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剣と勇気を、与えてください  作者: 羽場速雄
13/15

13.〜the last paragraph 1st〜

「そうしたらユイリス、むきになっちゃって。釣竿を放り投げたと思ったらそのまま河に入って素手で魚獲り始めたから、おかしくって仕方なかったんだ」

 身振り手振りを交えながら、それはもう大変だったことを熱っぽく表現する。それを、リュルゾ亭主人のフェンソはカウンターの向こうで笑顔を湛え聞いてくれていた。

 手合いから2日経ち、レイルは恒例の『お使い後の油売り』をリュルゾ亭にて敢行している最中だった。

 手合い自体の興奮はもう大分収まったが、今彼の心を占めているのはユイリス=レンフィアの旅立ちが間近に迫ったことを直感的に悟ってしまったことである。

 ユイリスがいつも傍に居るということを日常のものとして慣れきってしまった彼にとって、恩師であり憧れのその人が目の前からいなくなってしまうということはにわかには受け入れがたいことだった。

 寂しさで胸が一杯になっている今、誰かと話していなければ耐えられそうにない。かと言って、当の本人と話すのは余計に寂寥感が高まってしまいそうだったので、何でも話しを聞いてくれるフェンソに相手になってもらっていたのである。

 もちろんフェンソにユイリスが旅立ってしまうため寂しいから話に来たなどと恥ずかしくて言えるわけもなく、胸の内を悟られないよう逆に努めて明るく振舞っていたのだった。

 一方、珍しいことに、普段あまり店内には出てこないミスリィがレイルの隣に座り、彼の話を大して面白くもなさそうに聞いている。

 フェンソに話している最中、『面倒事』の2つ名をレイルが心の中で贈呈している彼女が裏方から出てきた時はよほど席を立とうかと思った。ただ、それではあまりによそよそしいので椅子から浮きかけた腰をなんとか再び下ろしたのである。

 彼女がやってきた当初は彼女のことが気になって喋りの勢いも弱くなってしまったのだが、いつも騒音を無駄に撒き散らしている彼女が今日に限っては静かにしていたために再びレイルの話は力を強めていった。

 ところが、ミスリィが放った何気ない一言に、レイルの熱弁は中断することとなる。

「なんだかレイル、無理してるみたい」

 言葉を失い、彼女の方を見る。カウンターに片肘をつき手のひらに顎を乗せて相変わらずつまらなそうにしている彼女の表情は、特段何かを真剣に考えているようなものではない。

 だが、彼女の指摘は的を得ていた。だからこそレイルは凍りついてしまったのだ。

 そうは言っても口を開いたまま呆けているわけにもいかないので、彼はどうにか取り繕うと彼女の言を否定するが、

「いつものレイルらしくないもん」

と切り替えされてしまった。

 彼女の態度から、心底心配して、というよりは幼馴染として長い付き合いから培った経験上感じたことをただそのまま口にしただけということが窺える。

 しかし、程度の差はあれ見透かされていることには間違いない。

 フェンソもミスリィも別段様子に変化はないが、当の本人は内心図星を突かれてかなり焦っていた。

 どうにかして取り繕うべく上手い言葉を慌てて捜していると、助け舟が入った。

 いや、厳密に言えば、それは助け舟などでは毛頭ありえない。

 その場の状況を破壊するだけの、招かれざる客。騒々しい足音。

「ようレイル。こんな小汚い店で会うとは奇遇だな。ああそうか、ここの娘とお前、いい仲なんだよな」

 言って、皮肉めいた笑い声を上げる男。

 振り向くと、店の入り口に見るからに悪党とわかる帯剣した数人の男たちがおり、その中に宿敵の姿があった。

「グェイン!」

 2日前に倒した、憎むべき男の名が自然と口から放たれた。

 もう二度と会うことはないと思っていた顔を再び見てしまっては、怒気交じりになるのもいた仕方なかった。

「何しにきた! 約束が違うじゃないか!」

「約束? さて何のことだか。ああでも覚えてることはあるぜ。手前だけは許しちゃおけねえってことをな」

 にわかにグェインの目が鋭くなると、彼は小声で周りの男たちに何か囁いた。

 それを受け、男たちは無言で店内へと押し入り、進路の邪魔になる机と組になる椅子に腰掛けていた客たちをなぎ倒して真っ直ぐカウンターへと向かってきた。

 瞬く間に悲鳴と怒声が立ち込める店内。

 レイルは椅子から立ち上がると、とっさにミスリィを背後にかばい彼らの前に立ちはだかった。

 子供相手に余裕をかましていたのだろう。男の1人は薄ら笑いを浮かべながら軽くつかみかかってきた。

 これに対し、レイルは男との太い腕を取ると、彼の腕を自然であるべき方向とは逆に渾身の力を込めて捻り上げる。同時に、まったく無防備になっている男の足元へ強烈な足払いを叩き込んだ。支えを失った男の体は派手な音を立てながらあっけなく床に叩きつけられた。

