第60話
その女子は、クラスのトップカーストに所属する子だった。髪は茶髪に染め、どこか遊び慣れたような風貌であり、治は僅かながらの苦手意識を持っていた。
「おはよ、えーと……確か、島崎だよね?」
「あ、ああ」
本にしおりを挟みながら、彼女をちらと見る。彼女はにこっと人懐こい笑みを浮かべていた。
治は彼女の名前を必死に思い出そうとしたが、自己紹介が行われたのは一ヵ月も昔の話であり記憶から掘り起こすことはできなかった。
「な、何かあったの? 凄いイメチェンして、かっこよくなってるけど」
「……か、かっこいいか?」
「うん、滅茶苦茶! 何かあったの!?」
治はそう指摘され、視界に入った前髪を軽く弄った。
それから苦笑を返した。
「……色々と私生活であってな。ある人に良く見られたいと思って、今は少し変えたんだ」
すべて嘘をつく必要も、隠す必要もないと思っていた。
治が素直にそう答えると、女子はふーんと考えるように唇を尖らせた。
「えー、つまり好きな人ができたってこと?」
「……それに近いところだな」
「なんだー、それじゃあ私が立候補しても無理かぁ」
「り、立候補!?」
「そうそう。あーしの滅茶苦茶好みのタイプだから、立候補しよっかなと思ったんだけど……何? 興味ある?」
「……いや、その、悪いな」
「てか、いきなりそんな髪切るなんて、入学してたときからすれば良かったのに」
「……別に、それまでは誰にどう見られても良かったしな」
「つまり、あーしや学校の人にも興味がないと?」
「……そう、だな」
「うわ、極端だねー。けど、なるほどね、了解。その好きな人とうまくいくといいねー」
「……あ、ああ、ありがとう」
ひらひらと女子生徒は手を振っていった。
「確認してきたけど、どうやら好きな人が出来たからそれでイメチェンしたみたいだな。そんでもって、たぶんその相手はうちの学校じゃないみたいよー?」
女子生徒はちらちらとこちらを見てくるグループの女子たちにそう説明していた。
代表して彼女が聞きにきたようだ。
「……好きな人? えー! それじゃあ今からアタックしようと思ってたのに!」
「今からアタックって、遅かったねー」
「えー、だってあんなにかっこいいと思わなかったし……」
その評価自体は嬉しくもあり、治としては自信が出てくるものだった。
好きになった「飛野咲」という女性は、逆立ちしても敵わないような美貌の持ち主だと思っていたからだ。
そんな相手に少しでも近づけたのではないか。治はそんなことを考えていた。
治は小さく息を吐いてから、読書を再開しようとした。しかし、それを遮るように別の女子生徒が治の机をたたいた。
その人はクラスメートではないのだけは分かった。
「やほー、島崎くん。なんかその髪型凄い似合っているね! どこで切ってもらったの!?」
明るい調子で女子生徒の質問に、治は苦笑を浮かべる。
「俺の姉さんが美容師見習いなんだ。それで切ってもらったんだ」
「へぇ、いいなぁ。凄い似合っているね。ていうか、それも何だか気になる人がいるからなんだよね?」
「……まあな」
「やっぱり女の子なの?」
「……ああ、そうなるな」
「えー、でもでも、ほらその子だけが女の子ってわけじゃないし、もっと広い目で見たほうがいいんじゃない?」
「……確かにそうかもしれないが、今はその子に全力を注ぎたいと思っているんだ」
「ふ、ふーん、そうなんだ……」
治は咲の顔を思い浮かべ、それから改めて決意を固めていた。
高嶺の花、無謀な初恋。それらを理解しながらも、やめられないのは彼女のことがそれだけ好きだったからだ。
女子生徒は諦めるように肩を落としてから、去っていった。
「ねぇねぇ島崎くん、いつも本読んでるけど何読んでるの!?」
「あー、まあ色々だな。今はこれだな」
本の表紙を見せると、女子生徒は目を見開いた。
「あっ、それ今ドラマでやっている奴だよね!?」
「ああ、人気みたいだから、気になってな」
「そうなんだ! ドラマは見てるの!?」
「まだ見てないな」
「面白いよ! 主人公役の近藤さんが滅茶苦茶かっこいいんだよ!」
「そ、そうなんだな」
それからも次から次へと声をかけられる。女子だけではなく、男子からも同じように声をかけられ、治は疲れ果ててしまった。
朝のホームルームが始まり、ようやく解放されたところで、前の席に座った男子がじろりと治を睨んだ。
「……オタクの癖に、なんだよ」
「……ほんと、調子に乗るなよな」
嫌味ったらしくそう言ってきた彼らに、治は出来るなら立場を変わりたいと思った。
 




