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忘れたくない人(S‐05)  作者: 橙ノ縁
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 一番の年上である女性はグッタ国で傭兵をしているという。名をカナスタ。

「お爺さん、他に道はありませんか?」

「無いな」

 そして砂色の髪を長く伸ばした男装の女の子はソラヤという。

「頑張って山を越えてきたのに、どうしよう」

 三人はあの迷うとして有名なカペルとグッタの間にある山を越えてきた。

「僕ら殆ど遭難状態だったし、山道を引き返すのは嫌だな」

 痩身で虚弱そうな男の子はキュフという。

「ここから真っすぐ街道に出たとして、そこはどの国に属しているのでしょうか」

 カナスタが私の隣で頭を抱えながら尋ねてきた。

「グッタ国だ」

「そうですよね。……ああ、どうしよう」

 いくらカナスタが優秀な傭兵であろうとも、子どもを二人も連れていれば獅子とは戦えないだろう。特にキュフが先に狙われる。

「お爺さん、茸は好きですか?」

 ソラヤが山で採取したであろう土まみれの茸を見せてきた。いつの間には、私の周りは野営地のようになっている。

「お前さんたち、ここで今日は過ごすつもりか?」

 手慣れた手つきで焚火を用意し、それぞれの鞄から料理道具やら食材が出てくる。

「雪が降らなければいいんだけどな」

 キュフが灰色の空を見上げながら毛皮の帽子を被りなおす。

 ここは荒れ果てていて、大木もない。雨風を凌げる建物などもないので、野宿するのはおすすめしない。

「お爺さん、この辺りに水が汲めそうな所はあるでしょうか」

 傭兵は機敏な動きで立ち上がると、人数分の水筒と蓋つきの小鍋を手に取った。

「この辺りの水は止めておけ。山側の湧き水か山の中の川水の方が安全だ」

「分かりました。ではキュフとソラヤはここで待機。私は水を汲んでくるから」

 そう言って、軽快な足取りで来た道を戻っていく。私のような見ず知らずのプルモの許に子どもを残していって大丈夫なのだろうか。

「この辺りの水が安全ではないってどういう意味?」

 キュフが私の隣に腰を下ろし、赤い鳥を膝の上に乗せた。

「この辺りの水は汚れている」

「どんな汚れですか?」

 私を挟むようにキュフとは反対側にソラヤが座り込む。

「人が飲んでいい水ではないという事だ」

 生活用水として国民を支えていた川には今や、魚も住まない。

 他国の誰かが毒を撒いたとか、流行り病で死んだ人間が汚したとか、噂はいろいろあるが、本当の所は分からない。

 ただ生物が住めないくらい危険な水だという事なのだ。

「水が悪いから、みんな枯れてしまったんですか?」

「ソラヤが座っているその木は枯れたのではなく、焼かれたのだ」

「え!」

 飛び上がって座っていた木をまじまじと確認すると、木は半分黒く焦げていて、朽ちて落ちたものではないことは明らかだった。

「戦があったんですか?」

「君の言う戦とはどんなものかは知らんが、強いて言うなら迫害だろうな」

 二人が同じような表情で首を傾げて見せる。

「ただ、流行り病が蔓延し、それを恐れた隣国がここを焼き払った。それだけだ」

「それだけって……」

「人間など、恐ろしいものは遠ざけ消そうとする生き物だろう。昔からそうだ」

 この頭の中に残っている古い記憶の中の人間たちも現代の人間も大して差がない。というか、人間という生き物の根底は決して何も変わらないという事だ。

 分かっていたつもりだったが、現にこうして焼き捨てられた土地を見渡すと、胸が苦しくなってしまう。

「君たちだって、そんな人間から逃げているんじゃないのか?」

「そうだけど。……ここに住んでいた人たちはどこに行ったの?」

 キュフが強い思いを宿した瞳を向けながら小さな声で言った。

「皆、ルシオラに歌われた」

 ルシオラが歌うという事は、体が生命活動を停止したことを現す。この世界で生きる者なら誰にでも通じる言葉だ。

「お爺さんはここで何をしているんですか?」

 女の子の声は優しく懐かしさを孕んで私の耳を揺らす。