 一連の流れは自然と体が動いた結果である。

これもひとえにユイリスから受けた修練のおかげではあったが、彼の今の力ではまだ程度のそれほど高くない相手、それも1人だけにしか対応できない。

 今の相手は複数。しかも武装している。

 それが何をもたらすか、答えは火を見るより明らかだった。

 倒したはずの男に足首を突然つかまれたレイルは、そのまま足元を救われて引き倒されてしまう。

 なんとか受身を取ろうと後頭部だけは守ったが、一昨日の手合いで受けた傷や体力の疲弊はまだ癒えておらず、万全な受身は取れなかった。背中から思い切り床に叩きつけられてしまい息が詰まる。

 追い討ちを駆けるように、いつの間にか立ち上がった男の踵が襲いかかってきた。それは腹に突き刺さり、レイルは顔を赤くして床をのた打ち回る。

 それでも相手は容赦してくれなかった。先の男を含めた複数の男の足が次々と彼を蹴りつけた。

「ざまあねえな、レイル君。ひでぇ有様だ。しかしなんだ、一つ手間がはぶけたことは礼を言っておくぜ。予定ではここの娘を人質にお前んとこに出向いて、本命とついでにお前も誘き出す算段だったんだが、お前はここでふん縛れるんだからな」

 蹴りつけてくる足音に混じって、店の入り口からグェインの声が聞こえてくる。

 彼は手合いの結果を認めず、レイルに復讐しようと画策した上、人質という手を使ってユイリスを脅し彼女の力を封じようとこの凶行を始めたのだ。

 そのあまりに身勝手で卑怯なやり口に全身の血が沸きあがる思いに駆られる。

 すると、レイルの思いを代弁するような声が上がった。

「あんたら子供相手になんてことするんだ! うちの店で狼藉は許さないよ! 今すぐ出て行きなさい!」

 フェンソだ。温厚篤実の模範のような彼が、グェインの暴挙には毅然とした怒りを露にしていた。

「うるせえぞ、おっさん」

 誰かが放った返しの一言。これに、フェンソの反論は上がらなかった。

 いや、上げられなかったのだ。

 いつの間にか男たちの蹴りが止まっていたので、仰向けになったまま上を見ると、カウンター内へと身を乗り出している男の姿が目に入った。

 と、何かが床に倒れる音。驚きのあまり凍りついていたのか、それまで何も声を発していなかったミスリィが悲鳴を上げたのが聞こた。フェンソは殴り倒されてしまったに違いなかった。

 沈黙したフェンソのことを気遣う間もなく、やがてレイルは男たちに縛り上げられ、無理やり立たされる。

 埃まみれ、傷だらけとなったレイルは、そこで店内を見回すことができたが、いつの間にかそこは戦場後のように酷い有様となっていた。

 机は横倒しにされ、ひっくり返った椅子が散乱し、床に倒れたり壁際で怯える客たちの姿がそこにはあった。

 隣には同じく縛り上げられたミスリィが立たされていた。抵抗したのだろう。彼女の頬には平手を受けた赤みがさしていた。さしもの彼女もしゃくりあげ、涙をとめどなく流している。

 店を滅茶苦茶にし、フェンソを悶絶させ、ミスリィまで捕縛したグェインらに抑えようのない怒りが湧き起こる。冷静に考えればできるはずもないが、レイルの怒りはそのことを忘れるほどで、力にまかせて縄を引きちぎろうとした。

