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反逆の勇者

作者: カンタイ

 工房の外がとてもうるさい。どうやら国が俺のしようとしていることに気付いて衛兵を差し向けて来たようだ。


 だがこういう時の為にこの工房の周囲には数多くの罠が仕掛けられている。しかも単純に命を奪うものではなく、動きを阻害したり体調不良に陥らせたりする時間稼ぎに重点を置いた代物だ。そう簡単には超えられまい。

 態々人里から離れた利便性の悪い土地に工房を建てたのは、俺の計画を察知されないようにするための他にも存分に罠を設置するためでもあったのだ。


 計画に必要なものが十分に集まった時に、俺自身すら抜け出せないほどの質と量の罠を仕掛けてこの工房に閉じ籠った。粘土のような保存食を食べるのにも慣れ、日の光はどのくらいの間見ていないだろうか。

 考えてみれば最後に風呂に入ったのもいつなのか思い出せない。保存食を(かじ)りながらの研究と準備を除けば寝ることしかしていない、まるで機械のような生活。


 だがそれを残念に思うことはない。そうすることが俺には必要だった。そうしてでも成し遂げたいことが俺にはあった。


 胸から下げているペンダントを握りしめる。

 俺の後悔の象徴。誓いの証。

 これに触れるたびに、あの時の光景が、感情が思い出される。

 今も心のうちに燃え続ける真っ黒な憎悪に木がくべられる。

 ああ、忘れるものか。最後に見た太陽を思い出すことは出来なくても、この思いだけは忘れない。


 必ず成し遂げる。何を犠牲にしてでも。


 そう考えた瞬間、工房の唯一の扉が轟音を立てて吹っ飛んだ。


 馬鹿な。早すぎる。


「全員突入!」


 思考と体が驚きに硬直している間に衛兵が次々と工房に入り込み、俺に剣を向ける。

 元々俺一人の為に造った工房。すぐに内部は衛兵で一杯になった。


 全員、重厚な鎧を着ていて、しかもそれは魔術を軽減・無効にする対魔術師用の特化装備だった。構えている剣も盾もそれぞれに魔術に対する加工が施してあるのだろう。そりゃそうか。

 工房の半分を埋める衛兵の中から、おそらく隊長だろうと思われる肩部分に装飾のある衛兵が一歩進み出る。

 その足や衛兵の持つ剣は僅かに震えていて、そいつの心情を表しているように見えた。


「ハヤセジョーヤだな?」

「ああ、そうだ。ここにいるんだ、聞くまでもないだろう」


 当然のことを聞いてきた隊長に肩をすくめる。

 ハヤセジョーヤ、漢字にすると「早瀬条哉」。それが俺の名前だ。


「……貴様には禁忌魔術行使の嫌疑が掛けられている。取り調べのため任意同行してもらう」

「嫌疑っつうか、しようとしているよ。国も調べがついているだろうけど、とびっきりやばい奴をね」

「っ! ……その言葉を自白とし、強制的に身柄を拘束させてもらうぞ。抵抗するならば武力行使を行い、身体の無事は保障しない」


 隊長の合図で視界内にいる全ての衛兵が武器を構えなおす。

 その剣先に震えは無く、ピタリと止まり俺の方を向いている。さすがは大国の先鋭、決心すれば躊躇(ためら)いなしか。


「無駄だと思うよ。その程度の装備では俺を止めることは出来ない。分かっているだろうに」

「……」

「それよりもさ、どうやってこんなに早く工房にたどり着いた? 見ればおまえたちの装備には汚れがあまり見られない。俺ですら抜け出せないくらいに用意しておいたのに、不思議だ」


