8日目
ヴァルディースは面々を見渡して大きく息を吐き、頭を下げた。
「集まってもらっておいて悪いんだが、すまん」
いきなり謝られたメイス、ユイス、エミリアが、居心地悪そうに座った藤編みのソファと長椅子の上でお互い顔を見合わせる。
「レイのことで何かあったのか?」
問いかけてきたメイスになんと答えたものか、ヴァルディースは頭を抱えた。
レイスがユイスと会いたいと言った次の日だ。
今流石にメイスたちには、メルディエル王家の好意で城下に家を借りて、そこで寝起きしてもらっている。今日レイスの体調さえよければユイスだけと言わず、顔を見るだけでも家族全員に会ってもらおうと思って、王宮の方に呼び寄せた。
皆を喜ばせようと思ったこともあって、詳しいことは何も伝えていない。だというのに、肝心のレイスの体調が、今日は芳しくない。
見渡した三人の表情には不安が広がっている。呼び出されて最初に謝られたのではそれもそうだろう。下手に誤魔化せば逆に不安を煽ってしまうに違いない。
早計に過ぎたということなのだが、これは正直に話して納得してもらうしかないか。
「実は、昨日レイスが久し振りに目を覚ました」
「ほんとか!?」
「ああ。だが、それからまた何もわからない状態が続いている」
昨日、目を覚まして自分の意思で会話できた。ちゃんとユイスと会いたいとも言っていた。だが、あれからまた飢えが再発した。魔力を注がないと我を失い飢えに苦しみ。魔力を注げば快楽に我を失う。
今、ヴァルディースは部屋の外でこうして会話しているが、実はこれは分身体で、本体はあの部屋で今もレイスを抱いている最中だ。少しでも離れてしまうとレイスが悶え狂う。流石にそれは放置できず、おおっぴらにすることもできず、こういう方法を取らざるをえなかった。
「本当は、今日も体調がよかったら、お前たちに会ってもらおうと思って、それで来てもらったんだ。なのに、すまない」
「そんなことないよ、ヴァルディースさん。僕たちのことなんて気にしないで。むしろ、ヴァルディースさんだって疲れてるだろうに、ずっとレイにつきっきりにさせちゃって、ごめんなさい」
「それこそ気にするな、ユイス。俺は精霊だからな。疲れることなんてそうそうない」
よかった、と笑うユイスの穏やかな表情に偽りはないだろう。メイスもエミリアもユイスと同じように頷いている。
「それで、レイの状態はどうなの?」
「一度は落ち着いたんだ。もう少しかかるかもしれないが、すぐ会えるはずだ。あいつも会いたいと言っていた」
三人の表情が目に見えて明るくなった。
「ただ……」
「ただ?」
「伝えられたのはユイスのことだけで、メイスとエミリアのことには触れる余裕がなかった。すまん」
ヴァルディースは再び深々頭を下げた。
正直、伝える余裕は、自分が変ないたずらをしなければ、あったのだと思う。その時は、終わった後に伝えればいいと思っていたから、まさかそのままレイスの意識が飛んでしまうとは思ってもみなかったのだ。
「そっか、でも仕方ないわよね。あの子にとってはユイの方がやっぱり一番大事だもの」
エミリアの寂しそうな声がぐさりと胸に突き刺さる。流石に家族のことをちゃんと伝えられなかったというのはヴァルディースにとっても酷く苦い思いだった。
家族というものはわからないが、大切な人の安否なら精霊であろうと人間であろうと、知りたいと望むだろう。
「レイだって父さんや姉さんがいるってわかれば、絶対会いたいって言うよ。そうでしょう、ヴァルディースさん」
ユイスの言う通りだ。ヴァルディースは頷いた。
未だにレイスは全員死んだと思っているのだ。それが助かってちゃんと生きていると知ったら、会わない理由はないはず。
「きっと会いたいと言うだろう」
だから次は全員で会ってやってほしい。そう言おうとした矢先。
