357 真を語る銀のイフリーダ
『随分と嫌な気分にさせられる場所だな』
レームが異臭でも嗅いだかのように鼻を押さえている。骨だから鼻はないはずなのに……。
そのレームを乗せた暴れ馬が頭を振って苦しそうにしていた。暴れ馬がこの場に止まり続けるのは難しいかもしれない。
レームが暴れ馬の背から飛び降り、その首筋を撫でる。
『お前はここで帰るんだ』
暴れ馬が、その言葉に逆らうように首を振る。最後まで一緒に行きたいのだろう。ここで帰ってしまえば、ただ、レームと一緒に降りてきただけになってしまう。
レームが、その暴れ馬の首筋を優しく撫でる。
『心配するな。大丈夫だ』
レームと暴れ馬が見つめ合う。
そして、暴れ馬が、ゆっくりと頷く。
『お前なら、ここから戻れるはずだ。地上の皆を助けてやってくれ』
暴れ馬が地上の方を見る。そして、そのまま階段のように積み上がった魔獣を踏み潰し、地上へと帰っていく。暴れ馬に踏み潰されても魔獣は反応しない。暴れ馬に襲いかかろうともしない。
……。
足元の硬化し薄汚れたマナが蠢く。
硬化し薄汚れたマナの表面が変質し魔獣が生まれていた。生まれた魔獣は、こちらを無視し、地上へと向かっていく。積み重なった魔獣を踏み潰し、昇っていく。
どうもここで生まれた魔獣たちは地上を目指すことを優先するようだ。
戦闘にならないのはありがたい。
このまま迷宮の奥を目指すことが出来る。
『ガルルル』
スコルがマナの言葉で吼える。スコルにもこの場所はキツいようだ。確かに、ここは立ち止まっているだけでも心が歪んでいきそうだ。だが、それでもスコルなら耐えることが出来るようだ。同じ魔獣でも暴れ馬とは違う。黒いマナを理解し、操ることも出来るスコルは凄いのだ。
『ええ。ちょっと、これは気分が悪くなってくる場所ね』
真っ赤な猫は青い顔をしている。言葉通り気分が悪そうだ。
『うむ。おぬしたち魔獣は体内のマナを乱され大変だと思うのじゃ』
銀のイフリーダは自分には影響が無いと自慢するかのように胸を張っていた。
『ちょっと、魔獣扱いしないで!』
真っ赤な猫はふーふーと息を荒くしている。だが、本当に怒っている訳ではなく、どちらかというと気を紛らわせるために、怒ったフリをしているという感じだ。
「何だか不穏な場所だな」
フードのサザがキョロキョロと周囲を見回している。フードのサザはそこまで影響を受けないようだ。
マナ生命体である僕もそこまでではない。不快だと思うくらいだ。
魔獣であるスコル、魔獣と変わらない存在になった真っ赤な猫のローラとレームは、かなり影響を受けているようだ。
……。
魔獣。
魔獣とは何かを考えてしまう。
僕は知っている。
迷宮が暗闇に包まれていた時、地上から落ちてきた死体にマナが吸い込まれ魔獣と化したことを知っている。
マナとは何だ?
凄い今更だが、マナとは何だ?
この世界を構成している小さな小さな粒だ。でも、それがどうしてこうなるのだろう?
黒いマナや白いマナ。人を形作っているのもマナだ。
マナ、マナ、マナ。
当たり前にありすぎて、あまり疑問に思うことが無かった。
不思議に思っても深く考えることは無かった。
……。
この不快なマナの塊……その表面から次々と魔獣が生まれている。生まれた魔獣は地上を目指し蠢く。
ここは開かない門によって封じられていた。
そう、封じられていた。
……。
まさか……。
僕は考え違いをしていた?
僕は閉ざされた門の向こうに魔獣が詰まっていたのだと思っていた。大穴が開き、門が無くなったことで、その魔獣があふれ出したのだと思っていた。
そうじゃないとしたら?
魔獣はこの足元に広がっている不快なマナの塊から生まれている。
そう生まれている。
魔獣が詰まっていたんじゃない。生まれているんだ。
つまり、この足元に広がっている不快なマナが消えない限りは魔獣が溢れ続けるということだ。
……キリがない訳だ。
まだまだ不快なマナは広がっている。消えそうにない。
しかし、何故?
そう、何故、だ。
この門が開かれるまでは魔獣は居なかったのではないだろうか。開かれたから、魔獣が現れている。
つまり、だ。
開かれたことで、地上にある何かとこの不快なマナが反応して魔獣が生まれているということか?
