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カナスタが腕を怪我したせいもあって天幕は崩れたままにすることにした。焚火の火にあたりながら、キュフとソラヤは二人で肩を寄せ合って目を瞑っている。寝息が聞こえないから、眠ってはいないようだ。獣に襲われた後で簡単に眠りにつけるほど、神経が図太いようではないらしい。
キュフの腕の中の赤い鳥がゴロゴロ動きはじめ、羽を広げようとしている。
「ロア、どうしたんだ?」
「もしかして、また椿獅子が?」
キュフは赤い鳥を放してやると、鳥は寒空に羽ばたいて天空に弧を描いて、地上を観察しているようだった。
「ソラの言う通り、また獣の息づかいが聞こえる!」
カナスタが負傷した利き手と違う左手で短剣を持ち、子どもたちを背中に回り込ませる。三人の中に再び緊張感が走るのがひしひしと伝わってくる。
「ほう、珍しい奴が来たものだ」
香炉の煙に紛れながら現れたのは、黒い四つ足動物だった。
「白くない」
ソラヤの言う通り、椿獅子よりも小型の動物で、短い黒い毛の大人しそうな動物だ。
「大きい猫みたいな感じだ」
キュフがカナスタの後ろからその動物を観察していると、赤い鳥が戻ってきて彼の肩に停まる。
「シールさん、この動物を知っているのですか?」
人に襲う気など全く感じられない猫のような動物を前に、カナスタは短剣を鞘に直した。
「ああ、こいつはシレントと言ってな、大人しい動物だ」
「シレント?そいつも肉食?」
「そうだ。だが、死んだ生き物しか食わない」
三人は不思議そうに目の前の黒い生き物を眺めた。のんびりした足取りに弱々しい目つきは確かに狩りが下手そうだ。
シレントは煙を吐く香炉に鼻を近づけて、害が無いと悟ったのかその場に腰を下ろしてしまった。
「死肉を食う生き物がこんなに可愛いとは」
「カナスタさん、死肉を食べるってさっきの獅子とは何が違うんですか?」
ソラヤはそう尋ねながら今にも体を撫でてしまいたいといった風に手を伸ばそうとしている。
「肉食動物は自分で生きている動物を狩って新鮮なうちに食べるんだが、シレントのような動物は同じ肉食動物でも死んで日が経った肉を食べるんだよ。他の動物の食べ残しや腐敗間近の肉をだ」
つまりこのシレントは先ほどの椿獅子が食い残した食べ物が無いか確認に来たという訳だ。
残念だったな。誰も死んでいなくて。
「それって体を壊したりしないのかな?」
「おそらく壊さないようにできているんだと思う」
狩りが下手な生き物が子孫繁栄するために身につけた進化なのだろう。
「死肉を食う動物は結構嫌われているから、私も初めて見たな」
カナスタの言う通り、シレントはどの国でも忌み嫌われている動物の一つで、その昔ではシレント狩りなる理不尽な風習があった地域もあったくらいだ。
「何が恐ろしいのか。死んだ肉を食うのは人間も同じだろうに」
悪い病気を運んでくるだの、死者を呼ぶ不吉な生き物だの、いつの時代も人間は適当な言い訳を並べたがる。
「こらこら、シレントに触るな」
キュフとソラヤがシレントの艶のある黒い毛並みに触れようとするので、止めた。
「ダメなんですか?」
「野生動物にも群れや仲間がいる。人間の匂いがついてしまうと、仲間外れにされてしまうからな」
触らなくて良かったと胸を撫でおろしている二人を紫の瞳が伺っている。それにしても人によく慣れたシレントだ。
「確か、大昔には民家でよく飼われていたはずだ」
「愛玩動物としてですか?」
さぞや子どもの頃は愛らしいだろうとカナスタはとろんとした優しい目つきになってしまっている。どうやらカナスタは動物好きのようだ。
「いいや。死体処理用だ」
一瞬にしてカナスタの顔色が青ざめたのが見て分かった。
大昔の事だが、人が死んでルシオラに歌われた後、魂が去った体を獣葬することが多かったと記憶している。だが文明が進むにつれ、宗教が入って来たこともあって獣葬という風習は失われたと言われている。獣葬が減るにつれて、シレントは嫌われていったのかもしれない。
ソラヤがシレントに出来るだけ近づいて、隣に座り込む。そしてキュフも一緒になってシレントの側に腰を下ろした。
「つやつやの毛並みに宝石みたいな紫の大きな瞳、私に家があったらきっと飼ってると思う」
「ソラが死んだら食われちゃうけどいいの?」
キュフが少し悪戯っぽく言うと、ソラヤは「うーん。それでもいいかも」と本気で返答するので、少年は小さく笑った。
伏せていたシレントが急に立ち上がると、東の方を見つめている。その視線の先には薔薇星が輝いているのだが、なにを見つめているのだろうか。獣にとってもあの赤い星は恐ろしいものなのか?
