第52話
「急に距離を置くんじゃないわよ。あんただってその血を引いているんだから」
「でも俺は川で拾ってきた疑惑もあったろ、確か」
「んなわけないでしょ。ほら、自信持ちなさい! あんたは『うちの商品滅茶苦茶まずいけど買ってください』って勧められて買うの?」
「……買わないな」
「でしょ? まずは自分に自信持ちなさいな。だからって、ナルシストって言われるくらい過剰なのはただただ気持ち悪いからダメよ。例え、思っていても絶対に口や態度には出さない程度の自信にしなさいよ」
「……わかったよ」
そういうと、再び治の散髪が再開された。
目を閉じ、髪が入らないようにする。ハサミの音が小気味よく耳を撫でた。
「相談くらいには乗ってあげるわよ。これでもあたしだって一応女だし、ちょっとくらいは力になれるでしょ?」
「……確かにそうだな」
「何よ、一応ってところの否定くらいはしなさいよね」
「いや、一応だな、と思ってな」
「生意気な弟ね」
しばらく髪を切り進めていったところで、再び奈菜が声をあげた。
「それにしても、もったいないわね。そんなに好きになれる人ができたのに、これまで恋愛とかしてこなかったんでしょ」
「……そうだな。けど、それで何がもったいないんだ?」
「だって、本命相手にぶっつけ本番なんでしょ? 初恋が実らないって言われているのはそういう部分も大きいのよ?」
「……そうなのか?」
「当たり前でしょ? これまでまったく恋愛経験がないような人が、恋愛経験ある人にアタックしても中々うまく行かないでしょ? 社会人一年目からばりばり仕事できる人なんてそうはいないでしょ? それとおんなじ。経験って凄い大事なのよ」
奈菜の言葉に、治は納得させられてしまった。
「経験、か。確かにそうだな……」
「一途なのも大事だけど、たくさん異性と関わっておくのってそういうところに響いてくるんだからね? 恋愛をたくさんしておけば、本当に好きになった人のために活かされるんだから」
「……そういう考えもあるんだな」
いつか出会うだろう将来の相手のために自分磨きを行うという奈菜の意見は至極真っ当なものだった。
それから一時間程がたったところで、バシッと治の背中が叩かれた。
「いちいち叩かないでくれ姉さん」
「ほら、終わったよ。うん、我ながらばっちしね」
治は鏡をじっと見るが、さっぱりとしたくらいにしか分からなかった。
素顔が前面に押しだされたため、少し恥ずかしかった。
「……これでばっちし、なのか?」
「何? 文句ある?」
「いや、俺には最近の若者の好みってのが分からないからな。この髪型で問題ないのか?」
「いや、あんただって若者なんだから。……まあ、完璧よ。どうせあんた大した手入れもできないだろうから、そこまで手入れしなくても決まる髪型にしてあげたんだから」
奈菜がハサミをしまっていく。治はそんな彼女をみながら、床におちた髪をビニール袋に集めていく。
「ありがとな姉さん」
「お礼は彼女の画像で許してあげるわよ」
からかうように笑った奈菜がそれから背筋を伸ばした。
「あんたはこのままシャワーでしょ?」
「……ああ」
「あたしはそろそろ家に戻るわね」
「なんだ、今日は泊まっていかないのか?」
「明日までにやることがあってね。ちょっと忙しいのよ」
疲れたように笑って肩を竦める。
奈菜の言葉を聞いて治は申し訳ない気持ちになった。
「……わざわざそれなのに来てくれたのか?」
「そうよ。だから、私の努力に報いると思って、その女性さんを落とすこと、いいわね?」
びしっと奈菜が治へと指を突きつける。治はこくり、と頷いた。
「努力するよ」
「よろしい。そんじゃ、あたしはこれで帰るわね。髪はよく洗っておきなさいよ」
「……了解」
奈菜にお礼を伝えると、浴室の扉が閉まった。
治は浴室にばらまかれた髪をまとめてから、頭を洗い始めた。




