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剣と勇気を、与えてください  作者: 羽場速雄
10/15

10.

 修練を始めてから早くも5日目。

 ユイリスは相変わらず何事もなかったように振舞っていた。手厳しい指導にもより一層拍車がかかるぐらいに。

 あまりに普通でいる彼女の姿に、ウルゼックとのやりとりを忘れてしまったのではないかとも思わされる。

 だがそうではない。いまだに時折、ふと物思いにふける瞬間は現出している。彼女は決して忘れているわけではなかった。

 すっかり通い慣れた修練場からの帰り道を5日目の修練を終えユイリスと並んで歩くレイルは、彼女のことを案じながら、一方でウルゼックとの一件――彼からの伝言を言いそびれていることを気にしていた。

 時機を逸するとはまさにこういうことかと、もどかしい思いが山積していくことに気が重くなっていく。ただでさえ色々な問題ごとが次から次へと生まれている最近の状況である。やるせない鬱積した感情は蓄積される一方で、自然と小さなため息を漏らした。

 今この瞬間にでも伝えてしまえれば何も問題はないのだが、意図して次から次へと思ったことを口から放り出せる性格ならば、そもそも端から面倒ごとを背負い込むこともなく、苦労はしていない。

 さらに言えば、この帰り道で彼女は物思いにふけることが多かった。

 案の定、この日も物思いにふけってしまったようで、それが証拠に隣を歩いていたはずのユイリスの姿がいつの間にか、ない。

 横を見て、後ろを見る。すると、かなり離れた後方を、彼女は空虚な視線を漂わせたままとぼとぼと歩いていた。そもそもこんな状態の彼女に伝言しても、果たしてちゃんと聞いてもらえるのか怪しいところである。

 レイルは再び――今度は多少大き目の――ため息をつくも放っておくこともできないので、ユイリスの注意を喚起するために呼びかけようとした。

 その時だった。聞きなれない音が急激に近づいてきたのは。

 とっさに反応、腰を屈めて身を縮こませる。

 同時に、視界の端に黒い小さな塊が映り込んだ。

 それが何かを認識しようとするよりも早く、音は聞こえた時とは逆に今度は急激に小さくなって消えてゆく。

 だが、レイルは黒い塊の正体を音が消えゆく間際に見極めていた。

 親指大ほどの大きさの黒熊蜂だった。蜂の一種である黒熊蜂は、丁度この辺りのような林――修練からの帰り途上にある、ユイリスとウルゼックが一戦交えた林道に差し掛かっていた――に生息し、攻撃的な性質を持つ上に、生死にかかわる猛毒の毒針を有しているとても危険な蜂だった。

 一旦は飛び去ったと思われた黒熊蜂だったが、再び羽音が強くなってくる。

 いずこからかと慌てて首を巡らし、迫る脅威を求めた。

 その姿を再び視界に捉えた時には、丁度まっすぐこちらに向かってくるところだった。

 身を翻しどうにかかわすことに成功するも、飛び退った黒熊蜂の次なる行き先に居るのは、なんとユイリス。さらに当のユイリスはまったく気づいていない様子で、無防備だった。そう、悪いことに『物思いにふける瞬間』どころか、『物思いし続け』、自分の世界へと入り込んでいた、彼女は。

