096 旗を立てる
小さな丘を下り、湿地帯へと入る。
足元は、水たまり以外の場所もぬかるんでいたため、とても歩きにくい。ところどころに自分の背丈と同じくらい大きな房のある植物が生えており、視界を邪魔している。
『上からだと分からなかったけど、結構、嫌らしい地形だよね』
『ふむ。確かに鬱陶しい草なのじゃ』
銀のイフリーダの声だけが頭の中に響く。姿が見えない。草に隠れているのだろうか。
「……て、あっ!」
と、そこで少しだけ深くなっている場所に足を取られてしまった。崩れてしまった体制に無理矢理力を入れて立て直し、転けないように踏ん張る。
『おっとっとっと。危ない、地面に顔面から突っ込むところだったよ』
「ソラ、こちらなのです」
堅い拳さんの自分を呼ぶ声が聞こえる。
房のある植物を掻き分け、声のする方へと歩いて行く。
「ソラ、はぐれては駄目なのです」
そこでは堅い拳さんたちが自分を待っていた。
「すいません、少し遅れました」
こちらとしては、はぐれたつもりは無かったのだが、自分の姿が草に隠れてしまって勘違いさせてしまったようだ。
「この道を進むのです」
それは上から見えていた木の板だった。何枚もの木の板が組み合わさって道のように延びている。ただ、それは、堅い拳さんたちの重さで少し沈んでしまっている、道とは言えない道だった。
『本当に浮いているだけなんだね』
浮いているだけなのは不安だが、これで進む方向を間違えることはなさそうだ。もちろん、この木の板が変な方向に動いていないと信じることが前提になってしまうのだが。
自分の背丈では目印にしていた山が草に隠れてしまって見えない。この道を信じるしかない。
草と草の間に埋もれた木の板を渡っていく。
『これはこれで大変だね』
迂回した方が早かったんじゃないかと考えてしまうほどだ。
それでも歩き続ける。
すると、その途中で皆の動きが止まった。
「どうし……」
自分が話しかけるよりも早く堅い拳さんが弓を構える。
前を見れば、道を塞ぐように鳥のような生き物が立っていた。上から見た時よりも大きく感じる。鳥もどきがこちらに気付いた様子はなく、のんきに植物の房をついばんでいた。
堅い拳さんが矢を番え、放つ。
ひゅんと風を切って矢が飛び、鳥もどきに刺さる。
矢の刺さった鳥もどきは、ぐんえぇーっと汚い叫び声を上げ、沢山の羽をまき散らしながら慌てて逃げていった。
「こうやって羽を集めるのです」
なるほど、確かに羽根の材料だ。一本の矢で数十本分の材料が取れそうだ。
「羽根の材料は見ましたけど、他には、どんな魔獣が居るんですか?」
浮き沈みする木の板の上を歩きながら、聞いてみる。
「他の魔獣だと、堅い殻に覆われ挟み込む手を持った魔獣や甲羅を背負った蜥蜴などの危険な魔獣がいるのです」
カニと亀だろうか?
「ただ、どちらも湿地帯の奥にしか生息していないのです。道を外れなければ大丈夫なのです」
それは出てくるというフラグではなかろうか。
強大なマナを持った王が目覚めたことで魔獣が活性化している状況だ。油断せずに進もう。
そんな会話を続けながら、湿地帯を進んでいく。
「そろそろ湿地帯の休憩場なのです」
警戒しながら歩き続けたが、特に何か出くわすこともなく休憩場に辿り着いたようだ。
湿地帯の中に大きな浮島のような陸地が見えてくる。あそこが休憩場なのだろう。
「ああ、言い忘れていたのです」
堅い拳さんが呟く。
そこにはこちらを取り囲むように武装した蜥蜴人たちが待っていた。
「ここには生け贄反対派の連中が生息しているのです」
ああ、学ぶ赤さんを助けた連中か。魔獣との遭遇を予想していたら、こんなことになるのか。
「お前たちを囲んでいるのです。武器を捨てるのです」
武装した蜥蜴人の一人が大きな声で、こちらへと武装の解除を呼びかける。
「ここを通すのです」
堅い拳さんが生け贄反対派の連中に威圧を込めた言葉を放つ。
「と、と、通せないのです。こ、こ、こちらの数を見るのです。大人しく武器を捨てて、荷物を置いて逃げ帰るのです」
生け贄反対派の声が震えていた。こちらを包囲している蜥蜴人たちは、堅い拳さんと比べればずいぶんと格下に見える。
「私たちはファア・アズナバール様を討伐するつもりなのです。分かったら、通すのです」
「う、嘘なのです。神を倒すことが出来る訳がないのです」
ん?
「生け贄には反対、ファア・アズナバール様の討伐にも反対、それでは、里が飛竜に滅ぼされてしまうのです」
「ほ、滅びればいいのです」
んん?
生け贄反対派からは、そうだ、そうだと叫び声が上がっている。
「荷物を置いて逃げ帰るのです」
「寝言は寝てから言うのです」
どうやら、勘違いしていたようだ。彼らは里から離れた? 追い出された? だけの、ただの山賊のような連中だったようだ。
『ソラよ』
『うん、気付いているよ』
堅い拳さんと山賊の話し合いは続いている。我慢の限界に達したのか、堅い拳さんの手が弓へと伸びそうになっていた。
と、そこへ、生い茂った草を掻き分け、湿地帯の中から巨大なハサミを持った甲殻魔獣が現れた。蜥蜴人たちを、そのハサミで真っ二つに出来そうなくらい、大きい。
『カニもどきだ』
『うむ? カニとは何なのじゃ?』
現れたカニもどきが大きなハサミを振り回し、生け贄反対派たちを吹き飛ばす。
叫び声が上がる。
一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
『予想通り、出てきたよね』
鞘紐を外し、鉄の剣を引き抜き、そのまま駆ける。浮島の地面は固い。これなら問題無く動き回れる。
『奴の手に気をつけるのじゃ』
こちらを挟み込むように突き出されたハサミを飛び上がって躱し、そのまま鉄の剣を叩きつける。
しかし、カニもどきの体を覆っている堅い甲殻に阻まれ、鉄の剣が跳ね返される。その勢いのまま、空中で体勢を立て直し、着地する。
『堅いね』
カニもどきはガチガチとハサミを鳴らし、口からは、ぶくぶくと泡を溢れさせている。
本当に大きくなっただけのカニだ。
『ソラよ、あの時を思い出すのじゃ』
銀のイフリーダの言葉に頷きを返す。
大蛇の頭を切ったときの一撃。
神技スマッシュ。
駆ける。
カニもどきが大きなハサミを振り上げる。
こちらへと叩きつけられたハサミに鉄の剣を滑らせ、体ごと前に回避する。そして、鉄の剣を振り上げる。
「今!」
上から下へと強力な一撃をたたき込む。
一閃。
巨大なカニのハサミが宙を舞った。




