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15日目-1

 結局、レイスが家族と会えるようになったのは、ユイスに会いたいと言ってから8日も過ぎてからだった。

 意識が戻ったり虚になったりを繰り返し、やっと本当に落ち着いた。とはいえ、もつのはほんの数時間程度だろう。未だ体力自体がろくに戻っていないから、寝台から起き上がることもできない。

 朝、ヴァルディースに抱き抱えられながら、とても久しぶりに風呂に入れられて、髪まで洗われた。

 その風呂の支度にも、大理石の浴槽とこの城の女中らしい人間が何人も出てくる。相当ここは地位の高い人間の城なのだと気付いたが、さすがにその後風呂に入っている間のヴァルディースの説明には、度肝を抜かれた。


「ここはメルディエル王宮だ。そういえば、言ってなかったな」

「王宮……っ!?」


 メルディエルといえばガルグと唯一対抗できる、女王が治める南の大国。ガルグで自分たちはずっと、その国と戦う捨て駒にされるために生かされ、研究されてきた。

 自分がその国の、それも王宮の中にいるなんてにわかには信じられず、けれど同時に、本当にガルグから開放されたのだとも知った。


「ザフォルの野郎がガルグと敵対したって、本当だったんだな……」

「詳しいことは追々説明してやる。それより、早く支度しないとみんなが待ちくたびれるぞ」


 魔術らしい熱風によって、一瞬で身体を乾かされる。こんなことに貴重な魔力を消費するなと訴える間もなく、肌触りの良い木綿地の服を頭から被せられた。


「これくらい、一人で着れるっ!」


 頭を通され、腕を取られて叫んだ。さすがにこんな着せ替え人形みたいな扱いまでされなくてもいいと、もがこうとして、それが目に入った。

 襟や袖に施された刺繍。黄色や赤、そして緑。色とりどりの糸を縫い付けた幾何学模様を、レイスはよく、知っていた。


「これ……」


 フォルマンの刺繍は、家ごとに異なる。母から娘に伝えられ、嫁に行くと姑から伝えられたものと混ざり合って、また新たな家の模様になる。レイスが着せられた服の刺繍は、母の家から伝わっていた図柄だった。

 まさか。


「今日は、ユイスだけじゃない。メイスとエミリアもいる。それはエミリアがお前のために作ってくれた。あと、お前に食べさせてくれと、毎朝粥も届けてくれてたんだ。お前は意識がなかったが、ちゃんと食わせてやったんだぞ。会ったら、礼を言っておけ」


 手のひらに、椀を握りこまされた。湯気のたつ素朴なミルク粥。懐かしい香りがした。


「姉貴のやつ……。いっぱしの女みてぇになってやがる……」


 一口すくって口に運べば、母とは違う、けれど限りなく母に近い味が、口の中に広がる。油断すると目が潤んで涙が溢れてしまいそうだった。


「ゆっくり食ってろ。その間に呼んでくる」


 扉が閉まった途端、レイスはその粥をかきこんだ。空になった椀を抱え、膝を抱え、声を殺して一人、泣いた。

 

 それからヴァルディースは半刻かけて戻ってきた。扉が開かれ、中に三人が招かれる。けれどなかなか三人とも足を踏み入れようとしない。

 何か外で揉めているようだった。

 やはり、自分と会いたくはないのだろうか。

 心にもやがかかる。


「ああもう、往生際悪いわよ父さん!」


 甲高い苛立ちの声にはっとした。今のはたぶんエミリアの声だろう。でも、その声が呼んだ父とは一体。心臓が急に早鐘を打つ。

 父親のことは顔も覚えていない。その話をすると、母が悲しげに笑って、いつか教える、としか言わなかった。何も知らない周りの人間は、逃げたのだとレイスたちを嗤った。死んだという人間は誰もいなかった。

 戦って死んだのなら村の名誉だ。墓に名前が刻まれ、忘れられることもない。なのに墓もなく誰も名前も知らないなら、それはたぶんそういうことなのだと、幼いながらレイスだって気付いていた。

 その父親が、今扉の向こうにいる。

 怒りが、沸き起こった。

 名前も知らない。顔も覚えていない。けれどソイツが、もし、ソイツがあの時母の側にいたなら。

 ガルグに普通の人間がかなうわけがないことはわかっている。けれどそれでも、あの時ソイツが、母さんの側にいたなら。そうじゃなくてもユイスと自分がさらわれたあのときに、村にいたなら、こんなことにはならなかったんじゃないか。


「メイス、覚悟を決めろ」


 全員に押しやられるようにして、部屋に転びそうな勢いで押し込まれたのは一人の若い男。その直後にバタンと扉が閉ざされる。

 蒼ざめた男の後ろ姿が扉に縋り付くのを見て、レイスは戸惑った。

 ヴァルディースがメイスと言った。それは兄の名前だ。それに金に黒が混じった珍しいまだら髪の持ち主を、レイスは一人しか知らない。

 けれど、目の前にいる男はどう見ても、レイスと同世代。

 一体、何がなんだかわからない。

 扉がどうやっても開かないのを見て、男は諦めたように大きく溜息をついた。

 振り返って苦い笑みを浮かべる。その姿をレイスはよく知っていた。

 でもまさか。そんなバカな。


「レイ、その、今まで騙しててすまなかった!」


 がばりと男は屈んで床に額をこすりつけた。

 ずっと長い時間、男とレイスはそうやって向かい合っていたようだった。

 レイスの心臓の音だけが激しく打ち鳴らしていた。

 ヴァルディースはいなくて、目の前には誰かわからない男が土下座している。何を言えばいいかわからず、何もできない。

 時間ばかりが過ぎていく中、ちらりとこちらを見上げた男は、顔を上げた途端真っ青になった。


「レイ! 大丈夫か!? 真っ青じゃないか!」


 真っ青って、それはあんただろう。

 おろおろと右往左往するだけの男に苛立ちが募った。それから、こんな状況で二人きりにしたヴァルディースにも腹が立った。


「ざっけんな……」


 腕が、肩が、全身が震えた。


「……っで、だよ、なんで、兄貴が」


 ぼたぼたと震える拳に滴が落ちる。

 予想なんかできるわけがない。

 こんなこと、わかるわけがない。

 でもレイスはもう何もわからない子供じゃない。

 だって、目の前の相手がこの姿で、そしてエミリアに父と呼ばれるならそういうことじゃないか。


「クソ野郎……」


 言いたいこと、言わなきゃいけないことが全部吹き飛んでしまった。

 腹立ちしかなかった。けど、一番むかついたのは、そういう周りの気遣いに何も気付けなかった自分自身だ。


「いつから……、いつからそうなんだよ」

「精霊大戦の後からだから、もう何千年前だろうなぁ」


 間延びした調子でまるで他人事みたいに、桁違いの時間を言う「父親」という存在に、途方に暮れた。


「いろいろと、話さなきゃいけないことがいっぱいあるんだ。聞いてくれるか、レイ?」


 寝台の傍らに座ったメイスに、子供のころのように、頭を撫でられた。昔とても大きく感じられたはずのその手は、今自分とそんなに変わらない。寄り掛かった胸も、十分逞しくはあったけれど、ヴァルディースよりも幾分か華奢に思える。そんなことに、レイスは気がついた。

 

 

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