 いつものユイリスならこの危機にも問題なく対応するのだろうが、今の有様では言わずもがなである。

「ユイリス、危ない!」

 駆け寄る余裕はない。レイルはあらん限りの声を振り絞って叫んだ。

 これで彼女も危険を感じて避けてくれる――と思いきや、なんとユイリスはまったく反応せず、相変わらず自分の世界の真っ只中。

 一方、彼女の事情なぞ勘案してくれるはずもなく黒熊蜂は一直線にユイリスへと向かっている。

 もはや間に合わず、彼女はその毒針の餌食になってしまうかと思われた。

 ところが、思いも寄らぬできごとが起きたのである。

 なぜか黒熊蜂は、ユイリスの直前で、まるで彼女を避けるかのように突如として向きを変えて飛び去ったのだから。

 いったい何がそうさせたのか、はたまた黒熊蜂の気まぐれか、それはわからない。

 わかっているのは、黒熊蜂はこちらへの襲撃をまだ取りやめたわけではないということだ。

 彼の小さな襲撃者は三度方向転換し、今度はユイリスの背後から彼女へと襲いかかろうとしていたのだから。

 もはやユイリスに危機からの回避を任せてはいられなかった。

 レイルは持てる力を振り絞って疾走した、ユイリスへと。

 同時に、腰に結び透けていた木剣へと手をかける。

 必死で駆けるレイル。

 だが、心の中は不思議と冷静だった。

 高速で迫る黒熊蜂の姿も正確に視界に捉えていた。

 迷うことはなかった。

 ――今だ!!

 胸中で叫びながら、ついにレイルはこん身の力を込めて木剣を抜き放った。

 紙を握りつぶしたような音がし、羽音は消え、辺りに静寂が再び訪れる。

 鋭い軌道を描いて振り抜かれたレイルの木剣は、違うことなく黒熊蜂を木の刃に捉え、撃破。粉々に砕け散った黒熊蜂の遺骸は木々の幹にべっとりと張り付いていた。

「や、やったのか……? お、俺」

 ユイリスを助けなくては――その思いだけで木剣を振るったレイルである。もちろん黒熊蜂を粉砕できる自信も目算もあるはずなどなく、だからこそあの小さくとも獰猛な昆虫を倒せたことがにわかに信じられない。

 しかも、剣を振るった時の冷静さや、なにより鋭い剣さばきはとても自らなし得たこととは思えなかった。自分でも思うのである、まるで別人になったようだった、と。

 自分自身が行い、さらに功を奏したことなのではあるが、レイルは戸惑うばかりだった。

「助けてくれたのね、レイル」

 我に返ったのは、聞きなれた美しい声が耳に届いた時だ。

 見ると、周囲とレイルの有様から状況を判断したのか、何があったかを理解した表情でユイリスがこちらを見つめていた。

 怪我をすることもなく無事な彼女の姿を見て安堵するも、同時に沸々と怒りが湧いてきた。それが言葉となって彼女へと向けられる。

「も、物思いにふけるのもいいけど、大概にしないといくらユイリスでも怪我をするよ! そんなのユイリスだってわかってるだろ!? しっかりしなよ!」

 感情の赴くまま、想いのたけをありのままにぶつける。彼女が心配だからこそ、だ。

 対し、ユイリスは心底申し訳なさそうな表情をし、「ごめんなさい」と素直に詫びの言葉を口にしていた。

「貴方に命を救ってもらったのはこれで2度目ね。ありがとう、助けてくれて」

「べ、別に。当たり前のことをしただけだよ」

 神妙な顔をして礼を言うユイリスにレイルは照れを隠せず視線を外したが、すぐに真顔で彼女のことを見あらためることとなる。

「貴方に話さなければならないわね、こないだのこと。2度も助けてもらったのに、これ以上黙り続けてはいられないもの」

 彼女は覚悟を語っていた。

 ならば、当然こちらも覚悟を示さねばならない。それが彼女に報いることとなるのだから。

「俺も、ユイリスに伝えなきゃいけないことがあるんだ」

 黒いマントの男からの言葉を伝える意思を固めたレイル姿が、亜麻色の髪を持った麗人の瞳に映りこんでいた。



 着実に空へと昇る日差しに、大河ギョームの水面はそこかしこで輝きを放っていた。

 照り返す光は河の流れに合わせて多彩に変化を見せ、実に美しい。心を洗い流してくれるような光景を、レイルはユイリスと河べりに並んで腰かけ、眺めていた。

 ウルゼックの時といい、今回の黒熊蜂の時といい、すっかりいわくつきの場所となってしまったあの小さな林から修練場であるギョーム河・河岸へと引き返した2人は、しばらく雄大な景色を黙って見つめていた。