 それに、と吹っ飛んで工房の端に転がっている扉を見る。

 あれには念入りに防御と反撃の術式を埋め込んでおいたはずだ。反撃の魔術はともかく、魔術防御に特化した彼らの攻撃で突破できる代物ではない。


「簡単なことだよ、ジョーヤ」


 衛兵の壁の後方から声が聞こえてくる。

 その声を聞いた瞬間に理解した。どうやって数々の罠と鉄壁の防御を破ってきたのか。

 なるほど、国は最初から持ち得る最強の一手を打ってきたか。


 衛兵が左右に割れ、細い道が出来上がる。

 その道を歩き、奥から現れたのは。


「僕がいたからだ」

「ウェクターか」


 存在を隠そうとしない輝く銀の鎧。既に抜剣されて手に持つは至高の魔剣ティアントス。兜から覗く瞳は鎧とは真逆の金色。

 国王を守り、国王の直接の指示に従う近衛軍、その最高戦力。一人で一軍に匹敵する謳われる英雄、ハウミッシュ・ウェクターだった。


「なるほど、確かにお前がいたんじゃあの程度の罠は時間稼ぎにはならないか」

「そういうことだ。驚かないんだね」

「まあな。あれでも相当時間をかけて仕掛けたんだけど。あ、今って何年?」

「839年だ」

「ということは俺って8年も閉じ籠っていたわけか。もう二十代も半分過ぎてるどころか三十代も目の前じゃん、やっべー」


 明るく振舞ってみせる。すぐに戦いが始まらず、衛兵たちの緊張は若干解けたが、ウェクターの切り裂くような雰囲気には微塵も揺らぎがない。


「そういう雑談は後で話す。今はやるべきことを果たすよ」


 スッとティアントスを俺に向けるウェクター。それに合わせて再び衛兵たちの間にも緊張が走る。

 俺とウェクター達の距離は5メートル程度。この程度ならウェクターは瞬き一つの間に詰められる。

 魔術師なうえに研究ばかりで運動をしていなく、全盛期から相当衰えた俺では碌な抵抗は出来ないだろう。


 どうする、こいつが出てくるなんて全く予想していなかった。こう見えて意外と焦っている。感情が顔に出にくい人間で良かった。ウェクターからすればピンチのはずなのに未だに余裕かましている俺に警戒しているはずだ。

 その警戒を利用させてもらうぞ。


 ああ、本当はもっと後できる予定だったのに。これの準備にどれだけ苦労したことか。

 だが使うのを惜しんで捕まるわけにはいかない。幸いにもほぼ準備は完了している。欲を言えば万全を期すために後三日は欲しかったが、最低限の用意は済んだ。


 意識して微笑みを浮かべ、いかにも何かしますというようにゆっくりと右袖を捲る。

 ウェクターはまだ動かない。


 勝負は一瞬。


 勝てないというのなら。


「悪いが」


 俺以外の力で切り抜けるだけだ。


「お前でも俺を止めることは出来ん」


 魔力を注ぎ、隠されていた魔術刻印が肌に浮かび上がる。


「シッ!」


 俺の魔力が動いた瞬間、ウェクターが走る。

 瞬きはしていないのに途中のコマが抜け落ちたような高速移動。


 狙いは……腕。


 万物を脆くする魔法剣ティアントスが輝き、気付けば俺の右腕は二の腕あたりで断ち切られていた。

 くそ、態々袖捲ったのに。それにこの服もこいつの鎧ほどじゃないが結構な強度の式が込められていたんだぞ。それを紙のように切り裂くとは。


「君に魔術は使わせないよ」


 油断なく俺を見つめるウェクター。次に何かしようとすれば残る片腕も切られるだろう。死ななければいいのだ、とそう考えている。

 だが、その考えが突破口。


「使わんさ。俺はな・・・)

「ウェクター様!」


 俺がそう言うと同時に、衛兵から焦りの声が飛ぶ。

 遅い。

 俺の勝ちだ。


 地面から突然生えてきた灰色の鎖が抵抗を許さずに衛兵たちを縛り、動きを封じた。

 ウェクターは鎖をティアントスで弾いたが、一本を防いでいる間に十本の鎖が生えてきて雁字搦(がんじがら)めに縛ってしまう。


「がっ、これは!?」

「俺じゃない」


 治療の魔術で止血をしつつ、ウェクターの足元に視線を移す。

 鎖の発生源は俺ではなく、たった今切り落とされた俺の腕。それを媒体にその下に小さな魔術陣が光っていた。

 ウェクターもそれに気づき、叫ぶ。


「馬鹿な、遠隔での魔術発動なんてありえない! それにこんな魔術は見たことがないぞ!」

「そりゃそうだろうよ」


 そう、あれは俺が発動した魔術ではない。腕の刻印は別の魔術のもので単なる囮だ、この灰の鎖のための魔術刻印ではない。

 魔術で抜け出そうとしているが無駄だ。この鎖は魔術の発動を無効化する、そもそも使えないんだよ。

 それに言ったろう、俺は使わないと。


「これは精霊の魔術。取引をして一度だけの協力を約束したのさ」

「精霊だと……。世界を見守る守護者が何故……」


 まあとんでもない対価を要求されたけど。工房に入る前の事だがそれだけに一年以上費やしたし、そもそも会うこと自体が困難だった。

 だがその分の価値はあったな。なんせ国の最大戦力とおまけの戦力を腕一本で封じた。欠点は発動が遅いという点だったが、何とかなったな。死ななければこっちの勝ちだったんだよ。