人の死体と反応して魔獣が生まれたのと考え方は同じなのかもしれない。
迷宮から魔獣が現れる理由は――これが原因か。
この不快なマナが漏れ出し、そして魔獣になる。それが地上に出る。魔獣たちが地上を目指す理由もそこにあるのかもしれない。
魔獣が生まれる原因は分かった。
でも、だ。
それなら、何故……。
『何故、禁域にも魔獣が居たのだろう』
迷宮から魔獣が生まれているというのなら、その近辺が中心になるはずだ。なのに、魔獣は各地に現れる。
その範囲は広い。
とても迷宮からのみ広がったとは思えない。
『突然、何?』
真っ赤な猫は不快な気分を紛らわせるように頭を振っている。ここに止まるだけで狂ってしまいそうだ。
……。
考えるよりも早く、この場を離れた方が良いのかもしれない。
不快なマナの上を皆で歩き、進む。
進みながら考えよう。
不快なマナが広がる、この開かれた空間を調べ、進む道を探しながら歩く。
『この不快なマナが魔獣を生み出しているのなら、どうやって地上に広がったのか考えていたんです』
『え! この足元の、全部、マナ結晶なの? その割には濁って汚い感じ……』
真っ赤な猫が顔をしかめている。
『ああ。この上を歩くだけでも嫌な気分だよ』
レームも嫌そうだ。だが、足元から全身を鎧に守れている分、真っ赤な猫ほどの不快感は覚えていないようだ。
『広がった理由? 簡単なことなのじゃ』
そして、何故か銀のイフリーダが反応する。
『簡単? どういうこと?』
『落ちた場所が違うのじゃ』
落ちた場所?
どういうこと?
『イフリーダ、どういう意味? 分かるの?』
『当然なのじゃ。ここに落ちたのは我らの居住区なども含めた基礎部分なのじゃ』
居住区?
神が住んでいる場所?
『おぬしたちにも分かり易く言えば、空飛ぶ船があったのじゃ。それが落ちたのじゃ。ここにあるのは、その殆ど。それ以外の小さな破片が落ちた場所が地上なのじゃ』
銀のイフリーダは何を言っている?
何を言っているのだろうか。
『船が落ちたことと、魔獣が現れることの関連性が分からないよ』
分からない。銀のイフリーダが何を言おうとしているのか分からない。
『何を言っているのじゃ。その破片が魔獣なのじゃ』
魔獣?
『空を飛ぶ船が魔獣だったということ?』
銀のイフリーダが大きなため息を吐き出す。
『それこそ何を言っているのじゃ。船はマナで作られていたに決まっているのじゃ』
マナで作られた?
……。
あ。
銀のイフリーダたち神はマナ生命体だ。マナで作られた生命だ。いや、人も厳密に言えば同じなのだろうけど、神はマナが意思を持った存在というか……。
小さな目に見えないマナを使って創られた体で生きるのが人だ。
マナに――魂に意識を持ったのがマナ生命体だ。
そう、神はマナ自体だとも言える。
そういった生物が乗る船は?
その船が木や金属で作られた、僕たちが知っている船と同じだろうか?
違うと思う。
マナで作られた船。
形を想像することは出来ないけど、なんとなく分かる。
その破片が地上に落ち、それが歪み、魔獣になった。
そういうことなのだろう。
何故、神はマナを集めるのか。
マナ生命体だから、食事のためかと思っていた。力を蓄えるためだと思っていた。
マナで作られた船が落ち、その破片が散らばった。
『それ故、マナが必要なのじゃ。もちろん生きるためにも必要になるのじゃ』
もしかして、船の部品を集めているのか?
そういえば、以前の銀のイフリーダは僕に強大なマナを集めさせていた。僕は、それを無の女神が力を増すために行ったのだと思った。
神がマナ生命体であることを理解したからこそ、そう思った。
でも、だ。
力を付けるだけなら魔獣を狩ってマナを得続ければ良い。強大なマナの方が効率は良いのかもしれないが、こだわる必要はないはずだ。
何故、強大なマナである必要があったのか。
そうか、そういうことか。
船の部品として必要だったから、なのか。
無の女神なら、その辺りの詳しい事情を知っていたはずだ。他の神と交渉するために集めたのだろうか?
……。
でも、何故、今更なのだろう。今になってから集める理由が分からない。もっと前から集めていてもおかしくないはずだ。
まるで僕が目覚めるのを待ってから集め始めたように感じる。
……いや、違うのか。
僕が目覚めたからであっているけれど、その理由が違う。
そうか。
禁域は封じられていた。
外から入ることが出来ない場所だったはずだ。
無の女神も追えない場所だった。
だから、なのか?
そうなると僕が目覚めた場所にあった骨、彼? 彼女? が、どうやって、その禁域に入り込んだか気になるところだ。銀の腕輪をして死んでいた。その銀の腕輪は銀のイフリーダだった訳だけれど……。
謎が残る。
それに、だ。
リュウシュが崇めていた神、ゲーディア。あの青髪の女神だ。リュウシュと繋がりのあった、あの青髪の女神なら、知っていたはずだ。強大なマナが眠っていることを知っていたはずだ。
なのに、何故?
