7日目-4
目の前で消えていったアイツ。死んだのだと思っていた。でも、まるで身代わりのように自分から闇に沈んでいった。
捨てられたのだと思った。所詮そんなものだったのだ、と。母親を殺してしまったとき、なんで側にいてくれないのかと呪った。いつのまにか、思い出したくもなくなっていた。
なのに。なんで今更。あんな消え方を。
思い出してしまえば、思わなくはない。こんな時、もしアイツがいたら、違う慰め方をされたんじゃないか、と。
「レイス」
名を呼ばれ、顎を持ち上げられた。その時には、口付けが襲っていた。
また流れ込んでくる激しい感覚。それも、獣に貪られるような獰猛な快楽。
「っ――!」
押し入ってくる舌。無理矢理流し込まれてくる魔力が首筋を伝い、身体の奥へと暴れ回る。口を塞がれて待てと言う暇もなかった。
なんでいきなり。
「や……ぁっ!」
聞きたいこと、聞かなければいけないことがまだまだあった。我慢していたのに。
焦る間にも指先がするりと下肢に滑っていく。
そんなところを嬲られたら、今度こそ正気が。
けれど、指先はほんの少し下肢を掠めただけ。
「っ、なん……っ」
なぞるような手つき。ただでさえ飢えた身体が勝手にその先を期待してしまう。
欲しくて欲しくて気が狂う。そんな自分、認めたくない。
「い、やがらせ、かよっ」
「まあ、そんなところだ」
意外な返答にも途方にくれるだけで、意識が回らない。
太ももを揉みほぐす程度の刺激。やめてくれ。そんなんじゃ足りない。
息ばかりが上がっていく。
「勘違いするなよ、レイス。何度でも言う。辛い記憶は忘れたっていい。忘れたいなら忘れさせてやる」
けど、あんたが言ったじゃないか。ついこないだ。アイツのことは忘れるなって。
「っああ!」
立ち上がった胸元の突起を、そっとなぞられる。
「やめ、っ、あ、やぁあ!」
なりふり構わず悲鳴をあげ、その手を退けようとするのに、やっぱり押し返すことなんてできない。
ほんのわずか掠めては離れていく指先。そして首筋から耳にかけてをなめあげる舌先が、レイスを狂わせていく。
いやだ、そんなそっと触らないでくれ。もっと、もっと、ぐちゃぐちゃにして、お前で満たしてくれ。
けれど、そう願った途端にヴァルディースの指先は離れていく。追い上げるだけ追い上げておいてこの仕打ち。
「っぁ……、あぁ……っ」
ぐちゃぐちゃになったのは、涙で濡れた顔の方。
ひくりひくりと振るえる身体を持て余し、身悶える。自分でどうにかしようにも、指先にすら力は入らず、どうしようもできない。
「ひ、でぇ……っ」
何でこんなことをするんだ。わかってるって言ってたくせに。
「わかってるからこそだ」
頭を撫でられ、頬の涙を拭われる。そんなことはいいから、もっと違うところを触って欲しいのに。
「素直じゃないくせに、なにもかも背追い込もうとするな」
「な、に、いって……」
「グライルのことは、むしろ無理矢理忘れて、存在ごとなかったことにしようとしていただろう。でもユイスは違う。忘れたくても、忘れられない。忘れられるわけもない」
だってユイスは家族だ。双子の片割れだ。生まれた時からずっと一緒だった。忘れられるわけがないし、そんな大切な相手に自分がしてしまった非道を、忘れていいわけがあるものか。
「だからだ。お前が忘れられない罪悪感を、なんで俺が忘れるな、なんて責められる? 言っただろう。俺はお前を傷つけたくない。お前にも、自分自身をこれ以上傷つけてほしくない」
「じゃあ、コレは、なんっ、だよ……!」
人を煽るだけ煽って、そんなことを言われてもなんの説得力もない。責めるつもりがないというのなら、なんでこんな仕打ちをされなければいけないんだ。
「甘えろ、なんて俺がまだ言えるような立場じゃないことはわかってる。けどな、お前の目の前に今いるのは俺だ、ってことくらいはわかってくれ」
予想外の言葉に、思考が回らない中でも一瞬気がとられた。
まるで少し拗ねてでもいるような、ふてくされた顔が目に入った。
なにを言っているんだこいつは。もしかして、グライルと比べてしまったから? こいつはグライルに嫉妬でもしているのか?