「待っているんだよ。迷っている全ての光を」

 私は煙を登らす大きな香炉に向かって、火吹き棒で風を送り込む。ふわっと大きく広がる煙が大気に誘われて荒野を飛んでいく。

「良い香りですね」

 そう呟いたのはキュフだった。

「そうか、良い香りだったんだな。知らなかった」

 私がそう小声で言うと、キュフは驚いたような不安そうな表情を浮かべた。

「キュフ、鼻がいいんだね。私には何の香りなのか分からない。ねえ、どんな香り?」

 ソラヤが香の煙を手で扇ぎながら、鼻を近づける。

「花の香りだよ。目の前に満開のお花畑があるみたいだ」

 少年はそう言って、自分の掌を見つめた。その行動にどんな意味があるか、その胸の内を尋ねてはいけないような気がした。

「二人とも、悪いことは言わない。ここで野宿するのは止めた方がいい。夜はぐっと冷え込んで、冷えた風が吹きつけてくる。子どもには耐えられないだろう」

 香焚きはプルモの中でも高齢者が担うことが多い。籠持ちと呼ばれる幼い子たちには野外で数日間も座っていられないからだ。

「お爺さんが過ごせるなら、僕たちだって過ごせますよ。今までだってどれだけ山の中で野宿してきたことか」

「悪いが山の中とは比べない方がいい。山は木や岩があり寒さをしのぎやすいが、こんななんにもない焼け野原では寒さは生死に関わる」

 現に今でも体を小さくさせて、私にひっついて暖をとっているのだ。これでは火を熾したとて深夜には凍死する。

「分かった。なら、風よけを作ろう」

 子どもたちは突然何かを思いついて立ち上がると、私を残して民家があったであろう跡地へと向かって行ったのだった。



 日が暮れるまで、私の周りでは慌ただしい工事が行われ、みるみるうちに簡易な建物が出来ていた。

「出来た!」

 水汲みから帰って来たカナスタが積極的に動いて作り上げたようだった。

 瓦礫から集めてきた木で四角錐状の骨組みを作り、ボロボロの布帛を張って、石を飛ばされないように重しにする。

「お爺さん、これでここで過ごせますよね」

 ソラヤは満足げな表情で私の顔を覗き込んできた。三人が作り上げたのは露営するための簡易な天幕のようだった。

「くれぐれも突風で吹き飛ばされんようにしなさい」

「はい。ご助言ありがとうございます」

 それから三人は夕食づくりを始めた。野菜を煮て味付けるだけの質素な料理だった。焚火が消えそうになると、ソラヤが私に火吹き棒で吹いてくれと何度も頼んでくる。

「この火吹き棒は火熾しに使う物ではないわ!」

「立派な火吹き棒なんだから、使わないのは宝の持ち腐れだよ」

 キュフは褒めているのかそうでないのか分からないような言い方をして、そっぽを向いて笑顔を隠した。

「はい。お爺さんの分ですよ」

 木製の器によそった熱々の野菜を私の前に差し出してくるので、仕方なく食することにしする。

「お爺さんってここにいつから言るんですか?」

 カナスタが匙を配りながら質問してきた。

「二日前だ。それより、お前たち爺さん爺さんって呼びやがって。私はもう爺さんではないのだ」

 全員が首を傾げ、動きを止めた。皿から昇る湯気だけが動いているという奇妙な光景だった。

「もう、爺さんではないとは?」

「カナさん、それよりまず、名前を窺いましょうよ」

 キュフの言う通りだ。なぜ誰も私の名前をはじめに聞かないのだ。

「私は、シールという」

「ではシールさん、もう爺さんではないというのはどういう意味でしょうか」

「カナスタよ。この髪を見て分からんか?」

 三人は私の長く伸ばした髪や髭を食い入るように見て、時に引っ張ったりして観察する。

「あ!髪の根元が黒いんですね」

「ソラヤの言う通りだ。こうして私は若返っているのだ」

 何を言っているんだ?といったカナスタとキュフの表情は尤もだ。なぜなら人間は一方通行だからだ。

「耄碌するとはこういうことを言うのだろうか」

「こらキュフ、そうであってもそんなことを言うもんじゃない」

 傭兵はしっかり年下の教育をしているつもりだろうが、はっきり言って私の傷を抉っているようにしか聞こえない。

「お前たち人間とは違うのだ。一方通行の者には決して理解できない」

