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剣と勇気を、与えてください  作者: 羽場速雄
2/15

2.

 木戸の閉じられた窓の縁に置かれたランプのほのかな灯りだけが、薄暗い室内を照らし出している。

 背もたれを前にし、その上に腕を組み合わせて載せ、椅子を跨ぐようにして座りながら、レイルはベッドに横たわる女性をただただ見つめていた。ランプの灯りが薄っすらと照らす彼女の頬は相変わらず白かったが、唇には血色が戻り始めていた。頭部には包帯が巻かれており、その美貌との差が痛々しさをより強めている。

 レイルが彼女を助け起して自宅のある町サイレアへと連れ帰ってから3日が経った。彼女はその間一度として意識を取り戻すこともなかった上に発熱も引き起こし、苦しそうに度々うめいていた。

 ただ、今ではその状態も落ち着き、規則正しい寝息に胸を上下させている。つきっきりで看病してきたレイルは胸を撫で下ろしたものだった。

 もちろん彼の功績だけではなく、まず最大の協力者は両親であり、彼らの手助けなしにはこうはいかなかった。

 彼女を連れ帰った時、食堂を営むいつも気難しく頑固な父ロイド=フュンフルはレイルの簡単な説明を聞いただけで客間の1つへ連れ込み、彼女を休ませたのだ。融通が利かないことが知れ渡っており、その有り様を最も見せつけられてきた息子としてはあまりの決断の早さに驚いたものだったが、彼女を一刻も早く休ませるには願ったり叶ったりの反応だった。

 また、心優しく暖かい母ミラン=フュンフルがいなければ、女性相手にどう処置をすればいいかなどわからないまま右往左往するしかなかったろう。彼女が客間に運ばれると、ミランはすぐに医者を呼ぶよう指示を出し、さらに濡れた彼女の服を脱がしにかかった。もちろん、レイルとロイドを客間から叩き出してからである。

 後はもう、レイル自身は右往左往しているしかなかったが、そこは大人たちがこれ以上もない手際のよさで事態を動かした。

 ロイドが連れてきた町医者によると、頭部に裂傷を負ってはいるが外傷的には大事ないということ。ただ、体力を著しく消耗している上に、おそらくこれから発熱するであろうから予断は許されず、絶対安静で十分に休養を取らせること、と指示されていた。。

 命に大事はない、と決して医者が言わなかったことに脂汗を滲ませたが、だからといってレイルにどうこうできることもなく、つきっきりの看病に志願するのが精一杯のことだった。

 両親はそれを了承し、彼女の面倒を彼に任せてくれた。汗ばんだ肌着の着替えや温水を浸した布で体を拭いてやる等の行為はもちろんミランが行ったが。

 以来、レイルは彼女が病床に伏せる客間に詰め、彼女の様子を四六時中見守ってきたのである。発熱し、苦しんでいる様を見てもなにもしてやれないという現実に耐え難いやるせなさが胸一杯を占めたが、少しでも力になれればと彼は彼女の手を握り、優しくさすってやった。

 もちろんそれが功を奏したわけではないだろうが、彼女の熱は徐々に下がり、今ではこうして落ち着いたのである。

 後は意識を取り戻してくれるのを待つばかりだが、こればかりはまさに神のみぞ知るというところだろう。小さくため息をつき、背もたれに重ねた両腕の上に顔をうずめる。いつ果てることのない状況に、さすがに疲れがきていた。ここ数日はろくな睡眠もとっていないことも疲れを加速させていた。

 自然とまぶたが重くなり始め、意識が薄らいできている。だいたいが今はもう真夜中であり、本来ならばとうに眠りの世界へと入っている頃だ。

 さすがにそろそろ一度仮眠を取ろうかとも思ったが、そんな意識すらもそのまままどろみたい欲求に押し流されつつあった。

 まぶたを閉じたい欲求いよいよ支配権を強め、心地よい夢の世界への扉が目の前に開きかけている。レイルは欲求の赴くまま、身を委ねようとした。

 声が聞こえた。

 夢を見始めたのかと思った。

 否、それは夢ではなかった。

「ここ、は、どこ?」

 再び聞こえた声。それは夢の世界の声などではなく、紛れもなく己が鼓膜を打つ声。か細く、力はなかったが、凛然とした響きをたたえつつも可愛らしいその声は、ベッドに横たわる女性が奏でる『生命の証』であった。

 それまで睡魔に苛まれていたのが嘘のように覚醒したレイルは、慌てて身を起こして寝ぼけ眼に活を入れる。

 彼女がまぶたを見開いていた。弱々しくではあるが、開かれたまぶたの奥にある瞳を真っ直ぐこちらに向けていた。

 初めて見る彼女の瞳は、彼女に見えた時に感じた通り見る者を魅了する美しいものだった。遠く澄み渡る大空を思い起こさせる空色の瞳に自分の姿が写り込んでいる光景を目にし、つい引き込まれそうになってしまうほどだ。