「シールさん、あれ!」
シレントの視線の先、そしてソラヤが指を刺した先に光るものが落ちてきてこちらに向かっている。
「星が落ちてきたみたいだ」
キュフも立ち上がって薔薇星のから零れ落ちたような光の球を見つめた。
「シールさん、後ろからもです」
カナスタが驚きのあまり後ずさりしながら、西からやって来る光を指さす。
「そうか、来てくれたのだな」
私は火吹き棒に息を込めて、香炉により一層空気を送り込む。煙は一段と量を増やしてモクモクと広がっていく。
「お前たち、騒ぐでないぞ。せっかく来てくれたのだから驚かせてはいけない。カナスタ、焚火を消してくれないか」
「爺さん、あの光はもしかして」
ルシオラの血を引く少年にはこの光が何なのか見当がついているらしかった。
「そう、あの光は魂だ。この地で命を落としたあらゆる生命の核となるもの。この香炉は誘魂香といって魂を呼ぶ香なのだ」
焚火が消え、辺りは再び暗闇に染まり、近づいてくる光が眩しく見える。
シレントが私の側に寄ってきて行儀よく座り、赤い鳥が私の肩に乗る。
「キュフ、右からも左からも集まって来るよ」
「どうなってるんだ、これは」
はじめぽつぽつと集まりだした光はだんだん多くなり、四方八方から群れのように集まってくる。
あまりの数の多さに圧倒されたのか、三人も私に引っ付いてくる。
焼け野原一面に大小さまざまな数千、数万の光の粒が集まり、眩いばかりに私たちを囲んでいく。
「まるで星の海に落ちたみたい」
「ソラ、それを言うなら星の海に上ったのでは?」
二人の会話など腰を抜かしているカナスタの耳には入っていないようだった。
右を見ても左を見ても前、後ろも、そして上を見上げても光の粒に覆われている。今ならはっきりとここに居る動物の毛流れも、人間の睫毛すらも鮮明に見えるくらい、明るく目に染みるほどだ。
「爺さん、こんなにもここには人が住んでいたの?」
「いいや。人の魂は先日ここに来たルシオラが連れて行ってしまった。ここに残っているのは動植物の魂だ」
人の魂は歌ってくれたルシオラについていくことが多いが、中には未練がありその場に残ったり、思い出の地に向かうものもある。その者たちを呼び寄せるのが私の役目だ。
そしてもう一つの役目は、人以外の魂を集める事。
「災害や戦争、人災などで失われた命は人だけではない。家畜や愛玩動物、虫や草木もそうだ」
かつてこの土地には豊かな自然があり、小さいが平和な国があった。人々は自然の中で賢く暮らし、動物と共存し、必要以上に命をとらない生活をしていた。
そうだ、あの人もそういう生き方をしていた。
ふと、甦る遠い昔の記憶に懐かしい匂いを感じた。
ぞくぞくと集まり続ける光を見ていると、胸の奥がぎゅっと切なくなってしまう。
「そうか、こんなにも焼かれてしまったのだな」
「爺さん、植物にも魂があるの?」
「あるとも。だが植物は魂を花や実、種、根などに分けて残していくので、歌う必要が無いのだが、焼き尽くされてしまっては歌ってやらないといけない」
「ねえ、キュフ。何か歌ってよ」
ソラヤは今にも泣きそうな潤んだ瞳で、少年に歌う事を願った。
「爺さん、こんな時には何を歌うべきなんだろう」
「さあ、ルシオラの歌には明るくないからな。好きな歌を歌えばいい。きっと喜ぶ」
キュフは少し悩み、そして歌い始めた。聞いたことのない旋律だったが、とてもゆったりとした優しい歌という事は伝わった。きっとこの光たちにも伝わることだろう。