「心配するな、数時間で消える。その間に俺は逃げさせてもらうよ」


 あらかじめ纏めておいた荷物を担ぎ、準備しておいた魔石に魔力を注いで転移の魔術を発動する。

 最高難度の魔術。既に転移先はマーキング済みだ。発動まで十五秒。


「待て!」


 転移の魔術式を見て、ウェクターが叫ぶ。


「どうして! 何故なんだジョーヤ! どうして禁忌を犯した! 君が……っ」


 兜の隙間から、涙を流しながら。


「世界を救った勇者である君が!」

「止めろ」


 そう、俺は勇者。人族を滅ぼさんとしていた魔獣の領域に切り込み、母体である魔獣王を討ち取り世界を救った勇者の一人。かつては「六式天災のジョーヤ」と呼ばれていた。

 それはどうでもいいことだ。勇者という名誉や栄光は俺には必要ない。いや、憎んですらある。

 俺のそんな心を知らないまま、ウェクターは止まらず叫ぶ。


「君のおかげで世界は平和になったのに!」

「止めろ」


 君のおかげ、だと?

 違うだろ、お前は何を言っている。

 俺一人ではないのに。


「君には幸せに暮らす権利がある! なのにどうして!」

「止めろと、言っている!」


 我慢が出来なかった。

 転移の魔術を停止し、転がっているウェクターに怒鳴りつける。


「幸せに暮らす権利だ? そんなことが許されるはずがないだろう! 君のおかげの平和? 君じゃねえ! 君たち(・・・)だろうが! 俺が一人でやり遂げたわけじゃない!」


 俺を見上げるウェクター。顔は見えないが、多分ぽかんとしているんだろう。


「何を、言って」

「ああ分からないだろうさ! お前たちからすれば全部俺一人でやったことだからな!」


 地を覆うほどの双頭の狼の群れから国を守ったのも、魔獣の領域を守護していた城のような大きさの巨人を切り裂いたのも、母体たる魔獣王と命を賭けた戦いを繰り広げ、そして五体満足で帰還したのも、すべて俺のやったことだ。


 そういうことになっている。


「違うんだよ! いたんだよ(・・・・・)! 俺一人じゃなかった! あいつらは確かにいたんだ!」


 頭を掻きむしる。

 胸に下げるペンダントを、そこに入っている「俺一人が写っている写真」を握りしめる。


道理(どうり)健人(けんと)正義(まさよし)。あいつらは確かに存在した! 夢でも妄想でもない!お前たち全員が忘れてしまっただけなんだよ!」


 道理、健人、正義、そして条哉(おれ)

 俺たちは仲の良い四人グループだった。道理だけが唯一女子だったが、そんなことは関係ないくらいに俺たちは気心の知れた仲間だった。


 ある時、俺たちは突然この世界にやってきた。いや、呼ばれた。世界を救ってくれと、君たちにはその力が宿っていると。王様に頭を下げて頼まれたのだ。

 訳が分からなかったが、右も左も分からない中では彼らに頼る他なく、それを了承した。


 俺たちは勇者として祭り上げられた、俺以外。

 俺の力は何故か、他の三人に比べて格段に弱いものだったのだ。それこそ、この世界の者でも探せば俺以上の者が見つかる程度に。


 俺は勇者の体面を気にする一部の大臣に嵌められ、ゴミのように捨てられた。しかもご丁寧に、危険な最前線に連れて行ってのポイだ。

 だが俺は生き残った。強くなり、国に戻り、復讐を成し遂げた。


 捨てられた時の嘘情報で正義たちも恨み、復讐の対象として襲いかかった。だけど健人は体を張って俺を止め、正義は周囲の反対を押しきって俺の言葉を信じ真実を明らかにし、道理は変わり果てた俺を受け入れてくれた。俺はそんな彼らを殺すことは出来なかった。誤解は解け、俺は勇者に戻り、世界を救おうと正義たちに合流した。

 この世界の為じゃない、この世界を救おうと力を振り絞る正義たちの力になりたかったんだ。


 それからは早かった。元々正義たちは魔獣の領域に踏み込んでいたので、そこに俺が加わって更に勢いは増した。事情があって俺の力は正義の力とは違う意味で魔獣によく効いたので、すぐに俺はチームの戦力として世界に認められた。