 どう声をかけていいかわからず、言葉にならない言葉を口のなかで反芻してとまどっていると、彼女は再び小さな唇を開いた。

「イリアッド、は? ディーンも、ハンスも、いないの? ダルジィ、は、どうしたの、かしら」

 人の名前だろうか。さすがにまだ辛いのか、途切れ途切れに言葉を発している。

「こんな姿、アイシャやヒューバートが見たら、きっと、文句言うに、違いないわよね。情けない、って」

 なにを言っているのかさっぱりわからなかったが、彼女の様子が契機となって医者の言っていたことを思い出した。彼女は頭に傷を負っていたため、外傷的には酷くはないがもしかしたら目を醒ました時になんらかの障害が出るかもしれない、ということ。大抵の場合として、記憶の混乱が起こる可能性がある、とも口にしていたことを脳裏に浮かべた。

「起き、なきゃ。ルクトテクターを、用意して、頂戴」

 熱病にうなされたかのように口々に言葉を発する彼女を見守っていたが、身を起こそうとした時点でさすがに止めに入る。

「だ、駄目だよまだ寝てなくちゃ!」

「こうして、いられないわ。ああ……そう、それから、エル、エルを――」

 上体を起こしかけた彼女の肩を押さえ再び横にならせようとするが、起きようとする力は尋常ではなかった。これが3日3晩生死の縁を彷徨った後の力とは到底思えない。それよりも、彼女のような華奢な女性がこれほどの力を出せることが驚きだった。

 まだ成人していないとはいえ、男であり日々鍛錬を重ねているレイルの腕力をものともしない彼女の力に完全に負けていたものの、それでも彼は必死に彼女の肩を押さえようと頑張る。

 と、ぴたりと彼女の動きが止まった。上体に入っていた力もそれ以上は込められていないことがよくわかる。

 突如行動を静止させた彼女の様子に、レイルは戸惑いながらもこの機会を逃さず、再びベッドへ横にならせることに成功した。

 ひとまず一難去ったわけだが、亜麻色の髪の彼女は安寧を許してはくれなかった。今度は目を見開いたまま、まるで呪文を唱えるかのごとく同じ言葉を続けて紡ぎ出していたのだから。

「――エル? エル、エル……」

 エル、という言葉にどんな意味があるのか皆目見当もつかなかったが、彼女にとってとても重要な言葉らしいことだけはわかる。気でも触れたのかとも思ったが、何度も同じ言葉を口にしている彼女の瞳に、徐々に理性の光が灯り始めていることに気づき、考えを改めた。熱病にかかった患者のものではなく、自我を持った女性の瞳がそこに現出したのだから。

「そうだ……エル、私、あの橋で……」

 どうやらなにかを思い出したのか伏目がちにまぶたを細めると、彼女はそうつぶやいた。そして、再び目を開き、空色の瞳を中腰で立ち尽くしていたこちらへと向けてきたのである。

「貴方が、助けてくれたの?」

 首を傾けて真っ直ぐに見つめてくる彼女。いきなり話を振られ、ことの推移を見守っていたレイルは目を瞬かせた。

「えっ? いや、その、ええと、ああ、そ、そうなんだけど」

 彼女が落ち着いたのに併せて彼自身も落ち着いたのだが、冷静になってみると美しい顔立ちで真っ直ぐに見つめられてしまえば、異性に興味を持ち始めた年頃の男の子としては冷静さが吹き飛んでしまうのはいた仕方ないことだった。口ごもりがちに一言返すことが精一杯なのも無理からぬことだ。

「そう、ありがとう、本当に。貴方は、命の恩人ね」

 彼女はそこで初めて微笑みを浮かべた。天使の微笑みだった。少なくとも、レイルにはそう思えた。

 顔を赤らめ、どうしていいかわからずに視線を泳がせていると、彼女はそんなレイルの様子に再び微笑みつつ、名前を名乗った。

「私は、ユイリス。ユイリス=レンフィア」

「あっ、お、俺、俺はレイル、レイル=フュンフルだよ」

「レイル……いい名前、ね。命の恩人の名前、一生、忘れない、から」

 まだ苦しさは抜けないだろうに、彼女――ユイリスは急に表情を改め、感謝の気持ちを込めてくれているであろう真摯な面持ちを寄越していた。

 それがわかるだけに、伝わってくる感謝の思いについての気恥ずかしさと、そもそも感じている妙齢の女性に対する照れでレイルは反射的に踵を返してしまう。

「あっ、そ、そうだ。は、腹減ってるだろ? 3日3晩飲まず食わずじゃ参っちゃうもんな、は、ははは。な、なんか食いもん持ってくるよ。父さんと母さんにも知らせてくるから、ちゃ、ちゃんと寝てなくちゃ駄目だからな!」

 ユイリスの方を振り替えずに言い散らかし、そのまま逃げ出すようにして客間から外へ出た。慌しく閉めたドアに背を預けると、動悸が激しくなった胸を落ち着かせるようにそのままずるずる床へ座り混んでしまう。

 真っ暗な廊下にあたかも反抗するかのように紅く染まった頬が熱い。どうしてこんなにも胸が高鳴るのか理解できず、不可思議な感情のやり場に困ったが、それでも彼女が、ユイリスが目を醒ましてくれたことは全てを吹き飛ばしてくれる。

「なんだかよくわからないけど、ユイリスが無事ならそれでいいや。って、父さんたちにも知らせないと」

 深夜ではあるが、彼女が目を醒ましたらすぐに知らせるようにときつく言われている。レイルは気持ちを切り替え、慌てて両親の寝室へと駆け出した

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