「ねぇレイル。貴方とこうして2人だけで静かにお話しする機会って、そう言えばこの近くに私のトランクケースを取りに来て以来ね」

 静寂の時を止めおもむろに唇を開いたのはユイリスだった。

「あれからまだそんなに経っていないのに、なんだかもう何年もサイレアにいるような気分になっていたわ。だからかしらね、気持ちが緩んでいたのかもしれないのは」

 隣に座るユイリスを見やると、穏やかな語り口調とは裏腹に硬い表情の彼女は、伏目がちに大河へと視線を向けたまま肩を落ち込ませていた。いかに彼女が『平静』という偽りの衣装で着飾っていたかがよくわかる。

 彼女に、その意気を落ち込ませるきっかけを生んだ人物の話をするのは少々怖かったが、彼とのことは話さねばならないことだった。

「俺、おとといウルに会ったよ」

 意を決し言葉を紡ぎだすと、伏目がちだったユイリスの双眸は大きく見開かれ、やがて彼女はその空色の眼差しをこちらへと向けてきた。さしもの彼女も驚きを隠せないようで、透き通るような蒼さを持つ瞳は『なぜ』の思いに揺れていた。

「た、正しく言うと、街中でウルを見かけたから後をつけたんだ。もっとも、あっさり気づかれちゃったけどね」

 真っ直ぐな、それもこの美しい瞳で眼差しを向けられると、何度経験しても動揺してしまう。つい、どこか軽口を叩くように喋ってしまうが、それでも空色の双眸は視線を外すことはなく黙ってこちらを見据えていた。

 真摯な姿勢には真摯な姿勢で応えねばならない。気持ちを浮つかせ、それにいつまでも甘えているわけにはいかなかった。

 レイルは気持ちをあらため、表情を引き締めた。

「ユイリスのことをもっとよく知りたかったんだ。でも、ユイリスには聞けなかった。だから、ウルから話を聞こうと思って彼を追いかけたんだ」

 なぜ彼女のことを知りたかったのか。

 もちろん彼女のことが心配だったからだが、父親からの受け売り言葉を基に『過去の詮索はしない』旨を以前この河原で彼女に面と向かって言ったのである。一度口にした以上、たとえ彼女の身を案じたからという理由であっても、その過去を知ろうとする行為は約束を違えることになってしまう。

 ましてや既にウルゼックにも指摘された点であるし、なにより誰よりも自分がよく分かっている。

 だからレイルは、ウルゼックの後をつけこと、ユイリスの過去を知りたかったこと、その事実しか口にしなかった。

 ウルゼックとやりとりした際には気色ばんでしまったが、今は違う。当のユイリスを目の前にしているのだ。自分の思い、言い分はあれど、レイルはそれを胸の奥にしまった。是か非かを決めるのは他でもない、ユイリスなのだから。

 黙したまま彼女の眼差しをしっかりと受け止める。

 すると、彼女はそれまで硬かった表情を和らげた。

「ありがとう、レイル。私のことを心配してくれたから、ですものね」

 ユイリスはレイルを責めたりしなかった。レイルの思いは彼女へと通じていたのである。

 彼女が罵詈雑言を吐くような人物ではないことはよくわかっていたが、それでもどんな言葉が返ってくるかわかるはずもない。何を言われても仕方ないという覚悟を決めていたものの、緊張せずにいられたかというと答えは否だ。レイルは、彼女の言葉を聞いて内心胸を撫で下ろしていた。

「でもウルは何も話さなかったんだ。ユイリス自身でけじめをつけるだろうから、彼女を信じてやれ、って言って」

「そういうところも相変わらずね、彼……。私に伝えなければいけないことって、もしかしてウルからの?」

 彼女の問いにレイルは頷いた。

「『俺はしばらくここに逗留している。気持ちに整理がついたら、会いにこい』って言ってたよ」

 ウルゼックからの言伝て――それは、2人がやり合ったあの林での一件で心を乱したユイリスではあるが、彼女が再びウルゼックの前に立てるよう必ず自身の心と向き合うことを信じる思いを内包したものだった。