 そして魔獣王との決戦。俺が禁忌を犯すと決意した運命の日。


 戦いは熾烈を極めた。持てる力、持っていた道具、気力の全てを使い尽くした戦いだった。


 だがとどめを正義がさそうとした瞬間、魔獣王は最期に命と引き換えに魔術を使った。


 禁忌の、「存在消去」の魔術。


 すぐ傍にいた正義と健人は直撃だった。後衛の俺と道理も喰らうはずだったが、道理は一瞬の判断で俺を近距離転移で避難させた。

 それが彼らを見た最期。


 すぐにその場に戻った俺が見たのは、誰の死体すらない戦場の跡。戦いで流れたはずの血も、砕けたはずの装備の欠片もない、荒れた戦場。


 何かの間違いだ、転移で先に帰っているだけだと思い、何とか国に帰れば何故か称えられるのは俺一人。


 急いで調べてみれば、先の戦いも、書かれた資料も、始まりの召喚も、すべて勇者は俺一人になっていた。

 絶望した。そんなわけがないと喚き散らした。片っ端から覚えている者がいないか聞きまくった。どうして覚えていないんだと殴った奴もいる。

 信じることが出来なかった。あいつらが存在しなかったなんて。


 精神治療を施されたが、断じて俺は間違っていない。俺以外の全員が忘れてしまったのだ。


 俺は決めたのだ、あいつらを取り戻すと。

 そのためなら何でもする。何でも犠牲にしてみせる。だってそうだろう、この世界は間違っているのだから。世界を救ったあいつらが忘れられたこの世界で、俺だけが勇者と崇められ、暮らすことなんてできるわけがない。俺なんかが勇者と呼ばれる資格なんて無いのに。俺がこうして生きているのはあいつらのお陰なのに。


 あの時生き残ってしまった自分が憎い。消えるなら一緒に消えたかった。一度は壊れかけた俺を信じ、傷ついてでも正しい道に戻してくれたあいつらと一緒に死にたかった。


 だが生き残った。道理が自分の命と引き換えに逃がしてくれた。

 ならば今度は俺が救おう。俺の全てを使い彼らを取り戻して見せよう。


「俺はあいつらを取り戻す。そのために『時間跳躍』の魔術を研究し続けた」

「だめだ、過去に干渉すれば、どうなるか分からない。現在(いま)が崩壊してしまうかもしれないんだぞ! 世界を滅ぼすつもりか!」

「構わないさ。それはそれで」

「なんという……」


 言いたいことは言った。理解してもらおうなどとは考えていない。ただの俺の鬱憤(うっぷん)晴らしだ。


 絶句しているウェクターに背を向け、再度転移の魔術を起動する。


「それじゃあな」

「待っ――」


 振り返らない。今度は止まることなく魔術は発動する。

 音もなく、俺の周囲の景色が切り替わる。薄暗い工房から荒れ果てた広間へ。


 天井はほぼ無くなっており、朽ちた骨組みが数本残るのみ。壁も似たようなもので俺の背後の入口の壁は蔦が這りつつもまだ残っているが、奥は何も無い。外から丸見えだ。床は頑丈だったようで、大穴が開いているが崩れ落ちてはおらず、床として残っていた。当時は輝いていた装飾品は風雨に晒されたことでボロボロになって最早価値はなく、端に転がっている。


「朽ち果てているな。大丈夫かこれ」


 思わず呟く。

 ここは俺たちが魔獣王と最後の戦いをした城の一番高い場所。正義たちが消えた最期の場所だ。

 ここから12年前の過去に移動する。そして魔獣王の戦いに介入し、正義たちを消滅の運命から救ってみせる。


「さて、儀式を行えそうな場所はあるかな」


 朽ちた大広間から出て階段を降り、一つ下の階の部屋を覗いてみる。

 その部屋も年の流れによってとても風通しが良くなっていたが、上の階よりは損傷や痛みが少なく、床も綺麗にすれば問題ないだろう。


 魔術で風を起こし壁の無い部分から壁の破片や枯れ葉などを吹き飛ばす。その後は土の魔術で床の欠けや傷を埋めて平坦にする。床の模様も消して真っ白に。

 今から使う「時間跳躍」の魔術はとても繊細だ。失敗は許されない。僅かな歪みもないように正確に魔術式を書かなければならない。


 荷物から魔術式を書くのに必要な特別製の塗料とペン、その他必要な道具と材料を取り出す。一般の魔術師が見たら涎を垂らすほどの超一級超貴重なもの、あるいは倫理に反するおぞましいものばかりだ。これらを集め、作り出すのにも随分と苦労したものだ。