香炉の蓋を開け、火吹き棒で炉の火を消すと、煙がゆっくり静まった。そして香炉の中に吸い込まれるように集まった光が入って行く。「シールさん、その香炉に入りきれないように思うのですが」
カナスタがまじまじと香炉を見つめている。彼女の言う通り、明らかに魂が多すぎてどう考えても収まり切れない。
「それが、この香炉には魔法がかかっていて、いくらでも入るのだ。まあ、見ていなさい」
大昔にゼノの長であるマガと呼ばれる大魔法使いが作ったと言われる代物で、無限に魂を保存することが可能だとか。
「収まってくれるのは、香りに呼ばれた魂に限ると言う所だけが欠点だな」
次々に光を吸い込んでいく香炉の姿は、まるで魂を食い尽くす猛獣のようにすら見えてくるので、この香炉に愛着は持てない。
吸い込まれていくごとに辺りは夜を取り戻し始める。あれだけ昼間のごとく眩しく、どことなく暖かかったのに、あっという間に寒々しい夜に逆戻りだ。
「夢から醒めたみたい」
シレントの隣に座り込んで、夢のような時間の余韻に浸っているソラヤは、まるで年端もいかない少女のようだった。
殆どの光が収まった時、暗闇の中で突然誰かが蹲って苦しみ始めた。
「キュフ、どうしたの?」
苦しそうに両腕で自分の体を抱きしめているのはキュフだった。カナスタは急いで焚火を熾しはじめる。
「体から、ぬけてしまいそうなんだ」
「もしかして、香炉に吸い込まれそうなんじゃあ……」
焚火の灯りでキュフの体がはっきり見えると、とても今までに目にしたことのない姿が浮かび上がってきた。
少年の背中から孵化する蝉のようにもう一人の人間の体が出てこようとしているのが見える。蝉の方は色調が淡く透けていて、おそらく魂が人型を保ったものと思われた。
こんな姿を見たことが無い。
「ソラヤ、さっきの話をもう一度してくれないか」
確か、ソラヤが旅をする目的を離してくれた時に、何かキュフの話をしたはずだ。
「キュフは体を祖国に残したまま魂だけがここにある状態なんです。そして魂が消えてしまわないようにアロアという男の子の体を借りているんです」
にわかには信じがたい話しだ。そもそも、生きた人間から魂を引き離すという事は可能なのか?お伽話の中ではそのような恐ろしい技を使う人種がいると聞いたことがあるが、あくまでお伽話なのだ。
その上、魂を違う人間に移すなどという事が上手くいくものなのか?生物の魂は無数の金の糸で繋がっている。その糸がすべて切れることを死亡というのだが、その全ての糸を繋いで生存させることが出来るとは到底思えない。
「シールさん、お願いです。キュフを連れていないでください」
黙って考えている私にしびれを切らしたのか、カナスタが私の服を掴んで必死に訴えてくる。
「どうしたらこうなったかは知らないが、香りに呼ばれてしまった以上、香炉の中に入ってしまうだろう」
香炉を使って集まった魂はすべて炉の中に入ってしまうもので、途中でどこかへ行ってしまうようなことは今までに経験したことが無い。
背中からキュフの魂がだんだん出てくる。もう、肩が出て、耳まで見えている。
私は何とかしようと、香炉の蓋を閉じなおしたり、袋で覆ったりしてみるのだが、キュフは外へ引っ張り出されている状況は変わらなかった。
シレントが不思議な光景に興味を持ったのか、キュフの周りをぐるぐる回って観察している。
