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忘れたくない人(S‐05)  作者: 橙ノ縁
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 静かに太陽は沈み、瞬く間に夜が深まって、強い冬の風が吹き抜けていく。

 風は有り難い。例え凍えていても私の焚く香の煙を遠くまで連れて行ってくれる。

 私は火吹き棒を銜えて火が消えないように軽く息を吹き込み、風に煙を託す。

 賑やかな三人は天幕にこもって、すやすや眠っているのかようやく静かになった。

「今宵は星がよく出ているな」

 冷え切った冬の湿度の低い夜はこうして満点の星空が見える。星の配置は季節ごとに違えど、いつまでも変わらない。

 プルモは幼い頃より籠を背負って魂を集める仕事を行うので、星の配置を真っ先に教わるのだ。迷わず目的地へ行けるように、迷えば必ず故郷に戻れるように。天の配置を目印に方角を決めて自分の足で歩いていく。

「私が人間に教えることがあるとすれば星ぐらいだった」

 仕事柄、旅人と呼ばれる人間とよく遭遇した。彼らは時に道に迷っていることがあり、私は彼らに星の配置を紙に書いてやり、方角を教えたものだった。

「あの星は何て言う星なんですか?」

「ソラヤ、まだ起きていたのか」

 天幕から寒そうに顔だけを出して、空の一点を指さしている。

「どの星のことだ?」

「あの一番輝いている、赤っぽい星です」

 それは冬に東の空で最も輝く星で、三つの小さな星たちに囲まれている。

「あれは薔薇星と言って、冬に東の空で一番赤く輝くのだ」

「薔薇星。キレイな名前ですね」

「そうでもない。周りの三つの小さい星は薔薇の棘と呼ばれていて、不吉を表すらしい」

 プルモに占いや迷信は関係ないが、人間は何故かとても気にするようで、ケルウス国の人間は冬にこの星が綺麗に見えると不吉だと恐れるらしい。

「確かに聞いたことがあります。グッタでも薔薇星は不吉の前触れと言います」

「カナスタもということは、キュフも起きているのか?」

 振り向くと、天幕から顔を出しているのは三人と一羽だった。

「ルシオラもどうやら不吉星と呼んでいるようだよ」

「不吉も何も、毎年冬に空に必ずあるのだから、ただのこじつけだ」

 凶星と言われている星は他にいくらでもある。薔薇星だけが特別効力が高いというのではないはずだ。

「確か今日はケルウスもグッタも新年の初めにあたる。この日に見えるという事が不吉なんだという話を聞いたことがあります」

 カナスタが冷静にそう話すと、天幕から顔を出した子ども二人が大袈裟に驚いて見せる。

「え!年が明けたんですか?」

「新年って、私達一か月近く山を彷徨っていたんですか?」

 一か月も山を彷徨うとは、迷い過ぎではないだろうか。よく、食糧不足で餓死したり、山の猛獣に食われなかったものだ。

「私の故郷の集落で過ごした日数が長かったからだな。二人とも寝込んでいたから仕方ない」

 三人の話によれば、グッタ国の首都ルクスを出てからカナスタの故郷である山の中の集落を目指したらしい。その道中、ソラヤとキュフは毒キノコを食してしまい集落で数日間寝込んでいたそうだ。

「カナスタは山育ちだったのだな」

「はい。なので足腰が丈夫で士官学校時代はよく褒められていました」

「ならば、今こそ発揮してもらおうか。三人とも天幕に隠れろ!」

 私が火吹き棒を加えながら小声で命令すると、瞬時に危機を察したカナスタが二人を天幕の中へ引き込む。

 風の吹く音に交じって震えた低い音がにわかに響いてくる。

「獣の唸り声だ」

 そう呟いたのはキュフだった。ルシオラは流石に耳が良い。

「焚火に呼ばれたようだ」

 普通野生動物は火を怖がるが、この近づいてくる獣は大変頭がよく、火がある所に人間がいるという事を知っているのだ。そして火が消えたら眠りについたとも分かっている。

「もしかして……」

 ソラヤの声は半ばで途切れたので、おそらくカナスタが口を塞いだのだろう。

 唸り声が聞こえなくなった。獲物を捕捉した獣は自分の呼吸を鎮め、足音を消す。

 さあ、どっちから来る?