 だが、それもこの時の為に。


 腕は一切のブレなく複雑な式を書き込み、次に他の道具と材料を惜しみなく使い式をさらに高度なものに加工する。


「よし、完成だ……」


 後はこの式の中央で魔力を注ぎながら行きたい時間と場面を強くイメージすればその時点の過去に行けるはずだ。

 失敗すればどうなるか分からない。時間の狭間をさ迷うのか、何も起きないのか。

 ここ数年なかったくらいに心臓は強く鼓動を打ち、呼吸は荒くなる。

 大丈夫だ。覚悟はとっくにできている。


「行くぞ」


 目を閉じ、ペンダントを強く握り、あの時の事を、彼らの顔を頭に思い浮かべる。

 その瞬間、瞼を貫いた光に視界が白く染まり、猛烈な頭痛と全身に痛みと脱力感を感じた。

 同時に、頬に感じていた風が消えて代わりに空気を振るわせる振動と耳が痛くなるほどの轟音が鼓膜を打つ。


 即座に目を開け、用意しておいた回復薬を懐から取り出して飲む。

 禁忌指定ゆえに資料が少なかった時間跳躍では実際にはこの身に何が起こるか分からない。だからどんな事態にも対応できるように様々な薬を揃えたのだ。一本だけだが数分程度なら死んでも生き返れる霊薬もある。


 全身の痛みが抜けたら即座に走り、部屋を出て階段を駆け上がる。俺のいた部屋も今上がっている階段も、さっきまでの崩壊した姿からがらりと変わり、戦闘の後がある以外には完全に元の美しい状態に戻っている。

 何より、感じるぞ。あいつらの輝く魔力と、その近くの巨大で濁りきった魔力を!


「成功したか!」


 思わず声を上げてしまう。行く先から響いてくる轟音にかき消されるから問題はないだろう。

 だが緩みそうになった涙腺は殴って蓋をする。

 まだだ、時間跳躍の成功(これ)は手段であって目的ではない。やるべき事はこの先にあるだろうが。


 力が抜けそうになる足を叱咤しながら階段を上りきった先の開け放たれた扉を潜り、その先の光景を視界に収める。


 奥には至るところから血を流す巨大な生物。様々な魔獣の特徴を備え、一言では言い表せない外見をしている。

 あれが魔獣王。既に瀕死になっており、最初は人型だったのに暴走してあんな姿になった。巨大な顔の額には目を閉じた人型の上半身が埋まっている。


 そして魔獣王の前に距離を開けて立っている四人。


 ああ、その後ろ姿を見るだけで押さえたはずの涙腺から止めどなく涙が流れる。

 俺の勇者。俺を人の世界に連れ戻してくれた光。真の英雄たち。


健人(けんと)道理(どうり)正義(まさよし)……」


 知らず、震えながらその名前を口にする。

 駆け寄りそうになる足を必死に押さえる。

 当然ながら、この状況下では彼らは俺に気づかないし、気づいても誰だか分からない。俺はこの世界では異物なのだ。


 目的を見誤るなと再び自分に言い聞かせる。

 落ち着け、時間跳躍の成功の興奮で忘れていたが魔力を回復しなければ。


 魔力用の回復薬を取り出し胃に流し込む。

 くそ、力が入らないから栓が開けづらい。


 なるほど(・・・・)こうなるのか(・・・・・)