神も一枚岩ではないということ?
もしかして、マナを独り占めしようとしていたのか?
手柄を得ようとしていたのか?
だけど、リュウシュが弱すぎて、力を蓄えるだけで精一杯だったのか?
マナ生命体である神は長生きだ。
そう、永遠に生きるような生物だ。
待つ事なんて、力を蓄えることなんて、独り占めできることを考えたら、何ということも無かったのかもしれない。
にしても、だ。
何故、急に銀のイフリーダは、そんな情報を?
以前から知っていた?
違うはずだ。
迷宮の深部に近づいているからだろうか? その影響を受けているのだろうか。
『ここが船だった? うーむ、想像が出来ないな。どうみても船という構造ではないからな』
レームは歩きながら腕を組み悩んでいる。
『うむ。それは上の部分しか見ていなかったからなのじゃ。おぬしたちは我らを崇め、ここに神殿を築いたのじゃ。いや、正確には地上に出るために築かせた、のじゃ』
『え? それが迷宮ってこと?』
真っ赤な猫が驚いている。
『うむ。堕ちた船の穴は深く、地上に出るためには巨大な建物が必要だったのじゃ。最初の頃は我らが協力した故、創りも優れたものじゃ。しかし、じゃ。最初に創った人はすぐに反抗したので駄目だったのじゃ。協力し、甘やかしたが故の反乱なのじゃ。次の人は反抗しないように少し愚かに創ったのじゃ。しかし、それ故、上に行けば行くほど、出来は悪くなったのじゃ』
上に――地上に行くだけなら、大きな梯子でも作れば良いと思うのだけれど。
……。
その頃のことは分からないのでなんとも言えない。
『何層にもなっているのは、人も代替わりしているからってこと?』
『うむ。色々な種を創ったのじゃ。力の強いもの、丈夫だが力の弱いもの、空を飛ぶもの、賢く従順だが自分で考えることが出来ないもの、何も出来ないもの、多くのものを創ったのじゃ』
神が人を創った。
確かに、その行いだけを見れば、それは神の所業だ。
でも、創造主だからといって何をしても良いとは思えない。僕たちには考えることが――自分の意思がある。
『でも、どうしてそれが残ってないの?』
『うむ。制御系が暴走したのじゃ』
制御系?
空を飛ぶ。
船が空を飛ぶ?
浮かぶ?
そういえば、この迷宮にレームと来た時にレームが実演してくれた。ものを投げると中心部では落ちる。
下に引っ張られ潰れる。
もしかして、浮かぶ力が逆方向に働いているのだろうか?
それが制御系ってこと?
『もう! さっきから、突然、訳の分からないことを言い出して! どうしたの!』
真っ赤な猫が銀のイフリーダを心配している。
『む。言われてみればそうなのじゃ。むむむ。何故か、突然、浮かんでくるのじゃ』
銀のイフリーダも良く分かっていないようだ。
『ああ。それなら、神までの道も浮かんでくれば良いな』
レームの言葉。
『うむ。それならこちらなのじゃ』
その言葉に銀のイフリーダが反応する。
分かるのか。
『ちょっと! それなら最初から教えて!』
真っ赤な猫の言葉はもっともだ。
「おいおい、何処まで歩き続けるんだよ。いい加減、疲れたぜ」
『ガルルル』
スコルの背中に乗って自分では歩いていないフードのサザがそんなことを言っている。無理矢理着いてきたが、ここまで全く役に立っていない。
何のために着いてきたのだろうか。
「道が分かりました。もうすぐですよ」
「この子の背中の上は、あの赤い竜ほど広くないから鍛冶仕事も出来ないしさー」
本当に役に立っていない。
銀のイフリーダの道案内で地の底を進む。
不快になる気持ちを抑えつつ進み続けると、巨大な金属製の扉が見えてきた。
その扉は開かれている。
ここを無の女神が抜けていったのだろうか。
「良く分からない金属だな。魔法金属よりも上質な……神々しい力を感じるぜ」
フードのサザは扉の金属を持ち帰りたそうにしている。
もしかすると、今、僕が持っている禍々しい槍と同じ素材かもしれない。よく似ている。
『うむ。この先に神が眠っているのじゃ』
ついに辿り着いたようだ。
『我でもかなわぬ三柱の大神、そして我を含めた九柱の女神、その配下が眠っているのじゃ』
銀のイフリーダが自分のことを九柱の神と言った。
無の女神の意識と同化しようとしているのかもしれない。
飲み込まれなければ良いのだけれど……。
そうなってしまえば、初めて迷宮に降りた時と同じことになってしまう。
……。
いや、信じよう。
銀のイフリーダを信じよう。
『行きましょう。神を倒し、自由を得るために!』