人間になった猿の恋愛事情
猿から人間になって5年がたった。
知能のない猿から人間になったのだから、さぞや苦労したと思われるかもしれない。
だが、実際はそうでもかった。猿の社会で暮らすことに比べれば、人間として暮らすことなど簡単である。
現にそれなりの収入のあるサラリーマンとして生きているのだから。
生活は順調。
ただ。
一つだけ問題があった。
どうしても人間の女性に恋愛感情を抱けないのだ。
人間の顔に愛着がわかない。わくのは、猿の顔なのである。
これにはほとほと困っている。性癖だけは自由にならない。
体は完全に人間になり、今さら猿と夫婦になることはできない。人間と結婚しなければ子供もできないだろう。
それなのに人間の顔には恋愛感情を抱けないのだ。本能。もしかして私に残された最後の猿の名残なのかもしれない。
何度か無理やり人間の女性と付き合ったことはある。
しかし無理なものは無理だった。例えるならば人間が猿と結婚するようなものである。
かといって、一生恋愛をしないというのもまた苦しい。
恋愛というものは猿だろうと人間だろうと、不可欠なものなのだ。
どうするべきか。
一年もの間、私は悩み続けた。
そして今日。
ついに解決方法を思いついた。
人間の顔には美しいとされているものから、醜いとされているものまで様々にある。
ならば猿のような顔をした女性もいるはずだ。
私はその女性と探して、恋愛すればいい。誰も困らない、我ながら完璧な解答であった。
さっそく次の日から好みの女性を探すことにした。
欲しているのはただの不細工な顔ではない、猿に似ている顔なのだ。
最近の人間にはそういった顔は少なくなっている。化粧や整形手術など顔の造形を修正する方法などいくらでもあるのだった。
仕事仲間からは、私がブス好きだと笑われるようになってしまった。
逆だ。私は美しい顔を求めているのだ。面食いだからこそ、こんなにも苦しんでいるのだ。
ありとあらゆる手段で猿顔を追い求めて半年後。
私はついに理想の猿顔の女性を見つけた。
「本当に私なんかでいいんですか?」
それが彼女の、アプローチを受けての最初の言葉であった。
もちろん。よい。私にはどんな人間よりも好みな顔である。
「君の顔は誰よりも美しいよ。」
最初はお世辞を言っていると思ったようだ。
だが、私は心から彼女を賛美している。嘘などない。
何度か会っているうちに、彼女もそれがわかってきたのだろう。
やがて態度が和らいでくる。私と彼女はみつめ合った。
心が繋がる。
この瞬間、私と彼女の交際が始まった。
交際は順調に続き、私は幸せであった。
なにしろ好みの顔の彼女と付き合えるのだから。性格もいい。
その他には何もいらない。
一年ほどたった後。
私たちの間で結婚の話が進められていた。
異存はない。子供を作るには遅い年齢になっていたし、彼女の両親を安心させるのも悪くはない。
彼女も乗り気である。結婚へ向けての障害など何もないように思われた。
ところが。
ある日、私は会社の社長室に呼ばれた。
私の勤めている会社は巨大で、若い女性が社長を務めている。
まだ若く人間の基準では容姿も優れている。テレビや雑誌にも頻繁に登場する。世界に通用する有名人である。
下っ端である私とは関わり合うことなど、未来永劫ないと思っていた。
今。この時までは。
社長はいきなり切り出した。
「あなた、元は猿なんだって?」
思わず社長の目を凝視した。自信に満ちた強い目だ。
なぜ、それを。
彼女以外は誰にも知られてはいないはずなのに。
「何かの間違いでしょう? 猿が人間になるはずがありません」
「ふふっ。しらばっくれなくともいいわ。私も元は猿だったから」
「え!?」
私以外に猿から人間になった生物がいたとは。しかも女性。
本当か? 私をだまして社長が得することなど何もないはずだが。
社長は長い足を組みなおす。
「私はねぇ、多くの人間の男と付き合ってきた。しかし、しっくりいかない。やはり元は猿だったからかな。だから次は猿だった男と付き合ってみたいの」
「私と付き合いたいと言っているのですか?」
「その通りよ」
どうも私が人間の顔を受け入れられなかったように。
社長も人間の内面を受け入れられなかったのか。一言に元猿の人間といっても同じ性癖を持っているとは限らない。
だが。
「私にはもうすぐ結婚する女性がいます。あなたとは付き合えません」
そもそも社長の顔が好みではない。
私は……面食いなのであった。
「へぇ。私と結婚すれば、副社長にしてあげようと思っていたのに?」
その言葉には、さすがに一瞬心が揺らいだ。
人間社会でものをいうのは金である。猿だった時とは違う。
猿から人間になってから五年たっている。骨身にしみている。
それでも私は社長に背を向けた。
「お断りします。クビになさりたいのなら、どうぞご勝手に」
「やはり猿だった人間は一味違うわね。ますます諦められなくなったわ」
元猿の精神性うんぬんの話ならば、私よりも社長の方が猿に近い。
欲しいもののためにはあらゆる手段を取ろうとする。野生に他ならない。
その日はそのまま解放されたものの、次の日から社長の猛アピールが始まった。
予告もなく自宅に押し掛けたり、無理やり食事に誘うおうとしたり。さすがは敏腕経営者、見事な飴と鞭の使い方である。
社長のアプローチによって動揺したのは私よりも、むしろ彼女の方であった。
彼女は優しい性格をしているが、やや自信が不足している。
「あたしと社長。どっちを取るんですか!?」
……。ああ。
面倒なことになったなぁ。
あるいは私自身の迷いを彼女に見透かされているのかもれない。
実際、私は迷っていた。
不誠実なのは理解している。しかしこの状況、人間である以上は誰だって迷うだろう。
ことここに至って、私は猿だった頃がなつかしく感じられるようになってしまった。
知性がなければ、悩むこと自体なかった。
外見を取るか、金と出世を取るか。
人間の書いた台本のようになってしまっている。
どうして。こうなってしまったのだ。
決断を下せないまま、無意味に時間だけが流れた。
そして二人の直接対決。
「私たちはもうすぐ結婚をするんですよ! いまさら止められません」
「式場のキャンセル料も慰謝料も払ってあげるけど?」
二人が私に詰め寄る。
「あなたがどちらを選ぶのか! ここでははっきり決めてください!」
「もちろん私を選ぶよね? 君の気持ちが理解できるのは私だけだよ」
ううっ。
どうすればいい。人生、猿だった時も含めて、これほど追い込まれことなどなかった。
……ん? 猿?
そうだ。ここは猿だった時の知恵を使うしかない。
私は二人に告げた。
「猿は群れを作る。ボスは全ての雌を独り占めだ。どうだろう? ここは二人と結婚するというのは」
「お断りです!!」
「お断り」
二人の断罪は完璧に調和し、美しいハーモニーを奏でた。
そういえば、音楽を楽しむのも人間の特権だったなぁ。
場違いな感慨を抱いた。
もちろん。
その感慨は現実逃避でしかなかったのであった。