「じゃあ、次にレイが目を覚ましたら、ユイスとエミーで会ってきてくれないか」
「えっ、私とユイとって、なんでよ父さん!」
突然のメイスの言葉にその場にいた全員が驚き席を立った。
「いや、おれがこの姿で会ったら、あいつをまた混乱させちまうだろ?」
座れと皆を促しつつ、メイスが苦笑した。
レイスとメイスが別れてから7年あまり。今メイスはユイスやレイスと同世代くらいにしか見えない。若作りで通せないこともないかもしれないが、エミリアより年下に見えるのでは、年の離れた兄というには難しい。
メイスが望まないというのなら、無理強いはできない、が。
そう思った時、バチッとひときわ高い衝撃音が響いた。
「こんの、意気地なしクソオヤジ!」
まるで王宮全体に響き渡りそうなほどの怒声だった。驚いて飛び立った鳥は数知れず。防音結界を張ったはずの隣部屋にいた本体のヴァルディースにまで聞こえたのだから相当な声量だったはずだ。
隣に座っていたユイスなどは耳を押さえて目を回していたし、その怒声を向けられた当の本人は、頬を真っ赤に腫らすほどの平手打ちの衝撃も相まって床にへたり込んでいた。
「また逃げるの父さん! そういうとこ、レイも父さんもそっくりで、ほんっとイヤになる!」
「ね、姉さんちょっと……!」
「ユイは黙ってて!」
まるで吹き荒れる暴風のごとく激しい怒り。昔何度か身に降りかかった恐怖をヴァルディースは呼び起こされ、思わず身を震わせた。
「あのね、父さんが逃げるなら、他の誰がレイのことちゃんと受け止めてあげられるっていうのよ! いい加減にして。もう母さんは居ないし、グライルだって親代わりってだけで本当の親じゃなかった。あたしだってユイだって、そこだけは代わりになんてなれるわけない。それともそんなことまでヴァルディースさんに背負わせる気!? 父さんしか……父さんしか、ちゃんと、レイの親になれる人は、もう居ないのよ。こんな時にまで父親が逃げてどうすんのよ!」
ぜいぜいと肩で大きく息をして、エミリアは長椅子の上にへたり込んだ。ぼろぼろと悔しさに絶え間なく涙を流す。
メイスはエミリアの剣幕に気圧されて、呆然と見上げるだけ。
一瞬エミリアの怒りがファラムーアのそれに重なって見えた。けれど、家族というものを根本的に理解できない精霊とはやはり違う。エミリアの怒りや涙は、あくまでレイスのためのもの。
先日、レイスを恨みそうだと怯えていた面影などもうどこにもない。
「あたし、父さんがレイと会わない限り、絶対レイには会わないから」
歯を食いしばって泣きながらメイスを睨みつける。そのエミリアの覚悟は、流石にヴァルディースどころかメイスにもユイスにも予想外だった。
「エミー、そんなこと言うな!」
「だったら、真っ先に父さんが会うべきでしょう!? そのためにはるばるフォルマンの草原から出てきたんじゃないの! 母さんだって、生きてたら絶対同じこと言ったはずだわ」
母ファイナの名に、メイスが何も言い返せず押し黙る。そしてややあってから深く長い溜息を吐き出した。
「エミー、すまなかった。いや、エミーだけじゃない。ユイにもレイにもちゃんと謝らなきゃな」
床にへたりこんでいたメイスが、よし、と気合いを入れてはね起きる。
「ユイ、ほんの少しだけ、レイと会う順番を譲ってくれないか。あいつにどうしても真っ先に伝えなきゃいけないことがあるんだ」
もちろんだと、ユイスが身を乗り出す。覚悟を決めてすっきりとしたのか、メイスはファラムーアによく似た顔で笑って見せた。
「決まりだな。次にレイスが目を覚ました時には、すぐに連絡する」
そう告げて、ヴァルディースは三人を見送った。
まずはレイスの飢えをどうにかしないといけない。
その期待には早く応えてやらなければと、改めて思った。