 もちろん無駄な労力だった。それどころか、倒れないよう体をつかまれたまま男の1人に一発頬に拳を入れられた。

「諦めが肝心って奴だ、レイル君。もうお前にどうすることもできねえよ」

 勝ち誇ったように嘲笑するグェイン。これほど彼のことを憎く思ったことはなかった。

 だが、今のレイルはあまりに無力だった。

 何もできない彼の姿に、満足そうに狂気じみた様子で唇の端を歪めグェインは言った。

「さて、それじゃそろそろ行こうか。我らがユイリスの元へ」



 かき入れ時であるお昼時のテルミト亭の手伝いを慌しく済ませた後、ユイリスは割り当てられている自室に戻り、旅立ちへの身辺整理を始めていた。

 入念に部屋を掃除し、借りていたミランの衣服を丁寧に折りたたんでまとめていく。

 その最中、彼女は思い出したかのように着ている衣服を脱いだ。もちろんそれもミランの衣服だったからだが、別の衣装へ着替えるために脱いだ、という理由もある。

 下着姿のまま、彼女は机の上に鎮座しているギョーム河岸で回収したあの長大なトランクケースと向かい合った。

 おもむろに蓋を開けると、目に飛び込んでくるのはあの枯れ草色の衣装。

 二の腕に縫いつけられた紋章を懐かしむようにそっと指先で触れる。

 ひとしきり過去の思いに浸ると、もう身につけることはないかもしれないと思っていた愛着あるそれを両手で丁寧に取り出した。

 枯れ草色の衣装は、ワンピースとズボンで構成された女性用ながらも活動的なものだった。

 実際に着用したのはそれほど長い期間ではないが、決して新しいものではないので総じて褪せた色合いになっている。それでもトランクケースに封入する前にしっかりと洗浄したので清潔感に溢れていた。

 ユイリスは慣れた手つきで衣装を身につけていく。年月を経て成長したため全体的に気持ちきつくなったように感じたが、気にするほどでもない。

 トランクケースから長靴ちょうかも取り出し、全ての着用を完了した彼女は、部屋の片隅に置かれた姿見の前に立つ。

 3年前はまだどことなくあどけなかった面立ちも、今やすっかり大人の女性のものとなって映し出されている。

 だが、衣装も、二の腕に縫いつけられた紋章もなにも変わっていない。

 そして、その衣装を身につけた己の姿もまったく違和感はなかった。

 さすがに感慨が込み上げてきてなんとも言えない気持ちが胸の内を占める。

 17年間普通の村娘として過ごしてきた自分が、血で血を洗う戦乱に身を投じ駆け抜けることになるなど、今顧みても予想だにつくことではない。

 それでも、まごうことなき現実なのだ。だからこそ目を背けてはならない。

「為すべきことを為せ、か」

 人生最大の恩師で今は亡き戦師イスカムが口にしていた言葉を反芻する。それは、自らの心を奮い立たせるためでもあった。

 もう迷いはない。

 為すべきことを為す、それだけである。

 決意を新たにしたユイリス。

 その彼女に、早くも試練が訪れようとしていた。

 にわかに表が騒がしくなり、雑然とした音が2階の自室にまで聞こえてくる。ユイリスは机の向こうにある窓から身を乗り出して下を覗き込んだ。

 彼女の双眸が大きく見開かれる。

 空色の瞳に映り込んだのは、縄で縛られたレイルと栗毛の少女を先頭に、十数人の武装した男たちがテルミト亭前の小さな広場に徒党を組んでやってきたのだ。町の人や通行人らは、彼らの姿を見て怯えたり悲鳴を上げたりして次々とその進路を明け渡していく。

 目を凝らすと、レイルの衣服は薄汚れ頬は腫れ上がってる状態が窺えた。隣の少女――その特徴から言って、レイルから聞いていた彼の幼馴染ミスリィに違いないだろう――も頬を赤く腫らしている。2人は暴行を受けたのだ。