 私が右に左にと目を動かした、まさにその時、目の前の天幕がぐしゃっと潰された。獣が天幕の影に隠れながら近づいて来て天幕に飛び乗ったのだ。

 目の前に現れた息の荒いこの獣はーー椿獅子。白銀の長い毛の中に飢えた黒い目が覗いている。

 天幕の下で押し殺した悲鳴が漏れる。猛獣が私を捕捉すると、踏みつけた天幕を足場に飛びかかろうとする。私は肺に息を貯め、火吹き棒の先を獅子の顔に向けた。

「どけー!」

 呼気を吐き出そうとした時、天幕の下から急に獅子目掛けて突き上げられるように何かが飛び出てきた。カナスタの足だ。獅子の腹の下から蹴り上げたようだった。

 驚いた椿獅子を追いながら、火吹き棒で吹き付けてやる。

「シールさん、火が!」

 カナスタが驚くのも無理はない。この火吹き棒はただの風を送り込む棒ではなく、火を噴く棒なのだから。

 獅子は火を嫌い、我々と少し間合いを取る。体制を低くとって、隙を伺っているようだ。

「侮るなよ。少々のことでは倒れない獣だからな」

 カナスタは頷くと、腰に下げていた短剣を鞘から抜いて、胸の前で構える。刃を小指側にして持つ形は、グッタの武人によく見る姿だった。

 目の前の獣は我々の隙を伺うように右に左にと歩みながらじりじりと距離を詰めていく。唸り声をだんだん小さくさせ、獅子は準備を整えたように思えた。

 そして獣がカナスタ側に動いた時、一蹴りで一気に間合いを縮め、カナスタの右腕に飛びつく。

「右だ!」

 カナスタの反応が少し遅い。私の声で振り向いて短剣を振り上げても獅子の飛びかかりには間に合わない。

 獅子はカナスタの短剣を握った右腕に噛みつき、押し倒した。私が火を吹こうと頬に空気を集めた時、崩れた天幕から反撃が始まった。

「カナさんから離れろ!」

 キュフが天幕の柱にしていた角材を叩きつけるように振り下ろしている。

「どっか行って!」

 ソラヤが固い物が入った袋状の何かを閉じる用の紐を持ってぶんぶん振り回している。

 赤い鳥は崩れた天幕の中でバタバタともがいているようだ。

 私は子ども達に火が当たらないように回り込むと、カナスタを今にも食おうと牙を見せる獅子の横っ面に向かって火を噴く。

 熱気を感じたのか、火を被る前に獣は飛び退いて、グルルルと苛立っているような声を上げた。

 椿獅子が側を離れたのに、子どもたちは未だに手にしている物を振り回している。

 そうか、人間にはこの真夜中では見えにくいのだったな。ルシオラなら夜目が効くはずなのだが、キュフをよく見ると恐怖のあまり目を閉じているようだった。

「二人ともそっちじゃない。獅子は右側に避けた」

 カナスタが苦し気にそう言うと、二人の動きが一瞬止まり、おろおろし始める。

 その隙を獣は見逃さない。ソラヤの方に向かって獅子が駆けていく。

「ソラヤ!」

 私の声に危機を察知したのか、手にしていた袋を咄嗟に左右に無暗に振りまわす。

 ガシャン。と金属がぶつかった音がして、音と同時に袋から光が溢れ出てきた。

「あれは……」

 鋭い爪でソラヤを切り裂こうとした獣は、袋にぶつかり横っ飛びをしながら眩しい光に目が痛んだようで、急に動きが鈍くなった。私はそこに追い打ちをかけるようにありったけの呼気を火吹き棒から吐き出してやる。