 これはあまり時間をかけてはいられないな。


「オオオオォォォァァァ!!!」


 顔を上げると魔獣王の腕の上を正義が走っている所だった。魔獣王の足元には盾を掲げて健人が魔獣王の腕を受け止めていた。

 そう、健人が攻撃を受け止めた隙に、正義が腕を伝って本体である人の体を狙いに行ったんだ。覚えている。

 そして次は陽動。三人で攻撃して正義を援護する。


「ふんっ……ぬぉらぁぁ!」


 健人が水平に構えた盾の先から光が伸び、身の丈を越える大剣となって魔獣王の足を切り裂きバランスを崩す。


「総てを飲み込み無に帰す大いなる一撃……『星の滅光(アルコル)』」


 正義を叩き潰そうとしていた尾のような部位を道理が天よりの光線で消し飛ばす。


「『五式・幽玄なる黒蛇(ヨルムンガンド)』」


 最後に条哉(おれ)が魔獣王に匹敵する大きさの漆黒の大蛇を召喚し、毒と締め付けで動きを封じる。

 ああ、覚えている。憎たらしいほどに記憶と同じに進んでいる。

 そしてこの後に起こることも。


「今だ、正義!」


 俺たちの攻撃の間に本体まであと少しというところにたどり着いていた正義に、条哉(おれ)が叫ぶ。

 応えるように、本体が埋まる壁のように垂直な魔獣王の体を、正義は剣を構えたまま足だけで駆け上がっていく。


「ギィィィィィ!」


 正義を排除しようと巨大な獣の顔が鳴き、本体の周囲の肉体から牙や爪の付いた触手が飛び出して襲いかかる。

 だが正義は高速で迫るそれらを聖剣で逸らし、断ち切り、あるいはギリギリでかわすことで足を止めずに前に進み続ける。

 防ぎきれずに鎧に裂傷が刻まれ体にも掠り傷が増えていくのに、その不屈の精神はただ魔獣王の本体だけを目指して。

 そして遂に額に埋まる魔獣王の本体に到達する。


「これでっ、終わりだぁぁぁ!」


 魔獣王の上半身に聖剣を突き立てようとした。


 だが聖剣がその心臓に達する直前、これまで微動だにしなかった本体が動き、両手を盾にして聖剣をずらした。


「なっ!?」


 驚愕する正義、咄嗟に離脱しようとしたが肉が足を飲み込み、身動きがとれない。


「カカッタナ勇者。我ガ命ト引キ替エニ、消エ去レ」


 いつの間にか目を開いていた魔獣王。

 その瞳には読み取ることが不可能なほどに複雑な魔術式が現れていた。


「秘奥、『存在消却』」

「しまっ―――」


 魔獣王の胸の前に現れる小さな黒色の光球。ある筈の無い矛盾した光。

 動きを封じられた正義は当然のことながら、足元にいてそれが見えていない健人、何かを感じてはいるがそれが何かは分かっていない道理と条哉(おれ)も回避できない。

 勝ちを確信したのだろう。魔獣王がニヤリと勝利を確信した笑みを浮かべた。


 だが。


 今。


 この瞬間を待っていた。


「『時間遅延』」


 全てが白と黒に染まり、世界が止まる。


 時間跳躍の研究の途中で作り出した改変魔術。時間の流れに干渉し、ほぼ停止した世界を実現する。

 その代わり持続時間が極短いし、魔力をバカ食いする。次に使う奴も合わせて全回復した魔力がすっからかんだ、クソ。

 本当はここで精霊の鎖を使う予定だったのに。国はとんでもない邪魔をしてくれた。


 だが、問題ない。

 結果は変わらない。


 限りなく時間の延びた世界で、俺は走る。


 力の入らない足を最低限の魔力で無理矢理補強して動かす。

 決着を見つめる道理を抜き去り、声を上げんと口を開く条哉(おれ)を抜き去り、正義の為に追撃を加えんとする健人を抜き去り、魔獣王の体を駆け上がり、正義の背中に追い付く。

 涙は流れない。


「安心しろよ。正義」


 聞こえないし、分からないだろうけど。


「お前たちは、必ず守る」


 だから。


「だから、そんな泣きそうな顔をしないでくれ」


 発動。


「『終式・神喰らいの巨狼(フェンリル)』」


 俺の背後から巨大な狼の頭が現れる。


「喰らえ」


 ガパリと口を開け、存在消却の黒い光球を包み込むように飲み込む。

 閉じた牙の隙間から光が漏れ、牙にひびが入るが、フェンリルは苦しみながらもどうにか光球を押さえ込んでくれた。


「完了だ」


 飛び退き、そのまま崩れ落ちた壁から外に落下する。

 時間遅延が終了し、世界の色が元に戻った。


「―――!?」

「―――!」


 広間から驚愕の気配が伝わってくる。気づかれずに済んだようだ。

 結果は見えない。だがこれでいい。命と引き換えの魔術を防いだんだ、魔獣王にこれ以上の隠し弾はないだろう。これで俺の望みは叶った。あいつらの運命を変えることができたのだ。


 ああ、満足だ。


 俺は城から落ちるがままに身を任せ、目を閉じた。











 体が痛い。痛くない所がないくらいに全身が痛い。

 目を開けると、城の外壁が見える。どうやら中庭に落ちたようだ。あの高さから落ちておいて死んでいないのは頭上にある立派な木と、俺が今いい具合にもたれ掛かる形になっている魔獣の死体がクッションになったお陰か。

 ふむ、影の傾きがそんなに変わっていないところから推測するに、落ちて時間を経たずに気付いたらしいな。


 とりあえずいつまでも死体の上で寝転がっている趣味はないので、動くために懐から回復薬を取り出す。

 しかし、痛みとは別の原因により腕に全く力が入らず、栓を開くことが出来ない。


 ヤバイぞ、このままでは生き残りの魔獣の餌になってしまう。いくらなんでもそれは嫌だ。大体、俺を食った魔獣がどうなるのか分かったものではない。どうしたものか。やはりどうにかしてこの薬を飲むしかない。容器ごと飲んでみるか? はて俺は何の素材でこの容器を作ったんだっけか。消化できる物だっけ。