 それだけでもユイリスの胸中は怒りに煮えたぎったが、徒党の中にレイルの宿敵の姿を確認して全てを理解した。

 途端、彼女の面立ちから表情が一切失われる。

いつもの優しい彼女は奥底に引き込み、代わって顔を出す、氷のような冷徹なる一面。

「さすがに懲りたのか、あの見届け人の男はいないようね。だけど、あの男から彼は何も聞かなかったのかしら。あるいは、聞く耳をもたなかったか」

 窓から体を離すと、ユイリスはトランクケースから帯状の物を取り出し、それを腰に巻きつける。

「言って聞かない愚か者には、力をもって分からせるしかない、か。いいわ、二度とそんな気が起きないよう、骨の髄まで『真の恐怖』というものを教えてあげる」

 恐ろしいほど感情のこもっていない冷めた声で独りごつと、ユイリスはついに彼女の長い戦いを支えた戦友をトランクケースの奥底からつかみ出した。

 停滞していた己が時を振り払うかのように。



「父さん! 母さん!」

 グェインの絶叫がテルミト亭前小広場にこだまする。

 灰色の瞳に映し出された光景は、ならず者どもに殴り倒され地に組み伏されている彼の父ロイドの姿と、後ろ手に拘束されている母ミランの姿だった。

 リュルゾ亭からテルミト亭までやってきたグェインの徒党。彼はテルミト亭前に到着するなり店に向かって叫んだ。ユイリス出て来い、と。

 騒ぎを聞いて早速駆けつけたのはユイリスではなく、レイルの両親だった。

 2人は、暴行され捕縛されたレイルとミスリィの姿を目にし激怒。十数人のならず者を前にしても臆することなく彼らに詰め寄った。元々癇癪持ちの父ロイドと、芯の強い母ミランであるため、屈強な男たちを前にしても息子と友人の娘が酷い目に合わされているのを見れば黙っているはずがない。

 だが、あまりに多勢に無勢過ぎた。結果は今レイルの眼前にある光景通りである。

 自分だけならまだしも、大事な友人や家族に手を出されレイルの怒りは頂点に達していた。

 しかしどうすることもできない。

 己の力では覆せない状況に、レイルは口惜しくて歯噛みした。

「出てこねえな、極上の美人ちゃん。俺が引きずり出してくるぜ」

 徒党の1人である小太りの男がやにわに店の中へと向かった。

 レイルは身じろぎをして必死に縄から脱出しようと幾度目かの挑戦を試みたが、どうやっても抜けることはできなかった。

 このままではユイリスが危ない。

 一方で、同時に妙な思いも感じていた。

 すなわち、彼女ならばこの状況もどうにかしてしまうのではないか、と。

 これまで数々の力をまざまざと見せつけられてきた上、とどめのあの光景――屈強な男を木剣の一撃で弾き飛ばした一幕をこの目で見たのだ。

 尋常ならざる彼女の『力』に自然と期待を寄せてしまうのも無理からぬことだった。

 レイルの期待。果たしてそれは夢想にしかすぎないのか。

 答えは否だった。

 彼の想いは、遠からず現実のものとなる。

 テルミト亭店内から鈍い音がするやいなや、物凄い勢いで何かが飛び出してきた。

 それは派手に大地を転がり、店前小広場の中央にある井戸にぶつかって停止する。

 ユイリスを連れ出すべく意気揚々と先ほど店内に入って行った小太りの男だった。地面を転がったために砂埃で真っ白になった彼は、口から泡を吹いて悶絶していた。

 仲間がやられたことににわかに色めき立つならず者たち。各々が腰の獲物に手をかけ、すぐにも凶器を振るえるよう身構えている。

 徒党はもとより、遠巻きに見守る群衆からも一切の音が失われ、静まり返る辺り。

「だ、誰だ!」

 たまらず、グェインが声を上げた。

 返ってきたのは、等間隔で店内から響いてくる金属が触れ合う甲高い音とゆっくりとした足音。

 皆の視線が集まる音の正体はすぐに明らかとなった。

 枯れ草色の衣装――日常着るものなどではなく、明らかに戦場等で身につける戦闘服だった――を身にまとい、その二の腕には十字章と交差した一対の長剣を護るようにして囲む一対のオリーブの枝葉を1429という年号とともに意匠した紋章が縫いつけられていた。

 腰には剣を吊り下げるための剣帯が巻かれ、左腰には白磁器のような光沢を放つ白い鞘に収められた長剣が下げられている。一見して素人のレイルですらわかる、この世に2つとないほど貴重なものに見える長剣の鍔には見事な意匠の金色の十字章が施されていた。歩く度に響いていた金属が触れ合う音は、剣帯と鞘とを結ぶ金属部品が擦れ合う音だったのである。

 姿を現した1人の武装したうら若き乙女。

 各自の思惑はどうあれ、その場にいる者たちが待ちわびた人物。

 ユイリス=レンフィアだった。



 店外に出ると、ならず者たちは一様に驚いた眼差しをこちらへと向けていた。

 店内に押し入ってきた小太りの男を挨拶代わりに殴り飛ばしたことが効いているのだろう。さらに言えば、戦うための衣装と長剣で武装している姿も彼らを驚かせている一端を担っているに違いない。