「キュフを食べちゃだめだからね」
ソラヤはシレントをけん制しながら、キュフの体を抱きしめる。
黒い動物は首を可愛らしく傾げると、キュフの服に噛みついて引っ張り始めた。
「カナスタさん、キュフを香炉から離してみましょう」
「そうだな。やれるだけのことはやってみよう」
二人は少年を抱えて香炉から遠ざけようと考えたみたいだが、おそらくそれでも上手くはいかないだろう。香炉の香りに呼ばれたという事だけで吸い込まれるという現状が成立するのだろうと思う。きっとあの時、香炉に「良い香り」と知った時点で吸い込まれることが確定しているに違いない。
「二人ともその必要はない」
キュフの魂はそろそろ頭まで出てしまう。腰から上が出てしまえば、あっという間に体から離れてしまうだろう。
私は香炉を抱えて頭の上から思いっきり地面にたたきつけた。しかしマガの傑作は簡単には壊れてくれない。
「シールさん、香炉を壊す気ですか?」
カナスタが驚いたように私の奇行を凝視している。
「壊す以外に方法がない。やはり割るのは無理だな」
今度は香炉を焚火の中に放り込む。
「そんなことして魂たちは大丈夫なんですか?」
涙目のソラヤは声まで震えていた。
「大丈夫だ。魂は決して何物にも害されるということは無いのだ」
灼熱の火だろうが、強力な魔法だろうが、そんな外からの刺激などに影響を受けたりはしない。
私は焚火に火吹き棒で熱風を送り込む。プルモの吹く火がマガの作り出した鉄を上回ってくれることを祈るばかりだ。そうでなければ、この香炉は崩れることはない。
吹いて吹いて吹き続ける。酸欠状態になりかけている頭はぼやけてきて、今にも意識が吹っ飛んでいきそうだ。
火柱をあげて炎は強く燃えていく。火の色が赤から白になり、青に変わっていく。温度が上がっていくにつれて体から汗が噴き出てくるので、脱水症状にすらなりそうだ。
「シールさん」
「ソラヤ、離れるよ。火傷してしまう」
冬とは思えないほど、辺りの気温が上昇していく。焚火の中ではまだ香炉の黒い塊が原形をとどめたままそこにある。
そろそろ壊れろ!
心の中でそう唱えながら火を噴き続けていると、とうとう火吹き棒の先が溶け始めた。 誤算なのか、ただのプルモには到底及ばない芸当だったのか、私は熱の技で大魔法使いマガよりも勝っていると過信していたかもしれない。
火吹き棒が溶けてしまえばこちらの負けだ。キュフを香炉に奪われ、その上泣く泣く熱々の香炉を持って帰らなければならない。
そんなのまっぴらごめんだ。
髭の先がチリチリに焦げ始め、肌がヒリヒリ焼けて痛みが走り始めた。断熱の手袋までが火の粉を被って穴が開いていく。靴もつま先から火が付き始めた。
このままだと私が丸焦げだ。長い人生の終わりは己の炎だとは、とんだ笑い種だな。だが、それはそれでいいのだろうと思う。それが運命ならば。
遠のいていく意識の中、睨み続けていた黒い塊が形を崩して溶けていくような姿を見た。
「なんとか……」
私が後方にひっくり返ると同時に、香炉から無数の魂が再び外に解放され、火から逃げるように散り散りに飛び散ってしまった。
薄れていく意識の中、避難していたキュフの姿を捉えた。背中から透けた青年の顔が見える。陰のある雰囲気の男の子で、両耳に蝶の耳飾りをしてるのがはっきり分かった。
そして私は意識を手放した。