 ソラヤが細い首を傾げながら、私をじっとみつめている。

「もしかして、シールさんはここから人生を折り返して若返っていくんですか?」

「いかにも」

 人間は混乱すると動きを停止させるらしい。

 ほらほら、いつも通り気味悪がって逃げ惑うなり避けるなりしろ。私など放っておいてくれないか。

「爺さん、あんた何者だよ」

 この少年はまだ私の事を爺さん呼びをする。なんて学習能力の低いお子様だ。それよりもその質問は私からキュフに問いたいのだが、まあ仕方ない、私が年上なのだから若者の質問に先に答えてやろう。

「プルモだ」

「嘘だ!」

 若いとは反射神経も良いのだった。一番若いキュフが反射的に私を嘘つき呼ばわりした。

「なにが嘘なのだ」

「だって出会ってきたプルモ達はみんな小柄で幼くて、大人のプルモなんて初めて見た」

 カナスタもソラヤも同感という風に頷いている。

「初めて見たと言われても。私は海から来た人間でも山から来た人間でもない。歌も歌わないし、灯も届けない、多くの魔法も知らない。ただの魂を集めるプルモだ」

 なんとも返事しがたいのか、三人は「はぁ。」と小さく息を吐いて再び食べ物を口に運び始める。

「カナさん、そもそも人種ってどうやって見極めるものなんですか?」

 皿を平らげたソラヤが女傭兵に静かに問いかける。

「私も厳密には分からないが、出来ることが違うのだと教わったことはある。死者に歌を歌い魂を呼ぶことが出来るのがルシオラ。新生児に突如灯を届けに来るのがランテルナ。魂を引き取りに来るのがプルモ。それ以外の不思議な力を使うのがゼノだ。そして私の経験上、見た目だけでは殆ど見極められないと思う」

 カナスタが説明した四種族はこの土地に古来から住んでいる原住民だ。我々は人間と姿かたちはよく似ているが、生まれながらに使命のような特殊な力を使う。

「では、アピス人とレピュス人とはどう違うのでしょうか」

「こちらも見た目にさほどの違いは無いと思う。見たら分かるという学者もいると聞くが、一般的には見た目では判断できない。自分の先祖がどちらなのか分からないままの人も多いだろうな」

「カナスタはアピス人か?」

 私の質問に迷うことなく彼女は答える。

「はい。そうだと親からと聞いています」

「では、キュフは?」

「この体はルシオラだよ」

 なんて変な答え方だ。

「ではでは、ソラヤは?」

「それが……分かりません」

「分からない?ならば親は?」

「親ときかれても、私、最近のこと以外の記憶が殆ど無いんです」

 ソラヤがどうして人種の見極め方を知りたくなったのか分かったような気がした。

「自分が何者かを探す旅なのか?」

 まれに自分探しという名の旅をする者を見かける。孤児だったり、ただの自己満足だったり理由は様々だが、人間は自分が何者なのかはっきりさせたい生き物のようだ。

「いいえ。キュフを元の体に戻す旅です」

「は?」

 どういう意味だ?私の予測が外れたようだった。

「キュフはもともとケルウス国の人で、魂だけで西側に来てしまって知り合いとはぐれてしまったんです。それで私がキュフを見つけたので、ケルウス国へ連れて行こうと決めました。魂だけなら自然に還ってしまう恐れがあると言うので、アロアに体を貸してもらって、こうして華奢な男の子の姿なんです。もともとはもう少し背が高くて、耳に真鍮の蝶型の耳飾りをしていて……」

「ソラ、そこまで。爺さんが混乱しすぎて動きが停止している」

 歳だ。嗚呼、歳だ。若者の言っている言葉が同一言語のはずなのに、まったく理解できない。彼女は早口言葉で一体、何の説明をしているんだ?

「そうだ、名前でだいだいの人種が分かるという話も聞いたことがある」

「カナさん、一先ず爺さんの頭が正常に戻るまでその話は止めておきましょう」

 ああ、もう、やめてくれ。頭が痛くなりそうだから、静かにしてくれ。

「人種をきいた私が悪かった。もう、何も言うな」

 人種などプルモにとっては特段、重要でもない。魂さえ見れば分かってしまうのだから、それまでは気にすることも無かろう。




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