 だが、彼らはすぐに好奇と好色へと目の色を変容させていた。

 彼らの思惑など知ったことではない。徒党の中にいるレイルの宿敵――グェインの姿を見つけると、ユイリスは鋭い眼差しで彼を睨みつけた。

「これはいったい何の騒ぎ? そもそも二度とレイルとその縁者の前に姿を現さないと約束した貴方が、どうして彼らの前にいて、あまつさえ彼らに暴行を加え拘束しているのかしら?」

 一言も言い澱むことなく、感情を一切表に出さず淡々と問いかける。

 その冷たい迫力を以前味わったことがあるからだろう。グェインは表情を引きつらせていた。

 が、自身の弱みを包み隠すように、彼は大きな声を張り上げた。

「約束? おめでたい奴だな。約束なんてものはな、破られるためにあるんだよ。それに、この状況をよく考えてからもの言えよ。多少腕が立つからってな、この人数相手に何ができる。何より、こっちには人質がいるんだ。こいつらのことがそんなに大事なら、何をしなきゃなんねえか、わかってるよな、ユイリスちゃんよ」

 多勢を武器に虚勢を張っているのが見え見えではあるが、彼に「敗北」という文字を想像することなど今の状況ではできないのだろう。圧倒的な力を背景に、彼は勝ち誇っていた。

 徒党の連中はどう見てもグェインよりは遥かに手練に見える。大方、口八丁手八丁上手い話でもしてつてのならず者を巻き込んだのであろう。

 いずれにせよ、レイルとレイルの大切な人間たちを害した輩どもだ。1人として許すわけにはいかない。

 ユイリスは徒党のならず者たちを見回しつつ睨みつけ、言った。

「わかっているわ。皆を助け出して、お前たちを叩き伏せなければならないということを」

 グェインの脅しに一切屈しないユイリスに、彼らは一斉に獲物を抜き放つことで応えていた。

 これに、ユイリスも動いた。

 否、動いた、などという言葉で片付けられるものではなかった。

 その場に居た者で彼女の動きを目で捉えられた者はただの1人もいなかった。

 まさに目にも留まらぬ『神速』で飛び出したユイリスは、あまりの速力に反応できない男たちの間を抜け、レイルとミスリィを捕縛している小柄な男の顔面に向けて殴りつけるように手のひらを叩きつけ、倒したのだ。

 小さいとはいえ大の男を一撃で昏倒させると、彼女はなんと手の力だけで2人を縛った縄を易々と引きちぎった。

 突然の展開に状況を理解できていないのだろう。レイルたちは当初呆然としていた。

 彼らを安心させるべく、ユイリスは鋼のように硬く冷徹に凍りついた表情を解き、微笑みかけた

「2人とももう大丈夫よ。激しく痛んだり、熱を持っている怪我ってある?」

 努めて優しい声をかけると、レイルはようやく我を取り戻したようで問題ない旨を主張するかのように首を横に振っていた。隣のミスリィはまだ呆けていたが、見た感じでは重い傷を負ってはいない。