 獅子は諦めたように身をひるがえして、夜闇の中に消えていった。



 再び火を熾して、恐怖で冷えた体を温めながら深いため息を吐いた。

「ソラヤ、そんないい物があるなら先に言いなさい」

 私がソラヤが持っていた黒い袋を火吹き棒で指した。

「これは内緒なんです」

「内緒だろうが、夜中には少しは光を漏らすなりして使う方がいい」

 ソラヤが椿獅子と戦った武器は、黒い厚地の袋に入ったランタンだった。

「袋を爪で引っ掻かれたおかげで光が外に出て良かったな」

「流石、ランテルナの灯だね」

 キュフが袋の切り裂かれた部分を抓んで何とか穴を塞ごうとしている。

「野生動物はランテルナの授ける灯には近づかない。大昔から人々の守り灯だった。人間はもう忘れてしまったのか?」

 ソラヤは自分には分からないと首を傾げながら、自分の鞄をごそごそと掘り返している。

「カナスタさん、傷薬がありました」

 どうやら傷薬を探していたらしい。先ほど獣に腕を噛まれたカナスタの手当をするようだ。幸い腕に防具を巻き付けていたので、噛み千切られなくて済んだようだ。

 山水で傷口を洗い、血の滴る腕を布で押さえつけながら止血し、少し血の勢いが落ちてきたあたりで、傷口に薬を塗りつけていく。

「その薬には名前があるのか?」

「はい。確か、アシリです」

 傷薬アシリ、その響きに強烈な懐かしさを感じた。

「ソラヤ、その傷薬はもう少し浅い傷に使う物だ。日常生活の些細な切り傷などに好ましい」

 アシリは血液と混ざり合うことによって、即興のかさぶたを作るようなものだ。浅い切り傷ならばこれで事足りるが、獣の牙が刺さったような深い傷では膿んでしまう。

「シールさん詳しいんですね」

「昔、薬師の助手をしていたことがあったのだと思う」

「思うとは?」

 カナスタ同様、子どもたちも私の変な言い方に不思議そうな顔を浮かべた。

「長く生きていると昔のことなど忘れるのだ」

 幼い頃から歳をとっていくと記憶は蓄積されるが、老いてしまうとどんどん忘れていく。そして若返っていくと記憶は再び蓄積され、幼子になるとまたぽんぽん忘れていくのだ。

「昔の事だったのか、どこかで出会った誰かの思い出なのか、はたまた作り話だったのか。正確ではないということだ」

 三人は困ったような顔で私を見ていた。それもそうだろう。記憶もあいまいな老人風のプルモの助言などどう聞いたらいいのか困るに決まっている。信用できるはずもない。

「シールさん。では私はどう治療すればいいのでしょうか」

「私が薬師の助手だったということを信じるのか?」

「信じますよ。シールさんが言ったことと、トキトさんの教えが一致していますから」

 目の前の少女は屈託なく笑って、書付に書かれた文字を見せた。そこには「アシリ、浅い傷口に使え」と書いてあった。

「シールさん、申し訳ないが、私も傭兵を続ける以上利き腕を失う訳に行かない。治療方法をご教授願いたいのです」

「爺さん、ソラヤの手当よりマシだから教えてよ」

 三人の期待を込めたような視線に耐えられなくなって、香炉に目を逸らす。頼られるとは何年ぶりだろうか。

「知り合ったばかりの者を簡単に信じてはいけないものだ。……そうだな。とにかくその書付の内容と照らし合わせながら私の治療法を聞くといい」

 ソラヤは簡単に納得して、トキトという人間の教えが書かれた書付を片手に私の言葉を待った。

「野生動物に噛まれると多くの場合、傷口が腫れて高熱が出る。まずは応急処置として流水で傷口を洗い消毒効果の高い薬で丁寧に傷口を消毒。そして化膿止め又は炎症止めの薬を飲ませる。高熱が出た場合には解熱剤を飲ませる。日に何度も消毒することを推奨する。そして大きな町で医者に見せることだ」

 自分のどこにこんな知識が眠っていたのだろうかと思うほど、すらすらと言葉が出てきた。

「シールさん、消毒液はアイレンしかありません」

「十分だ。オルテガは持っているか?」

「オルテガって化膿止めでしたよね。確か、あったはずです」

 ソラヤは次々に鞄から小瓶を取り出して、焚火の前に並べていく。それにしても薬の知識も乏しいのに、様々な薬を持ち歩いているものだ。これでは宝の持ち腐れではないのか?

「シールさん、シラーは使った方がいいのでしょうか」

「その止血薬はよほどの大怪我の時に使う。今回は出血量もさほど多くないので使わずとも好いはずだ」

 私とソラヤの会話にカナスタとキュフはぽかーんとした顔で、ただただ焚火の前に小瓶が並んでいくのを眺めていた。赤い鳥が小瓶を嘴で突っついて倒していっても二人は無反応であった。


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