第56話
「私も今度お願いしたいくらいですね」
「……あー、どうだろな? 姉さんは俺相手だと毎回のように切っているから慣れているのもあるかもしれないな」
「……なるほど、慣れというのは大事ですからね。それにしても、お姉さんですか。羨ましいですね」
羨ましがるように遠くを見た咲に、治は問いかける。
「飛野は兄弟とかはいないのか?」
「はい。一人っ子ですね。ですから、兄弟、姉妹という存在には憧れてしまいますね。とても、お姉さんとは仲が良いみたいでしたね」
「……でしたね? あれ、飛野も見たのか?」
「うえ!? あーと、真由美から聞いた話ですね。仲がよさそうだったと聞きました」
「……そうだな。うちは仲が良いほうだと思う。たまに、喧嘩もするがすぐに仲直りできるしな。でも世の中の兄妹とかって案外うまく行かないってことも多いみたいだからな」
「やっぱり、難しいものですかね? でも、島崎さんの家は仲が良いようで羨ましいですね」
こくりと治が頷きかけたときだった。
強い光とともに一台の車が近づいてきた。
その車の勢いはすさまじい。とても、狭い道を走るような速度ではなかった。
「飛野、危ない!」
「え!?」
治が声をあげ、とっさに咲を抱きかかえるように引っ張った。
その横を車が通り抜けていく。治たちが歩いていた住宅街は時速30㎞の交通標識があるにも関わらず、その車は勢いよく飛ばしていってしまった。
「……危ない、車だったな。大丈夫か、飛野」
治は胸の中で小さくなっていた咲を見て、思わず表情に力がこもった。
小さな腕を今もなお治は押さえていた。その体を握る手からはじんわりと熱が伝わっていた。
治を見上げる咲の瞳は不安げに揺れていた。彼女の血色のよい唇が誘うように震える。
治は緊張が頂点に達し、思わず唸りそうになるのを必死に押さえていると、
「あ、ありがとうございました……本当に危ない車でしたね」
「そうだな……どこかで警察に捕まってくれればいいんだがな。とにかく、良かった。怪我とかないよな?」
「……はい、大丈夫です。島崎さんも大丈夫ですか?」
「俺も……どこも問題ないな」
治はそれから咲の体からゆっくりと手を離した。
彼女から離れた部分を冷やすように風が抜け、それまでのぬくもりが失われていく。それが妙に寂しかったが治は笑みを浮かべて、誤魔化していると。
その手がぎゅっと握られた。
「え?」
「あっ……」
握ってきたのは咲だったが、その咲自身も戸惑ったような声をあげる。しばらく見つめあった後、咲はばっと手と体を離した。
「す、すみません……そのいきなり手を握ってしまって……っ!」
咲がぺこぺこと頭を何度も下げていく。
そんな姿を見ていた治は、一度小さく息を吐いた。それから、脈打つ心臓を押さえつけるように強く一歩を踏み出し、咲の手を握った。
「……その、嫌じゃなかったら……一緒に手を繋いでお店まで行かないか?」
「……」
咲が上目遣いに治を見てきた。一生とも思えるようなほどに彼女からの返事までの時間は長かった。
そして――
「は、はい、いいですよ」
ふわりと花が咲いたように微笑み、咲がきゅっと握り返した。
治と咲は並んで歩き出す。
しばらくして治は、確かめるように握る手に力を込めた。
そして、それに反応するように咲からも握り返された。その力は控えめだったが、治にとっては嬉しい返事だった。