 裏返せば、ユイリスの気持ちに整理がつくまで待つ、という意味が隠されていることからもウルゼックの彼女を慮る気持ちがよくわかる。聡明なユイリスが彼の思いに気づかないわけがなかった。

 ユイリスは思いを確かめるように目蓋を伏せ、一言、静かに『ありがとう』とつぶやいた。それはもちろんレイルにも向けられた言葉ではあったが、彼にだけではないことはレイルもわかった。

 再びユイリスが目蓋を開いた時、彼女の双眸にほんの少し力強さが宿ったように見えた。

 彼女の中で何かが変わったのか……それはわからなかったが、少なくともユイリスが良い方向に気持ちを傾けたことは間違いなさそうだった。

「私の番ね、今度は」

 強張っていた表情を解し微笑みまで浮かべたユイリスは、再びギョーム大河へと視線を移し、ゆっくりと語り始めた。

「ウル……ウルゼック=ラインローグ。そう、彼は私にとって言うなれば『兄弟子』にあたる人なの。時機はまったく違うけど、同じ先生に師事を仰いだことがあるから」

「そういえば、ウルは『戦師』、って言ってたよね」

「ええ、イスカム=スカラー戦師。私たちの先生。先生は偉大で高名な剣士だったから。私は剣術の教えを受けたことはほとんどないけれど、もっと大切なことを教えていただいたわ。だから先生とお呼びしているの。師事を受けたのはとてもとても短い間だったけれども、迷いに苛まれていた私を先生は導いてくださった」

 陽光に彩られた河面を眺つつ、ユイリスは過去を懐かしむように一言一言を噛み締めながら言葉を紡ぎ出していた。

「先生のお体が病に冒されていたことはもちろん知っていたわ。でも、まさか命の灯火を消してしまうほどの病だったなんて、思ってもみなかった。辛そうな素振り、一度もお見せにならなかったから……。でも、ウルが言っていた通り、先生は私たちに心配をかけまいとしていたんでしょうね。そういうお人だったから……」

 せっかく戻りかけたユイリスの穏やかな表情がやや曇る。彼女にとって大切な人物であり、しかも亡くなっていることがわかった人物の話をしているのだ。無理からぬことだった。

「優しい先生だったんだね。俺も会ってみたかったな」

 彼女を励ます意味も込めて、彼女の先生のことを称える。もちろん決してうわべだけのものではない。ユイリスほどの人物が敬愛しているのだから、相当な偉人だったのだろう。純粋な思いから出た言葉だった。

 その思いを感じ取ってくれたのか、ユイリスは口元をほころばせた。表情を曇らせた硬さは少し残っていたが、嬉しさがそれを上回っているのだろう。満足そうな様子が彼女の心情を物語っていた。

「そう言えば」

 たどっていた記憶の糸の先に忘れていたことを見つけたのか、唐突に目を大きく見開いたユイリスは河面からこちらへと向き直った。

「先生はことあるごとに私のことを『最後の弟子』とおっしゃっていたわ。私はてっきり、今後は自らの人生を中心におかれるからだとばかり……。他ならないご自身のお体のこと。今思えば先生はご自身の命が長くないことをご存知だったんだわ」

 いまさらではあるが、彼女の先生たるスカラー戦師が己の寿命がそう長くないことをわきまえていたことを証明するできごとに気づいたユイリスは、再び肩を落としてしまう。

 気を取り直したり落ち込んだりと忙しい彼女だったが、それだけ彼女にとって恩多き人であったということがあらためてよくわかる。こんなにも目まぐるしく感情を変化させた彼女を見たのは初めてであり、スカラー戦師がいかにユイリスの心の支えだったのかを表していた。