「レイル、彼女をお願いね。後は私に任せて」

 2人を背後に隠し、ユイリスはならず者たちへと正対する。再び、氷の仮面を面立ちに貼りつけて。

 徒党の数はグェインを含め12名。内、1人は店内から殴り飛ばし、もう1人はたった今昏倒させていずれも戦闘力を奪っている。

 残り10名。

 レイルとユイリスを守りつつ、さらにロイドとミランを救出しなければならないという制約はあるが、問題になるほどではない。

 ユイリスはゆっくりと左腰の長剣の柄に手をかけた。

「誰」

 静かに発したその言葉が向かう先は、グェインたちではない。

 背後に気配を感じたための言葉だった。敵意は感じられず、だからこそ彼女はならず者たちを見据えたまま問うたのである。

「助け船に来た人間に対して、一言発するだけなのか?」

 抑揚のあまりない低い男の声。生来的に言葉に棘を埋め込む天才の声だった。

「2人のことは任せておけ。お前の腕が曇っていないか、督戦させてもらうぞ」

 時には相手の心情を無視した厳しい言葉を投げかける彼ではあるが、今は誰よりも頼もしく信頼に足る存在だった。

 彼に、ウルゼックに2人を任せておけば何の心配もいらない。剣聖に迫る剣技を誇る、元鷹剣士結社筆頭剣士ウルゼック=ラインローグその人が力を貸してくれるのだから。

「ありがとう、ウル」

 振り返らぬまま礼を言うと、ユイリスは3年の年月を経て、金十字章の鍔を持った長剣――『聖剣エル』をゆっくりと抜剣した。

 微細な刃こぼれはおろか、一点の曇りもない鋭い刃が昼下がりの陽光に照らされ、輝く。

 一方、まだ数の上では圧倒的に有利なグェインたちは、各々が手にした武器をちらつかせつつ攻撃の機会を窺っていた。

 最初はユイリスをたかが女と思っていたからか明らかに油断している彼らだったが、さすがに2人もの仲間を倒されて目の色は変わっていた。グェインなどの素人に毛が生えた程度ではない、実戦を潜り抜けてきた者たちの目だった。

 だが、彼らは生涯後悔することになるだろう。

 自分たちが一体誰を敵に回し、誰を怒らせてしまったかということを。

 砂埃を巻き上げてユイリスが駆けた。

 ミラン目がけて走る最中、進路の障害となった頬に傷のある男の間合いを侵略。

 獲物の長剣を反射的に振り上げていた男の懐に侵入すると、最小限の弧を描いてエルを振り切り、男の手首を切り裂く。急所はわざと外しているため深手ではないが、鮮血が飛び散り、彼はたまらず長剣を取り落とす。

 ユイリスはそれでも許さない。痛みに上体を屈めた彼の顎先にエルの柄頭を思い切り叩き込んだ。顎を破壊された男は、仰け反るようにして倒れて沈黙した。

 障害を排除したかに見えた彼女だが、気を緩めない。仲間の血飛沫を目にして逆上した男たちの一部が同時に襲いかかってきたのだ。

 細剣による突きを放ってきた角刈りの男の攻撃を紙一重でかわし、そこへエルを打ち下ろした。一振りで細剣を両断すると、後ろから斬りつけて来ていた気配に対して反転し、エルを切り返して今まさに振り下ろされようとしていた背後からの長剣を弾き飛ばす。

 卑怯にも背中から攻撃しようとしていた狐目の男は獲物を失い驚愕の色に表情を染めたが、何の免罪符にもならない。長靴を振り上げ、ユイリスは狐目の腹に強烈な蹴りを突き刺した。吹き飛ばされた男は崖から転がり落ちる岩石のように大地に弾かれながら大地を転がり、動かなくなった。

 続けて、細剣を折られた角刈りの男だ。彼は使えなくなった獲物を潔く放り捨てると、後ろ腰から補助武装の小剣を抜き放ち、幻惑させるかのごとく刃を振り回していた。

 冷静にその切先を見極めると、強烈なエルの一撃を見舞わせる。切先に対し、エルの切先を叩きつけると、小剣の切先が硝子のように砕け散った。

 驚き焦る男を無視し彼の間合いを蹂躙したユイリスは、そのまま肩口から浅目に斬り込んだ。角刈りは金属となめし皮を合わせたような防具を着込んでいたが、エルの前にはまったく意味をなさなかった。紙に刃を入れるかのように、エルの刃先は容易く金属となめし皮を切り裂き、彼の体を傷つけた。致命傷までは与えていないが、やはり派手に鮮血を撒き散らし角刈りはあまりの激痛にその場をのたうち回る。