さっき嫌がらせと言ったのはそういうことなのか。
そんなことを考えた途端、目の前の相手がむっと顔をしかめた。
ああ、やっぱりそういうことなんじゃないか。
「恥……っず……」
わかった途端、思わずこっちが恥ずかしくなる。独占欲丸出しのケダモノか。まともに顔を見れないではないか。
そりゃ、前のオトコと比べられて気分がいいやつなんていないだろうけど。
でも甘えろって。そんなことを言われても。
昨日までだって散々強請ってしまっていた。あんな理性も飛んだ状態でのことだって思い出したくもないのに、こんなシラフで『欲しい』なんて、口が裂けても言えるわけがない。
「お前が求めてくれないのなら、俺は何もしない」
「……ッ!」
どの口が言うんだ。これまでは散々好きにしてきたくせに。だったら最初から何もするな。触れてくるな。
「そうは言ってもな、お前が俺を求めてるのは痛いほどわかってしまうんだ」
ああそうかよ。お前には筒抜けなんだって言うんだから、そりゃそうだろうよ。わかってるなら何も言わずにやればいいだろう。こんな、わざわざ言葉にさせなくても。
「俺が相手なら、それでいいだろうさ。けどな、レイス。他の相手には口に出さなきゃ伝わらない。いくら本音では許されたがっていたとしても、お前が求めなければユイスだって許しようがないんだぞ」
ユイスの名にどきっとした。返す言葉が何もない。
見透かされてる。自分でも気付かないようにしていたことまで。
けど、怖いんだ。求めてしまったら、また全部壊れる気がして。
「お前が自分自身を許せないのは、もう二度とユイスを、他の人間を傷つけないと言う自信がないからだろう? 許さないことで自分自身を戒めてる。そうして自分で自分を傷つけて、守ったふりだ」
「けどっ、そうしなきゃユイが……。ユイだけじゃない。他の奴らだって。アイツはあんたみたいに頑丈じゃない。またオレが壊れれば、簡単に……っ」
「安心しろ。そんなことは、俺がさせない。お前はもう誰も傷つけない」
どこにそんな自信があるのかと問い詰めたくなるくらい自然に、ヴァルディースは言ってのけた。
あまりに自然で当たり前すぎて、呆然と、見つめ返すだけ。
こいつに言われてしまうと、信じてみてもいいかもしれないという気になる。それだけのことをこいつはすでにしてくれているから。
「本当かよ……」
顔が上げられない。
今の顔を見られたくない。
顔を覆ったところでヴァルディースにはどうせわかってる。
嬉しくて嬉しくてたまらないことぐらい、きっと筒抜けだ。
少しだけ、ほんの少しだけだけれど、願って、甘えてもいいだろうか。
7年間切望してきた願いだ。
ずっと叶わないと思っていた。叶えてはいけないとも思っていた。
叶っても、それは最悪の形だった。でも、今度こそ。
「ユイと、会いたい……」
会って、直接謝らなければ。
ずっと一緒にいると言ったのに、一緒にいられなくて、ごめん。
一人にしてしまってごめん。
再会したのに何も伝えることができなくて、ごめん。
巻き込んでしまってごめん。
傷つけてしまって、本当に……。
「そんなに謝ってばかりだったら、ユイスが何も言えなくなるぞ」
くしゃりと頭を撫でられて、黙って頷いた。
きっとあいつのことだから、泣いて笑って、許してくれる。あいつは優しいから。
わかってる。本当に伝えなければいけないのは、もっと別の言葉だ。
あいつの手を取って、ちゃんと、伝えたい。たぶん、口にすることは難しいと思うけれど
「明日、お前の体調がよかったら場を設けてみよう」
キスが降ってくる。それに身を委ねる。
指先だけではなくヴァルディースの全身で、今度こそ追い上げられる。
その最中にちかちかとした眩しさが視界の端に映って、視線を巡らせた。
とても久しぶりに窓の外いっぱいに広がる光を見た。雲ひとつない晴天も。
少し前までは、あまりに晴れ渡りすぎる空は嫌いだった。どこまでも青い故郷の空を思い出させる。
けれど、今はそれを目にすることができて、よかったと思っているのが、すごく自分でも不思議だった。