 しかし、ユイリスの恩師はもうこの世にはいない。

 その事実が、とうとう彼女に本心を語らせることになったに違いなかった。

「貴方に色々と偉そうなことを言ってきたけど、私、ウルの言う通り自らの責務を棚に上げて旅に出てしまったの。――いいえ、逃げ出したのも同然ね……。どこへ歩んで行けばいいのか、わからなくなってしまったから」

 ユイリスが語るのを黙って聞いていると、彼女は途中から逃れるように視線を外した。

「最後に先生にお会いしたのは、もう3年ほど前になるかしら。故国を後に旅立つ決意をし、先生から託されていた『調和の法環』をお返しするために。『調和の法環』を持つ者にはとても重い責務が科されているの。だから、自らの進むべき道もわからなくなっている輩が持っているわけにはいかなかったわ」

 自らの行いを否定するかのように、もしくは非難するかのように、言いながら彼女は小さく頭を振った。小さくため息をつき、伏し目がちになる。唇を噛み締め、彼女はそのまま瞳を閉じた。

 しばしの静寂。

 ユイリスの独白を黙って聞いていたレイルは、もはや彼女の思うようにさせてやろうとただひたすら彼女の動向を見守った。

「でも」

 言って、ゆっくりと目蓋を開く。蒼く澄み渡った空を、同じ色の瞳で見上げながら言葉を重ねる。

「でも、先生はおっしゃった。『あくまで預かるだけですよ』と」

 その彼女の台詞で全てが繋がった。過日、ウルゼックが持って来ていた『調和の宝環』は、スカラー戦師が亡くなった証であると同時に、彼の戦師が己の死を境に再びユイリスへと託すためにウルゼックに持たせたものだったのである。

 ユイリスは自らが『調和の宝環』を持つに足る人物ではないと考えていたのだろうが、彼女の先生は最期まで彼女こそが所有者たる資格の持ち主であるという思いを貫いたのだ。

 彼女がそれほど敬愛する人物の思いなのであれば、受け入れるのがそれこそ師への恩返しになるのではないか。

 これまでユイリスのたどってきた道はきっと複雑で、ひと括りに語れるものではないだろう。それでも、スカラー戦師の思い、彼女を信じ見守ってきた思いは彼女のためになることはあっても、彼女を間違った道へと誘うはずがない。

「あれから3年。もう、3年経ってしまった。なのに、私はまだ迷い、煩っている」

 苦悩するユイリス。

 それでも、彼女は賢明な女性だ。はっきりとはわからなくとも、己が目指さねばならない道は薄々気づいているはずだ。言葉通り、迷っているだけに違いない。

 それがなんとももどかしい。そのもどかしさが己の心を突き動かしたのか、レイルは自分でも不思議に思うくらい滑らかに語り出した。

「ユ、ユイリスってさ、多分すごく難しく考えすぎなんだよ。ユイリスが生きてきた世界は俺なんかには到底理解できない世界なんだろうけど、でも、ユイリスならもっと肩の力を抜いて、一番いい道を歩んでいけると思うんだ」

「レイル……」

 雄弁に語る様に驚いたのか、ユイリスは眼を大きく見開いていた。

「ユイリスの先生だって、きっとそうあるべきだって思ってるに違いないよ。ユイリスのことを信じているから、その、すごく大切な『調和の法環』だって預かっているだけって言ったんだと思う。ユイリスに渡すために、ウルに託したんだと思う。どんなに迷ってても、大切なものを持つ資格はユイリスにこそあるって思っていたから、だから預かるだけって言ったんじゃないのかな」

 話を黙って聞いてくれているユイリスに対し、レイルは熱っぽく続けた。

「他の誰でもない、ユイリスの先生なんだよね。だったら、先生を信じてあげなきゃ。先生の遺志に応えるためにも、生徒はやらなくちゃならないことなんだと俺は思う」

 ウルゼックから言われた、ユイリスを信じること――そのことに重ねながら、レイルは頭の中に浮かんだ思いの丈を全て紡ぎ出した。

 言ってしまってからさすがに我ながら偉そうなことを語りすぎたかと思い返すが、ユイリスには機嫌を損ねたり不快に感じたりしている様子などなく、むしろなにかまぶしいものを見たかのように目を細めて微笑んでいた。