 気勢に乗って攻撃を仕掛けてこようとしていた顎鬚の男には、エルの切先で威嚇し腰を引かせ、ミランへ向かうことを優先させた。彼女を捕縛していたのは大槌を持った大男。

 大男は向かってきたユイリスに対するため、ミランを横に突き飛ばして大槌を振り上げた。

 これに、ユイリスは一歩も引かず真正面から受けて立った。

 振り下ろされた大槌。大男の表情は明らかに勝ち誇っていた。

 鈍い音はした。

 ただ、それだけだった。

 何が起きたかは、一転して信じられない物を見たという大男の表情が雄弁に物語っていた。

 大槌はユイリスの真上に正確に振り下ろされていた。

 にもかかわらず、彼女は2つの脚でいまだ大地を踏みしめている。

 大槌は、振り上げたエルの剣腹によって受け止められていたのだ。

 通常、剣というものは刃方向よりも剣腹方向に受ける衝撃に対して非常に脆弱だった。剣腹に衝撃を与えられれば、下手をすれば折られてしまうことすらある。

 その、剣の弱点とも言える剣腹で大槌の打撃を受け止めることができる長剣など、常識で考えれば皆無に近い。

 聖剣エルはそれを事も無げに実現してしまう、地上最強の剣たる一振りだった。

 さらに、彼女は片手でそのエルを頭上に掲げ、腕一本で大槌の打撃を支えたのである。

 岩をも砕きかねない巨漢の一撃を、女性の、それも剣を振るうことすら奇跡に思える細腕一本で凌いだのだ。

 常識というものを根底から覆しえかねない光景に、大男は表情を激しく引きつらせた。

 その彼に、ユイリスはとどめをさした。

「それで?」

 涼しい顔をして言ってのけた彼女の言葉に、大男の一撃など露ほども効いていない旨が込められていた。

 動揺して二の手を打てない大男に対しても、ユイリスは容赦しなかった。大男の腕力と大槌の重量が載ったエルを軽々と振るって大槌を打ち払うと、切り返しで大男の太もも辺りを軽く凪ぐ。

 激痛に腰が落ちた大男の側頭に対し、ユイリスはエルの剣腹を叩きつけた。

 恐らく目から星が飛び出たに違いない大男は、そのまま白目を剥いて前のめりに倒れた。

「ミランさん、こっち!」

 大男を排除したユイリスは、目の前で繰り広げらている驚くべきできごとに目を白黒させているミランの手を取り、そのまま走った。

 間一髪、大男に代わってミランを再び捉えようとしていた鼠顔の手から彼女を救い出すと、次の目標、捕らわれのロイドへと駆ける。

 ロイドは丸刈りの筋肉男にうつ伏せに組み敷かれていた。

 丸刈りは一直線に自身に向かってくるユイリスに気づき、慌てて立ち上がると腰の長剣を抜こうと手をかけた。

 が、抜けない。抜剣することができないのだ。

 簡単である。丸刈りが剣を抜く間もなく彼我の間合いを詰めたユイリスは、誘ってきたミランの手を安全のため一端離すと、鋭いエルの突きを放ったのだ。

 鏃よりも尖鋭なるエルの切先は、なんと丸刈りの長剣の柄頭に突き刺さった。つまり、エルによって柄頭を押さえられてしまったため、抜剣できなくなってしまったのである。

「残念だったわね」

 毛先ほども同情などしていないにもかかわらず、決して目は笑わずに微笑みながら憐憫の言葉を手向けるユイリス。

 次の瞬間、彼女の腕が翻り、なんと長剣の柄をつかんだ男の手と鍔との間を縫ってエルの刃を叩きつけ、柄と剣身を綺麗に分断してしまったのだ。

 もはや剣を完全に抜くことができなくなった丸刈りは、見かけによらず情けない悲鳴を上げ、背中を向けて逃げ出した。

 しかし、丸刈りにとってさらに運の悪いことに、逃げた先にはあのウルゼックの姿が。

 後のことは彼に任せ、ユイリスは直ちに攻撃を受けても対処できるよう周囲を警戒しながらロイドの傍にしゃがみ込んだ。

「ロイドさん、大丈夫ですか」

 声をかけると、弱々しいながら彼は頷いた。殴打されたためか口から血を流していたが、口腔内を切ったためのようで内臓を損傷したからではなさそうだった。

「それにしても、ユイリスよ。お前さんはいったい――」

「細かい話は後で。お2人とも今は安全なところ、レイルたちを保護しているあの男の庇護に入って下さい。信頼できる、凄腕の男です」

 顎をしゃくってウルゼックの方を示す。丁度、あの丸刈りの男を鞘つきの長剣で打ち倒していた彼の姿が目に飛び込んでくる。

「ほらね。ですから急いで」

 ミランの手を借りて起き上がったロイドは再び頷き、気をつけてな、とユイリスに声をかけると妻とともにウルゼックの元へと向かって行った。

 これで全員を救出した。後顧の憂いなく、残りのならず者どもを叩きのめせる。

 当初の予定からは大幅に状況が変わってしまったからだろう。彼らの表情には戸惑いと焦りの色が一様にありありと浮かんでいる。

 それでも許さない。

 彼らに絶対的な『恐怖』を植えつけるまでは。


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