに『悠くん』って、なんでお前が、俺の子供の頃のあだ名を⁉︎」

「……ふぇ? も、もしかして悠くん、私のことが分からないの?」


 美少女が驚いた。


「……え? あ、あれ? 俺たち、どこかで会ったことあったっけ?」


 だが記憶にない。

 うーむ。

 こんな美少女と会ったことがあるなら、覚えていそうなもんだが。

 俺が思案に暮れていると、美少女の表情がまた泣き顔に歪んだ。


「……ぐすっ……悠くん、酷い……。酷いよぉ! うええ」

「い、いや、あの……その……。な、なんかわからんけど、ほんとすまん!」

「うえええええええ!」


 ますます泣き出した美少女を膝に乗せたまま、俺はなんとかして彼女を(なだ)めすかす。

 背中をぽんぽんと叩き、優しく頭を撫で回す。

 ようやく彼女が落ち着いたところで、俺は改めて恐る恐る切り出した。


「……そ、それで、お宅どちら様でしたっけぇ?」

「ううう、酷い、酷いよぉ。お嫁さんにしてくれるって言ってたのにぃ……!」

「あは、あははは。そうでしたっけぇ? そうだったかなぁ? そ、それで、お名前わぁ?」

「うー! 悠くんのバカ! 茉莉! 私は林茉莉だよぉ!」


 ――⁉︎


 はぁ?


 なんだって⁉︎


「……ま、茉莉? お、お前、茉莉なのか⁉︎」

「それ以外に誰だって言うの!」


 いやいやいや。

 ないだろ。


 もう一度、マジマジと美少女の顔を眺める。

 俺の強い眼差しを受けた彼女は、怒り顔から一転して頬をポッと桃色に染めながら視線を逸らした。


「……あ、あれ? 言われてみれば、たしかに面影がある……」


 信じられないことに、目の前の美少女は茉莉だった。

 日に焼けて浅黒で少年みたいだったあいつが、一体なんで⁉︎


「おおおおお⁉︎ お前、まつりか! うぉぉ! 茉莉だ! 茉莉じゃないか!」

「だから、最初からそう言ってるのにぃ!」


 俺は茉莉を膝に乗せたまま、久しぶりの再会に盛り上がる。

 あんなに騒がしかった教室は、すっかり静まり返っていた。

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