「な、なに? どうかした?」

 自分が自分でないぐらい語り倒した後だからこそ、ユイリスの態度にはかえって不安を呼び起こさせられる。

 やはりなにか余計なことを言ってしまったのでは、と戸惑っていると亜麻色の髪の麗人は、温かみのある優しい笑みを浮かべながら頭を振った。

「なんでもないわ。ただ、なんだか凄くレイルが大人びて見えたから」

 ――大人びて? レイルは目を丸くした。的を外したことは言ったつもりはなかったものの、思ったままを喋っただけなの不評を買いこそすれ、まさか褒められるとは思ってもみなかったのだから。

 そんなに大人っぽいことを言っただろうか、と妙に気になって1人考え込んでいると――

「貴方はいつも真っ直ぐね。貴方には大切なことをいつも気づかされる。そう、本当はね、私……」

 笑みは浮かべているが、ユイリスの面持ちはどこか悲しそうだった。

 言いかけて口ごもった彼女の言葉が気になったものの、その先を尋ねられるわけもなく。しばしの沈黙が2人の間を支配した。

 先ほど同様、凍りついた時を解したのは、ユイリスだった。

 やにわに立ち上がると、彼女は両手で己の両の頬を軽く張った。乾いた音とともに、小さく「よし」とつぶやく声が聞こえた。

 突然のできごとにその動向を見守っていると、彼女はこちらを見下ろし、言った。

「心配してくれて本当にありがとう。まだ、迷いは吹っ切れてないけれど、レイルのおかげで凄く元気が出てきたわ。私は大丈夫。貴方の言う通り、先生のご遺志ですものね。必ず、答えは出すから」

 ユイリスの言葉に嘘はなかった。彼女の表情からは何かに引っかかったようなものは消え失せ、晴れ晴れとしたものへと移り変わっていたのだから。

 ようやく本当に戻ってきた、いつものユイリスだった。

 これまで色々なことがあったが、重ねてきた苦労や思い煩ってきたことも報われた気がする。レイルはようやく心から安堵したのだった。

 ただ、1つ忘れていたことがある。

 ユイリスという人物が本来の自身を取り戻したらどうなるか、ということを。

「レイルが頑張っているんだから、私も頑張らなきゃ。手合いの日はいよいよ明後日。今はもう、グェインにいかにして勝つかしか考えないわ。だからレイルも、最後の力を振り絞ってね」

 満面の笑みを湛え、奮起を促してくるユイリス。ただでさえ厳しい指導が続いているというのに、さらに熱を入れる意気込みも見せていた。

 元気になってくれたのはまったくもって嬉しいことなのだが、元気になり過ぎてしまうのはいかがなものかと、レイルは真剣に悩み始めてしまう。

「あら、どうしてそんなに難しい顔をしているの? それより丁度いいわ。せっかく河原に戻って来たんだから、もう少しここで修練していきましょう。貴方に教えておかなければならないことを思い出したから」

 まさかそうくるとは思ってもみなかったので呆然とするレイル。

 一方、ユイリスは彼の様子などおかまいなしのようにやる気に満ち溢れている。

「グェインにあって貴方にないもの。その差を埋めるための『とっておき』だから。しっかり体で覚えてね」

 つい先ほどまでこの場所で修練していたというのに、また地獄を見なければならないとは。

 もちろん自分のためにやってくれているのだとはわかっているし、ありがたいことだとも思っているものの、頭よりも体が悲鳴を上げそうだ。

 それにしても自分とグェインの差とは? その差を埋めるための『とっておき』とは?

 それらを知るためにも、今少しユイリスに付き合うほかはなさそうだった。


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