 回復薬を目の前に持ち上げ悩んでいると、気付いた。

 よく見ると手が半透明に透けている。


「やはり、こうなるか」


 驚きはない。推測はしていたし、だんだん強くなる脱力感からそうだろうとは思っていた。


 これが時間跳躍の代償。

 同じ存在は一つの時間にいることはできない。存在できるのは常に一つ。複数なるのならばどちらかは消える運命。この場合は横入りしてきた俺が異物となる。今はまだほんのうっすらだが、次第に俺は透明になっていき、最後には消えるのだろう。

 回復薬や魔術でどうにかなるものではない。これは世界のルールだ。


 回復薬を放し、胸に下げているペンダントを開く。


 中に入っているのは「俺一人が写っている写真」だった。


 息を吐き、魔獣の死体にもたれ掛かる。


 分かっていた。これは最初から予想のついていたことだ。

 過去の正義たちを消滅の運命から救った。だから、今のあいつらは俺のいた未来とは別の、新しい未来を進んでいる。

 俺のいた未来には何の影響も変化も与えない。「俺の世界にいた」正義たちは戻らないのだ。

 だから、これはただの鬱憤晴らし。自己満足のようなものだ。


 もう一度ペンダントの写真を見る。

 少しだけ、色が薄くなっている気がした。

 俺が消えたら、これもただの風景を写した写真になるのだろうか。


 寂しくはあるが恐怖はない。目的を果たした俺には未練などは何もないからだ。

 この状態でぼんやりと昔を思い出しながら消えるのも悪くないか。

 そんなことを考えていた時だった。


「あの、大丈夫ですか、おじさん?」


 すぐ近くから聞こえた声に驚き横を向き、飛び上がるほどに驚く。実際には肩が跳ねた程度だろうが。

 そこにいたのは。


「道理……」


 胸などの急所を守る鎧とその下には白色のローブ、両手で持つのは拳大の緑色の宝石が嵌め込まれた長杖、肩までかかる黒い髪に優しそうな目。

 勇者の一人、北方道理だった。


「おじさんは私の名前を知っているんですか?」

「あ、ああ。君たちは勇者だからね」

「あ、なるほど。面を向かって言われると恥ずかしいな」


 えへへと頭をかく道理。しかし俺の状態を危険と考えたようで、すぐに真面目な顔になる。


「あの、どうしておじさんがこんな所にいるのかは分かりませんが、取り敢えずその傷を治療します」


 そう言うと俺の側にしゃがみこみ、呪文を唱えて体の傷を癒していく。懐かしい、魔術の光に照らされる道理の横顔。手を伸ばしかけたが、力が入らなかった。会話なら問題ないか。


「……どうして君は一人なんだ? 危険だぞ」

「残党狩りです。魔獣王は先ほど倒しましたから、残っている魔獣を出来る限り減らしているんですよ。あと私は一人でも戦えます。勇者ですから」


 えへんと胸を張るが、残念なことに強調するほど育っていない。非常に残念だ。


「そうか、残党狩りか……」


 魔獣王の戦いで生き残ったらこうなるのか。

 ここからは俺の知らない未来(かこ)、こいつらがどんな道を歩んでいくのだろうか。

 ピクリと道理の手が一瞬止まる。だがすぐに動き出した。


「どうした?」

「い、いえ、その、木の枝が刺さっていたので」


 ああ、そりゃ少し嫌なものを見せた。


「……あなたはどうしてここに? 迷い込んだなんてことはないですよね」


 傷を治しながら、道理が聞いてくる。

 俺の目線より下にある道理の首には四人お揃いのペンダントのチェーンが見えた。本体は服の中に隠れているので見えないが、間違いない。その中には地球にいた頃に撮った、誰一人として欠けていない写真が納まっているのだろう。

 それこそは、俺の成功の証。


「ああ。どうしてもやりことがあってね。それを成しに来たんだ」

「……それは叶いましたか?」


 叶ったとも。君がいる。


「ああ、もちろんだ。随分と時間がかかったが、どうにかなったよ」

「そう、ですか」


 視線を感じて見ると、何故か道理が俺をじっと見ていた。

 気付いたか? いや、年齢の差と長きに渡る無茶で不健康な研究生活で俺はもはや別人のはずだ。

 冷や汗をかいたがバレなかったようで、道理は視線を戻して治療を続けた。


「この腕も……、『聖母の慈愛(エイル)』」


 暖かな力が腕から全身に広がる。俺の拙い魔術で止血した腕の先に光が集まり、それが散るとウェクターに切られた腕が何事もなかったかのようについていた。指を動かしても違和感が無い。


