049 石の記憶
拠点へと戻る前に、少しだけ気になっていた転がっている石の両手剣を手に取る。
重い。
これを振り回すことはもちろん、持ち運ぶことも難しそうだ。
……。
「?」
と、そこで体から力が抜けていく。ただ、力なく膝から崩れ落ちる。
『ソラ、どうしたのじゃ!』
イフリーダのソラと呼びかける声が頭に響き続ける。
そうだ、僕は――
自分は――
俺は――
そして、視界が閉ざされた。
夢か、夢か。
これは、いや、現実か。
……。
「兄様」
声に気がつき、振り返るとそこには妹のラーラの姿があった。相変わらず何処を見ているか分からない虚ろな瞳のまま、小さな声で兄様と呼んでいる。
「ラーラ、こんなところにどうした?」
王都の、しかもこれから戦場になる場所に巫女であるラーラがやって来るべきではない。
「兄様に祝福を」
ラーラは虚ろな瞳のまま、呟くように喋る。
「必要ない。お前の祝福は与えるべき者がいるだろう」
ラーラに背を向け、剣を手に取る。
それは祭儀にも使われ神器となる剣。
しかし、必要なのは戦に赴く為の剣だ。
そうだ、戦いだ。
王はいない。
ただ、殺す。
殺す。
殺す。
「ラーラ、ラーラ! 何処にいるんだい」
遠くからラーラを呼ぶ男の叫び声が聞こえる。
神器の剣を持ち振り返るが、ラーラが動く様子はない。
「兄様はあの魔女に騙されているのです」
ラーラは虚ろな瞳のまま、抑揚のないささやくような声で喋る。しかし、その言葉には何処か暗い情念のようなものが宿っているように聞こえた。
「騙されていたとしても構わぬ。重要なのは約束を果たすことと誓いを守ることだ」
ラーラは俺の言葉を聞いても虚ろな瞳のまま動かない。
「兄様……」
ラーラは巫女となり心が壊れたままだ。そのはずだ。
しかし、そこに何かの意思が宿っているように見える。
兄妹だからこそ感じる共感なのだろうか。
「ラーラ! 何処にいるんだい」
こちらへと近づいている男の叫び声。
「ラーラ、ガンガルがお前を呼んでいる。あいつの元へ行ってやれ」
ラーラは動かない。こちらの声が届いていないのか、言葉が理解出来ないのか、何処か虚ろな表情のまま、無言で立っている。
「ラーラ、ここにいたのか!」
そこへラーラを呼んでいた男、ガンガルが現れる。
ガンガルは、ラーラの手を取り、引き寄せ、こちらを睨む。
「ここで何をしていたのです」
ガンガルの詰問するような言葉。
変わらないな。
今がどういう状況なのか理解していない、自分本位で、そして恐ろしくくだらない。
こいつは何も変わっていない。ああ、こういうヤツだったな。
「私は兄様に祝福を……」
ガンガルの腕に抱かれたラーラが虚ろな瞳のまま呟く。
「ラーラ、今はそんな場合じゃないんですよ」
ガンガルは腕の中のラーラへと諭すように、困った表情で喋っていた。
本当にくだらない。
俺は早く戦いに行きたいのに。
俺は早く殺しに行きたいのに。
「ラーラ、早く逃げないと駄目ですよ」
「でも、兄様に祝福が……」
くだらない。
「ガンガル」
俺はガンガルに呼びかける。
「な、何ですか?」
呼びかけられたガンガルは、少し戸惑ったような表情でこちらを見た。
別に俺もラーラの婚約者であったお前と仲違いをしたかったわけではない。ただ、面倒だっただけだ。
「これを持って行け。俺には必要の無い物だ」
手に持っていた神器の剣をガンガルの前へと突き出す。
「これは!」
ガンガルが驚いた表情でこちらを見る。
王の象徴である神器の剣。
しかし、王はもういない。
ガンガルが神器の剣をあいている手で受け取る。その重さが予想外だったのか少しだけふらついていた。
ガンガルには剣ではなく楽器の方がお似合いなのかもしれない。
「俺は行く。もう邪魔をするな」
俺に必要なのは戦うための武器としての剣だ。
「こんな、こんな、これを託す意味が分かっているんですか!」
「ラーラはお前に任せた」
言葉はこれ以上必要ない。
まだ何かを叫んでいるガンガルを無視して歩く。
さあ、戦いだ。
殺し、殺される戦いだ。
……。
そこで視界が暗転した。
暗闇に飲まれる。
俺は……、
俺は……、
……。
俺の意思は闇の中へと消えていく。
……。
……。
ぺちぺちと何かが自分の頬を叩いている。
何処かひんやりと冷たい。
と、そこで目が覚めた。
そこは薄暗く冷たい石の床、目の前にはスコルの顔があった。
「スコル……」
「ガル」
小さく吼えたスコルから漏れた息は臭かった。生臭い。こういうところは、本当に野生の獣だなぁ。
それで完全に目が覚めた。
「ガル」
スコルは目覚めたのか、という表情で首を傾げていた。
冷たい石の床に手を置き、ゆっくりと立ち上がる。
周囲は薄暗く、闇に包まれている。どれくらい気絶していたのか分からないが、いつの間にか夜になっていたようだ。
『ふむ。無事で良かったのじゃ。突然、倒れた時は驚いたのじゃ』
全然、驚いた様子のない銀のイフリーダが腕を組みニシシと笑っていた。
「どれくらい気絶していたんだろう?」
『ふむ。まだ日が落ちてすぐなのじゃ』
それでも、もう日が落ちている。夜の移動は出来ない。一日を無駄にしてしまったことになる。
「はぁ」
大きくため息を吐く。
水がない状況で、これは危険だ。
そして、改めて気絶していた時に見た夢を思い出す。
あの夢に出てきたのは神器と呼ばれる剣。そう、この石の両手剣だ。
もしかして、あれは、この石の両手剣の記憶だったのだろうか。