「流石は勇者だ」

「いえ、当然の事です」


 道理が遠慮したように首を振る。本気でそう思っているということは知っている。三人とも、自分の力が誰かを助けることが出来るなら行動を躊躇わない性格だ。


 もうほぼ感覚のない腕をかき集めた魔力と気合いと根性で問題なく見えるように動かす。


「もう心配ない。ありがとう」

「よかった。それでは私は戻りますね」

「ああ。気を付けてな。死ぬなよ」

「もちろんです。あなたも、きちんと帰ってくださいね?」

「ああ、約束するよ」


 去っていく道理の背中に嘘を放つ。

 もうすぐ消えるというのに。守れない約束を。


 すまないな、道理。


 手を見ると、もう半分くらい透けていた。見ている間にもどんどん薄くなっていく。

 そうか、限界か……良いタイミングと言えば良いタイミングだな。最後に道理とも話せたし、十分だ。


「あの!」


 顔を上げると、去ったはずの道理が立ち止まりこちらを向いていた。

 その表情は泣きそうになりながらも何かを決心したかのようで。


「最後に何かしてくれたの、条哉君だよね! ありがとう! 正義君も誰かが助けてくれたって言ってたよ! そんなボロボロになっても、助けてくれたんだよね! し、写真、大切に持っていてくれたんだよね! あり、がとう!」


 ぐっと口の震えを押さえ込み、笑顔になって。


「条哉君は、勇者だよ! ありがとう!」


 最後は少し涙声になっていたけど、そう言った。


 どうして。


「どうして、ありがとう何て言うんだよ……」


 そう言いたいのは俺の方なのに。

 あの時、君に助けてもらったお陰で俺は存在しているのに。

 そのお礼も言えていないのに。


 ああ、体が消えていく。蒸発しているかのように小さな光が昇り出した。

 視界が薄れていく。これは消えているのか涙なのか。


 まだ、もう少しだけ待ってくれ。

 せめて一言だけ。


「俺は」


 道理に聞こえるように、力を振り絞りはっきりと言う。


「お前らと一緒で、本当に幸せだった!」


 遠退く意識の中で、道理が頷いたのが見えた。


「ありが、と……う……」


 この最後の呟きは、聞こえていただろうか。










 光が消えた時、もうそこには誰もいなかった。

 消えてしまった。しかし道理の目にははっきりと彼の姿が焼き付いている。


 涙を拭い、正義たちに合流しようと歩き出す。


「あ、いた! おーい、道理ー」


 が、丁度良く城から正義が手を振りながら出てきた。続いて健人と条哉も。

 どうやら既に残党狩りは一段落して道理以外の三人は集まり、道理を探していたようだった。


「中庭にいたのか、道理」

「うん。私たちを助けてくれた人に会ったよ」

「ふぁ〰️っは!?、マジでか!?」


 あくびをしていた健人がそれを中断して道理に詰め寄る。無理矢理止めたせいか若干苦しそうだ。


「うん。もう行っちゃったけど」

「ほら! やっぱり俺の気のせいじゃなかった!」

「まぁじぃでぇー……」


 正義が「どうだ!」と健人を指差し、健人は気まずそうに頭をかいている。

 実は魔獣王に止めをさした後、魔獣王が使おうとした魔術を黒い影が打ち消してくれた、だから助かったのだ、もしかしたら死んでいたかもと主張する正義に、健人はこの城にそんな奴いるかと反論したのだ。

 二人が言い合っている間に道理はそんな二人を楽しそうに見ている条哉に近寄る。


「ねえ条哉君」

「ん? 何だ」


 その横顔をさっきまで話していた彼と重ねながら、道理は尋ねる。


「私たちも条哉君と一緒いれて幸せだよ」


 えへへ、と嬉しそうに笑う道理を見て、条哉は数秒硬直した後、着ている上着の襟を立ててあらぬ方向に顔を向けた。


「……急にどうした?」

「あ、耳が赤いよ、照れてるー」

「……クソ」


 恥ずかしそうにする条哉の首に後ろから、健人が腕を回す。正義にとの話し合いは健人が謝るということで終わったようだ。


「何だ条哉、道理に惚れたか! 毎日同じモン見てんのに今更か!」

「「うっさいわ筋肉」」

「ぐほっ!? お前ら、良い一撃だ……」

「ほら三人とも、そろそろ帰るぞ。道理、転移を頼む」

「うん。任せて!」


 道理、健人、条哉をそれぞれ見て、正義は弾けるように言う。


「さあ、行こう! 皆が俺たちの帰りを待ってる!」


 楽しそうに騒ぐ四人の頭上にある空には、見守るように小さな光が飛んでいた。


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